外はすっかり日が暮れて、
露店を照らす明かりが町の表情を変える。
酒場は宿にあぶれた男達が夜を明かすつもりらしく、
いつにない賑わいを見せていた。
「ってマジかよオヤジ…」
今日二度目、エースはカウンターにつっぷした。
「仕方がないねぇ、まあこっちとしても商売だし」
多少申し訳なさそうな顔のオヤジを見上げて、エースは今日何度目かわからないため息を吐いた。
よろよろと、座る席もないので酒にありつくこともできないでいる、仲間達の元へとたどり着く。
「なんじゃ?」
物欲しそうにテーブルの上の酒を眺めていたジョーカーが、あまりのエースの様相に一応声をかける。
「部屋、ひとつ、うまっちまったって…残ってるのは、
ロイヤルスイートが一部屋と、スイートがふたつだってよ…」
エースは、それだけいうとがくりとうなだれた。
「おぬしがグズグズしとるからだ。」
ジョーカーは容赦なく言い捨てる。
「へえ、ロイヤルスイートか。
もちろんレディファーストで、あたしらに譲ってくれるんだろうねぇ」
クイーンが極上の笑みを浮かべて見せるが、ばっとエースは顔をあげた。
「っかいうなよ!隊長を差し置いて隊員がロイヤル泊まってたら、
他の隊に笑われんぜ!」
第一レディって柄かよ、とそこまで一気にいって、クイーンの肘鉄が見事に決まり、エースは崩れ落ちた。
「ロイヤルスイートって凄いのか?」
「…俺も、泊まったことがない…」
さっきも聞いたようなやりとりを薄れ行く意識の中でなんとか聞き取りつつ、エースはよろよろ立ち上がる。
「や、やっぱ野宿にしません、大将」
ロイヤルスイートといったら、ただでさえのスイートの約二倍の値段だ。
もはや余裕どころの話でなくサイフが危うい。
しかし、ゲドは無表情のまま、自分を子犬のような目で見上げるエースに言った。
「…足りるのか?」
冷や汗が、背中をつたった。
そして嘘をつけないエースはしぶしぶ事実を述べる。
「まぁ・・・・足りないわけじゃぁないですけど…」
「では、いいだろう」
「たいしょおおおおおおおお」
もうすでにめんどくさくなってませんか!?と聞くが、ゲドはゆっくり一度まぶたを閉じてから、目でエースを促すばかりだ。
無表情だが、眠いらしい。
そして大将に逆らえないエースはとぼとぼとカウンターに戻るのだった。
「じゃぁ、オヤジ、それで…」
「はいよ、ロイヤルが一つと、スイートがふたつで」
心なしか嬉しそうなオヤジを睨むが聞いていない。主人はいそいそと宿帳をめくる。
「いやぁ、お偉いさん方用に無理矢理作らされて、
たまにしか使わないですからいい部屋ですよ。
あ、壊さないでくださいね?」
つきだされた宿帳は専用と見える二人ずつ名前を書くページが開かれている。はた、とエースは考え込んだ。
ロイヤルはひとつ。とりあえず、大将はロイヤルじゃなきゃまずい。
威権に関わる。と思う。
あと、とりあえず女なので、アイラとクイーンは同室だろう。
大部屋で寝るとか野宿ならそんなことは気にしないのだが、
二人部屋になるとやはり気をつかわざるを得ない。
のこりはジジイと自分とジャックだ。
誰を大将と同室にするんだ?
エースは、うーーーむ、と首をひねった。
ジジイはヤバイ。一人にしておくと絶対そなえつけの酒瓶をあおるにきまっている。大将とかジャックでは止められないだろう。
しかしだ。大将の右腕たる自分をさしおいて新人のジャックをロイヤルに寝せるのもどうも気に食わない。ジャックが嫌いなわけではないんだがなんとも気に食わない。
ジジイをロイヤルに。問答無用で却下だ。
自分がロイヤルに泊まりたいというわけではないんだが、なんだかよくわからない微妙なプライドで、他のやつをロイヤルに…しかも大将と同室に、ってのがどうにも納得がいかない。
納得がいかないなら、自分がそれを決める権利があるのだから行使すればいいのだが。
エースは宿帳をみてううーーーーーーん、とうなった。
「どうかしたかい?」
オヤジがこっちをみている。
「いや、なんでもないけどよ、うーーーん」
なんでもないなら悩まないはずである。
考えこんだあげく、大将がひとりでロイヤル、自分達がスイートで箱詰め、というのならまだ納得できる気がした。
人数分は料金を払うのだし、文句はないだろう。
「なぁオヤジよぉ」
いいかけて、隣の気配に気づく。
「…まだ悩んでいるのか」
向けられた目が冷たく、まとった気配がかすかにぴりぴりしているのを感じる。
エースはごくりと息を飲み込んだ。ご機嫌ななめだ。間違いない。
「ああいやそのぉ」
しどろもどろになるエースからふいと目を離してゲドが宿帳に目を向ける。
一番上のロイヤルの部分にはゲド、とだけかかれ、一番下のスイートの欄にはすでにクイーンとアイラの名前が書き込んである。
ゲドは力なく握られたペンをエースから取り、よどみなくそれを走らせた。
「…」
無言でそれを主人に渡す。
「はい、有難うございます。これが鍵です、ごゆっくり」
突き出された鍵束をエースは条件反射的に受け取った。
「…俺は部屋に行っている」
緩慢に差し出された手のひらに、多分ロイヤルだと思われる部屋番号1の金色の鍵を渡すと、ゲドは階段を上っていく。
それを見送ってから、はじかれたようにエースはカウンターに身を乗り出した。
「あ、ちょっと、いまの宿帳みせてくれ」
疑問符を浮かべた顔で出されたページを見る。エースのくせのある字でかかれたゲドの名前の下には、流麗な筆跡で、エースの名前。
エースはべいん、と自分の胸を押さえた。べいんと鳴ったのは胸当てだ。てのひらがびりびりしたが、そんなことはどうでもいい。
ジョーカーが酒を、とか、他のやつらに自分だけ云々といわれる、とか、そのあたりの思考は遥か彼方、麗しきビネデルゼクセの水平線の先まで飛んでいった。
なんだかよくわからないが、なんともいえない感慨が胸を占めていた。
長旅に付かれきっているはずの体が空も飛べそうなほどに軽く感じられる。ところどころにさがったランプの光りのみの、柔らかく薄暗い室内が、妙に明るくなってくる。
宿帳の文字の羅列を見つめながら、眉を下げてニヤけている様はとてつもなく不気味だったが、当の本人は頭の中身がどっかに行っているようで。
「エース、席空いたから呼んで来いって、あれ、ゲド隊長は?」
奥から歩いてきたアイラが周りを見回して、エースに顔を向ける。すぐにその表情は怪訝なものとなった。
「…へんな顔」
確かに、変な顔だった。
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