恩返し
<登場人物>
・神A、B、C、D
・火の元の神
・その他の神
・主人
・家族
・消防士
――(マクラ)
古典落語の方では、神様仏様、神社仏閣が登場するネタが沢山ございます。
こちらはその新作版でございまして……
昔から、庶民の信仰に「八百万(やおよろづ)の神」というのがございまして。
台所には台所の神。天井には天井の神。カマドの神に井戸の神。
もちろんトイレにはトイレの……場所ごとに専門の担当の神がいるわけで。
それだけの数の神様が、実際に家の中にいて、お互いに会話などしていたら、
さぞや家の中は賑やかだろうなぁ、というお話で……
神A「おいおい、こら!」
神B「なに?」
神A「おまえ、なんでいつも俺の頭の上に乗っかってんの?」
神B「しょうがないよ。おまえが布団の神で、俺は枕の神なんだから。
別に重さなんか無いんだから、構わないだろ?」
神A「重いんじゃなくて、邪魔なんだよ。おりろって」
神B「まぁそんなにイライラしないで、のんびりおしゃべりでもしようよ」
神A「おまえとおしゃべりしてると、眠くなるんだよな」
神B「そうだろうね。枕の神だけに、枕語りといって」
神△「ちっ、ちっ」
神B「誰だ、洒落がつまらないからって舌打ちしてるのは?」
神A「舌打ちじゃないよ。ガスコンロの神だ」
神B「なんだ、あれは舌打ちの音か」
神▽「ちっちっちっちっ」
神B「向うじゃもっと激しく舌打ちしてるじゃないか」
神A「あれは柱時計の神だな」
神◇「ざわざわざわ…」
神B「向うじゃ大勢でざわめく声がするけど、あれ何だ?」
神A「団体なわけだ、洗濯ばさみの神だから」
神B「洗濯ばさみ? あいつら一つ一つ独立してるのか?」
神◎(コンパクトを覗いている)
神B「あそこで顔のシワを気にして身だしなみを整えてるのは?」
神A「あれはテレビの神様。地デジになって以来、大変みたいよ」
神□「旅ぃゆけばぁ~ぁ」
神B「あそこで浪曲を唸ってるのは?」
神A「あれは風呂の神」
神☆「♪トイレ~には~それは~それは~きれいな~…」
神B「あれはまぁ、聞かなくてもわかる気がするからいいや。
それにしても、この家はいっぱい神がいるよなー」
神A「この家の主人が、昔から信心深いんだよ。仏じゃなくて、先祖代々、昔ながらの神信心。
生まれてこのかた八十年近く、ずっと神道を心の拠り所にしてるんだ」
神B「そうだった。今は年をとって、足腰が弱くなって、半分寝たきりみたいになっちゃっているけど、
昔はカクシャクとして元気そのものだったもんなぁ。
近所中に神道を吹聴して回って、陰で笑うやつでもいようものなら、怒鳴っていたからなぁ。
『貴様! 神を侮辱するんじゃない! 神を侮辱すると、七代祟るぞ!』」
神A「わけがわからない怒り方をしていたよなぁ。
でも、だからこそ俺たちも、この家が居心地いいわけなんだよなぁ」
神B「確かに居心地はいいよね。
それでなくとも近頃は、信心深い人間が減ってきて、我々肩身が狭いから」
神A「この間も、ここの奥方が隣りの旦那としゃべってるのを聞いて驚いたよ。
『お宅は神道でいらっしゃるんですね。ご立派ですね』なんて隣りの旦那が言うから、
おや、この人も興味があるのかな?って思ったら、『最近は政局が不安定ですから、今がチャンスでしょう』だって。
神道を政治の新党だと思ってたんだ」
神B「そういや、裏の住人も言ってたよ。
『神道も近頃じゃ少なくなりましたわよねー』って。
『私たちの若い頃には、町内に必ず一軒はあって、社交場になってたのよ。お互いに背中の流しっこして』って…」
神A「そりゃ神道じゃなくて、銭湯だろ?」
神B「えっ、シントウじゃなくセントウ? それホントウ?」
神A「洒落はもういいから。
とにかく、それだけ神を信じる人間が近頃減ってきているってことだ」
神B「まったくなぁ。それを思うと、ここの主人には心の底から感謝しないとな」
神A「まぁ、普通は人間が我々に感謝するんだけどね。価値観があべこべな気がするが」
神C「いててて…」
神A「ん? どうした、箪笥の神?」
神C「いやぁ、エアコンの神と扇風機の神だよ。あいつら、うちに来た頃からずっと仲が悪いじゃない?」
神A「エアコンの神と扇風機の神か。職種がかぶってるからな」
神C「今も、どっちの方がこの家のために働いてるか、ってんで揉めちゃって、取っ組み合いの喧嘩さ。
しょうがないから俺が止めに入ったら、巻き添えを食って突き飛ばされてよ。
箪笥の角に思い切り頭をぶつけちゃって……いててて」
神A「自分で自分に頭ぶつけたのか?」
神C「知らないよ、ぶつかっちゃったんだから。まったく迷惑な話だよ」
神B「喧嘩が始まると見境が無くなるのは困ったもんだな」
神A「まぁな……どちらも冷房器具のくせして、すぐ熱くなるんだよなぁ」
神B「しかし何だよね。神同士、喧嘩なんかせずに、穏やかに暮らせばいい様なもんだが」
神A「いや、それが違うらしいんだ。
神の世界だって大昔から、お互い虫の好かない相手ってのはいるから」
神B「そうかい」
神A「さっき向うにいたガスコンロの神、あいつは天ぷら鍋の神と仲が悪い」
神B「火に油だからか」
神A「あと、使わなくなった灰皿の神と、吸わなくなったタバコの神な」
神B「ケンエンの仲だからな」
神A「提灯の神と、釣鐘の神な」
神B「それはそのまんまだな」
神A「嫁さんの買ったドレッサーの神と、姑の三面鏡の神な」
神B「それはちょっと仲が悪い意味が違うんじゃないか。根深そうではあるけど」
神A「もっとも、喧嘩ばかりなわけじゃなく、素晴らしい出会いだってあるっていうぞ。
この間も、山で伐採されて散り散りバラバラになった木の神たちが、偶然この家で感動の再会を果たした
……なんていい話を聞いたからね」
神B「ほおー。感動の再会か」
神A「もっとも、再会した時の様子がお互い違っていて、片一方は高級和風こたつの神で、
もう片一方は出前の割り箸の神になっていたそうだが」
神B「ずいぶんな格差がついたな。きっとお互い複雑な心境だったろうな……」
神A「出会いといえば、こんな話もあるな。
奥方が新しく買ってきたラーメン丼を、台所の食器棚にしまった時だ。
中にあった薄手の湯呑み茶碗が、分厚い丼とぶつかって、
ピシッ!と音をたてて、湯呑み茶碗の端が欠けた。
長年見守っていた湯呑み茶碗の神が、大層悲しげな顔になったそうだよ。
しかしその光景を見ていた丼の神がだ、
『申し訳ない。責任を取る』といって、自らを棚の下に落として自害したそうだ」
神B「自害? 買われたばっかりで?」
神A「そうだ。しかしな、湯呑み茶碗の神がその丼の神の真摯な態度に一目惚れした」
神B「ほぉ」
神A「丼の神も責任感が強いから、湯呑み茶碗の神の想いに応えて、そのまま一緒になったな」
神B「一緒になったのか」
神A「まぁ一緒になったと言っても、奥方に分別ゴミの袋で一緒にまとめられたんだけどな。
そうは言っても、このドラマチックな恋愛は盛り上がったそうだよ。
どっちも欠けたり落ちたりしただろ? これが本当のカケオチだ」
神B「本当かよ……」
神D「おーい、おーい」
神A「どうした、スリッパの神?」
神D「さっきから火の元の神が見当たらないが、知らないか?」
神B「ああ、火の元の神だったら、『さっき表で消防車のサイレンの音が聞こえた』って、
隣町まで火事見物に行ったけど?」
神A「本当かよ? 火から身を守る神が火事の野次馬に行ってどうするんだよ。
まぁ別にかまわないけどさ、あいつがこの家を留守にするっていうのは、ちょっと物騒じゃないか?」
神D「それなんだ。さっきから、居間の方から妙な臭いがしないか?」
神A「妙な臭い?(クンクンと嗅ぐ)ああ、本当だ!」
神B「大変だ! ほらあそこ、コンセントの差し込み口のへん」
神A「あっ、煙が上がってカーテンを焦がしてるじゃないか!」
神B「早く、早く消さなきゃ」
神A「ダメだろ、俺らは管轄外のことに手を出しちゃいけないっていう、神業界の掟があるんだから」
神B「ああ…、まったく火の元の神め、何をやってやがるんだ!」
神A「それよりも、ここの家族はどうしてるんだ?
このまま誰にも気づかれないと、家が火事で丸焼けになっちまって、俺たちの居場所が無くなっちまうぞ!
早くどうにかして火事を知らせて、みんなを無事に助け出さなきゃ!」
神B「大丈夫、ここの家族は今、みんな出かけて留守だよ。主人以外…」
神A「あっ! ここの主人は半分寝たきりだった! しかも、ここの隣りの部屋で寝ていたんだ!」
神B「そうだよ! まずいよ、早く知らせてあげないと…」
神A「まだ気がついてないようだな。じゃあおまえ、煙を隣りの部屋まであおいで、主人に火事だって教えるんだ!」
神B「俺があおぐのか? わかった、やってみる」
――(両手をパタパタさせて煙を送る)
神B「よかった、気づいてくれた! 慌てて布団から這い出してきたよ!」
神A「でかした! 次は、家中の仲間を集めて、緊急避難だ!
おーい、スリッパの神、おまえは表に出て、火事見物に行った火の元の神を探して連れ戻してきてくれ!
残りの連中、みんなそろったか? よし、そろったら今から避難するから。
ハンカチを水に浸して、体制を低くして…」
神B「おーい、ダメだ!」
神A「どうした?」
神B「主人が弱った足腰で、部屋の神棚を外そうとしてるんだよ」
神A「神棚を? 火事だから、神棚を守ろうとしてくれているのか?
こんな自分の命が危ない時に、神棚を守ってくれようとするなんてなぁ…。
あーっ危ない! あの足腰じゃ神棚は無理だよ……」
ガシャーン!
神A「ほら落とした! しかも、自分も転んで腰を痛めて唸ってるじゃないか…。
なんとかしてあげないと…弱ったな…」
神B「あーあー、隣りの部屋の火がだんだん大きくなってきたぞ! どうしよう?」
神A「うーん…。そうだ! みんな、もういっぺん集まってくれ!」
――(家中の神様が一堂に介する)
神A「みんな集まったか。では、みんなでここの主人に恩返しだ!
全員で肩を組んで輪になれ! 主人を囲む形で、ぴったりくっついて壁になるんだ!
それから、余ったやつは俺らの肩の上に登って、天井を作れ! 雪のかまくらの形になって囲め!
なんとしても、我々で身を呈して、主人を守るんだぞ!
火事が熱い? 大丈夫だよ、俺らは火がついてもヤケドしないんだから!
おい、そこ、さっきからなにをブツブツ言ってるんだよ? え? ガスコンロの神と天ぷら鍋の神で仲が悪い?
今そんなこと言ってる場合じゃないだろ! ほら、早くぴったりくっついて壁になれ!
こら、そっちはなんでくっつかない? おまえら、デジカメの神と電話の神で、仲は悪くないじゃないか!
え? デジカメがSONYで、電話がNTT? それがどうした。
SとNで反発してくっつけない? 磁石かおまえら! 横と入れ替わればいいだろ!
さーさー、急いで!」
神D「おーい、連れて来たぞー」
神A「火の元! コノヤロー遅いよ! いいから早く早く!」
火の元の神「ごめんごめん。火事を見終わった後、ちょいとうたた寝してたら、うっかり…申し訳ない。
みんなぴったりくっついて輪になっちゃって、何してるの? 鍋?」
神A「くだらないこと言ってんじゃない! 小言は後でみっちりするから、早く火事をどうにかしてくれ!」
火の元の神「わかったわかった。急いでやるから…」
――(ウム、と祈ると、遠くから「ウゥーウゥー、カーンカーン」と消防車の音)
家族「ありがとうございます、おじいちゃんを無事に助けていただきまして…なんとお礼を申し上げてよいやら…」
消防士「いやぁー、奇跡です。あれだけ火に囲まれていながら、よくやけどもせず、ご無事でいられましたね」
家族「おじいちゃん、大丈夫だった? 熱くなかった?」
主人「はっはっは。ちっとも熱くなかったわい。熱いどころか、涼しいぐらいじゃった。
これもわしの日頃の神信心のおかげじゃよ。はっはっは」
神A「聞いたか? ここの主人、火事が涼しかったんだとよ!」
神B「そうだろう。『神道密着すれば、火もまた涼し』だ」
<完>