ゲドは暇だった。暇と口にするのは、むしろ頭の中で今の状態を「暇」と称するのはとてつなく不謹慎だということはわかっていたのだが、暇だった。
戦闘もない。パーティにかりだされることもない。かといってなんだかよくわからないうちに炎の運び手では幹部扱いされていて、面倒な事にこれといった用もなく外出しようとすればお咎めを頂く立場だ。
なにも言わず出て行っても差し支えない程度の近辺は、同じく暇をもてあました面子によって既に何度も引きずりまわされ、いい加減疲れて「忙しい」と実際全くもって忙しくも無いのに言い訳する羽目となり、出て行くこともできず。
そして毎日やることといえば、酒を飲む。本を読む。………寝る。
暇だった。やはりどう考えても暇なものは暇なのだ。暇なことに慣れきっていると思っていたのはどうやら勘違いだったらしい。
最近やかましくけたたましく雑多な日常に慣れすぎていたのかもしれない。と、そういえばそのやかましくけたたましい筆頭を最近みかけない。暇なのはそのせいだろうか。
ゲドはふらふらと城の中を歩いていた。
いいかげん歩きつくしたその内部をぐるりと一回りしようとしたとき、見慣れないものに気がつく。
目安箱、は前からあった。その脇の壁に張り出された一枚の………紙、いや、印刷らしきものがされているのだから紙ともいいがたい。文面を追ってみると、どうやらそれが「新聞」とよばれる物体であることに気づく。
ゲドはその真正面に立ち、しげしげとそれを眺めた。
内容はこの城の近況やらちょっとした事柄で埋まっている。高尚な内容でもなければゴシップというほどでもない。…学級新聞、といったところか。
自分で自分の結論に納得しながらその場を離れようとした瞬間、妙な文節が目に飛び込んでくる。
「…すごいしれんにたたされていた。それはなにかとゆうと…」
あきらかに周りの文体とは違ったそれは、どこまでも健全な新聞の中で異様なほどの存在感を放っていた。
ゲドは半ばそこから立ち去りかけた体勢のままで、それを最初から最後までじーっと見た。文を目は追ったが、内容は頭に入らなかった。奇天烈な文だ。
そしてそれをちょっと遠くの物陰からじーーっと見ている人物がいたのだ。
その日の夜。結局あの後暇をもてあましたゲドは一眠りしてしまい、遅くなった夕食を酒場でとっていた。
いつもは小隊のだれかしらが常駐し、ゲドと見ればすぐにちょっかいを出してくるのだが今日は珍しく誰もいない。
酒場にたむろしているのは格好だけ見ればゼクセンの兵だとかグラスランドのリザードだとかそれぐらいはわかるものの、親しい面子でもない顔ぶれだ。
だからといって別に居心地が悪いというわけでもなく、ゲドは淡々と食事をしていた。
そこに、酒場のドアをガラガラとひときわけたたましく(そう感じただけかもしれないが)鳴らして登場する男。
ふっと顔をあげるとそれがきょろきょろと酒場を見回しているのが見える。食事に視線を戻すと、まっすぐに近づいてくる気配。
「大将、ここいいっスか?」
返事を待たずに椅子が引かれる。
「おっアンヌさん今日も綺麗だねぇ、あ、俺も同じの頼むわ」
無駄に愛嬌を振りまく同席者には構わず酒を注ごうと瓶に手をのばすと、はっしとそれを奪われる。
「俺が注ぎますから大将はそこでぼーっとしてて下さいよ」
…ぼーっと?
ゲドは訝しげにエースに目を向けたが、エースはそれにまったく気づく様子もなく、丁重な面持ちで酒をグラスに注ぎ始めた。
液体が器を満たすまえに途切れたのを見てまたエースはカウンターへと声を飛ばす。…本当はそれを空けたら部屋に戻る予定だったのだが。
グラスを空け、それをきっかけにさっさと席を立とうとするが、そのそぶりを見せた瞬間にまたエースにまあまあと座らされて、グラスを持たされて、惰性でそれに口をつける。
まもなく食事が運ばれてくると、エースはそれをつめこみながら、口を開いた。
「あのですね、大将」
「…」
グリーンピースが皿からこぼれるのをつい目で追うが、エースは続けた。
「大将って、本とか読むほうですか?いや、読みますよね。
じゃなくて、ほら、小説とかは」
「…小説?」
エースは大きく頷いた。
「そう、小説ですよ。恋愛小説とか、推理小説とか、
恋愛小説とか…冒険小説とか。」
恋愛小説が二回あったが、つっこむのは面倒なので、つっこまない。
「いや、今日、その…廊下で見たもんで」
ゲドの沈黙にエースが言葉を付け足す。あぁ、とゲドは小さくつぶやいた。
「それであの、新聞の小説…読みました?」
エースはいきなり小声になり、ゲドを伺うように見た。
ゲドは「小説だったのか?」とふっと疑問をよぎらせたが、一応あれのことを指しているのだろう、と思って、ああ、と頷く。
「…どう思います?」
さらにさらに小声になり、しかしエースは懇願するようなまなざしでぎっとゲドを正面から見つめた。
「どう、といわれてもな…」
ゲドとしては、奇天烈な言葉の羅列であったという印象しかない。それでも一応思い出そうと頑張ってみる。
おそらく、冒険小説(?)であったのだろうと思う。主人公が出て、自己紹介して、………ほかになにか内容はあっただろうか?
そもそも内容を問われるほどの文量が掲載されていたわけではないのだが、それすらも思い出せないゲドには、とりあえずなんらかの感想を求められているのであろうこの状況に、緩慢に回る頭を殊勝にも叱咤するのだが、やはりよくわからない。
目の前にはこちらをじっと見るエースの顔。
ゲドはふぅといきをついて、心を決めたように口をひらく。
「…後で、もう一度よく読んでみよう」
エースが目を見開いてガタッと椅子から半立ちになる。
「そ、それは…本当ですかい!?」
ん?と思うが、すでに遅い。
エースの驚愕の表情は既に満面の笑顔となっていて、今すぐにも踊りだしそうな気配だ。っていうか走り出した。あ、ヒャホーイとか言っている。
あとにはゲド一人が取り残されたのだ。「もう一度」「読む」そのあたりの単語が「もう一度」「読みたい」に変換されているということは、ゲドには知るすべもなかった。
その後、例の文章がエースによるものだと明かされたゲドは、まったく驚きの沸かない自分に感嘆しつつも、快調に誤解を塗り重ねた結果、なぜかその「奇天烈な小説」をいの一番に読めるという光栄なんだかどうなのか微妙な地位に立つことになった。
そこまではまあ、暇なこともあいまって、それほどの被害ではなかった。照れ交じりで感想を求めてくるエースにも、ああ、とか、いいんじゃないか、とか、そうだな、とか適当に返事していればことはすんだ。
しかし状況が一変したのは、処女作が終了した次の日だ。
「大将、次はどんな話がいいと思いますか?」
すっかり担当編集者のような扱いだが、ゲドはいつものようにそうだな、と気の無い返事をした。
「気分一新、恋愛小説ってのもいいかもしれませんがね、
俺としては、この初めての作品を、
もう少し練り上げたい気ももするんですよ」
そうか、と返事する。
「それこそ、今回はわりと簡潔に終わらせちまった感もありますし、 次はこう、パワーアップっつーか、グレードアップっつーか、そう」
ああ、と返事しつつゲドは読んでいる小説(マトモな)のページをめくる。
「そうだ!!!!!!」
突然の大声にびくっとゲドはしおりをはさんでいない本を閉じてしまった。
あ、とおもう間もなくテーブルのまわりをぐるぐるとまわっていたエースがつかつかと歩み寄ってきてゲドの両肩を掴む。
「今度は新キャラを主役にしましょう!
で、エークを仲間として出すんですよ!
いままでは主役だったエークを別な側面から描く、
なんかスゲえよくないっすか!」
今までろくにきいていなかったゲドは、その勢いに、そうか、と答えることしかできなかったが、エースはといえばおそろしいほどのやる気を発散していた。
「よーーーし、次の主人公は大将だ!!!!」
ガッツポーズを天に向けるエース。
「おい」
ちょっと待て、とゲドは言ったが、エースはきいてなかったのだ。
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