「大将、ほら、また寝てない」
あきれたように俺を見下ろす目はかすかに笑っている。
それがどこか自嘲めいた色を伴っている、それすらも意識されたもののようで、俺はそれにどう反応すればいいのかわからない。
笑って見せればいいだろうか、その男のように。
口を開かぬ俺の隣まできた男は空を見上げた。冷たい空気はよどむことなく流れて髪を揺らす。その男の息が白くガラスをにごらせる。
「寒いっすねーーー、風邪引きますよ?」
そうだな、と、肯定する意味ももたない相槌を俺は打つ。
真横からの視線を感じるが、それを咎める理由も思いつかない。
なぜそうするのかと聞いてみたくはあるが、それも笑ってごまかされるだろう。
俺はただその青白い風を掬い取り、その光源を見上げた。
「大将、あの」
エースが視界の中に顔を突き出してくる。月の光が逆光になり暗い影になった。
「…なんだ」
そのままエースは一度窓の外に顔を向けて、しばらく沈黙したが、思い切ったように俺を見た。
「なんでいきなり、炎の英雄に会いにいくんです?」
これをききにきたらしい。
俺は息をついて、顔をそらした。
言うべき言葉などあるのだろうか。
何を語っても無駄な気がする。
静寂。幾度かエースが目を向けてくるが、気づかないふりをして俺は目を閉じる。
このままいつものように雰囲気に耐えかねたエースが別の話を振ってくれればいいのだが。
…前はこうではなかった。この男は、いつもどこか表面だけを取り繕って、踏み込むことも、踏み込ませることもしなかった代表格だ。
だからこそそれを期待して、俺は歪む唇を噛む。
「大将」
待ちかねた話題かと目を向けたのを後悔する。言葉尻で気がつくだろうに、その目は俺を見ていた。…もの言わぬ俺を。
一瞬視線が交錯して、俺がそれから、目を逸らそうとするそれよりも早く、エースは破顔してみせた。
「じゃぁ、ここからは俺の推測です。
間違ってても、べつになにもいわなくたっていいですから。
聞いてくださいよ」
やり方を変えてきたようだ。
本当に、いろいろと考えるものだ。
…どうして。
「えーと、大将は炎の英雄さんがいる場所を知ってたわけですよね、
最初から。でもそれは秘密だった。
でも任務で炎の運び手を追うことになって…
で、大将は運び手の居場所はわからなかった?
っつーか、運び手がいるかいないかはわからなかったっちゅーか…
そんで、運び手がいないってことは判明したわけで。
それで今度は炎の英雄に会いに行くって…あーーー…」
エースはガシガシと頭をかいて、俺を見た。
「ねぇ、なんでです?」
何がだ、と俺は、口にする。
エースは眉を顰めた。
「…つらいなら大将、どうして、行くんです?」
俺は、言葉を失った。口にしないのではなく、思考が白く明滅するのを感じた。
エースは。俺を見て、どんな顔をしていたんだか、俺を見て、あわてたように数度瞬いた。
「いや、わかってるんですよ?
いかなきゃいけない理由があるんだろうってことは。でも」
「そんなつらそうな顔されたら、…困りますよ」
じっと俺を見て、手を伸ばす。
たどたどしく、触れる指先は、躊躇まじりで、
しかし迷っているわけではなく。
どこまでなら許されるのか計算高く図ってもいるようで、狡猾に。
俺の髪を掬い、指の背は頬に触れた。
そこまでして、エースは正気にかえったように手を引く。
動かぬ俺を見て、一度視線をはずして、それからまた俺を見る。
俺は今になって何事かざわめく脳裏を、無視するように顔を逸らした。
流れ落ちるひかりのいろ。
口にするべき言葉も、思いつかない。
「…眠れないんなら大将、子守唄でも唄いましょうか」
何をいってるんだと、思って見上げた顔は子供のような笑顔で、開きかけた唇が痺れる。
本気で言っているみたいだ。訝しげな表情をしているだろう俺を見て、目を丸くする。
「ちょっとちょっと、こうみえても俺結構上手いんですよ?」
うまい、といわれても。
この男が猫なで声で子守唄を歌って聞かせるというのは、どうもイメージにそぐわない。
いいとこ酒場でギターをかかえてがなりたてる…ああ、あとは風呂場で民謡くらいなら、なんとか理解できるが。
俺が考えていたことがわかったらしいエースは、
眉間にシワをよせて憮然とした表情を作った。
「ちぇーー、そうやって誰も信じてくれないんだよなぁ。
吟遊詩人の紋章だって俺、つけられるんですぜ?」
「…それは、初耳だ」
だからといって戦闘中にエースの歌声が聞こえてきたら…
上手いにせよ下手にしろ、とても冷静に剣を振る自信はない。
考えただけで…脱力しそうだ。
「あ」
ん、と顔を向ける。
「久しぶりに笑いましたね、大将」
エースがそういって笑った。
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