■イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882〜1971)
詩編交響曲 (1930年)
ストラヴィンスキーと言えば、まず何よりもあの3大バレエ、『火の鳥』、『ぺトルーシュカ』、『春の祭典』でしょう。これらの躍動的なリズム、生命力に溢れ、見事なオーケストレーションに彩られた作品には、ストラヴィンスキーの天才が余すところなく発揮されています。これらの作品によって、ストラヴィンスキーは20世紀を代表する作曲家と見なされる存在になりました。
しかし・・・。
ロシア革命によって祖国ロシアに戻れなくなってしまったストラヴィンスキーは、祖国への思いを断ち切ろうとするかのように西欧の古典的スタイルへと傾斜していくことになります。このいわゆる”新古典主義”の時代(1920年代〜50年代)の作品は、上記の3大バレエと比べると聴き劣りがする、つまらないと言われることが多いようです。つまり、この時期のストラヴィンスキーは作曲家として終わっているというわけですが、本当にそうでしょうか? 『ピアノと管楽器のための協奏曲』、『ヴァイオリン協奏曲』、『交響曲ハ調』など、聴きごたえのある作品がいくつもあるではないか! そこで今回は1930年に書かれた『詩編交響曲』を紹介します。
『詩編交響曲』は合唱、およびヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネットのパートを欠いたオーケストラのための作品です。合唱にこれらの外された楽器の役割を与え、オーケストラの一部として組み込むというユニークな発想で書かれた音楽なのです。3つの楽章から成り、歌詞は旧約聖書の中の詩編の言葉(ラテン語)を用いています。
第1楽章: 前奏曲 我が祈りを聞きとどけ給え、主よ (詩編38 12-13)
第2楽章: 2重フーガ 我は切なる思いで主を待ち望む (詩編39 1-3)
第3楽章: 交響的アレグロ ハレルヤ、主を讃えよ (詩編150)
第1楽章は、木管による呪術的な雰囲気のオスティナートに乗って、合唱が主なる神に救いを求める祈りの言葉を歌います。3分ほどの序奏的な役割の楽章ですが、切迫した訴えかけが心に迫ります。
第2楽章では、第1楽章の内容を受け継ぐ形で主なる神による救いがもたらされたことを歌います。まず5本のフルート、5本のオーボエによるフーガが展開されます。木管楽器の冷んやりとした音色が神秘的な雰囲気を醸し出します。そのあと、合唱がフーガを歌います。最初はバッハの『マタイ受難曲』を思わせる悲愴感が支配的ですが、しだいに音楽は力強さを増してゆき、救いをもたらす神を賛美しつつ安らぎに満ちた響きに到達します。
第3楽章は主なる神への全面的な讃歌です。まず、合唱が遅いテンポでソロソロと地を這うような聖歌を歌います。古めかしい教会で人々が平伏して祈りを捧げているような雰囲気です。しばらくすると突如テンポが速くなり、ダンサブルなリズムの音楽が展開されます。それは世俗的に聞こえるかもしれませんが、信仰の喜びの素直な表現です。それが終わると今度は明朗な聖歌が、悠久の時の歩みを表すかのように延々と繰り返し歌われます。そして最後に冒頭の聖歌が戻ってきて、静けさの中に音楽は閉めくくられます。
旧約聖書の言葉を歌い、古い教会音楽のスタイルも意識した作品ですが、キリスト教的なものとは違った要素もあるのかな、と私は感じています。キリスト教の枠を超えた宗教的想念がそこにあるような気がします。そして、この曲にもストラヴィンスキーの非凡な感性が刻印されているのを感じるのです。
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イーゴリ・マルケヴィチ指揮 モスクワ国立交響楽団ほか PHILIPS 442 583-2
※PHILIPSの音源からストラヴィンスキーの交響曲や協奏曲の録音を集めたもの。
ネーメ・ヤルヴィ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団ほか CHANDOS CHAN9239
※『ピアノと管楽器のための協奏曲』、『交響曲ハ調』を併録。
2002.07.22
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