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Royal sweet(2)

外はすっかり日が暮れて、
露店を照らす明かりが町の表情を変える。
酒場は宿にあぶれた男達が夜を明かすつもりらしく、
いつにない賑わいを見せていた。

「ってマジかよオヤジ…」
今日二度目、エースはカウンターにつっぷした。
「仕方がないねぇ、まあこっちとしても商売だし」
多少申し訳なさそうな顔のオヤジを見上げて、エースは今日何度目かわからないため息を吐いた。
よろよろと、座る席もないので酒にありつくこともできないでいる、仲間達の元へとたどり着く。
「なんじゃ?」
物欲しそうにテーブルの上の酒を眺めていたジョーカーが、あまりのエースの様相に一応声をかける。
「部屋、ひとつ、うまっちまったって…残ってるのは、
 ロイヤルスイートが一部屋と、スイートがふたつだってよ…」
エースは、それだけいうとがくりとうなだれた。
「おぬしがグズグズしとるからだ。」
ジョーカーは容赦なく言い捨てる。
「へえ、ロイヤルスイートか。
 もちろんレディファーストで、あたしらに譲ってくれるんだろうねぇ」
クイーンが極上の笑みを浮かべて見せるが、ばっとエースは顔をあげた。
「っかいうなよ!隊長を差し置いて隊員がロイヤル泊まってたら、
 他の隊に笑われんぜ!」
第一レディって柄かよ、とそこまで一気にいって、クイーンの肘鉄が見事に決まり、エースは崩れ落ちた。
「ロイヤルスイートって凄いのか?」
「…俺も、泊まったことがない…」
さっきも聞いたようなやりとりを薄れ行く意識の中でなんとか聞き取りつつ、エースはよろよろ立ち上がる。
「や、やっぱ野宿にしません、大将」
ロイヤルスイートといったら、ただでさえのスイートの約二倍の値段だ。
もはや余裕どころの話でなくサイフが危うい。
しかし、ゲドは無表情のまま、自分を子犬のような目で見上げるエースに言った。
「…足りるのか?」
冷や汗が、背中をつたった。
そして嘘をつけないエースはしぶしぶ事実を述べる。
「まぁ・・・・足りないわけじゃぁないですけど…」
「では、いいだろう」
「たいしょおおおおおおおお」
もうすでにめんどくさくなってませんか!?と聞くが、ゲドはゆっくり一度まぶたを閉じてから、目でエースを促すばかりだ。
無表情だが、眠いらしい。
そして大将に逆らえないエースはとぼとぼとカウンターに戻るのだった。

「じゃぁ、オヤジ、それで…」
「はいよ、ロイヤルが一つと、スイートがふたつで」
心なしか嬉しそうなオヤジを睨むが聞いていない。主人はいそいそと宿帳をめくる。
「いやぁ、お偉いさん方用に無理矢理作らされて、
 たまにしか使わないですからいい部屋ですよ。
 あ、壊さないでくださいね?」
つきだされた宿帳は専用と見える二人ずつ名前を書くページが開かれている。はた、とエースは考え込んだ。

ロイヤルはひとつ。とりあえず、大将はロイヤルじゃなきゃまずい。
威権に関わる。と思う。
あと、とりあえず女なので、アイラとクイーンは同室だろう。
大部屋で寝るとか野宿ならそんなことは気にしないのだが、
二人部屋になるとやはり気をつかわざるを得ない。
のこりはジジイと自分とジャックだ。
誰を大将と同室にするんだ?

エースは、うーーーむ、と首をひねった。

ジジイはヤバイ。一人にしておくと絶対そなえつけの酒瓶をあおるにきまっている。大将とかジャックでは止められないだろう。
しかしだ。大将の右腕たる自分をさしおいて新人のジャックをロイヤルに寝せるのもどうも気に食わない。ジャックが嫌いなわけではないんだがなんとも気に食わない。
ジジイをロイヤルに。問答無用で却下だ。
自分がロイヤルに泊まりたいというわけではないんだが、なんだかよくわからない微妙なプライドで、他のやつをロイヤルに…しかも大将と同室に、ってのがどうにも納得がいかない。

納得がいかないなら、自分がそれを決める権利があるのだから行使すればいいのだが。

エースは宿帳をみてううーーーーーーん、とうなった。

「どうかしたかい?」
オヤジがこっちをみている。
「いや、なんでもないけどよ、うーーーん」
なんでもないなら悩まないはずである。
考えこんだあげく、大将がひとりでロイヤル、自分達がスイートで箱詰め、というのならまだ納得できる気がした。
人数分は料金を払うのだし、文句はないだろう。
「なぁオヤジよぉ」
いいかけて、隣の気配に気づく。
「…まだ悩んでいるのか」
向けられた目が冷たく、まとった気配がかすかにぴりぴりしているのを感じる。
エースはごくりと息を飲み込んだ。ご機嫌ななめだ。間違いない。
「ああいやそのぉ」
しどろもどろになるエースからふいと目を離してゲドが宿帳に目を向ける。
一番上のロイヤルの部分にはゲド、とだけかかれ、一番下のスイートの欄にはすでにクイーンとアイラの名前が書き込んである。
ゲドは力なく握られたペンをエースから取り、よどみなくそれを走らせた。
「…」
無言でそれを主人に渡す。
「はい、有難うございます。これが鍵です、ごゆっくり」
突き出された鍵束をエースは条件反射的に受け取った。
「…俺は部屋に行っている」
緩慢に差し出された手のひらに、多分ロイヤルだと思われる部屋番号1の金色の鍵を渡すと、ゲドは階段を上っていく。
それを見送ってから、はじかれたようにエースはカウンターに身を乗り出した。
「あ、ちょっと、いまの宿帳みせてくれ」
疑問符を浮かべた顔で出されたページを見る。エースのくせのある字でかかれたゲドの名前の下には、流麗な筆跡で、エースの名前。

エースはべいん、と自分の胸を押さえた。べいんと鳴ったのは胸当てだ。てのひらがびりびりしたが、そんなことはどうでもいい。
ジョーカーが酒を、とか、他のやつらに自分だけ云々といわれる、とか、そのあたりの思考は遥か彼方、麗しきビネデルゼクセの水平線の先まで飛んでいった。
なんだかよくわからないが、なんともいえない感慨が胸を占めていた。
長旅に付かれきっているはずの体が空も飛べそうなほどに軽く感じられる。ところどころにさがったランプの光りのみの、柔らかく薄暗い室内が、妙に明るくなってくる。
宿帳の文字の羅列を見つめながら、眉を下げてニヤけている様はとてつもなく不気味だったが、当の本人は頭の中身がどっかに行っているようで。

「エース、席空いたから呼んで来いって、あれ、ゲド隊長は?」
奥から歩いてきたアイラが周りを見回して、エースに顔を向ける。すぐにその表情は怪訝なものとなった。
「…へんな顔」

確かに、変な顔だった。

■      ■

安いものしか頼むなとさんざ口うるさく食事を終え、酒が飲みたいとこぼすジョーカーを部屋に蹴り入れ、蹴り返され、ひと悶着もめたあげくジャックにジョーカーを監視するように頼んで、だめだったら…すまない、ととてつもなく不安な返答をもらって、仕方がないのでアイラにも頼んで、もうこうなったら全員だと思ってクイーンにも頼もうとしてノックをせずに扉を開けて枕を投げられついでにみぞおちに一撃くらい、またひと悶着したあげく一応頼んで、そしてようやっと一番奥の一番大きいだろう部屋の前にエースはたどり着いた。

なんとなく、衣服を正してみる。
なんとなく、深呼吸もしてみる。
なんとなく、ノブに手をかけ、またひっこめる。
もう一度深呼吸してみる。

そして準備万端となってから、突如その胸に不安がよぎった。
よく考えると鍵も持っていかれているわけだし、もし内側から鍵がかかっていたら締め出されたことになる。
一度寝たゲドは変な時間に起こすとそれはもう不機嫌だし…そうなったら野宿かなぁ…、と、ゆっくりノブを回す手に力をこめた。

ドアはきしみもせずに開いた。
どこもかしこも立て付けが悪いこの宿で、こんなにスムーズに扉が開くとは、つかってないだけのことはあるのだろうか。
中は年代物の蜀台がいくつか立てられて、かすかに蝋のにおいがした。
天井の真ん中につりさがるシャンデリア風のそれには明かりはついていない。本を読むほど明るくはないが、内装は良く見える。

エースは静かに身を滑り込ませて、背後で扉を閉めた。
二三歩歩を進めてから、思い直して戻り、鎖をひっかけるだけの鍵をかける。
いつもならそんなことはしないのだが、これだけ広いと誰かが入ってきたのを気配で気づく自信はない。

部屋は異様に広かった。むしろ、この宿に三階があるなんて始めて気づいた。三階の半分はこの部屋なんじゃないだろうか、と思う。
しかしなんだかよくわからない騎士像だの、ごてごてしい額縁にかざられた油絵だの、趣味がいいのかは首をかしげる。まあ、評議会員のやつらとか、どっか遠いとこからきたお偉方がたまに泊まる部屋らしいし、そういう人種には居心地がいいものなのかもしれない。
なんともいえない場違い感に自然と足音を顰めてしまう。抜き足差し足忍び足、と、歩いている自分に気づいて苦笑する。まるで夜這いだ。
夜這い…
自分で考えて自分で頭を抱えてしまった。
いや、ここは自分の部屋なのだ。うん。大将と一緒だが。一緒だな。うん。……いや、だから正当に俺はここにいていいはずなんだからもっと堂々とだな。でもほら大将の部屋だしな…寝てるかもしれないし…

結局また忍び足でふかふかした絨毯を踏む。客間のような応接間のような一部屋目を抜けて、多分寝室であろうドアに手をかけた。
息を大きく吸い込み、吐き出して、慎重にノブを回す。だからどうして俺はこんなに緊張してるんだ。

扉をあけると、背後の光りが闇に筋を作った。明かりはついていない。カーテンが開きっぱなしで、月明かりだけが部屋を満たしている。
だんだんと目がなれてくると、二つならんだベッドの一つに、人の形をした影が見えた。

サイドテーブルには腰からはずした、ベルトをまとったままの剣が乗せられ、椅子の背には上着がかかっている。
しかしそこまでで力尽きたのか、ベッドに投げ出された体には毛布一枚かかっていない。

比較的温暖なゼクセンの港とはいえ、一晩中そのままではさすがに体が冷えそうなものだ。
まあ、それなりに長い間共に旅をしてきて、ゲドが風邪をひいて寝込んだだのそういう様は見たことがないのだが、その隣で自分だけ布団をかぶるというのはあまりいい気持ちはしないだろう。

「しかし、せっかくのロイヤルスイートなのに、入って速攻寝るってのも勿体ない気がするんだがねぇ…」

起こさないように一人ごちる。まあ、疲れているんだろうさ、と、自分のものになるだろうベッドから毛布をはがした。

部屋に入るまでは緊張していたが、いざ目の前で寝ていると、反対に既視感が日常性をともなって、現実的な思考に戻る。
エースはだらりと落ちた腕をその体の脇に戻して、毛布をゲドの体にかけた。
ロイヤルに一人で寝せなくてよかったかなぁとふと思う。

何でもできるくせに、非常に無頓着な面があるゲドが、たまにひどく幼く見えるときがある。
そんなわけはないと思うのだが、時折、かすかにすがるような目をしている気がする。
エースは自分のベッドに座り、足を組んで、眠るゲドの横顔を見た。

もともと自分はこんなに世話焼きだっただろうか?
自分以外のことなんてどうでもよくって、ただ自分のために戦って、突っ走って、なにか探していた。
でもこのメンツの中にいると、そんないいかげんな自分でさえ比較するとまだ几帳面らしい。本当にあいつらときたら適当で。
俺が小隊に入ってないころなんてどんな生活してたんだろうかなんて。
きっと俺はここで、必要に迫られてこうなったんだよなあ、と思う。

眠る大将の横顔は、普通に起きているときの顔が、まぶたを閉じただけの、あいかわらずの無表情だけど、
その真っ黒な瞳が隠れているだけで、それがひとつの表情に見える。それは、キライじゃない。

いつもなら見つめていることなんてできないだろうその表情を、俺はずっと見ていた。



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