▼ 暦のお話

  ◆いつから1月1日が新年の始まりになったのでしょうか?

日本では推古天皇の時代(604年)、初めて中国から太陰暦が伝わり、それから江戸時代までずっと太陰暦が使われてきました。従って新年の初めは立春から(2月4日頃)となっていました。
しかし明治時代になると西暦が採用され、太陽暦が使われるようになりました。太陽暦では1月1日が新年の始まりです。従って現在の日本では1月1日が新年の始まりとなりました。
これは、キリストは誕生の日(12月25日)から8日目にユダヤ教の割礼を受たので、西暦ではこの1月1日を新年の始まりとしたからです。ただしこの割礼年初がヨーロッパ全土に広まるには10世紀もの長い年月がかかったそうです。

  ◆うるう年(2月29日のある年)はなぜあるのでしょうか?

暦では1年は365日ですが、本当の長さは365.2422日(地球が太陽の周囲を一周する時間=365日と約5時間49分)あります。もし全ての年を365日とすると約4.1年で1日、100年で24.22日分、暦の日数が足りなくなります。ですからうるう年を設けて調節しているのです。

<うるう年の決め方

1. 西暦年が、4で割り切れる年は、閏年とする    例 1996年

2.  1の場合でも、100で割り切れる年は平年とする 例 1900年

3.  2の場合でも、400で割り切れる年は閏年とする 例 1600年

うるう月がどうして2月になったかというと、古代ローマの暦では2月はもともと一年の最後の月だったので、最終月で調整したようです。

  2月は英語でFebruaryです。フェブルアリーの由来は?

古代ローマは紀元前753年にロムルスによって建国されました。しかし建国したもののその勢力を保つために必要な兵士の数が全く足りませんでした。そこで無法者や凶悪犯などをかき集めてやっと軍隊をつくっていました。しかし数が揃うと次は女性問題です。兵士達の奥さんを探しましたが、誰もこんな荒くれ者と結婚する女性などいません。待っていてはらちが明かないのでロムルスは策を巡らし女性略奪作戦を実行しました。
 ローマの穀物神コンススの祭り【コンスアリア】が催される8月19日、競馬大会を開いて隣国の人々を招待し、客の男達が酒とご馳走と競馬で盛り上がっているスキに一緒に遊びに来ていた若い女性達を誘拐し、結婚を強要したのです。

ロムルスの女性略奪作戦はまんまと成功しましたが、これを隣国が黙って見過ごすはずはなく、すぐに戦争が始まりました。そしてその後も復讐や奪還の為の戦争が何度も繰り返されました。これが『サビニ戦争』です。だがこの戦いに一番心を痛めていたのはローマに略奪された女性達でありました。連れ去られ、むりやり結婚させられた当初は恐怖や不安に怯えていましたが、それでも今ではローマ人の妻であり、子を持つ母でもあります。自分の祖国の親・兄弟と自分の夫との戦争は耐え難かったでありましょう。彼女達は武器を一切持たず両軍の間に入り、「私達に武器を向けなさい!」と叫びました。この我が身を省みない勇敢な仲裁によってやっとこの戦争は終結しました。これによってローマとその周辺の国々に平和がもたらされたのです。

この健気な行動は時代を超えて語り継がれ、ロムルスの死後皇帝となったヌマ・ポンピリウスは過去にローマが犯した罪を償うため、贖罪の神Februusフェブルウスをまつり、2月12日に【フェブルアリア】という祭りを催しサビニ戦争の死者の霊を慰めたといいます。2月はFebruusフェブルウスに捧げた月であり、罪を償う月でした。「フェブルア」とはラテン語で「罪を償い清める期間」という意味で、英語Februaryの他ヨーロッパ各国での2月の呼び名の語源となっています。

語源 各国語 2月名
ラテン語

Februarius

英語 February
フランス fe'brier
ドイツ Februar
オランダ・スェーデン februari
デンマーク・ノルウェー februar
ハンガリー februa'r
イタリア febbraio
スペイン febrero
ポルトガル fevereiro

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