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5・情熱の始まり


「よし、できた!!!!」
力いっぱいピリオドを打つと、エースは立ち上がった。
べらりといきおいよく紙をつかんで持ち上げる、
下に敷く形になっていた書類にくっきりと後が残っているのを慌てて爪先でこすって、ついでエースはばたばたと服から埃を払った。
時計を見ると午後八時半。あの人の部屋を正当に訪ねるにはギリギリ許されるかどうかという時間だ。
クロゼットをあけて裏の鏡とにらみ合い、右を見、左を見て、うし、と気合を入れて部屋のノブに手をかけ、
はっと気づいて駆け戻り、机の上からそれをひっつかんだ。




だい五かい

ゲイドとエークは遺跡についたから、中をすすんでいくと、
とびらがあったので入ったのだ。
そうしたら、いきなりうしろで扉がしまって、
部屋のうえのほうから水がいっぱい流れてきたのだ。
「ゲイド、水が出てきたぞ!」「そうだな」
このままでは溺れてしまう!あやうし!ゲイドとエーク!




歩きながらたったいま書きあがったばかりの原稿を確かめる。
まだインクの乾ききらないそれがこすれないように気をつけて開いたまま、エースは片手で伸びをした。

新しい作品、「ゲイドの冒険」を始めてまだ数日しかたっていないとはとても思えない。
すでに話は第五話まで進み、エークのときとは比べ物にならないくらいの筆の滑らかさを感じる。
ひとつの作品を終え、自分の作家としてのスキルがあがったのかもしれないとも思うが、なによりかによりおそらくは、きっと大将が、俺の、小説を、待っていてくれているというこの事実のせいだろう。

エースは思いをめぐらせながら、だんだん無意識に早足になっていく。

俺だって作家のはしくれだ、自分の作品をたくさんの人に見てもらいたいという気持ちはある。
だが、まだ力不足なのも自覚している。
ジャックは面白いといってくれたが、ありがちな話だというジョーカーとかクイーンの言葉もわからないわけじゃない。
ともかく力をつけるにはまず作品を完成させることだ。
最初から最後までちゃんと書ききったときにそれはやっと経験になるわけで、
広める云々の前にまずは鍛錬というのもまったく正しい。それにアドバイザーがいてひとつひとつ話し合っていけたらこれほどに…

エースはキキっと足を止めた。

「そういや、最近大将に感想もらったっけ?」

大将は最近ずいぶん小説を気に入ってくれたみたいだけど、具体的な感想はもらっていない。
まあ、大将のために書いてるわけなんだからそれでもいいのだが…

再び歩き出したエースは、それとなくきいてみるか、と小さくつぶやいた。




ノックをすると同時に開いた扉からジョーカーがぬっと顔をだして面食らう。
「うわっ!なんでジジイがいるんだよ!!」
「ふん、おまえに言われたくないわい。」
まるで用意していたようなタイミングで返答が返ってきたのに一瞬口が止まるのを、
ジョーカーはこちらを一瞥すると部屋の中に視線を向けた。
「それでは、大将」
大将はうな垂れた姿勢でテーブルにつき、ジョーカーにああ、と声だけ返した。
さっと脇をとおりすぎようとするジョーカーの腕を掴んで止める。
なんじゃ、とジョーカーは眉をしかめた。

「おい、なんか変なことしたんじゃないだろうな!」
大将が明らかに調子が悪そうなのに、ジジイから酒の匂いがしてくる。大将に限ってとも思うが、ここで素通りさせるようなタマでもない。
「おまえほどのことなんぞしとらんわ。ともかく、大将の体くらい気遣え」
言うだけ言うとジョーカーは腕を払ってそのまま廊下の奥へ消えていった。
大将の体を?っていうか、俺が?

確かに、この前も具合が悪そうだったし、最近見るからに疲れている風ではある。
もしかしてお邪魔なんだろうか…、

エースは紙束を握ったまま所在なさげにゲドに目をやった。

「エース、…ドアを閉めろ」

言われてやっと扉を開けっ放しで会話していたのに気づいて、
あわてて部屋に滑り込む、
あれ、しかし、いまのって、…もしかして。

「…大将、酔ってます?」

わずかな言葉の滑りと声の上擦りに、過ぎる疑問を口にしてみる。
大将が酔ったところなどほとんど見たことがない。無論弱くはないのだろうが、もともと周りがどんなに騒ごうとも自分のペースを崩して飲むほうではなかったし、もちろん酔わないわけでもないのだろうが、そういうそぶりを見せたことなどなかった。

ゲドはゆっくり顔を上げると、自分で確かめるように顔に手をあてた。めずらしく素手で、ちらと紋章の形が目に残る。

「…あぁ、かもしれん……鍵もだ、閉めろ」

目を向けられたことに気づいてごくりと息をのむ、酔っているからだろうか、いやに艶っぽい…気がする。後ろ手で鍵を閉めつつ、エースは数枚の紙切れである原稿の重さを集中して意識してみたりした。

ゆっくりと指が顔にかかる前髪に絡んで、伏せられた瞼は緩慢に瞬く。
微かに開かれた唇から静かに息が毀れる様が見えた。

エースはぶんぶんと頭を振る。

「ええと、た、大将、続きを持ってきました!!!」
顔をできるかぎり逸らしてエースはゲドに原稿を突き出した。

いかん、落ち着け、俺はこう、もっと崇高な目的のためにここにきたわけであって。

ぶつぶつつぶやきながら、ちらちらと鍵のかけられた扉を見たり、カーテンの半分閉まった窓を見たり、ゆれる燭台の明かりを見たりと視線をさまよわせる。

一方原稿を受け取ったゲドは、机にひじをついた姿勢のまま気だるげにそれに視線を落とした。
朦朧とする意識の中、文字に目を走らせるが案の定頭に入らない。何度も何度も視線を往復させているうちに、目が回ってくる。
そうやっているうちに思考は逸れて、先ほどのジョーカーのセリフが脳裏によみがえる。

「ならなぜおとなしくつきあっているんだ?らしくもない。」

…全くその通りだ。
このままこれをつきかえして、もういいかげんにしろ、と…
いや、そこまで言わなくても、もう勘弁してくれ、とでも…
いや、それもまずいだろうか、なら…

瞼が重い。



「あ、あのう、大将、どうですかね?」
部屋のあらゆる部位を凝視し、昨日の晩飯から明日の予定まで真剣に考えを巡らせ、それでもうどうしようもないくらいに、ゲドにしか目が、意識がいかなくなってしまったエースは、もう降参だとばかりに情けない声をあげた。
いつもは慣れた沈黙が、どうにも妙な雰囲気になってたまらない。

「………」

しかしゲドは無言のままだ。
目を閉じて思案を巡らせるような表情のまま、動きを止めている。
なにか感想を考えていてくれているとすればその邪魔をするわけにもいかない。
ふたたびエースはどうにかして気を紛らわすために
腕組みしてぎゅぅっと目をつぶると、小説の続きを考え始めたのだった。






2003/7/25


つづく。




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