連日の激務に耐えかね、その日ゲドは一人酒場で燻っていた。いや、燻る元気もなかったのだが。
酒場の奥で軽く食前の一杯をあおっていたジョーカーが、片隅に広がる黒い雰囲気に気づいて、その手にあるグラスを開けてから歩み寄る。
「どうした、大将。最近疲れているようじゃが」
「…ジョーカーか」
疲れている、というにも語弊があった。ゲドはそりゃ普段もけしてビシッとしているほうではなく、どちらかというとやるきなくぼーっとしている風体だったが、今現在その有様といったら本当にひどいものだった。
背中を丸め、椅子に座りながらも両の手はだらりと脇にたれ、テーブルに頬をつけてそのまなざしは中空を彷徨っている。
酒場には人が少ないわけでもないのに、その周りだけが冥界のごとく暗闇を感じさせ、まさに、いまにも死にそうな風貌だった。
声をかけても視線を向けるのみで、あいかわらず身体を完全に脱力させているゲドをしばし見つめていたジョーカーだが、一つ咳払いをしたかとおもうと、口を開く。
「…その…なんだ…原因は……やっぱり、エースか?」
名前が出たとたんに小さく強張る体を見てジョーカーは眉をあげ、また咳払いをして顔を逸らした。
「まったく…あやつめ、程ほどにしておけといつもいってるんだが…」
「……ほどほど?」
言葉の微妙なイントネーションの違いに、ゲドは顔を上げる。
「いや、だから…流石に若くもないだろう、
毎晩というのはどうかと思うぞわしは」
「………?」
ふっと、ゲドはなにか話がズレているのではないかということに気づいた。
そうして、今までの発言を反芻し、よくよく考えを回らせてから、非常に品のない結論にたどり着く。
「ち、違う!」
自分の出した結論に焦って、ゲドは減っていないグラスの乗ったテーブルを叩いた。酒場が一瞬静まり返る。
ジョーカーは周りを見回して、ゲドに小声で耳打ちした。
「なんだか込み入った話になりそうだし、場所を変えるか」
込み入った話にしたいのはジョーカーではないのか、と少し思いながらも、まとわり付く視線を振り払うようにゲドは席を立って酒場を後にした。
まだ月はその大仰な窓からは見えない。
自室にもどってきたゲドはそれになぜか安心して、息をついてから明かりを入れる。程なくして、酒瓶とグラスを持ってジョーカーがやってきた。
「それで大将、違うといったな。………………違うのか?」
グラスに酒を注ぎながら、ジョーカーが眉を上げてゲドを見る。
「…違う。お前の考えているようなことは、ない」
ゲドはため息をつきながら、差し出されたグラスを受け取って一気に呷った。
喉を焼く熱さにそれを押さえる。
「強いな」
「まあ多少はな、それで」
向かいの席に腰を下ろしたジョーカーが、肘をついて伺うようにゲドを見る。
「毎晩夜更けに二人きりで部屋に鍵かけて、なにをやっとるんだ?」
ぐっ、と息を飲み込む。
確かに、そういわれると、怪しい……のか?怪しいのか?
まさかジョーカー以外にもそんなふうに思われているんだろうか。
「…なにも、しとらん」
「ほう、あんなに毎日疲れたようにして…か?」
追求の手を緩めないジョーカーに、ゲドはこれ以上の隠し立ては無理とする。
だが、言うとなっても、どうにも説明しがたく。
「……………………小説を…」
「…小説?」
「読んでいる。」
「ふむ、それで睡眠不足なのか?
しかし、隠すようなことではないだろう」
「ああ…」
一度深く深くため息をついて。
「エースの書いた小説を、読まされている。」
今度息をつまらせるのはジョーカーの方だった。
「それは…」
しばしの静寂のあと、しぼりだすようにジョーカーが口を開いた。
「例の、アレ、か?」
力なくゲドが頷く。
ううむ、とジョーカーは唸って、再びゲドの杯に酒を注いだ。
「しかし、あれはもう、
連載が終わったとかで載っていないようだが…」
「…新しいヤツを、書いている」
項垂れてグラスを両手で抱えるゲドに、ジョーカーが、ん、と首を捻る。
「…それで、面白いと思っているのか?大将は」
「それならこんなに疲れん」
「そりゃぁ、そうじゃ。しかしなら、何故おとなしくつきあっているんだ?
らしくもない」
「……」
ゲドの目が泳ぐ。
確かにそうだ。
今までなら、明確な理由があるなしにかかわらず軽く一蹴したはずだ。
いや、今でも、他の事柄ならそうできるだろう、
しかしなぜか、エースがアレをもって幸せそうにやってくると、それを拒否できないのだ。
思いをめぐらすゲドをじっと見つめていたジョーカーが、ぼそりと言う。
「愛じゃな」
ぶっとゲドが噴出した。
「な、何を…」
「冗談だ。」
訝しげに顔を向けると、自分で言ったくせに軽く赤面してるあたりどうしようもない。
「ま、まぁ、それはともかくだ。
イヤならばイヤだとはっきりいうべきだな、
さもないと、大将の身体がもたんぞ」
言いながら立ち上がる。もう行くのか、と口にする前に、
ゲドの耳にもそれが入った。
あの軽やかな足音。
「なんならわしが、いっておこうか」
扉を仰ぎ見てジョーカーが言う。
「…いや……それは……」
ゲドはとっさに否定の言葉を口にして、しばし思案し、続けた。
「…今のは、内密に頼む」
その物憂げな表情から何を読み取ったか、ジョーカーは頷いて、背を向けた。
「了解した」
一時の間、響くノックの音にジョーカーが扉を開ける。
うわっ、なんでジジイがでてくんだよ!と、エースの叫び声。
視線を上げることもなく、ゲドは再び杯を呷った。
2002/12/02
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