ジープのページで、なぜか大藪春彦だ。しかし、ここまでたどりついたスキモノのあなたなら、この脈絡はわかっていただけると信じる。
大藪春彦とは、言うまでもなく、日本のエンターテイメント小説界にそびえる不倒の金字塔であり、不屈の反骨者であり、偉大なるハンターであり、ドライバーであり、すばらしい父親でもあった方だ。
惜しくも先年亡くなられてしまい、連載中だった「暴力租界」が絶筆となってしまった。
そして私は大藪春彦作品の数々に多大な影響を各方面で受け、私にとって大藪先生は日本人作家ではもっとも尊敬する先生であり、個人的な思い入れを込めて、大先生と呼ばせていただきたいのだ。
大藪大先生は、デビュー作の「野獣死すべし」、何度も映像化された「蘇る金狼」、発表後に起きた三億円事件との類似性を指摘された「血まみれの野獣」などの代表作を挙げれば、もし仮に先生を知らない方でも、ピンときてくれるだろう。
私が初めて大藪作品に接したのは、親父の本棚にあった、「野獣死すべし」で、中学生くらいだったと思う。惜しいことに既に手元にはないのだが、単行本で、「野獣死すべし・渡米編」が併録されていたと思う。
この「渡米編」は、後の大藪ブームの時にも文庫化されることはなく、20世紀も終わりになって、やっと光文社文庫が「野獣死すべし」の文庫に併録してくれるまで、なかなか目に触れる機会がなかった。
中学生だった私には、まだ大藪作品の真髄である孤独、哀しみ、愛、執念、といった、深い深い部分(異論のある方もあろうが、まあ聞いてほしい)は理解できなかった。
しかし、作品の表層しか理解できなかったとはいえ、相当な衝撃と感銘を受け、少しずつ文庫本を買って、大藪ワールドにのめりこんでいくことになった。当時、映画とのタイアップで、角川文庫が「大藪春彦フェア」を催すなどで、大藪作品は毎月大量に文庫化されて、中学生や高校生にも手が届きやすくなっていたのだ。本当に月に何冊も、金さえあれば大藪作品につぎ込んでいた時期があった。
気がつけば、私の手元には、文庫化された大藪作品はほとんどすべて揃っていた。複数の出版社で同じ作品を出したようなものはどちらか一方しかないものもあるが、ほとんどある。
そして、私は、大藪作品から、様々な影響を受けた。精神面への影響もあるが、それは置いといて、たとえばアメリカのナイフに興味を持つきっかけも「処刑の掟」だったし、それをはじめたくさんの作品が、サバイバル的キャンプのマニュアルでもあった。
もっとも、キャンプやナイフにそもそもの興味を持ったきっかけは、大藪作品ではなく、「冒険手帳」(谷口尚則著、石川球太画、21世紀ブックス刊)で、9歳くらいの時だった。町の図書館で借りてハマってしまい、何度も借りて読んだ挙句、珍しく親にねだって買ってもらったのだ。
以来私は、男はナイフ一本で生き抜けなければならない、と信じている。この本も確か絶版だが、幸い手元にある。
「冒険手帳」は、子供にも読ませたい、ぜひ復刻してもらいたい本の一つである。
そんな大藪大先生は、アフリカや北米でのハンティングで、もっとも過酷な使われ方をされている四駆を見て、乗って、その体験した世界を作品に反映し、のみならず、「大藪春彦のワイルド・ドライビング」(光文社文庫)という、四駆運転マニュアル本まで著してくださったのだ。
大先生はそれらの本の中で、ハイリフトジャッキとその究極の使い方を紹介し、ウィンチを駆使し、道なき道を走り抜ける四駆車を礼賛したのだ。
もっとも、大先生はレースも好きなスパルタン指向の方でもあり、ディーゼルジープには辛口のご意見を(「ドン亀」の出典は「ワイルド・ドライビング」なのだ)述べられていたのだが。
私はもともと「冒険手帳」の申し子を自負するサバイバル系、オフロード系アウトドア少年だったのであるから、大藪大先生が描き出す四駆の世界にしびれてしまったのは言うまでもない。
そして、数ある四駆の中でももっともスパルタンなジープは、私の憧れのマシンになったのだった。