knife

冷たいコンクリートに身を隠して、息を潜めた人間達はただ夜明けを待っている。
非常灯の不規則に点滅する緑色の光が、かすかに壁と天井の境目を照らし出す。
寄りかかった壁は固く厚い。なにも通すことはないだろう…なのに、聞こえるはずのないうめき声が時折鼓膜を掠める。
俺は乾いた唇を開いて、息をついた。


バーでの事件から既に四日経つ。逃げ込んだ避難所も三つ目だ。最初に護送車で運ばれた市民ホールは半日ももちやしなかった。応援を呼ぶといって出て行ったパトカーも、戻る場所を失ってどうしたやら。もはや外部との伝達手段は残されていなかった。一歩踏み出す先も見えないのに、街の反対側なんてどうなったのかわかるはずもない。そして今身を寄せるここも、ただ「まだ生きている」人間が数人隠れているにすぎない。

周りを見回せば着の身着のままぐったりとうなだれる生気のない奴らばかりで…俺もその一人に入るんだろう、それがまた行き場のない苛立ちを生む。
ポケットから折りたたみナイフを取り出して開く。鈍い銀色の刃が薄暗い中でも存在を主張する。握り口近くにこびりついた血液。買い換えないといけないな、とぼんやり考えて、どこでだ?と自問する。
もはや日常はその片鱗すら失い、人間の形をした化け物を殺さねば一歩も進めない状況だ。

馬鹿馬鹿しい。

妙な感覚がわき上がるのを俺は無視した。

血だらけで逃げ込んできて泣きながら息絶えたヤツも、とつぜん叫び声を上げて外に飛び出していったヤツもいる。俺自身未だ正気でいるのか自信はない。
逃げる?どこへ?進む?どこへ?助け?そんなものが、今更来るのか?
確かなのは、まだ俺は死んでいないって、事だけだ。
ナイフの刃。銀色の光。こびりついた血。
手に残る感触。


「おいおい、ここではそういう物騒なモンはしまっとけよ」

突然頭上から振ってきた言葉に、刃を出したままのナイフを取り落としそうになる。
顔を上げれば、バーでの事件の時に同行した警官…ケビンがいた。なにやら荷物を抱え、相変わらずの皮肉混じりの笑みを浮かべて俺を見下ろす。
あの事件の後作戦行動を取るとかで警察連中と出て行って、正直もう死んだかと思っていた。
「…生きていたのか」
思わず口に出た言葉に、そいつは大げさに肩をすくめた。

「そいつはこっちのセリフだ。今にも死にそうなツラしやがって」
まあいいや、とケビンは手にもっていたものを投げつけてよこした。
ばさりと顔にかかる毛布。カビくさい。湿っている。
「…おい」
「非常用の支給品だ。まあこんな状況じゃこっちもたいしたモンは持ってこれなかったがな」
毛布の下でようやっとナイフを仕舞う、間髪入れずにドサドサと荷物が振ってきた。
「これとこれと…ここには何人くらいいるんだ?あんまり持ちそうにないがまあ仕方ねえな、車にもどりゃもう少しあるが日の出を待ったほうがいいか…」
人の話を聞かない様も相変わらずだ。ため息が出る。
「おい」

文句の一つも言おうかと口を開いた一瞬、口の中の粘つきと、喉の掠れが声を穿った。
思わず口を押さえる、気取られなかったか見上げるがケビンはまだなにやら悪態をついていて、安堵した。

「なぁ、お前はどうなんだ?」
唐突にケビンがこっちを見た。いや、ずっとなにかべらべらいっていたのを聞いていなかったのはこっちだが。
「…何だ」
今度は声が出た。さっきよりも視界ははっきりしているように感じた。
「まさかもう諦めたんじゃねえよな、ってこった」

ケビンがニヤリと笑い、俺は自分の眉間に皺が寄るのが分かった。
「ふざけるな」
顔をしかめてみせると、ケビンの笑みは深くなった。

2004/4/14