最終更新日 2020年12月25日
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SF小説、とりわけ未来世界を舞台にしたSFでいささか苦手だと思うのは、その独自の世界観に馴染むまで、というか、そこに描かれている世界を多少とも信じることができるようになるまでにどうしても時間がかかってしまうところだ。時間が逆行しているとか、天と地が逆さまになってるとか、常識離れしたそうした設定だけならまだしも、その世界を描写するために見たことも聞いたこともないような新造語が次々と繰り出されてくると、出だしでつまずきそうになる。日本語訳ならまだしも、英語の原書でそういうSF小説を読み始めたときは、その挫折率はかなり高いものになると言っていい。
実は今回紹介する映画=小説も、そんな近未来を舞台にした作品なのであるが、幸い日本語で読むことができる。
コニー・ウィリス『リメイク』(Remake, 1994)
『犬は勘定に入れません』などの作品で日本にもファンの多い女性SF作家コニー・ウィリスによるSF小説。
新作映画が一本も撮られなくなってすでに久しいハリウッドでは、今や、旧作映画をデジタル加工しただけのリメイク作品ばかりが作られ続けている。過去作の俳優の顔を、別の顔と差し替えて、映画を新しく作り直すのである((この小説が書かれた頃にはなかった言葉だが、今なら、「ディープ・フェイク」のようなものといったほうがわかりやすいだろうか。))。今立ち上がっている企画の一つは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をリヴァー・フェニックス(もちろんもう亡くなっているのだが)でリメイクするというもので、フェニックスの相手役の女優としてミシェル・ファイファーとラナ・ターナー(むろん死んでる)の名前が上がっている、といった具合だ。しかも、こうしたリメイク作品の編集には、過去のハリウッド作品や世界の名作映画の編集パターンをデータ化したコンピューターのプログラムに従って機械的に編集される場合さえある(ジンジャー・ロジャースを「デジタイズ」したシーンが、『市民ケーン』の冒頭のシークエンスの編集パターンに従って編集されるといったように)。
さらに、この時代のハリウッドでは映画会社の様々な再編が行われ、「ILMGM」(ジョージ・ルーカスの ILM と MGM が合併したものらしい)や「FOX三菱」といった聞いたこともないような映画会社が存在したりしているようなのだが、このあたりの設定はいまいち説得力に欠ける。
主人公の青年トムは、映画を熱烈に愛しながらも、こんなふうになってしまったハリウッドで、シーンから AS (中毒物質)を削除して映画を健全化するという虚しい仕事を続けている。映画の中に出てくる喫煙シーンや飲酒シーンを削除して、なんとか辻褄が合うように映画を編集するという仕事である。しかし、『フィラデルフィア物語』から飲酒シーンを削除してしまえば、キャサリン・ヘップバーンとジェームズ・スチュアートの恋愛も、なにもかも成立しない。
そんな馬鹿らしい仕事を続けるうちにすっかりシニカルになってしまった彼の前に、アリスという女性が現れる。フレッド・アステアが死んだ年に生まれたという彼女の夢は、スクリーンの中でアステアとともに踊るというものだった。この近未来のハリウッドで慣習になっていたように、過去のミュージカル作品の中で踊るアステアの相手役の女優の顔を、彼女の顔に「デジタイズ」するのではなく(それなら新人の「フェイス」[顔を貸すだけの俳優]たちが皆やっている)、実際にアステアと共に踊るという夢である。しかし、新作が全く撮られなくなった今のハリウッドには、アリスにダンスを教えてくれるトレーナーさえどこを探しても見つからない。
トムはそんなアリスに惹かれながらも、現実を知らない彼女にいらだってつい皮肉に接してしまい、二人の間には恋が始まる以前に距離ができてしまう。そんなとき、彼は、チェックしていた映画の中でアリスが踊っているのをたまたま発見する。最初トムは、アリスがプロデューサーと寝て、新人の「フェイス」として過去作の女優の代わりにデジタイズしてもらったのかと思い、彼女に失望し、腹を立てるのだが、どうやらそうではなく、彼女はスクリーンの中で本当に踊っているようなのだ。探していくうちに、『四十二番街』や『踊るニュウ・ヨーク』など、数々の映画の中でアリスが踊っていることがわかってくる。しかし、そんなことは不可能なはずなのだ。タイムマシンに乗って過去に戻って、実際にそれらの映画に出演した、ということでもない限り……。
「客電消灯
アバンタイトル」
という文句で始まるこの小説は、大きな章の始まりごとに、脚本のト書きのような説明が入る。そして、さらに小さなセクションごとに、そこで描かれる内容に応じた「映画的クリシェ」が披露され、参照すべき映画作品が列挙される。つまり、この小説自体が、撮られるはずの映画のシナリオのように書かれているわけである。むろん、小説の最後の文句は
「劇終」THE END
である。
一言で言うならば、近未来のハリウッドを舞台にしたボーイ・ミーツ・ガールものである。映画についてなにか思考を刺激されるようなたぐいのラディカルな小説ではまったくないが、ほとんど毎ページごとに出てくる映画ネタは、映画ファンにはたまらないに違いない。冒頭いきなり『インディー・ジョーンズ 魔宮の伝説』の話から始まるのだが、この本の中で話題になっている映画はむしろ30・40・50年代の往年のハリウッド映画であって、とりわけスポットライトを当てられているのは、黄金時代のミュージカル映画である。最近の映画しか見ないという人にはあまり馴染みのない作品名も多いだろうが、巻末には、訳者である大森望による詳細な訳注や、作中に登場する映画作品ほぼすべての作品データ(原題・監督・出演者など)まで付されているという異例なまでのサービスぶりで、映画にそれほど詳しくない人でも読み進められるようになっている。しかし、ミュージカル作品に詳しい人が読めば、格別の味わいがある作品であることは間違いないだろう。
創成期の映画が同時代の文学にどのような影響を与えたのかについては、すでにいろいろ研究されているにちがいない(ちなみに、ここで「創成期の映画」というのは、サイレント映画がその洗練を極める以前、1910年初頭あたりまでに撮られた「プリミティブ」と呼ぶこともできよう映画のことである((この時期の映画を安易に「プリミティブ」と形容することは、いささか問題がないわけではないことは理解しているつもりである。)))。
20世紀初頭の小説家たちの多くは、まだ生まれたばかりの映画をしょせんは安っぽい見世物として多少とも見下しながらも、その新奇さには注目していたし、直接的・間接的に影響を受けさえしていたものも少なくなかったはずである。ダブリン最初の映画館であるヴォルタ座の設立にたずさわった((この企ては、結局、実現することなく終わる。))ジェイムズ・ジョイスならば、『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』を書くにあたって当時のサイレント映画の影響を少なからず受けていたとしても不思議ではない。
プルーストのあの長大な『失われた時を求めて』には、美術・音楽・演劇についての記述にはあふれているが、映画について言及されるのは全編を通してたった3度だけであり、彼が映画について抱いていた考えは決してポジティヴなものではなかったように思える。それでも、多くの人が、プルースの小説と映画との間には深い関係があるに違いないと指摘してきた((例えば、武田潔「光の間歇 ── プルーストと映画の交わりを問い直す ── 」を参照。))。やはり映画に対しては否定的だったと言われるヴァージニア・ウルフについても同じことが言えるかもしれない。一見、映画とはあまり関わりなさそうなカフカについても、彼がいつ、どこで、何を見たのかを、日記や手紙などを手がかりに詳細に調べ上げた本や、カフカの小説に映画が与えた影響をもっと踏み込んで論じた研究書が日本でも翻訳されている。
とはいえ、映画自体をテーマとした小説は、わたしの知る限り、ほんのわずかしか書かれていない。その中でも最も注目すべき作品でありながら、一般にはあまり知られていないように思われる作品が、キプリングの「ミセス・バサースト」(1904) という短編である。
ラドヤード・キプリングといえば児童文学『ジャングル・ブック』でつとに名高い。しかし、植民地時代のインドや南アフリカで過ごした経験が強く反映している彼の小説は、ときに帝国主義的なナショナリズムを指摘されることもあり、近年は敬遠されることが多くなっていた。日本の一般の読者には、キプリングはそういう悪いイメージすらなく、たんに有名だが実際にはそれほど読まれていない作家の一人であったと言っていい。わたしの記憶では、日本でキプリングがいくらか再評価され始める、あるいは再注目され始めるのは、1990年頃だろうか。この頃に、岩波文庫の『キプリング短編集』と、ボルヘスが「バベルの図書館」の一冊としてキプリングの短編を集めた『祈願の御堂』がほぼ同時に出版されている。それでキプリングの読者が急に増えたわけでもないと思うが、キプリングが『ジャングル・ブック』の作家だけではないことは、この頃から徐々に認識され始めたのではないだろうか。
年代順に編纂されている岩波文庫の短編集を読めば一目瞭然なように、キプリングの短編は、初期はわかりやすくてリーダブルなものであったのに、後期になると技巧的で難解な作風へと変わってゆく。後期の難解な作品は、一見単純な話に見えて、その実、深い意味が隠されていて、何度も読み直さないと話の核心がどこにあるのかさえわからないといったものが多く、そういう意味では、読み手を選ぶ作品であるかもしれない。しかし、文学通には後期の難解な作品がとりわけ人気があるのではないだろうか。少なくともわたしが一番惹かれるのは、この時期のキプリング作品である。ボルヘスがキプリングの短編を集めた「バベルの図書館」叢書の一冊『祈願の御堂』も、キップリングの後期の難解な作品ばかりを集めたものであった。
さて、ここで取り上げたい「ミセス・バサースト」もまたこの後期の作品群に属する短編の一つである。40ページ足らずの作品の中で語られているように見えるのは、一見他愛もない話に思える。ボーア戦争直後の南アフリカ、語り手である〈私〉が列車を降り、たまたま再会した知人とケープ海岸脇の待避線で話しているところに、もうひとりの知人がその友人を連れて現れる。4人は、思い出話を交えながら、ときに冗談をいい、ときに議論を交わし合う。迂闊な読者なら、そこで何が問題になっているかも気づかずに、ただそれだけの話だと思って読み終わってしまうかもしれない。物語の核心にあるのは、二人の海軍軍人の同僚であったヴィカリーという人物の謎に満ちた失踪事件であるのだが、キプリングはそのことを、木を森のなかに隠すように、あえて表面に浮かび上がらせないようにするためのみに、小説の技工の限りを費やしているようにも見える。この短編をミステリーと呼ぶこともできるだろうが、このミステリーにおいては〈謎〉の解決どころか、まず〈謎〉がどこにあるかを探り当てることにさえ、多くの読者は一苦労するだろう。しかも、その謎は結局解決されることはないのである(ちょうど、登場人物の一人が最後に思わせぶりにポケットから取り出した手のひらの中には何も握られていないように)。
しかし、これ以上この物語の詳細を語ることはやめておこう。とにもかくにもこれはミステリーであり、まずは読んでいただくのが一番である。この短編については、例えば、デヴィッド・ロッシが『小説の技法』のなかで見事な解説を披露しており、しかもそれはここで読むことができる。わたしがあれこれと解説する必要もないだろう。ただ、最初に言ったように、この短編は創成期の映画を描いた数少ない作品の一つであり、この点についてだけは簡単に触れておきたい。そもそも、この作品を取り上げたのは、それがあったからである。
ロッシの解説でも、これが映画を巡る小説であることはほとんど触れられていない。映画はあくまでもこの物語のなかで使われている小道具に過ぎないということもできるだろう。しかし、キプリングはこの短編のなかで、高速撮影や逆回転、二重写しといった映画の表面的な技法ではなく、映画の存在に関わる本質を早くも見事に浮き彫りにしているといっていい。
この小説のなかで映画は、サーカス小屋の出し物の一つとして登場する。物語の時代設定が正確にいつなのかわからないが、この小説が書かれたのが1904年、内容的にもボーア戦争(1902年に終結)直後だということを考えると、1902、3年頃と考えておいていいだろう。リュミエール兄弟による映画の発明からはすでに10年近くが経っているが、南アフリカという辺境が舞台だということもあるのだろうか、この短編のなかで描かれる映画は、いまだに新奇な見世物としての魅力を失っていないように思える。パディントン駅に特急列車が入ってくるシーンでは前にいた観客がのけぞったというエピソードなど、まるでリュミエール兄弟の『列車の到着』を見た観客の反応そのままであり、映画は「本物をもとに作られているんだ」というセリフも、映画というメディアがこの頃はまだ新鮮な驚きとともに受け止められていたことを伺わせる。
「ミセス・バサースト」に映画が登場するのは、物語が中盤を過ぎた頃になってからである。この物語の〈謎〉の中心にいる人物ヴィカリーが──彼は4人の登場人物の話題のなかに登場するだけで、その場にはいないのだが──失踪前にとった謎の行動のなかで、映画は重要な意味を持って出てくるのである。ケープタウンのサーカス小屋の出し物の一つとして「3ペニーで見られる故国のニュース」という短編ニュース映画が上映されていたのだが、ヴィカリーは毎晩この映画を見るためだけにそのサーカス小屋に通っていたというのである。ヴィカリーには妻がいたのだが、4人の会話から、彼はどうやらこの小説のタイトルになっているミセス・バサーストという未亡人と男女の関係になっていたらしい。そして、その問題のニュース映画には、下船してくる乗客のなかに偶然ミセス・バサーストが写っていたのである。映画のなかに刻み込まれた彼女の様子は、4人の中のひとりによって次のように実に印象的な言葉で語られている。
「それからドアが開いて、乗客が降りてきて、ポーターが荷物を受け取って――まるで本物みたいだよ。ただ――ただ、ちょっとばかり違うのは、客席から見てると、向こうから歩いてくる人があまりこっちに近づきすぎると、何ていうか、いきなり画面から消えちまうっていう感じかな。……ポーターが二人出てきて、そのうしろから――小さな手提げ袋を持って、きょろきょろしながら――ゆっくり降りてきたのがあのバサーストの女将さんだってわけだ。一万人の中にいたってあの歩き方はわかるさ。こっちにやって来て――まっすぐこっちに向かってさ――プリッチャードが言ったように、目が見えていないような顔でまっすぐこっちを見てるんだ。どんどん歩いてきて、最後に画面からすうっと消えちまった――ちょうど――そうだな、ろうそくの上で跳ねる影みたいにさ……」
ヴィカリーは、その映画のなかに現れるミセス・バサーストが、彼女の視線が、自分を探しているのだと信じ込んでいたという。だから、彼は憑かれたように夜毎にその映画を見に行っていたのである。いや、そこに彼女に会いに行っていたと言ったほうがいいかもしれない。
この直後に彼は失踪してしまうのだが、このときに彼が語った言葉がまた、なんとも謎めいていて不吉である。 「俺は殺人を犯していないことだけは覚えていてくれ! 俺が出港してから6週間後に妻は産褥で死んだ。少なくともそこまでは俺は潔癖なんだ」
「少なくともそこまでは」とはどういう意味なのか。とぎれとぎれの情報を継ぎ接ぎしてゆくうちに、ひょっとしたらミセス・バサーストはもう死んでいるのかもしれない、あるいは殺されているのかもしれない、とさえ思えてくる。だとすれば、ヴィカリーが、映画のなかに一瞬捉えられた(生前の?)彼女の姿を見に、狂ったようにサーカス小屋に通っていたことも納得できる。
もちろん、これは単なる推測に過ぎない。しかし、この小説のなかで描かれている映画にはどこか不吉な影があるのも確かである。何よりも重要なのは、キプリングが、映画のトリッキーないわばメリエス的側面ではなく、現実をそのままフィルムに刻み込むというリュミエール的側面を、見事に捉えていることである。ここにはアンドレ・バザンによる映画の存在論的リアリズムに通ずるものがあると言ってもいいかもしれない。フィルムに定着された人間の存在は、映画が上映されるたびに否定しがたい現実感を持って生々しく映し出される。
だが同時に、キプリングが描く映画には、どこか死臭が漂ってもいる。どれほどイキイキしていようと、そこに写っている現実はすでに存在しない。場合によっては、文字通りすでに死んでさえいる。映画はそんな死者たちを呼び起こすものでもある。四方田犬彦ふうに言うならば、「死者の召喚」としての映画ということになろうか。その意味では、この小説はビオイ・カサーレスの『モレルの発明』をはるかに予告していると言ってもいいかもしれない。
これほど早い段階で、映画のこのような特性を見抜いて、それを小説の形で描いた作品というのは極めて稀だったに違いない。たんにミステリアスな小説としてもかなり魅力的だが、それに加えて、そこに世界に登場したばかりの映画が実に印象的に描かれているという点で、キプリングのこの短編は、小説ファンも映画ファンも必読と言っていいだろう。
この短編は先に挙げた岩波文庫の『キプリング短編集』の中に収められていて、かんたんに読むことができる。
さて、このあたりで、ヴィカリーの(というか『オセロ』)のセリフを真似て、こう言うとしよう。
「あとは沈黙あるのみ」
(フォートリーの断崖の上で撮影中のパール・ホワイト)
アメリカ映画が始めからハリウッドで作られていたと思っている人は多いだろう。しかし、実際は、アメリカの映画産業がハリウッドに完全に移行するのは1910年代の初めになってからであり、それまではアメリカ映画の大部分は東部で作られていたのである。
例えば、D・W・グリフィスがハリウッドに移り住むようになるのは1912年になってのことである。彼がバイオグラフ社を辞めるのは、その直後の1913年であるから、1908年に監督デビューして以来、グリフィスがバイオグラフ社で撮った作品(その数は500本を超えるとも言われる)の大部分は、ハリウッドではなくアメリカ東部で撮られていたわけである(もっとも、1909年頃から、グリフィスは単発的にではあるが、すでにカリフォルニアでの撮影を始めていたので、バイオグラフ時代にグリフィスがハリウッドで撮影をしていなかったわけではない((メアリー・ピックフォード主演の『ラモナ』(1910) はカリフォルニアで撮影された作品の最初の一例である。)))。
ハリウッドに移る前にグリフィスが作った作品のロケ地を調べてみると、デビュー作の『ドリーの冒険』はコネティカット州で撮られたようだが、ニューヨークで撮影が行われたものがやはり少なくない。そして、ニュージャージー州が撮影地になっているものが意外に多いことにも気づく。サイレント初期のアメリカ映画とニュージャージーとの結びつきにピンとこない人も多いだろう。しかし、ニュージャージーがしばしばロケ地に選ばれたのは偶然ではないのである。 そもそも、発明王トーマス・エジソンが世界初の映画カメラ、キネトスコープを発明し、1893年に世界初となる映画スタジオ〈ブラック・マライア〉を築いたのが、実は、このニュージャージーのウエストオレンジの地だった。
グリフィスとエジソンは、ほんの一瞬であるが出会っている。1907年、エジソンの映画会社がニュージャージーのフォートリーに『鷹の巣から救われて』を撮影しに来るのだが、この映画で俳優として初主演したのが、何を隠そう若きグリフィスだったのである。俳優としての才能はあまりなかったし、もともと目指してもいなかったグリフィスは、この直後にバイオグラフ社に入社し、監督としてその才能をいかんなく発揮してゆくことになるだろう。
フォートリーの、起伏に富む丘や断崖絶壁、滝や森といった表情豊かな風景は、ときに異国情緒ある中東の都に、ときにロビン・フッドの活躍する森にも見せかけることができた。しかも、ハドソン川を挟んでニューヨークから目と鼻の先という地の利もあり、ここは映画の撮影にはまさにうってつけであった。やがてこの土地にはエジソン以外のさまざまな映画会社も押し寄せてくることになり、フォートリーはまたたく間に映画の都となってゆく。1910年には Champion Film Company によってここに最初の映画スタジオが建てられ、やがてその他の映画会社もこれにつづいた。MGM や20世紀フォックスのルーツの一つもここあると言われる。グリフィスもバイオグラフ時代にこのフォートリーで数多くの作品を撮影している(有名なものでは『寂しい別荘』や『ピッグ・アレイの銃士たち』)。
1918年までには11の映画スタジオがこの町に乱立していたという。ごくごく平凡だった町に、突然インディアンが走り回り、強盗や殺人者たちがうろつき、狂ったような追っかけ合いが行われるようになり(もちろん映画の中での話だが)、町の住民たちはさぞかし戸惑ったろう。しかし同時に、撮影所は、小道具や大道具係、さまざまな雑用やエキストラなど、思ってもみない雇用を町の住民に提供するものでもあった。そしてなにより、数々の映画スターたちがこの町を訪れてきたことを忘れてはいけない。ロスコー・アーバックルやウィル・ロジャーズ、メアリ・ピックフォードやリリアン・ギッシュなどなど……、こうした銀幕のスターたちが撮影に訪れ、町のあちこちで姿を見られたという。
しかし、そんな時代はそう長くは続かない。カリフォルニアの陽光が映画撮影に適していることがわかると、映画会社は次々と西海岸に拠点を移し始める(この映画産業の大移動には、特許によって映画産業を独占していたエジソンの支配から逃れるためというのも、大きな要因の一つになっていた)。1911年にはすでにネストール・スタジオがハリウッドで最初の映画スタジオを建てており、グリフィスも翌年にはこれに倣ってハリウッドに移り住んだ。そこに第一次世界大戦による石炭不足(石炭はスタジオを支えるエネルギー源だった)やスペイン風邪(インフルエンザ)の影響も加わり、1918年にはニュージャージーはもはや映画の都としては呈をなさなくなっていたようだ。
このように、わずか10年ほどの短い間ではあったが、サイレント初期のアメリカ映画において、フォートリーは間違いなく映画の都だった。しかし、今そのことをどれほどの人が覚えているだろうか。
大恐慌時代のハリウッドで、映画監督になる夢破れた青年と、未来の見えない女優志望の女が出会い、最後のチャンスをかけて長時間のダンス・マラソン大会に出場する……。
悪夢のようなダンス・マラソンを通して若者たちの希望と絶望を描いた〈ハリウッド小説〉『彼らは廃馬を撃つ』(35) は、ホレス・マッコイが、最初ハリウッドで俳優を目指し、やがて脚本を書き始めた頃に得たアイデアを元にして、後に小説に書きあげた作品だ。この小説は、のちにシドニー・ポラック監督によってジェーン・フォンダ主演で1969年に映画化されることになる(その時には、マッコイはすでに亡くなっていた)。この映画は日本でも『ひとりぼっちの青春』というタイトルで公開され話題になった。原作小説の方も早くから翻訳が出ており、読んでいる人も多いだろう。しかし、マッコイがもう一つ、この小説のすぐあとで、やはりハリウッドをテーマに『I Should Have Stayed Home』(38) という小説を書いていることは、日本ではあまり知られていないように思える。
『I Should Have Stayed Home』(「私は家に留まっているべきだった」)とは、なんだかコロナ禍の外出自粛期間のことを指しているように思えるタイトルだが、もちろん違う。「家 "Home"」とは、自宅というよりは故郷のことを指していると言っていい。この小説の主人公の青年ラルフは、南部の故郷を出てハリウッドにやってき、俳優として成功することを夢見ながら、今は安っぽいバンガローにモナという女性と同居している。同居人のモナもまた女優を目指している女優の卵だ。二人は恋人同士ではなく、姉弟のような、あるいは同じ目的を目指して闘っている同志のような存在であり、互いの生活にはあまり深く関わらないようにしているのだが、ナイーヴな(無知なという意味も含めて)((ラルフはいつか自分が成功するものと素朴に信じ込んでいるような青年だが、決して感じの悪い人間には描かれていない。それだけに、ハリウッドのパーティに彼がモナと一緒に招待されたとき、黒人の男が白人の女と親密にしているのを見て大騒ぎする場面は、人種差別の根の深さを感じさせて生々しい。))青年ラルフと、もっと現実的でシニカルなモナとは、ときおり鋭く対立する。
物語は、女優仲間の裁判で、モナが裁判官に向かって罵声を浴びせたことがきっかけで彼女が注目され、モナとラルフがセレブの集まるパーティに招待されるところから始まる(その女優仲間はモナとラルフの共通の友達で、エキストラの仕事では食べていけず万引したために逮捕されたのだった。彼女はこの後刑務所から脱走し、ラルフたちを巻き込んだ挙句の末に自殺する)。ラルフは、そのパーティで知り合ったハリウッドに顔が利くセレブのマダムに気に入られ、彼女を通してすぐにも俳優として成功できるものと思いこむ。モナは、そんなに甘くはないと警告するが、ラルフは耳を貸さない。やがて、彼女が言う通り、マダムは彼を俳優として成功させる気などさらさらなく、年下のハンサムな恋人としてそばに置いて置きたいだけだということが彼にもわかってくる(もしもこの小説が映画化されていたなら、このニンフォマニアックの役は、『卒業』のアン・バンクロフトがまさにうってつけだったろう)。というよりも、ラルフは最初からそんなことに自分でも薄々感づいていながら、希望にすがって気づかないふりをしていたと言ったほうがいいかもしれない。この小説は、ハリウッド自体の腐敗を描いているというよりも、ハリウッドという環境が人をそんなふうに堕落させていくことをなかなかの説得力で描いている。
一方、モナのほうは、ラルフよりも現実をずっと知っていて、自分を安売りしない強さがあるが、だからといって、それで仕事がもらえるわけではない。彼女は、賃上げを要求するハリウッドの労働組合運動にもやがて関わってゆくのだが、それも結局、これといった結果も残さずうやむやのうちに終わる。モナの方が、芯が強そうなだけに、ラルフ以上に何かのきっかけでぽきりと折れてしまいそうな危うさがある。
作中に登場する脚本家ヒル(マッコイの分身と言ってもいい存在)が言うように、彼らのようなハリウッドのエキストラの存在を主人公にして小説が描かれたのは、おそらくこれが初めてであった(作中で、勇ましく啖呵を切ってハリウッドの脚本家の仕事をやめたヒルは、彼らのような無名のエキストラを主人公にした、誰も書いたことのない小説を書くのだと言っていたが、結局彼も、ハリウッドのなかで堕落してゆき、ハリウッドの真実を描いた小説のことなど半ば忘れてしまう)。
ウィリアム・ウェルマンの『スタア誕生』が撮られて話題になったのはこの小説が書かれる一年前のことである。そのタイトルの通り、無名の新人がチャンスをつかんでハリウッドのスター女優へと上り詰めてゆく映画だ。しかし、その陰で、無名のまま消えていった端役俳優たちのことなど、誰も覚えていない。そういう意味では、これは『スタア誕生』に描かれなかったハリウッドの影の部分を描いたその裏返しの小説であると言ってもいい。
むろん、今となっては、彼らのような存在を描いた物語は無数に書かれており、映画にもなっている(思いつくままに上げると、ジェームズ・エルロイの『ブラック・ダリア』、デイヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』、森崎東の『エキストラ』などなど)。その意味では、この小説は発表当時の鮮度を少なからず失ってしまっており、例えばナサニエル・ウェストの『イナゴの日』などと比べると、いささか輝きにかけることは否めない。それでも、30年代のハリウッドの黄金時代を実際に知っている作家が書いたものならではの手触りと言ったものはあちこちに感じられる。フィッツジェラルドやヘミングウェイとは比べるべくもないが、この時代のハリウッドとその周辺の文学に興味があるものなら、一読しておくべき作品の一つだろう。
ホレス・マッコイが書いた小説で、映画ファンに有名な作品としては他に『明日に別れの接吻を』がある。この作品はジェームズ・ギャグニー主演で映画化され、フィルム・ノワールの古典となっている。ちなみに、ゴダールの『メイド・イン・USA』には、登場人物の一人がこの小説の仏訳を読むシーンが出てくる((ベルナール・エイゼンシッツが言うように、彼はアメリカでよりもフランスで評価されていたのかもしれない。))。
マッコイはハリウッドで脚本家として、たいていは出来高払いで淡々と仕事をこなしていた(「ユニヴァーサルのために、年に15本か20本脚本を書いた」)。その中で数少ない例外として彼がたぶん本気を出せた作品として、とりわけラオール・ウォルシュとの2本(『鉄腕ジム』『世界を彼の腕に』)と、ニコラス・レイの『ラスティ・メン』を挙げておこう。
ドン・レヴィ『ヘロストラトス』(Herostratus, 1968) ★★
イギリスに住む若き詩人が、自分の飛び降り自殺を広告会社に売り込み、自殺を一大スペクタクルにすることで、それを現代社会に対するプロテストの行為にしようと試みるが、資本主義のシステムによって彼の試みはただの安っぽい売名行為に変えられてゆく……。
ドン・レヴィが撮った唯一の長編劇映画。公開当時ほとんど理解されず、長らく忘れ去られてしまっていたが、近年になって次第に再評価が高まっている。
物語はあって無きにひとしく、映画は、主人公の若者が見せる無意味でバカバカしい反逆的行動を、これといったドラマもなくダラダラと見せてゆくだけだ(主役のアナーキーな暴れっぷりを見ていると、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』に影響を与えたのではという説もうなずける)。物語とは一見無関係に、断片的でシュールなイメージが、全編を通して噴出するのも特色であるが、繰り返し登場する黒衣をまとった女のイメージや、不意に挿入される戦争のモノクロ映像など、正直、作者の意図がどこにあるのかわからない部分も多い。しかし、よくも悪くも、60年代イギリスのロスト・ジェネレーションの心象風景を捉えた作品だとは言える。
映画としては不出来な部分が多々あり、退屈な作品だとは思うのだが、この頃、様々な国に現れはじめていた「新しい映画」のイギリス版として、なかなか興味深くはある((ジャック・リヴェットの当時のインタビューの中でもちらっと引用されている。))。もっとも、ヌーヴェル・ヴァーグというよりは、アメリカン・ニューシネマのある種の作品(日本でヒットした作品ではなく、もっと地味な内向的作品、例えば、ウール・グロズバードの『ケラーマン』のような)などの方に近しいものを感じる。
ドン・レヴィはその後アメリカに渡るが、1987年に自殺。主役のマイケル・ゴサードも、『ラ・ヴァレ』『スペース・ヴァンパイア』などに出演するも、1992年に自殺している。この映画の内容を考えるとなんとも不吉である。
ちなみに、ヘロストラトスとは、古代ギリシアの若い羊飼いで、「自分の名を不滅のものとして歴史に残すため」に、エフェソスのアルテミス神殿に放火したことで知られる。エフェソス市民は、彼に死刑を宣告したのみならず、彼の名を歴史から抹殺することを決めた(記録抹殺刑)が、こうして今も彼の名前は後世の人に知られている。
ここ数年で見たり再見することができたドライヤー作品においてなによりも素晴らしいと思うのは、それらの作品がブルジョア社会に対してみせる情け容赦のなさである。その情け容赦のなさの矛先が向けられるのは、ブルジョアの正義(『裁判長』。この作品は、わたしの知るかぎりもっとも驚くべき物語構成を持つ映画の一つでもあり、もっともグリフィス的な、つまりはもっとも美しい映画の一つである)、ブルジョアの虚栄心(『ミカエル』に描かれる愛情と室内装飾)、ブルジョアの不寛容(『怒りの日』は、その激しさによって、論理(dialectique)で、唖然とさせる)、ブルジョアの天使のような偽善(「彼女は死んだのだ。あれはもういない。天国にいるのだ」と言う『奇跡』の父親に、息子は答える。「ええ、でも僕は彼女の肉体も愛していたのです」)、そしてブルジョアのピューリタニズム(『ガートルード』はだからシャンゼリゼのパリジャンたちに好評だった)、に対してである。
他方で、『吸血鬼』(「ここには子供も犬もいない」)は、13年前にウルム街のシネマテークで見たあの日以来、あらゆる映画の中でもっとも優れた音響の映画 (le plus sonore)であり続けている。1933年にドライヤーが投げかけた次の言葉に、アミーコ((ジャンニ・アミーコ。『革命前夜』『ベルトルッチの分身』などの脚本家として知られる。自身も映画作家であった。))とベルトルッチ以外の、現代のイタリアの映画作家たちはともかく耳を傾けたほうがいい。
「リアリスティックな空間を作り出そうとするのなら、音響についても同じ努力をしなければならない。この文章を書いている間、遠くで鐘が鳴るのが聞こえ、エレベーターの唸る音や、むこうで路面電車がたてるキーキーという音、市庁舎の時計の音、扉が閉まる音……などが耳に入ってくる。わたしの部屋を囲んでいる壁が目撃しているのが、机に向かって物を書いている一人の男ではなく、感動的でドラマティックな場面だったならば、こうした様々な音もまた存在し始めるだろう。そのドラマティックな場面との対照で、それらの音は象徴的な意義さえ帯び始めるかもしれない。だとすれば、これらの音を切り捨ててしまうことは正しいのだろうか……。真のトーキー映画における、真の話し方(diction)とは、本物の部屋の中にいるノーメークの顔と対応するように、普通の人たちによって話される、普通の日常的な言葉になるだろう……。」
かくも多くの若い映画作家たちがもっぱら、自分の映画に自分の思想や自分のちっぽけな意見をねじ込み、誘惑して侵す(violer)こと(つまらない教訓をたれるブレヒト主義、広告の手法や資本主義社会のプロパガンダの使用)、あるいは消え去ること(コラージュなど)ばかりを考えている今、ドライヤーの言葉に耳を傾けようではないか。
「デンマークの作家ヨハネス・V・ヤンセンは、芸術を〈精神によって演じられる形式〉と定義している。まさにピッタリの定義である。チェスターフィールドは、文体(スタイル)を〈思想がまとう衣服〉とみなした。これもまたシンプルで正確な定義である。ただし、この衣服はあまり目立ちすぎてはならない。素晴らしい文体は、それ自体シンプルで正確なものであり、それを特徴づけるのは、その文体が内容とぴったり組み合わされて、一体となっていることである。あまりにも厚かましすぎて、注意を引きつけるものになってしまうと、それは文体であることをやめ、マニエリスムになってしまう……。」
「映画(それが芸術作品であるならば)のスタイルというのは、リズムとフレーミングの効果、色鮮やかな面と面の強弱関係、光と影の相互作用、カメラの計算された動き、などといった数々の構成要素からなる産物である。これらのことが、監督が題材に抱いている構想と結び付けられて、その映画のスタイルを決定するのである……。とはいえ、わたしは、技術スタッフ、カメラマン、カラー担当技師、舞台装置家などを軽んじているわけではない。しかしながら、この集団の中で、監督はやはり霊感の源であらねばならず、作品の背後にいる彼こそが、原作者の言葉をわれわれに聞かせ、情感と情熱をほとばしらせ、われわれの心を動かして、感動させるのである。
以上が、わたしの理解する映画監督の重要性とその責任である。」
「くすんで退屈な自然主義の向こう側に、もう一つの世界が、想像力の世界が存在することを示すこと。この世界の変容を見せながらも、監督は現実の世界へのコントロールを失ってはならない。この新たに作り直された世界はつねに、観客が認めることができ、信じることができるものでありつづけなければならない。抽象へと向かう最初の数段階は、巧妙かつ控えめに乗り越えられることが重要である。観客にショックを与えるのではなく、観客を新しい道へと徐々に導いてやらなければならない。」
「それぞれの主題は、ある一つの道 voie(声 voix?)を含んでいる。そこにこそ注意を向けるべきである。そしてできるだけ多くの道(声?)を表現する可能性を見つけなければならない。ある一つの形式、ある一つのスタイルだけに、自分の限界をもうけてしまうのはとても危険である……。それこそが、わたしが本当にやろうと試みてきたことである。つまり、ある一つの作品だけに、まさにこの環境、この物語(action)、この人物、この主題だけに通用するスタイルを見出すことである。」
「映画においては、ひとはユダヤ人の役を演じることはできない。ユダヤ人にならねばならないのである。」
ドライヤーがついに、カラー映画(彼はカラー映画のことを20年以上考えていた)も、キリストについての映画(国家と、反ユダヤ主義の起源に対する、崇高な反逆)も作ることができなかったことは、われわれがいま、蛙の屁にさえ値しない社会に生きているのだということを、思い起こさせてくれる。
(「カイエ・デュ・シネマ」1968年12月 207号((《e´crits》 par Jean-Marie Straub & Danie`le Huillet に再録。))からの拙訳)
昼顔の女、ルイーズ・ブルックスは彫像と張り合う。彼女は寺院から石を取り外し、円柱の周りに身をくねらせ、建物の前壁に花開く。そしてただあたりを焼き尽くすような純粋さによって、〈教会〉〈祖国〉〈家族〉などが社会に課す、力なき知恵に対して、無垢と狂気の愛が勝利することを宣言する。
フレディ・ビュアシュ
彼女を一度でも見た者は、彼女のことを決して忘れることができない。彼女は現代の最も優れた女優だ。なぜなら彼女は古代の彫像のように、時の外にいるから……。彼女は映画撮影の知性であり、撮影効果の最も完全なる化身である。彼女は自身のうちに、映画がサイレント最後の時代に再発見したあらゆるものを体現している。すなわち、完全な自然さと完璧な単純さである。
アンリ・ラングロワ
パウル・クレー「静物としてのパンドラの箱」
ルイズ・ブルックスは驚くべき首尾一貫で存在する。彼女はこの二つの映画(『パンドラの箱』と『淪落の女の日記』)で、謎のように無感動だ。
ロッテ・アイスナー
この恐るべき磁力は、ガルボも、ニールセンも、ブリギッテ・ヘルムも取って代わることはできない。彼女が登場するや、スクリーンは引き裂け、白いシーツも絶望的な風景、危険な太陽、果てのない奥行きと化す。彼女を見ると目が眩んでしまうのだ。蛇女(メリュジーヌ)、牝の野獣、子供のような女、恋する女、これはガルボのような曲線ではなく、直線の真っ直ぐな美なのだ。
アド・キルー
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「パンドラ」
ルイーズ
傲れる影
あなたの目
ぼくの夢の
うねる波に裏返り
空のシーツが皺にするぼくの夢の
ルイーズ
ひとりわきにいる小さな太陽
誰もいないなにもない場所から少しはなれて
あなたの指のあいだで
星が
伝説がふれあっている そして笑う
タンジの映画館で
積み重ねられるぼくらの孤独
ルル
こわれそうな
でも音楽のような顔
甘くやわらかな草はらの
そして狂った草の 顔
あなたの声が
ぼくらの小さな夢をおおう
タハール・ベン・ジュルーン
『明日になれば他人』★★★1/2
『デモンズ ’95』★★★
『荒野の処刑』★★1/2
『軍用ラッパのロマンス』★★1/2
『白いトナカイ』★★
『ユン・ピョウ in ドラ息子カンフー』★★
ヴィンセント・ミネリ『明日になれば他人』(Two Weeks in Another Town, 1962)
同じミネリの監督、カーク・ダグラスの主演ということで、どうしても『悪人と美女』との関係を考えてしまう。あれから10年後に撮られた続編として見ることもできるかもしれない(実際、作中で、ダグラスがかつて主演した映画として上映されるのは『悪人と美女』なのである)。しかし、この10年の間にハリウッドはなんと変わってしまったことだろう。そう考えると、この映画の舞台がアメリカではなくイタリアのチネチッタであることはとても象徴的であるように思える。
リタ・ヘイワースが、男をどうしようもなく惹きつけてておきながら、絶えず手の届かぬところにいるファム・ファタールを演じていて、鮮烈な印象を残す。
久しぶりに見直したが、やはりこれはハリウッドの映画づくりを描いたもっとも忘れがたい映画の一本である。
ミケーレ・ソアヴィ『デモンズ ’95』(Dellamorete Delatore)
ミケーレ・ソアヴィによるホラー映画の怪作・快作。「デモンズ」シリーズとはなんの関係もない。そもそも、アルジェントが製作していること以外に「デモンズ」シリーズの一貫性がわからないし、アルジェントが関係していていないこの作品はなおさら別物と考えていいだろう。
夜な夜な墓から蘇ってくる死人たちの見張り番をしている墓守を主人公にしたコメディ・タッチのホラー映画で、こういう設定ならこんな感じかなと鷹を括っていると映画は予期せぬ方向へと展開してゆく。死者たちが蘇ってくるだけなら映画ではよくあることなのだが、主人公が「一生離れない」と愛を誓った市長の娘は、死んでゾンビとなったあげく主人公に頭を撃ち抜かれてもう蘇れなくなったはずなのに、全く同じ顔をした別人として、主人公の前に何度も姿を変えて現れる(オリジナル・タイトルは「死と愛」くらいの意味)。最後は誰が生きていて誰が死んでいるのか、何が現実で何が夢なのかも定かでなくなってくる。ありきたりのゾンビもの、サム・ライミ風のコメディ・ホラー、のようなものだと思って見ていたら、いつのまにかロブ=グリエの世界に迷い込んでいたことに気づいて驚く、とでも言った不思議な感覚を覚える、本当に独創的なホラー映画。ただし全く怖くない。
オタカル・バーブラ『軍用ラッパのロマンス』(Romance pro kridlovku, 1967)
若き日の苦い恋の思い出をノスタルジックに描いたチェコ映画の秀作。
主人公の中年男は若い頃、移動遊園地でメリーゴーランドの係りをしていた娘と恋仲になるが、娘は両親によって荒くれ者の射的係りの男との結婚をむりやり決められてしまう。ちょっとした仲違いのせいで、男は馬車で去ってゆく彼女にちゃんと別れを言うこともできない。何十年も経ってから、男は、彼女が結婚することになっていた射的係りの男(彼がラッパを吹くことから映画のタイトルが付けられている)と再会し、彼女がすでに亡くなっていることを知らされる。
主人公がこの射的係の男と再会するところから映画は始まり、彼が体験した苦い恋を描く長い回想シーンがそれに続く。最後に再び現在時に戻ったとき、同じ女を愛した主人公と射的係の男は、真夜中、かつてそこに移動遊園地があった小さな広場に静かに立つ。射的係の男は、女があのあとすぐ病気になり、医者に行くことを拒んで(「たぶん彼女は生きたくなかったんだ」)すぐに亡くなってしまったことを告げると、物悲しい曲をラッパで吹いてから去ってゆく。
川辺で主人公を誘惑する色情狂の女、故郷に帰ることをいつも夢見ている主人公の痴呆症の祖父……。なぜかすべてが懐かしい。これと言って突出した部分があるわけではないのだが、なぜだか忘れがたい印象を残す作品。
ルチオ・フルチ『荒野の処刑』(I quattro dell'Apocalisse, 1975)
イタリアン・ホラーの重鎮たちはたいてい西部劇や史劇も撮っていたりするのだが、どうもそっちの方のジャンルの作品は敬遠しがちだ。しかしそれらの中には拾い物が結構ある。ルチオ・フルチが撮ったこの西部劇もそんな良作の一つと言っていい。
到着した町からすぐに追い出されたけちなポーカー詐欺師である主人公は、同じように町を追い出された妊娠中の娼婦、墓場の死者たちと交信できるという黒人、どうしようもないアル中の男とともに4人で旅を続ける(イタリア語のオリジナル・タイトルは「黙示録の四騎士」)。そこに途中で加わってきた謎の男が次第に悪党の本性を現しはじめ、娼婦を陵辱し、彼らから何もかも奪って去ってゆく。主人公は復讐を誓うが、仲間は一人ひとりと死んでゆき、娼婦も子供を出産すると同時に命を落としてしまう……。
フルチらしい残酷描写はほとんど見られないのだが、旅の途中、食料が尽きたときに黒人がどこかから持ってきた肉が、実は死体からえぐり取った肉だったと後でわかるところなどは、いかにもホラーの重鎮らしい演出だ。頭が完全におかしくなって一人残された黒人が、建物の隙間から彼らが去っていくのを見ている主観ショットも、マカロニらしくないホラー・テイストだった。
前半はわりと普通のというか、どちらかというとゆるい調子のマカロニ・ウェスタンなのだが、後半の展開の仕方が意表を突くというか、とてもオリジナリティにあふれていて忘れがたい。とりわけ、主人公と娼婦が女の住人が誰ひとりいない炭鉱町にたちよったとき、娼婦が突然産気づくと、町の男たち全員が、女の出産を手助けし、子供が生まれてくると皆で祝福する場面は、ジョン・フォード的というと褒めすぎになるだろうが、フルチもこんな場面を撮れるのだなとちょっとびっくりさせられる。
ちなみに、娼婦を演じているリン・フレデリックは当時(?)ピーター・セラーズの妻だった。
エリク・ブロンベルク『白いトナカイ』(Valkoinen peura, 1952)
珍しいフィンランド製ホラー映画。BFI の "10 great European horror films" の一本にも選ばれている古典だが、日本ではほとんど知られていない。
ホラーと言うよりは、雪のラップランドを舞台に描かれる西洋怪談といったほうが近いだろうか。結婚したばかりの若妻が、夫が狩りにでかけている間に、怪しげな祈祷師に恋愛というか、ずばりセックスについての相談をしに行く。祈祷師の教えに従って彼女は、帰り道に出会った最初の「生き物」であるトナカイを生贄に捧げる(一歩間違えれば、最初に出会った生き物は村人の一人だったかもしれない)。しかしそれがきっかけで彼女は呪いにかかり、気づかぬうちにトナカイに変身して、村人を襲い殺すようになってしまう……。
狼男やキャット・ピープル、あるいは「ジキルとハイド」のような変身譚であり、そういう意味ではこれといった新しさは感じない。主人公の変身があからさまに女性の性的抑圧と結びつけて描かれている(彼女の化身である白いトナカイを狩ろうとする男たちはみな殺されてしまう)ところと、作品に描かれているサーミ人がキリスト教によって少数民族として抑圧されてきたという民族的背景が物語の根底にあるところが、この作品のユニークな部分である。
ちなみに、ヒロインを演じているのは監督の妻。
サモ・ハン・キンポー『ユン・ピョウ in ドラ息子カンフー』(The Prodigal Son
「イップ・マン」シリーズで有名になった詠春拳の前日譚を描いた作品。
カンフーの道場の一人息子である主人公(ユン・ピョウ)は、自分が誰よりも強い武術の達人であると思いこんでいるが、実は、過保護の父親が、息子が怪我しないように、道場の弟子たちや町の人達に密かに金を渡して、わざと負けさせていただけだった。京劇の女形の役者に挑んでカンフーで負けたことで、彼はようやくその事に気づく。主人公はこの役者の弟子を勝手に名乗り、彼らの旅に無理やり同行するが、役者は何も武術を教えてくれない。そんなとき彼らの前に強敵が現れる……。
サモ・ハン・キンポーも脇役で出演しているコメディタッチのカンフー映画なのだが、それだけに中盤あたりで京劇の役者たちが皆殺しにされてしまうシーンの残酷さが異様に際立って目につく。まあ、どうということのない作品ではあるが、カンフーのシーンはさすがに素晴らしく、これはこれで捨てがたい味わいがある。
ナダヴ・ラピド『幼稚園教師』★★★
テイ・ガーネット『支那海』★★
マルコム・セント・クレア『駄法螺大当り』★
ナダヴ・ラピド『幼稚園教師』(Haganenet, 2014)
イスラエルの監督ナダヴ・ラピドの『ポリスマン』に続く長編劇映画第2作目。
テルアビブの幼稚園に勤める女教師が、園児の一人が類まれな詩の才能を持っていることに気づく。しかしそのことに本気で驚き、理解するものは彼女の周りに一人もいない。一見理解を示しているように見えた女優の卵である園児の若き乳母は、男の子の詩をオーデションで勝手に使って、詩を〈搾取〉している。女教師はそれに腹を立て、園児の父親に訴えて乳母を解雇させる。しかし、ビジネスマンである園児の父親も、詩など何の役にも立たないと考えている者の一人に過ぎない。女教師の一人息子も、軍隊で男らしさを見せることにやっきであり、詩の世界とは全く縁がないようだ。
詩などなんの意味も持たないそんな社会の中で、女教師は園児の詩の才能を今救うことができるのは自分だけだと考え、一人で戦い始める。彼女は、園児が突然口ずさみ始める詩を、消え去る前に必死でメモし、園児本人さえわかってない詩句の意味を彼に解釈し、まだ自覚がないように見える園児をさらに詩の方向へ導こうとする。だが、女教師の行き過ぎた〈教育〉を知って激怒した父親によって男の子が別の園に移されてしまうと、女教師はその幼稚園を探し出し、園児を誘拐してしまう……。
最初、女教師は、マネーや有用性や〈男らしさ〉が支配している現代イスラエルの社会、というよりもこの世界の中で、役に立たないものと思われている詩=創造性を救おうとして一人戦っている英雄のように見えるが、映画が進行していくに連れて、彼女自身も園児を利用し、搾取している一人のようにも見えてくる。生まれてきた詩を朗読することと、それを紙の上に書き留めることの間にすでに大きな断絶があるのではないか。突然園児の頭の中に降りてきて、彼が朗読し始めた詩を、女教師が紙に書き留めることがすでにして詐取=搾取ではないのか。他方で、一見無垢に思えた男の子の方も、すべてを見透かした上で女教師を誘惑していただけなのかもしれない(ラストの裏切りはそんな事を考えさせる)。すべてが実に曖昧で、その曖昧さがなんとも魅惑的な作品である。
見ている間になぜだかロッセリーニの『ヨーロッパ51』を思い出していた。子供がきっかけで女の主人公が思いもかけなかったところへとたどり着いてしまうという物語だからか。
あまり興味が無いのでちゃんと調べていないが、確かハリウッドでリメイクされているはず。
テイ・ガーネット『支那海』(China Sea, 1935)
クラーク・ゲーブル、ジーン・ハーロウ、ウォーレス・ビアリーが共演した海洋もの。
ゲーブルは傲慢で高飛車な船長の役で、『風と共に去りぬ』のタイプのいつもの役どころ。ジーン・ハーロウは、ゲーブルに相手にされず、腹いせにビアリーによる反乱の片棒を担いでしまう女という難しい役どころなのだが、ただギャーギャー喚いているだけに見える。一つ一つを見ていくと、あまりいいところはないのだが、何故か全体的には全然悪くない。
マルコム・セント・クレア『駄法螺大当り』(The Show-Off, 1926)
フォード・スターリング主演の他愛もないコメディ映画。ルイーズ・ブルックスは映画の中で一度アップがあるだけの完全な脇役だが、ビデオのパッケージには彼女の写真が全面に使われていて、allcinema でも出演欄にはブルックスの名前しか書いていない。しかし、大ぼらばかり吹いているどうしようもない男を演じているスターリングに、最後の最後にビシッと言ってのける役は彼女のものである。
ヤン・トロエル『これが君の人生だ』 ★★1/2
ウィリアム・ウェルマン『これが君の人生だ』★★1/2
ジョセフ・ロージー『暴力の街』★★
フランク・タトル『百貨店』★1/2
エドワード・サザーランド『チョビ髯大将』★
カルロス・サウラ『従妹アンヘリカ』★
ヤン・トロエル『これが君の人生だ』(Ha¨r har du ditt liv [This Is Your Life], 1966)
20世紀初頭のスウェーデンを舞台に一人の少年 が成長してゆく姿を描くノーベル賞作家エイヴィンド・ユーンソンの半自伝的小説を映画化した、3時間近くに及ぶヤン・トロエルのデビュー作。
主人公の利発な少年は、貧しい養父母の家を出て、最初は材木工場か何かで過酷な肉体労働に従事し、やがてそこを出て、映画館で働きだす。館内でのキャンディ売りから始めて、次は劇場係、そしてついには映写技師になり、携帯用の映写機を持って旅先で映画を上映するようになる。苦い恋愛を経験する一方で、10代の若さで哲学書を読み、自分は社会主義者だと公言する少年は、仲間の労働者たちと労働運動に勤しむ。しかし結局、多くの労働者たちにとっては理想よりも生活のほうが大事で、計画していたストも実現しない。そこでも挫折した彼が、それでもめげずに新天地を目指して旅立ってゆくところで映画は終わっている。
ゴーリキーの名前が主人公によってつぶやかれもするこの映画には、マルク・ドンスコイのゴーリキー三部作を思い出させる雰囲気がある。ヤン・トロエル監督自身によるモノクロ撮影も美しい。しかし、見ていていちばん驚いたのは、少年が旅先で映画を上映する場面だ。急遽映画館に仕立て上げた田舎のホールかどこかで映画を上映するのだが、映画を上映し始めるときに少年が映写機の横にある蓋を開けて、擦ったマッチの火を中に入れたのでわたしはびっくりした。当然可燃性のフィルムを使っていたはずのこの時代に、映写機の周りほど火気厳禁の場所はないではないか。すぐにわかったことだが、どうやらこの映写機はガスを使ってガス灯を点灯させ、その灯りで映画を上映していたらしいのだ。映写機の中のランプ自体は画面には映らないのだが、映画の上映が終わったあとで少年がガスボンベにつながったホースを映写機から外すショットがあるので間違いないだろう。
映画の映写機は電気で動かすのが当たり前だと思っていたので、それ以外の可能性など今まで考えたこともなかった。まさに目からウロコの体験である。ガス灯の光ではたして映画の上映をするに足る光量が得られるのだろうかという疑念がなくはないが、これはおそらく原作作家の体験をもとに書かれた場面であろうし、実際に、そうした形で上映が行われていたことはたしかだろう。それにしても、これは例外的な事例だったのか、それとも、他の国でもガスを使った上映は行われていたのだろうか。その辺の調査は今後の宿題にしておく。
ウィリアム・ウェルマン『人生の乞食』(The Beggars of Life, 1928)
浮浪者のリチャード・アーレンが食料を求めて通りすがりの家に入ると、ナイフで夫を殺したばかりのルイズ・ブルックスが呆然と立っているところから映画は始まる。ブルックスは警察の追っ手から逃れるために男装をして、アーレントと共にあてのない放浪生活を始める。ルイズ・ブルックスがほぼ全編にわたって、ジャケットにズボンの男性ファッションで登場し、トレードマークの髪型もソフト帽で封印して演技しているところがユニークだ。ブルックスの魅力が最大限に発揮された作品だとは思わないが、フラッパー・ガールでも悪女でもない女を演じているという意味では、彼女がハリウッド時代に珍しく女優として 扱ってもらえた作品の一つと言っていいだろう。列車の映画でもある。
ジョセフ・ロージー『暴力の街』(The Lawless, 1950)
かつては社会問題に鋭く切り込む記事を書いていた都会の新聞記者が、戦い続けることに疲れて、地方の新聞社に拠点を移し、そこで静かな生活をはじめる。しかし、そこで差別されていたメキシコ移民の若者の一人が警官に暴行して逃走する事件が起きる。記者は最初は傍観者の姿勢を貫いていたが、移民たちの問題に心を痛めている地方の新聞社の娘と出会ったことで次第に事件に深く関わってゆくようになる。事件を起こした若者は記者によって保護されるが、彼に暴行を受けたと思わず嘘の証言をしてしまった少女や、事件を歪曲して伝える報道によって、町中の憎悪が若者に向かい、彼を擁護する記者も町の住民たちから激しく敵視されてしまう。
ロージーらしいいやらしさはほとんど感じられず、30年代のワーナーの社会派映画のようなテイストの作品。
フランク・タトル『百貨店』(Love 'Em and Leave 'Em, 1926)
百貨店を舞台に、そこで働く美人姉妹を描いた軽いテイストのラブ・ロマンス。イブリン・ブレントが姉を、ルイズ・ブルックスが妹を演じている。この映画のブルックスは、婦人会か何かのために集めた会費を内緒で競馬に賭けて大損し、その責任を姉が代わりに取らされているのを知りながら、あっけらかんとパーティで楽しそうに踊り、挙句の果てに姉の恋人まで奪ってしまう。物語自体は他愛もないものだが、この映画は『パンドラの箱』以前にブルックスが悪女としての魅力を発揮した作品としては代表作の一つに入るだろう。しかし、どれだけ悪女を演じていても、この映画の彼女には怪しげな暗さは微塵もない。そこが『パンドラの箱』に通じる部分でもあり、また異なる部分でもある。
エドワード・サザーランド『チョビ髯大将』(It's the Old Army Game, 1926)
ルイズ・ブルックスがW・C・フィールズと共演したコメディ。フィールズは薬局&雑貨店(今のコンビニのようなもの)の主人の役で、ブルックスは、フィールズを言葉巧みに言いくるめて詐欺の片棒を担がせる詐欺師の男に恋をする女店員を演じている。
ちなみに、監督のエドワード・サザーランドはこの当時ブルックスの夫だった。
カルロス・サウラ『従妹アンヘリカ』(La prima ange´lica, 1974)
カルロス・サウラは同一画面の中で過去と現在を共存させる演出を好んで使い、この映画では全編に渡ってそれを多用しているのだが、同じ手法をよく用いるテオ・アンゲロプロス作品の同様の場面の大胆さと繊細さに比べると、とにかく下手くそすぎて目も当てられない。主人公の中年男が、少年時代に愛した従妹(すでに人妻になっている)に再会し、プルーストの小説のように過去がとめどなく蘇ってくる。少年時代の彼が従弟と初めて出会う1936年、つまりはフランコ政権が成立する年と、フランコ政権末期の現在(74年)とを同一場面の中で共存させるという意図はわからなくもないが、中年男を演じるホセ・ルイス・ロペス・バスケスに、そのままの見た目で少年を演じさせているのはいくらなんでもグロテスクすぎるではないか。しかし、アンヘリカ(と、その数十年後の彼女の娘)を演じるリナ・カナレハスのロリータな魅力はなかなかのものだ。
ナンニ・ロイ『祖国は誰のものぞ』(Le quattro giornate di Napoli, 1962) ★★★
第二次世界大戦中、ナチスに占領されていたナポリ市民たちの4日間の蜂起を描いた戦争映画。放題は素直に「ナポリの4日間」でよかったのではないだろうか。
主役であってもおかしくないジャン・ソレルを、開始早々わずか数分であっさりナチスに銃殺させる(『無防備都市』のアンナ・マニャーニが中盤で撃ち殺されるように)ことで、ナンニ・ロイはこの映画の主役たちはあくまでも無名のナポリ市民であることを示してみせる。
ネオレアリズモの精神を受け継いだ「無防備都市ナポリ」とでも呼ぶべき内容の映画だが、その一方で、コミカルな要素(銃撃戦の只中にいるレジスタンスの男に、危ないことはやめてくれとすがりついて邪魔をする恋人の女)や、メロドラマ的要素(役に立つことを示そうとして、手榴弾を持って敵の戦車に向かっていき、撃ち殺される幼い少年)など、様々な要素を織り交ぜて描く巧みさや((もっとも、某所で語ったように、ロッセリーニの『無防備都市』も、実はコミカルな要素やメロドラマとは決して無縁ではない。))、なによりも全体の3分の2にも及ぶ壮絶な市街戦のシーンによって戦争をスペクタクル化してみせる手付きは、ロッセリーニとは異なるこの監督のウェルメードな映画づくりを端的に示しているのだろう(まだ2本しか見ていないが)。
少年院か何かの施設から抜け出した子どもたちが、大人たちとは別に自分たちだけで、武器を持ってナチスの兵士たちと戦うエピソードがユニークだ。しかし、これも『無防備都市』に描かれている子供たちによるレジスタンス活動(ロッセリーニは画面ではほとんど見せないのだが)を、よりあざとく描いてみせたとも言える。
半ば忘れ去られている作品であるが、ゴダールが『ゴダール・ソシアリスム』のなかで引用したことでいくらか有名になった。若きベロッキオが批評家時代(?)にこの映画について批評を書いているらしい(どのような内容なのかは未確認)。
ナンニ・ロイ『カフェ・エクスプレス』(Cafe´ Express, 1980) ★★1/2
走る列車の中で無断でエスプレッソ・コーヒーを売り歩く男(ニノ・マンフレディ)を描いた、『祖国は誰のものぞ』とは全く異なるテイストのコメディ映画。
男は、顔を隠し、変装し、乗客に紛れ、隣の車両に逃げ込み、トイレに隠れたりしながら、車掌や鉄道警察の追及を巧みにかわして、1杯わずか数リラのコーヒーを必死で売り歩く。それはただ生活のためというよりは、名付けがたい執念に近いものに思えてくる。貧民階級のたくましい生きざまを描いたいかにもイタリア映画らしいコメディだが、正体がバレてどんどんと追い詰められていく後半もまたイタリア映画らしい情感にあふれている。
まだ全体像がさっぱり見えないが、この監督とはもう少し付き合ってみるつもりだ。
ジャン=ピエール・モッキー『あほうどり』(L'albatros, 1971)
先日、惜しくもこの世を去ったジャン=ピエール・モッキー監督が、比較的初期に、『Solo』に続けてその流れで撮った作品で、『Solo』同様、主演も兼ねている。モッキー本領発揮の傑作である。
警官殺しの罪(といっても、暴行してきた警官に対する正当防衛を認められなかっただけの不当な処罰だったのだが)で投獄されていた男(モッキーが演じている)が脱獄し、夜陰にまぎれて壁伝いに走っているところから映画は始まる。その壁には、間近に迫った選挙の候補者のポスターが貼られている。男は追っ手から身を隠していた時にたまたま出会った女を誘拐して、彼女を人質に逃亡を続ける。その女が選挙に出馬している政治家の一人の娘だったという展開はいささかありがちなもので、ヒッチコックの『第三逃亡者』のような作品を思い出させもするのだが、モッキーはこの二人の間にいかなる恋愛も成立させていないところが面白い。
この誘拐をきっかけに、選挙戦に出馬している娘の父親(自由な社会の実現を謳っている)と、彼と対立している立候補者(産業化を進めて裕福な社会を作ると約束している)ーー実は、右も左もどちらも腐りきってることがやがてわかってくるのだが――この二人の政治家の醜い政治ゲームが始まり、加熱してゆく。冒頭から、物語をいきなり乱暴に政治的文脈へと結びつけるこの性急さがいかにもモッキーらしい。ただ単に政治家を登場させましたという感じではなく、まさにこの作品が撮られた当時のフランスの社会をすくい取っているという生々しさが、この作品に限らずモッキーの作品にはある(それは同時に、彼の映画をフランス国外の観客には分かりづらいものにしてしまってもいるのだが)。権力に抵抗しただけで犯罪者扱いされ、追い詰められて自暴自棄になってゆく主人公の怒りは、モッキー自身の怒りでもあろう。それがこの作品に通底するエネルギーになっていて、見るものの胸を打つ(この映画が撮られた時、68年はそんなに遠い記憶ではなかった)。
女の方が次第に男に惹かれてゆく一方で、男は最後まで別の女(パーティで一瞬見かけただけの名も知らぬ娘)との恋愛を夢見つづける。ようやく国境までたどり着いた時、人質の女は男の逃走を助けるために自ら囮になって捕まる。そのまま国境を超えることも出来たのに、男は、愛してもいないこの女を助けに、弁護士を装って刑務所に乗り込んでゆく。しかし、首尾よく女を救い出し、一緒に刑務所の壁の上を逃げているところで、男は周りを取り囲まれてしまう。ここからの展開が唖然とさせる。ガラス張りの監視台の中で、二人は全裸になって、衆人環視の中でセックスをするのである。女にとっては、それは愛の行為だったのかもしれないが、男にとってはそれもまた社会への、権力への抗議であり、挑戦でしかなかったのだろう。この男女の意識のズレがなんとも物悲しい。
直後に男は射殺され、女も巻き添えになってそれぞれ壁をはさんで別々に落下して息絶える。壁に滴った血が、選挙戦のポスターの顔写真を赤く染めるショットで映画は終わっている。「あほうどり」というタイトルは、おそらく、地上に落ちて力なくもがくこの鳥を歌ったボードレールの同名の詩から取られたものだろう。アホウドリは大空を自由に羽ばたくことができず、落下して地上で息絶えるのである。
刑務所のシーンと、男女の逃避行という物語から、フリッツ・ラングの『暗黒街の弾痕』を思い出す観客も少なくないだろう((女の役は、最初、ジェーン・フォンダがやることになっていたそうだが、モッキーはラング作品との血縁関係をひょっとして意識していたのか。しかしながら、ジェーン・フォンダが、名目上はドラッグの密輸ということになっているが、実際はおそらくベトナム反戦活動を理由に逮捕されてしまったので、彼女の役はマリオン・ゲームが演じることになった。))。逃走する男女の間にロマンチックな恋愛が最後まで成立しないところが救いのないところだが、それでも非常にロマンティックな印象を与える作品ではある。
モッキー作品の中では例外的に終始一貫してシリアスな映画であり、私が見た中では最高傑作の一つといってもいいかもしれない。必見。
ダリル・デューク『サイレント・パートナー』★★1/2
冴えない銀行の金銭出納係(エリオット・グールド)が、自分の銀行で強盗が行われることを偶然に知ってしまう。男はあらかじめ大金をバッグのなかに隠しておき、わずかに残しておいた金だけを強盗に手渡す。ニュースで発表された被害額が違っていたことを知った強盗はからくりに気づき、自分の愛人を男に近づけて探りを入れる。出納係は強盗の愛人と結託し、うまく出し抜いたつもりだったが、異常性格者と言ってもいい強盗はとても彼のコントロールできるような存在ではなかった……。
ラングの『スカーレット・ストリート』のエドワード・G・ロビンソンがもっとスマートで悪いやつだったらこんな話になっていたかもしれない、などとふと思わせる内容。 赤の他人であるはずの強盗とその被害者が実は共犯関係にある。それが「サイレント・パートナー」というタイトルの意味だ。冒頭の数分間で、強盗計画の存在や、誰が強盗なのかなど、諸々の状況を台詞による説明なしにほとんど映像だけでわからせてゆくところから引き込まれる。途中少しダレる気もするが、畳み掛けるように展開し、冒頭と同じく銀行強盗のシーンで終わるクライマックスの部分の盛り上がりは申し分ない。
クリストファー・プラマーの変質者ぶりは若干やりすぎの嫌いもあり、特に最後のところはちょっと引いてしまったが、強烈な印象を残すことは確かだ。『L.A.コンフィデンシャル』のカーティス・ハンソンが「製作補/脚本」としてクレジットに名を連ねていることも見逃せない。
ちなみに、これもクリスマス映画、というか、サンタクロース映画の一つである。
チャールズ・ヴィダー『生きてる死骸』(Ladies in Retirement, 1941) ★★
イギリスを舞台にしたゴシックサ・スペンス。
ふつうなら精神病院に入れられていてもおかしくない妹二人をかかえて、ひとりの女(エレン)がイギリスの寂しい一軒家に下宿しにやってくる。最初は愛想の良かった女主人も、妹二人の常軌を逸した言動に呆れ果て、三姉妹に下宿を出てゆくようにいう。行き場所を失ってしまうことを恐れたエレンは女主人を絞殺し、周囲の者には彼女は遠くに旅行にでかけたと偽る。そんな時、エレンの従弟と名乗る男が現れる。お調子者の一方で、平気でものをくすねたりする、裏の顔がありそうなこの男が、何かがおかしいことにすぐに気づき、女中を巻き込んで、この家で何が起きているのかを探り始める……。
「生きている死骸」というタイトルから想像されるようなホラーテイストはほとんどないのだが、『ジャマイカ・イン』をちょっと思い出させる(あれは海辺の宿だが)、靄の立ち込めた荒野に寂しくぽつんとある一軒家の雰囲気には、冒頭から惹きつけられる。物語の展開も悪くない。だが、正直言って、この内容ならもう少し面白くなったのではないかという気もする。 従弟役のルイス・ヘイワードははまり役だと思うが、エレン役のアイダ・ルピノは微妙にミスキャストに思えるし、もう少しエレンに視点を合わせてみせたほうがサスペンスフルだったのではないかとも思う。いかにも『市民ケーン』以後の作品らしく天井が常に見えている撮影や、パンフォーカスを強調するようなトリッキーなショットも、特に大きな効果は上げていない。
素材は悪くないのに、結果として作家性の感じられない平凡な出来になってしまったと言えばいいだろうか。『ギルダ』という素晴らしい作品を撮ってはいるが、作家としては微妙なこの監督らしい微妙な作品ということもできるかもしれない。とはいえ、見ておいて損はない作品である。
Dinu Cocea『無法者たち』(Haiducii, 1966) ★★
これも『ヴラド・ツェペシュ』と同じくワラキアを舞台にしたルーマニア映画。描かれる時代は『ヴラド・ツェペシュ』と違って18世紀だが、やはり国はオスマントルコ帝国の存在に苦しめられている。そこに、サルブとアムサという義兄弟の義賊が現れ、金持ちから奪った金銀財宝を貧しい者たちにばらまき始め、民衆の喝采を浴びる。しかし、金に執着する弟とのあいだに確執が生まれ、リーダーである兄は裏切られて警察に捕まってしまう。兄が牢屋に入っている間に、弟は兄の恋人を奪って自分のものにしてしまうのだが、やがて脱獄した兄は二人に復讐を誓う……。
たぶん、ヘンリー・キングがジェシー・ジェームズを描いた『地獄への道』あたりが下敷きになっているのではないかと思うのだが(「アウトローたち」を意味する "Haiducii" というタイトルを見るにつけても、西部劇を意識しているのではないか)、国定忠治だって似たような物語を提供しているし、どこの国にもある物語でもある。
マルトン・ケレチ『伍長とその他の者たち』(A tizedes meg a to¨bbiek, 1965) ★★
ハンガリー映画。
第二次世界大戦中、密かにためていた金を胸にぶら下げた手榴弾のなかに隠し、オートバイに乗って突如脱走を企てた伍長が、空き家だと思って入り込んだ一軒家の館には、シニカルな執事と、彼同様に戦場を逃げ出した者たちが潜んでいた。一癖も二癖もある彼ら(その他の者たち)とともに、伍長はその館の住人になりすまし、ナチやロシア兵が代るがわる闖入してくるたびに、身を隠し、演技をし、なんとか切り抜ける……。
ナチス・ドイツの次はソ連というぐあいに、いつも他国によって蹂躙されてきたハンガリーの状況を風刺した戦争コメディ。IMDb では 8.6 という驚くべきハイスコアがつけられているハンガリーの国民的人気映画であるが、一般にはほとんど知られていない。
15世紀のワラキア公国の君主、ヴラド3世、通称ドラキュラ公、またの名を「串刺し王」を描いたルーマニアの歴史映画。
ヴラド3世は、ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』のモデルの一人とも言われる。父親のヴラド2世がハンガリー帝国のドラゴン騎士団に属していたことから、「ドラクル Dracul」(ドラゴン公)と呼ばれていたために、息子のヴラド3世は「ドラゴンの息子」を意味する「ドラクラ Dracula」の名で知られるようになった。ドラゴンは聖書において悪魔と同一視されることが多かった。そこに、彼が行った串刺しによる残虐な処刑のイメージが重なり、さらには吸血鬼伝承も加わって、ヴラド3世は後世において悪魔の息子のようにみなされるようになってしまったというわけである。
ちなみに、「ヴラド・ツェペシュ」の「ツェペシュ」は、「串刺しにするもの」を意味するルーマニア語であり、正式な名前ではない。
もっとも、吸血鬼ドラキュラを愛するものたちにとっては、この映画はいささか肩透かしに思えるかもしれない。劇中、ドラキュラ公の名前の由来が脇役の一人によって語られるぐらいで、吸血鬼にまつわる伝説には一切ふれられはしないし、むろん、ヴラド3世が誰かの血を吸ったりする場面もないからだ。そもそも、彼と吸血鬼が結び付けられるようになったのは、死後のことであって、この映画は後世に生まれたそうしたもろもろの伝説にはほとんど関心を示していないのである。
この映画が描くのは、特権階級が弱者を搾取し、国をいいように操り、その結果弱体化して隣国の侵攻を許していたワラキア公国に、ヴラド3世という強烈な独裁者が現れ、強権によって特権階級を黙らせる一方で、大胆な策略によってオスマントルコやハンガリーなどの大国に打ち勝ち、国を統一してゆく姿である。スターリンのソ連が得意とした、英雄を礼賛する歴史映画(『アレクサンドル・ネフスキー』など)は、ソ連の衛星国といっていい共産圏の独裁国家においても数多く作られた。ニコラエ・チャウシェスクが独裁的に支配していたルーマニアも例外ではない。『ヴラド・ツェペシュ』もそうした作品のひとつといっていいだろう。実際、強欲なボヤールたち(中世ロシアやスラブ系諸国に存在した支配階級)を力で黙らせ、兵力では圧倒的に勝っている大国トルコなどを相手に一歩も引かないヴラド3世の活躍は見ていて気持ちいい。しかし一方で、この映画には、エイゼンシュテインの『イワン雷帝』などと同じように、単なるプロパガンダ英雄譚としては素直に見れない部分も多々ある。
この映画はチャウシェスクの要請によって作られたという話も聞くが、それが本当ならば、彼はこの映画を見てどう思ったのだろうか。たしかに、吸血鬼伝説には一切ふれられていないとはいえ、ヴラド3世の異常なほどの残酷さはこの映画の随所に描かれている。乞食や障害者たちを無料で宴に招き、彼らが酩酊状態で、「ドラクラ公、万歳」などと叫んで大騒ぎしているところを見計らって建物の戸口を全部閉め切って火を放って焼き殺す場面や、とりわけ、串刺しにされた自国の兵士たちの死体が平原一面に墓標のように立ち並んでいるのを、トルコ軍のメフメト2世が目にし、恐れをなして撤退する場面は、一度見たら目に焼きついて放れない(もっとも、串刺しにする様子自体は一度も描かれないのだが)。
これを見て素直に喜んでいたとするなら、チャウシェスクの狂気も相当なものである。それにしても、これを作った監督はいったいどういうつもりでこうした場面を撮っていたのだろうか。『イワン雷帝』のようにひそかにそこに独裁者に対する批判を忍び込ませていたのか。それとも、そんな意識などまったくなかったのか。
とにもかくにも、陰謀渦巻く歴史物語として、この映画はなかなかの魅力を備えていると言っていい。ただ、この当時の国同士の関係や社会・文化をあらかじめ多少予習しておかないと、わかりにくい部分が多いことも確かである。
IMDb の高い評価を見ると、この作品はルーマニア人にとってはおそらく国民的な映画の一本といっていいのかもしれないが、それにしては情報が少ないので、正直、よくわからいことが多い。これも IMDb によると、この映画には134分版と114分版があり、一見、たんなる完全版と短縮版のち外のように思えるのだが、なぜだか監督の名前が違う。これもよくわからないことのひとつである。
なかなか書いている余裕がなくて、全然まともに更新できてない。 ただのメモだけれど、 とりあえず穴埋め的に、最近見たいくつかの映画について少しばかり書いておく。
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『イメージの本』★★★
『幸福なラザロ』★★★
『ハイ・ライフ』★★1/2
『ハロウィン』★★1/2
『ワイルド・ツアー』★★
『マケドニアの婚礼』★★
『アルキメデスのハーレムのお茶』★★
『チャイナ9、リバティ37』★★
『Courte-te^te』★
ジャン=リュック・ゴダール 『イメージの本』(Le livre d'image)
画面オフから荘重な調子で何やら喋っていたゴダールが、突然わざとらしくゴホゴホと咳き込むシーンがとても好きです。
アリーチェ・ロルヴァケル『幸福なラザロ』(Lazaro Fellice)
純粋さ故に一見愚かにも見える一人の人物を通して人間社会の嘘や偽善、愚かさを描き出してゆく、昔からある〈愚者の物語〉のヴァリエーションと言っていい作品。閉鎖的な村を舞台に貴族と貧しい小作人たちの生活を描く前半とは一転して、後半、リップヴァンウィンクルめいた驚きの展開を経て、物語が思いもかけなかった方向へと転がりだしてゆくところが面白い。
Traj?e Popov『マケドニアの血の婚礼』(Makedonska krvava svadba, 1967)
Vojdan Chernodrinski による同名戯曲を映画化したユーゴスラビア映画の古典。オスマン・トルコ帝国の暴君によってマケドニアの美しい農民の娘が誘拐されたことをきっかけに起きる農民たちの蜂起を悲劇的に描いた作品。
メディ・シャレフ『アルキメデスのハーレムのお茶』(Le the´ au harem d'Archime´de, 1985)
自身による自伝的小説をメディ・シャレフが自ら映画化した作品。学生の頃に関西日仏学館で一度見ただけだったが、パリ郊外の荒んだ若者たちの姿や、ラストに出てくる港町ドーヴィルの荒涼とした風景はずっと記憶に残っていた。今となっては、こういう郊外の描写はクリシェとなってしまったし(『憎しみ』など)、アラブ系の住民の置かれた社会的にマージナルな位置も目新しいものではない。しかし、藤田敏八の青春映画をどことなく思わせるタッチで描かれるフランス人青年とアラブ系2世の若者(beur)の屈折した友情はなかなか説得力があるし、久しぶりに見直したが新鮮さは思った以上に失われていなかった。ちなみにフランス語の原題は「アルキメデスの公理」(le the´ore`me d'Archimede) をもじった地口であろう。
ノルベール・カルボノー『Courte-te^te』(1956)
批評家時代のゴダールが短く言及している作品で、高く評価する人も少なくない作品だが、陳腐なコメディにしか思えなかった。ヴォルテールの同名小説を現代に移し替えて描いた『カンディード』のほうがまだ野心的でみどころがある。
モンテ・ヘルマン『チャイナ9、リバティ37』(China 9, Liberty 37)
実際にある地名から発想されたというユニークなタイトルを持つ西部劇。鉄道会社に土地を売ろうとしない住人(ウォーレン・オーツ)と、彼を殺すべく鉄道会社から雇われた殺し屋との関係を描く。
西部劇らしい撃ち合いや、決闘の場面もあり、『銃撃』などと比べるとかなり因習的なイメージを与える作品であるが、ミニマルな構成や、わかりにくいジョークの数々、西部劇の登場人物を冷めた目線で見ている西部作家の存在(サム・ペキンパーが演じている)など、興味深い点は多々ある。
神戸映画資料館でのハワード・ホークス特集の宣伝がてらにツイッターでつぶやいていた「ハワード・ホークス讃」を、いくらか書き足した上でまとめました。
ホークスが持っているコメディのタイミングの才能は、他の追随を許さない。[…]『ヒズ・ガール・フライデー』の、ケイリー・グラントとロザリンド・ラッセルが丁々発止とやりあう会話でのタイミングの素晴らしさは、「タイミング」とは一体なんであるかを学ぶために、あらゆる映画監督、映画を学ぶあらゆる学生に、見せられてしかるべきであろう。
サミュエル・フラー
((第二次大戦が始まろうとしていたころ、フラーが新聞人について書いた小説『暗いページ』にホークスは興味を示し、エドワード・G・ロビンソンとボガート主演で映画化するために権利を買い取る。例によって、ホークスは原作の男性主人公を女性に変えて映画にするつもりだった。しかし企画は実現せず、フラーの知らないあいだに小説の権利はよそに転売されてしまう。ちなみに、『最前線物語』には、第二次大戦中、戦地で仲間がこの小説を読んでいるのを見て、それは自分が書いたのだと言うが、信じてもらえなかったという、フラー自身が体験したエピソードが出てくる。))
明白さは、ホークスの天才の印である。『モンキー・ビジネス』は天才の映画であり、その明白さによって有無を言わさず見る者の精神を納得させてしまう。[…]すべてのホークス映画がまず第一に美に対して捧げるものはやはりその肯定をおいてほかにはない。ひるむことも後悔することもなく、ただ静かに自信を持って行う肯定の身振りのほかにはない。ホークスは歩くことによって運動を明らかにし、呼吸によって生を明らかにする。在るものは在るのである。
ジャック・リヴェット
ハワード・ホークスの映画を心の底から愛せない者には、どんな映画であれ心の底から愛することはできない。
エリック・ロメール
ホークスについてわたしが非常に面白く感じることは、ああした全てのインタビューの中で、彼はインテリたちを批判し、小言をいっていることだが、わたしの意見では、 ホークスはアメリカの映画作家のなかで最も知的な一人だ。[…]かれは本能的な映画作家ではない。やることすべてに考えをめぐらしていて、すべては考え抜かれている。だから、いつかは、誰かが、彼自身の意志にもかかわらず、彼はインテリであり、彼はそのことを受け入れねばならないと伝えなくてなはならない。
フランソワ・トリュフォー
彼は監督そのものに見え、監督のように振る舞い、監督のように話した。それに彼はすごい監督なのだ。
ドン・シーゲル
ハワード・ホークスは映画史上最高のストーリーテラーだ。そしてたぶん最高のエンターティナーだ。一本をのぞいて、ハワード・ホークスがわたしを失望させたことは一度もない。
クエンティン・タランティーノ
きみたち「カイエ」と違って、わたしは『ハタリ!』が好きじゃなかったが、ホークスの何本かの作品は大好きだ。たとえば、最新作の『男性の好きなスポーツ』とかね。あれは、賢い老人によって撮られた、若さと優雅さに溢れた映画だ。
ベルナルド・ベルトルッチ((『革命前夜』には、「アゴスティーノ! 『赤い河』を見に行くんだぞ。見逃すな!」という台詞が出てくる。))
ホークスは素晴らしい監督だが、反動的な人間だと私は信じている。少なくとも彼の人生においてはだ。ところが人は、そのことを彼が作る映画のなかでは感じないし、彼と一緒に仕事をするときも、そんなことはこれっぽちも感じられないときている。
ジョン・ヒューストン((まだ監督デビューする前だったヒューストンは、ホークスの『ヨーク軍曹』で、ハワード・コッチらとともに脚本に参加し、当時存命中だったヨークに取材するなどして、この映画の方向性を決める上で重要な役割を果たした。))
ハワード・ホークスはアメリカで最高の映画監督だと思う。わたしは彼以外に、あらゆるジャンルで名作を作った監督を知らない。批評家たちはマックス・オフュルスとオーソン・ウェルズのワン・カットの移動撮影のことを言うが、1932年という早い時期に作られた『暗黒外の顔役』のワン・カットで処理された驚くべきオープニング・ショットのことには、ついぞ触れようとしない。笑いのタイミングの巧さときたら、ホークスの右に出るものはない。納得がいかなければ『ヒズ・ガール・フライデー』を一目見るだけでいい。ハワード・ホークスこそ、文字通りアメリカ映画を作り上げた男だとわたしは思う。彼はわれわれ自身、われわれのありようとあり方を、われわれに見せてくれたのだ。
ジョン・カーペンター
ハワード・ホークスは、現在のアメリカの最も偉大な映画作家の数人のうちに数えられるであろう。少なくとも『黒い罠』(これは『市民ケーン』よりはるかにすぐれている)のオーソン・ウェルズや、『サイコ』のヒッチコックより劣ることはない。ニューヨーカー劇場の特集で、再び彼の映画を9本見て、私は以上のことを確信した。ホークスの『空軍』一つを考えてみても、エイゼンシュテインの『アレクサンドル・ネフスキー』よりはるかに素晴らしい。『空軍』の澄み切った美しさに比べると、『ネフスキー』はオペラのように作為的で、大げさである。
ジョナス・メカス
彼は人間というものを知り尽くしていた、とわたしは思う。心の奥底にあるものを。
マイケル・パウエル
この〈古典的な〉、という観念がいかに相対的なものかを理解するには、アメリカの最も偉大な作家の歩んだ道を考察すればことたりるのだ。その作家とは、ハワード・ホークスである。『コンドル』の芸術から『ヒズ・ガール・フライデー』の、『三つ数えろ』の、さらには『脱出』の芸術に至るまで、われわれはそこに何を見るか? 分析への傾向が確固たる姿をとること。視線の動きや、歩く様子に付与されるあの人工的な偉大さを愛すること。簡単に言えば、つまり、映画が自分の誇りとしうるものをだれよりも愛し、そしてその誇りを鼻にかけてアンチ・シネマに興じたりせず(この点に関しては、『マクベス』を作ったオーソン・ウェルズ、『田舎司祭の日記』を作ったロベール・ブレッソンを断罪したい気持ちだ)、逆に、映画の限界を厳密に知りぬいた上で、その本質的な法則を定めることではないか。
ジャン=リュック・ゴダール
僕が大好きな作品に、 ハワード・ホークスが監督した『ヒズ・ガール・フライデー』という映画があるんです。戯曲の映画化なんだけど、脚本は180ページにもわたる長さなのに、映画自体は92分なんです。なぜなら、役者たちの話すスピードが、ものすごく速い。現代の役者にはできないんじゃないかというくらい。こちらが一度ペースを定めてしまえば、観ている人はついてくる。そう教えてくれたこの映画を、常にモデルとしてきました。小津安二郎やヴィム・ヴェンダースみたいに、静かでゆったりとした映画ももちろん好きですけど、僕の映画やコメディの場合は、速いほうがしっくりくるなと思います。
ウェス・アンダーソン
「ある出来事の本質が、行為の2つあるいはそれ以上の要素の同時的な提示を必要とするときは、モンタージュは禁じられる」
これは、アンドレ・バザンが「禁じられたモンタージュ」論((『映画とはなにか II』(美術出版社)))のなかで提示した名高いテーゼである。同時に起きている2つの(あるいはそれ以上の)出来事を、モンタージュによって2つに分けて見せてしまったとき、物語は現実性(レアリテ)を失ってしまうだろう。たとえそれがフィクション映画であったとしても、このテーゼは当てはまる。いや、フィクションであるならなおのこと、観客がその物語を信じることができるためには、そのようなレアリテが必要となるのであり、文学などと比べたとき、映画の本質は他ならぬその点に存するのである(バザンがこの論文で問題にしているのは、そもそも、いささか現実離れしたラモリスのフィクション映画『赤い風船』と『白い馬』なのだ)。
もっとも、バザンはモンタージュをすべて否定していたわけではない。ただ、 映画にはどうしてもショットを分けてはならない、分けてしまえば それが映画として作られた意味を失ってしまう瞬間があると言っているだけである。このテクストの中でバザンは、『禿鷹は飛ばず』という「平凡な」イギリス映画につてふれ、そのなかに出てくる、両親と子供とライオンを一つのフレームの中に捉えたショットに感銘を受けたことを語っている。そのたった一つのショットが適切な場所に置かれているだけで、その前後の、子供とライオンを別々に撮ってそれをモンタージュ(というトリック)によって、あたかも2つが同じ空間にあるかのように見せている部分さえもが生きてくるのだと、バザンはいう。
このような文脈で見た時、ノエル・マーシャル監督が、当時結婚していた女優ティッピー・ヘドレンとかれらの子供たち(その中には若きメラニー・グリフィスも入っている)、家族全員参加で作り上げた動物パニック映画『ROAR/ロアー』((公開時のタイトルは「ロアーズ」。))は、バザンの「禁じられたモンタージュ」をある種の臨界状態において実現してしまった映画だと言っていい。
アフリカ((この映画は、いかにも全編アフリカでロケーション撮影されたように見えるが、実は、ほとんどのシーンがカリフォルニアで撮られたものだった。マーシャル一家は、この頃カリフォルニアで動物たちに囲まれて暮らしていたのである。))のサバンナで野生のライオンたちに囲まれて暮らしている父親のもとに、遠く離れた都会で暮らしていた妻と子供たちがやって来る。家族が来たことを知らない父親をかれらが家で待っていると、無数のライオンたち(なかにはトラも)が玄関や窓から入り込んでくる。だれもがパニックになって逃げまどうが、天井の開口部からもすでにライオンたちが中を覗き込んでいて、どこにも逃げ場はない。そうこうするうちに部屋の中はライオンだらけになってしまい、彼らは無数の野獣たちに囲まれてほとんど押しつぶされそうになる。まるで『マルクス兄弟 オペラは踊る』のエレベーターのシーンのようだ。
驚くべきなのは、これら一連のシーンが、CGはもちろん、モンタージュさえ用いることなしに、撮影されていることである。ティッピー・ヘドレンやメラニー・グリフィスたちは、代役を使うことなく、ほぼ終始一貫、ライオンやトラたちと同一の画面のなかに捉えられ続けるのである。今ならこんな危険な撮影は到底考えられないだろう。ある程度は予想しながら見たのだが、それでもわたしはあり得ない光景に最後まで呆気にとられたまま見終わった。まったく狂気の沙汰だ。
無論のこと、ノエル・マーシャルを始めとしてこの一家のものたち全員は、動物たちと時間をかけて関係を築いてきたのだろうし、この映画の撮影も何年もかけて行われたという。しかし、それにしてもである。
「この映画の中では、動物たちは一匹も傷付けられていません」というこの映画の冒頭に出てくる字幕は、動物が出てくる映画ではお馴染みのものである。たしかに、撮影中に傷ついた「動物」はいなかったかもしれない。しかし俳優やスタッフのほうは怪我人が続出したという。実は、この映画の撮影をしているのは、オランダ出身のキャメラマン、ヤン・デ・ボン(のちに『スピード』を監督する)なのだが、かれがこの映画を撮影中にライオンに頭を咬まれて瀕死の重傷をおったことは今や伝説になっている。
「禁じられたモンタージュ」のなかでバザンはチャップリンの『サーカス』についてもふれ、そのなかでチャップリンがライオンの檻の中に閉じ込められるシーンについて言及している。ここでもまたライオンである((「禁じられたモンタージュ」でバザンが取り上げているのは、ナヌークとセイウチや、『ルイジアナ物語』のワニといった具合に、多くは動物と人間を描いたシーンに関係していることは注目に値する。))。バザンが夢見ていたことを実現してしまったかのようなこの映画『ROAR/ロアー』を見ていると、映画のユートピアを目にしているような気さえしてくる。しかしその一方で、この映画にはバザンのパロディを見ているように思えてくる瞬間も少なくない。「カイエ・デュ・シネマ」がこの映画を紹介するにあたって「スナッフ・ムーヴィー 」という言葉を使っていることは頷ける((この映画にはこれといった物語もなく、だらだらと見せ場が続いていくだけという意味でも、この指摘は当たっている。もっとも、この作品はしばしばホラー映画として語られもするのだが、見ていて受ける印象は、恐怖からは程遠い。そもそも登場人物たちが、パニック状態になりながらも、一向に怖がっているように見えないのだ。))。映像を現実に根付かせるはずの「禁じられたモンタージュ」が、胡散臭い見世物性を引き寄せてしまうとは、なんとも皮肉な話である。
ティッピー・ヘドレンは、母親役として果敢な演技を見せているだけでなく、作品のプロデュースもしている。嘘のような数のライオンに囲まれた彼女を見ていると、この映画全体が、彼女が約20年前に主演したヒッチコックの『鳥』のパロディではないかとも思えてくる。どこまで意識してやっていたかはわからないが、ライオンたちに占拠されてしまった家をあとにして、一家が音を立てないようにしてそっと抜け出すラスト間近のシーンなど、『鳥』の最後を思い出さずにはいられない。この点でも、これは見逃せない作品である。
終戦直前に撮られた国策アニメ映画。キャラクターが全部動物の姿で描かれる中、ただひとり人間の格好をした桃太郎が、仲間たちを連れて飛行機で東南アジアらしき土地にやってきて、戦闘訓練をする傍ら、現地の動物たちに文字を教えたりする(これは侵略戦争ではなく、民族開放のための戦いなのだ)。やがて彼らは玉砕覚悟で戦線に赴くのだが、無論、子供の観客を想定したこのアニメでは、「玉砕」というあからさまな言葉は使われないし、結局、敵も含めて誰ひとり死ぬものはいない。内容はともかく、アニメの完成度としては、動画の動きの滑らかさやダイナミズムなど、同時代のディズニーのアニメと比べても遜色ないどころか、むしろ優れているようにさえ思える。
フライシャー兄弟が戦時中に撮った「ポパイ」の一編で、ポパイが海兵として参戦し、全員メガネを掛けた出っ歯の日本人たち(当時、日本人を侮蔑的に描くときのクリシェ)と戦うアニメがあるが、あれと同時上映すれば面白いかもしれないなどと考えながら見ていたら、最後に降伏する米兵たちの中にほんとにポパイが混じっていたので、思わず笑ってしまった。
『極北のナヌーク』でフラハティは、当時すでに銃を用いていたイヌイットに、あえて銛を使って狩りをさせた。ドキュメンタリー映画の歴史はこの〈嘘〉とともに始まる。『アラン』の島民たちは、自分たちの先祖がどうやってサメを獲っていたのかを知らなかった。彼らは映画を撮るにあたって初めて教えてもらったそのやり方で、カメラの前でサメを獲ってみせたのである。『モアナ』のクライマックスに描かれる入れ墨の儀式も、この島ではとっくに行われなくなっていたものだったという。フラハティのこのような手法は、真実を描くはずのドキュメンタリーにおいては〈ヤラセ〉と言われても仕方がないものだろう。しかし、ジャン・ルーシュ(彼はジガ・ヴェルトフとフラハティという対極にあると言っていい2人のドキュメンタリー作家を自分の師であると認めていた)が繰り返し強調したように、シネマ・ヴェリテが〈真実の映画〉ではなく、あくまでも〈映画の真実〉であるとするならば、フラハティのドキュメンタリーもまた、シネマ・ヴェリテであったのだ。
『極北のナヌーク』の極寒の世界とも、やはり島の暮らしを描いた『アラン』の厳しい自然とも異なる、タブーなきまったき楽園((フラハティがムルナウと共同監督した『タブウ』は、「楽園」「失楽園」という2つのパートに截然と分けられていた。))を描いた『モアナ』は、フラハティ作品の中で最も幸福な瞬間に満ちた映画であると言っていいだろう。
覚書。
『無防備都市』は最後に見たのがいつだったか全く思い出せない。それくらい久しぶりだったのだが、改めて今見るとまるでフリッツ・ラングの映画の活劇を見ているようなところがあって、「ネオリアリズム」なんてものには簡単に収まりきらない映画だったのだなと、新しい発見が多々あった。上映プリントがあるなら神戸映画資料館の連続講座で取り上げたいものだが。
リメイクで話題の『サスペリア』もずいぶん久しぶりに見直したが、やっぱり面白い。冒頭の空港の自動ドアが開くと外は大雨というシーンからもうハッタリしかないって感じなのだが、ハッタリだけでこれだけ見せられるというのは大したものだと思う。
『愛と怒り』も久しぶりに見直した。教室での政治的ディスカッションをひたすら演劇的に描いたベロッキオ篇もなかなか面白かったが、やっぱりゴダール篇が一つ飛び抜けている。正直、全く忘れていたのだが、こんなに素晴らしい作品だったとは。
ベイジル・ディアデンの『兇弾』は、スコットランドヤードの日常と無軌道な若者たちの犯行を並行して描く英国版『探偵物語』(ワイラー)のような作品。若き日のダーク・ボガードを除くと顔なじみの俳優はほとんど出ていず、犯罪者にも警察にも、際立った人物は出てこない。アンソニー・マンの『T−メン』のようなセミ・ドキュメンタリー・タッチに近いものがあり、冒頭のナレーションなどまるで教育映画のようだ(もっとも、ナレーションが出てくるのは最初だけだが)。この地味さが、この映画の長所でもあり短所でもあるといってもいい。同じスコットランドヤードを描いた映画ということで、ジョン・フォードの『ギデオン』とつい比べてしまうのだが、無論フォードの偉大さには遠く及ばない。ディアデンならば他に好きな作品がもっとある。
『マッドボンバー』はある種カルト的人気のある映画。連続爆破魔逮捕につながる唯一の手がかりとして、警察が連続レイプ犯を追うという、なかなかの色物で、まあ、面白くなくはないのだが、チャック・コナーズ、ネヴィル・ブランドらの怪演を除くと、正直いささか単調。
第一次大戦前のイタリア映画は、ハリウッドにさえ負けていないどころか、その先をいっていた。アメリカ映画がまだ一巻ものの作品ばかりを作っていたとき、イタリアでは数巻よりなる長編映画が撮られていたのである。ジョヴァンニ・パストローネの大作『カビリア』(1914) が、まだ『イントレランス』に着手する前のグリフィスに多大な影響を与えたことは映画史の常識に属する事実である。1909年に、イタリアは、世界で最初の映画祭なるものを発明さえしていた。世界的に見てもイタリアは映画の最前線にいて、その短い絶頂期を迎えていたのである。
しかし、この頃イタリアで作られていたのは『カビリア』に代表されるような史劇の大作だけではない。大詩人であり、当時の人気作家であったガブリエーレ・ダンヌンツィオが官能的なスタイルで恋愛を描いた作品が次々とスクリーンに脚色され、〈ダヌンツィオ主義〉などと呼ばれて人気を博していた。1911年には6本ものダヌンツィオ作品が映画化されている(そのうちの一本『イノセント』は後にルキノ・ヴィスコンティによって再映画化されることになるだろう)。そして、これらの作品で〈運命の女〉を演じた女優たちは〈ディーヴァ〉(女神)の名で呼ばれ、そこからハリウッドの〈スター・システム〉に相当する〈ディヴィズモ〉なる言葉も生まれた。 史劇『ポンペイ最後の日』でも知られるマリオ・カゼリーニが監督した『されどわが愛は死なず』は、ダヌンツィオを原作とする作品ではないが、これもまたダヌンツィオ映画の系譜に属する作品であり、ヒロインであるエルザを演じた女優リダ・ボレッリは、イタリア映画における最初のディーヴァであると言われている。彼女がこの映画で見せる苦悶の表情や、両手を大きく差し出し体をくねらせる悲しみの仕草は、これ以後次々と現れるフランチェスカ・ベルティーニ,ピナ・メニケッリ,マリア・ヤコビーニなどのディーヴァたちの演技の原型となるものだった((興味深いことに、ディーヴァたちのこうした身体演技は、シャルコーらが研究したヒステリー患者のみせる身体の動きと類似していることがしばしば指摘されてきた。))。
大事な軍事機密書類をスパイによって盗まれてしまった責任をとって父親が自殺したあと、自らも国を追われることになった令嬢エルザは、歌手となって舞台の上で第二の人生を始めるが、異国でそれと知らずに故国の皇太子と恋に落ちる。しかしそのことが大公国に知られてしまい、2人は引き離されてしまう。失意と自己犠牲の精神から舞台上で毒を飲んだエルザのもとに皇太子が駆けつけ、瀕死の彼女に「私の愛は死なない」と囁きかける……。
とまあ、要約すると物語はこんなふうになると思うが、実のところ、この映画においてストーリーはさして重要ではない。少なくとも、当時の多くの観客にとって、ディーヴァ映画の物語はディーヴァたちの演技を見るための口実に過ぎなかった。この映画では、ほとんどの場面が固定ショットの長回しによって撮られている。当時の映画の標準に比べても、この映画のショット数は少ないように思えるが、これは、女優リダ・ボレッリの演技を堪能するためには至極もっともなスタイルであったと言えるだろう。劇場の楽屋に置かれた三面鏡は、画面手前のフレーム外の出来事を画面奥に反射してみせるだけでなく、リダの仕草をあらゆる角度から観客に見せる視覚装置としても機能している。
この映画ではショットの数が少ないだけでなく、中間字幕の数も極めて少ない。編集よりも演技に、動作よりもポーズに重きが置かれ、観客はしばしば、物語上なんの新しい情報もない場面をしばらく見続けることになる。リダが駅のホームにおかれたテーブルで、おそらく皇太子への別れを告げる手紙を書いている姿を数分間に渡って長回しで撮り続けた名高いシーンでは、説話上においてこの行為が意味するもの以上に、手紙を書く彼女の顔の表情の変化や、涙を流し、両手で顔を覆い、そして、一瞬の決意から涙を振り払うといった身体の演技を観客に見せることこそが、重要だったのである。(とはいえ、おもに上流階級の家庭を舞台に、手の届かないところにいる存在であるディーヴァ(女神)たちを描くこうした映画が、中産階級の観客にとって心地よい逃避の空間となっていたという社会的側面は忘れるべきではない。)
多くのディーヴァたちと同じく、リダ・ボレッリも、映画デビューする以前にすでに舞台で活躍していた大女優だった。観客は、映画のヒロインであるエルザではなく、女優リダ・ボレッリを見に映画館にやってきたといったほうがいい。そもそも、エルザとリザの境界は、この映画では至極曖昧なものになっている。とりわけ、後半、彼女が女優=歌手として活動し始めるようになってから、その境界線はますますぼやけてゆく。服毒自殺するエルザは、『椿姫』のマルグリット・ゴーチエを演じながら死んでゆくのだが、この美しいラストシーンで観客が眼にするのは果たしてエルザなのか、リダなのか。更にいうなら、この場面で彼女に寄り添う皇太子も、まるで『椿姫』のアルマンのように振る舞っている。ついでながら、この最後の芝居をボックス席から(?)皇太子が見ているショットにおける、フレーム・イン・フレームの構図も素晴らしい。ここでは、画面手前の暗さが舞台の明るさを強調し、彼はまるでスクリーンの映像を見ているようにも見える。(ちなみに、この場面で演じられているのはピエール・ベルトンの『舞姫ザザ』((ジョージ・キューカーが映画化している作品。))だとする解説もあるのだが、映画の画面の中には手がかりらしきものがあまりないので、どちらが正しいのか判断しかねる。)
この作品を皮切りに、1910年代の後半まで数多く作られたディーヴァの映画は、1920年代に入るとぱったり作られなくなってしまった。
(ダニエル・シュミットの映画の1シーンに出てきてもおかしくない船上のショット)
別に忙しかったわけでもないのだが、あまり書く気になれなかったのでしばらく更新できていなかった。最近見て印象に残った映画についてメモ書き程度に記しておく。
『城砦』はヴィダーの中ではどちらかというとマイナーな作品に分類されている映画だと思うが、全然悪くなかった。フォードの『人類の戦士』(31) などが切り開いた医学ものの流れをくむ作品の一つである。実はイギリス映画。実在の人物を描いた映画ではないけれど、内容的にはウィリアム・ディターレが得意とした偉人の伝記映画などに近い。新しい発見をした科学者が周囲の無知に苦しめられるというのはディターレの伝記映画などでもお約束の展開だが、患者の無知につけこんで金儲けをすることしか考えていない医者たち(レックス・ハリソン)を通して、医学の腐敗を描いているところはこの時代としてはかなり踏み込んでいたはず。
内田吐夢の『警察官』は前々からずっと見たかった作品。今回、京都ヒストリア映画祭でようやくその夢がかなった。小津安二郎の『非常線の女』と同じ年に撮られたサイレント映画だが、むしろ同時代のフリッツ・ラングの『M』などと比較したくなる作品である。それどころか、この映画は同時代の世界の映画と比べても一歩先をいっていた感がある。画面のはるか奥から一台の車が走ってき、カメラの前で警察の検問に引っかかる冒頭のファースト・ショットからドキドキさせられる。車の後部座席に乗っていた何やら怪しげな男と車の窓から覗き込む検問の警官が、実は学生時代の親友であったことがわかるところから、物語は動きだす。隠れゲイ映画という説もあるらしいが、普通に見れば、『男たちの挽歌』や『インファナル・アフェア』といった、男たちの絆をいささか過剰に描いた香港ノワールを思わせる内容である。夜の闇にポツリと浮かび上がる派出所を俯瞰から捉えたショットや、建物を間に挟んで画面の奥に見え隠れする人物を横移動で捉えるトラベリングなど、忘れがたいショットが多々ある。クライマックスの屋根を使ったアクションはまるで時代劇のように撮られているし、バイクの使い方にもびっくりした。この時代にこんなフィルム・ノワール的な現代劇が日本で撮られていたことに、本当に驚かされた。
しかし、ここ最近の最大の映画的事件といえば、やはり、オーソン・ウェルズの『風の向こう側』の公開だろう。未完のままだった幻の作品(未完であることはウェルズの映画の本質であると言う人さえいる)がついに公開される。たしかに、これは待ちに待った瞬間であるはずなのだが、同時に、なんとも言えないもやもやした気分もつきまとう。果たしてこの完成版はウェルズが思い描いていた通りのものであるのだろうかという疑念が一つにはあるし、さらには、この映画がネットを通してのストリーミングという特殊なかたちで公開されてしまったということもある。 ヘミングウェイやレックス・イングラム、そしてもちろん演じるジョン・ヒューストンやウェルズ自身も幾分は投影されているだろう一人の映画監督が、ドン・キホーテよろしく映画製作に悪戦苦闘する姿を、ディオニュソス的な狂騒として描くこの映画の、概要だけでも提示するのは一苦労するにちがいない。ヒューストンがやおらライフルを手にしてマネキン人形を撃ち抜いてゆくモノクロ画面に、色とりどりの花火が空に打ち上げられる夢のようなカラー画面が続く、ラストの数10分間はとりわけ必見であるとだけいっておく。 『警察官』と『風の向こう側』については、いずれまた機会があれば、もう少し詳しく論じてみたい。
タイ映画、といってもアピチャッポンの映画のように型破りで、作家性に溢れている映画ではないし、アノーチャ・スイッチャーゴーンポンのように実験的な作品でもない。タイの映画がみなアピチャッポンのような作品ばかりだと思ったら大間違いで、彼は例外中の例外でしかない。トンポン・シャンタランクン("Tongpong Chantarangkul" 適当に読んでみたが、正確な発音は知らない)監督のこの長編デビュー作も、そういう意味では、ごくごく慎ましやかな作品ではある。しかし、決してつまらない映画ではない。
病院のベッドに横たわる女性の全身を真上から捉えたショットで映画は始まる。やがて遺体は、2人の娘に付き添われて救急車で遠い自宅まで一晩かけて運ばれることになる。こうして、母親の遺体と2人の娘と車の運転手の計4人をのせたドライブがロード・ムーヴィーふうに描かれてゆくのだが、セリフは極端に少なく、観客は台詞の端々や、一見無作為にときおり挿入される短いフラッシュ・バックから、様々なことを推測していくしかない。 妹のパンはバンコクに叔母と住んでいるが、姉のピンの方はずいぶん以前にタイを出てシンガポールに移り住んでいて、母親の死をきっかけに数年ぶりにタイに帰ってきたらしいことはすぐに分かる(その間、彼女は家族と音信不通だったらしく、母親の名前が変わっていることさえ知らない)。彼女が一人異国の地に住んでいる真の理由が明らかにされるのも、ようやく映画の終わり近くになってのことだ。 母親の死を通して、疎遠だった姉妹が再会し、最初はぎこちなかった二人の関係が、旅のなかで次第にうちとけてゆく。死をきっかけに家族が再会するというドラマなら今どき珍しくもない。もっとも、ここには父親は登場せず、肝心の母親との関係もほとんど描かれず、もっぱら姉妹の関係ばかりが描かれているという意味でも、この映画はこじんまりとした印象を与える。
しかし、そんなウディ・アレン的というか、ベルイマン的な、人間ドラマの部分以上に面白いのは、この映画にはいかにもタイらしい生者と死者との奇妙な関係のあり方が描かれていることだ(この部分に関してだけは、アピチャッポンの映画との共通性を感じる)。 母親の遺体を運ぶ救急車(そもそも救急車で遺体を運んでいるのが不思議なのだが)のなかで、娘たちは死んだ母親に向かって、「ママ、次、車は左に曲がるよ」、「ママ、〇〇橋を渡るよ」などと話しかけ、道中、死者に欠かさず道案内を続ける。一度などは、母に道を教えるのを忘れてしまったと言って、狭い道で危険を犯してまでわざわざ車をバックさせてちょっと引き返しさえするのだから驚く。車が家に近づいてくるにつれて、娘たちが母親に話しかける内容も、「ほら、ママのお気に入りのバイク屋だよ」などと、死者の生前の生活を感じさせるリアルなものに次第になっていくのがいい。おそらく、タイにはこういう風習があるのだろう。なんとも奇妙な喪の儀式である。 タイトルの "I carried you home" の "you" とは、むろん、死んだ母親のことを指すのだろうが、母親の死をきっかけに、何年も故郷を離れていた姉が帰郷することを考えるならば、死んだ母親が姉を家に連れて帰ったということもできる。そういう意味では、これは二重の意味で "going home"〈帰郷〉の映画なのである。
ジョージ・キューカーはいまだに未知の作家であると言っていい。彼には批評家からもなかば無視されている傑作がまだまだ山ほどある。『The Marrying Kind』『女の顔』『チャップマン報告』などなど。そして、この『息子、エドワード』もそんな傑作の一つであると私は思う。もっとも、一般には、この作品もほとんど評価されておらず、あるフランスの映画本には「おそらくキューカーが撮った最もできの悪い作品」とさえ書かれている。キューカーにはよくあることだが、冒頭の数分を見ただけで、これも戯曲が元になっていることはすぐに分かるだろう。しかし、それはこの作品が映画的でないことをいささかも意味しない(キューカーにおける演劇と映画の関係については一度じっくりと考えてみたいと思っている)。スペンサー・トレイシーとデボラ・カーの間に息子エドワードが誕生するところから映画は始まり、夫婦の関係が次第に険悪となってゆくさまを映画は描いてゆくのだが、常に話題の中心にいる息子エドワード(しかも作品のタイトルでもある)が、最初の赤ん坊時代を除くと、ついに最後まで一度として画面に登場しないというのが斬新だ(『女たち』における男=夫たちの存在を思い出させる演出)。しかし、これもおそらくもとの戯曲のとおりなのだろう。『激怒』の主人公役を少し思い出させるこの映画のスペンサー・トレイシーは、なにかに取り憑かれたように生きている男を演じていて、相変わらず素晴らしい。ただ、妻役のデボラ・カーの髪が白くなってからの老けメイクはいささか浮いていて、彼女の演技も後半ちょっとわざとらしさが目立つ。
同じくキューカーの『Her Cardboard Lover』は、『わが息子、エドワード』とは対照的な軽い恋愛コメディーなのだが、面白いというよりは滑稽と呼ぶべき作品で、正直、あまり野心の感じられないいささか平凡な内容に思えた。とはいえ、そこはさすがにキューカー作品だけあって、注目すべき点は少なくない。たとえば、偽の恋人 (cardborad lover) であるロバート・テイラーを部屋から追い出したノーマ・シアラーが、ベッドの上からすぐさまジョージ・サンダースに長電話する(実は電話に出ていたのは声色を変えていたロバート・テイラーだったことが後で分かるのだが)様子を長回しで捉え続ける場面などは、ロッセリーニの「人間の声」(『アモーレ』第1話)を少し思い出させさえする。これも戯曲が原作であるだろうことは映画を見ているうちに察しがついた。後で調べてみたら、同じ原作がサイレント時代にロバート・Z・レオナード監督によって一度映画化されていた(こちらのほうが IMDb での評価は圧倒的に高い)。ちなみに、この映画はノーマ・シアラーが最後に出演した作品でもある(1983年に死去するまで、映画界からは完全に引退していたようだ)。
『アンダー・ザ・シルバーレイク』については、ネタバレになりそうなのであまり語らないでおく。前半に関しては、この監督の最高傑作ではないかと思いながら見ていたのだが、後半、話があまりにも荒唐無稽になっていく割には、期待したほど遠い場所にまで連れて行ってくれず、案外平凡な着地点にたどり着いたので、正直、少しがっかりした。とはいえ、数々の映画ネタは、映画好きであればあるほど、楽しませてくれるに違いない。すでに多くの熱狂的なファンを集めている作品であるし、まだご覧になっていない方は是非今からでも劇場に見に行っていただきたい。
『禁断のエチュード マルグリットとジュリアン』 (Marguerite et Julien, 2015) は、17世紀に近親相姦と姦通のために処刑された貴族階級の兄妹、ラヴァレ家のジュリアンとマルグリットを描いた映画である。1970年代にジャン・グリュオ―がフランソワ・トリュフォーのために書いた脚本が元になっている。どこのレビューサイトでも軒並み低い点数が付けられているが、そんなに悪い映画だとは思わなかった。孤児院の保母(?)を始め、複数の語り手を登場させているのは、このドラマをおとぎ話のような神話的次元に高めるためかもしれないが、完全に成功しているとは言えない。ともあれ、このような野心的な試みがところどころに見られるのも注目だ(物語のベースになっているのは17世紀に実際に起きた事件だが、映画はファーストカットからヘリコプターが画面を横切る、現代の物語として脚色してある。あえて時代を錯誤させるような作り方がされているのも、この語りの試みと無縁ではあるまい)。逃避行の末についに兄妹は当局によって捉えられ、死刑を宣告される。ふたりが背中合わせの状態で馬に乗せられて処刑場へと連れて行かれる場面を見て、ああ、この監督は溝口の『近松物語』がやりたかったのだなと納得した。
『幽霊』 (Un revenant, 1946)は、ロマネスクな物語といかにもフランス的なセリフの応酬、ルイ・ジューヴェ、ジャン・ブロシャール、ルイ・セニェなどの名演技で見せる、フランス映画の典型的な「古典的名作」。フランスのオールド・ファンにはやたら評価の高い作品である。いささか古めかしくはあるが、今見てもそれなりに楽しめる。
ゾルタン・ファーブリ『第五の封印』(Az ötö dik pecsét, 1976) ★★½
監督のゾルタン・ファーブリ(ハンガリー風に言うならば「ファーブリ・ゾルタン」)の名前も、この映画のことも、日本ではほとんど知られていないが、ハンガリー映画史に残る傑作と言われる作品である。IMDb では2000人以上のレビュアーがありながら 8.8 という高得点がつけられている。
第二次大戦末期のハンガリーの首都ブダペスト。灯火管制が敷かれる中、とある酒場に4人の常連客(時計職人、本屋、大工、酒場の主人)だけがひっそりと集まっている。そこに、戦争で片脚を亡くしたという自称「芸術写真家」が飛び入りで参加し、テーブルを囲んでの無駄話が始まる。やがて、一人の男が哲学的な問いを口にする。「もしも、生まれ変われるとして、そのとき、強大な権力を持ち、裕福で、残酷で、自分が悪いことを行っていることを意識すらしていない専制君主=奴隷の主人となるか、弱く、貧しく、主人によって常に虐げられてはいるが、自分は一つとして悪いことを行っていないことに幸福を感じている奴隷となるか、どちらかを選べるとしたら、どちらを選ぶか?」
悩んだ末に奴隷を選び、「偽善者」と罵られる者。そんなくだらないゲームには付き合っていられないと無関心を装う者。悩んだ挙げ句、どちらにも決めることができない者。反応は様々だが、この問いは彼ら全員の心の中に確実にさざなみを立て始める。
翌日、同じ酒場に彼らが集まってこの問題を議論していると、そこに軍服を着た男たちが乱入してきて、彼らは全員逮捕されてしまう。軍事施設への破壊工作を行ったという理由だった。軍服を着た男たちは彼らが犯人ではないことを知った上で、地獄のような拷問を続け、「忠誠心」を試すために彼らに試練を課す。専制者による不条理な暴力を受けるうちに、 彼らのなかであの哲学的問いが 突如現実味を帯びてくる……。
軍人たちの格好は明らかにナチスを思わせるが、よく見ると軍服の腕章はナチのものとは違うし、敬礼のセリフも「ハイル・ヒトラー」とは似て非なるものだ。 だから、最初は、この映画は一種の寓話であって、ハンガリーの過去の歴史をリアルに取材した作品ではなく、出てくる軍人たちも架空の占領軍を描いているに過ぎないのだと思っていた。しかし、よく調べてみると、この映画に登場する軍服の男たちがつけている腕章の十字のデザインは、ハンガリーのナチス党、矢十字党のものらしいことがわかった。矢十字党はドイツ政府の協力を得て、終戦直前のハンガリーを政治的に支配していたのだった。だとするならば、この映画はただデタラメに歴史を描いていたわけではないことになるが、それでもこの映画が一種の寓話であって、ここに描かれる歴史は、哲学的・倫理的な問題を提起するための背景に過ぎないことは確かだろう。軍服を着た男たちは、だから、ナチスでもあり、スターリン主義者たちでもあり、あらゆる時代のファシストたちでもあるといっていい。
「第五の封印」というタイトルは、言うまでもなく、聖書の黙示録から来ている。ベルイマンの『第七の封印』でも有名なあのくだりだ。4つの封印が解かれて黙示録の四騎士が呼び出されたあと、子羊は続けて第五、第六の封印を解く。
「小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。」
この言葉は、映画のなかでも、片脚の男によってつぶやかれる。そもそも、4人の常連客に、あとから一人加わって5人となるというのが、封印の数と対応しているのかもしれない。ときおり印象的にアップで挿入されるヒエロニムス・ボスの絵(さらにはそれを人物を使って再現した活人画)もむろんこの黙示録の世界につながっている。彼の映画はいつも、「無力な、小さな人間」を描いてきたともいう。「第五の封印」はまさしくそのような虐げられた人々を象徴する言葉である。
この映画の細部に散りばめられた象徴的意味を読み解くには、宗教的・文化的、その他様々な知識が必要だろう。それ以前に、セリフが多過ぎて英語字幕を追うだけでも大変だったので、できれば日本語字幕付きで見てみたいものだ。しかしそんな機会はまず訪れまい。
もっとも、この映画の肝心な部分を理解するのにそのような知識は必ずしも必要ないだろう。この映画で問われているのはむしろシンプルすぎる問いだ。しかしそれは容易に答えが出せる問いではない。だからこそこの映画は多くの観客を引きつけてきたのだとも言える。それを果たして映画の面白さと言っていいものかどうかわからないが、とにもかくにも興味深い作品ではある。
ゾルタン・ファーブリ『メリー・ゴー・ラウンド』(Ko¨rhinta, 1956) ★★
1956年のカンヌ映画祭に出品され、若きハンガリー映画を世界に知らしめた作品。賞こそ取らなかったものの、フランソワ・トリュフォーを始め多くの映画人たちから称賛を浴びた。昨年、2017年のカンヌ映画祭の「クラシック・シネマ」部門で、新しく修復されたプリントが、約60年ぶりに上映されて話題を集めたことは記憶に新しい(この年は、ファーブリの生誕100年にも当たる年だった)。
1956年はスターリン批判があった年であり、この作品はその頃の空気をヴィヴィッドに反映している。映画の物語が設定されている1953年は、スターリンが亡くなった年である。この頃には、コルホーズに不満を抱く一部の農民たちが、コルホーズから脱退しようとする動きがあったことがわかる。コルホーズで働く貧しい主人公の青年は、農家の娘と恋仲だが、娘の父親は、コルホーズを脱退して、娘を金持ちの農家の息子と結婚させようとしている(「土地は土地と結婚するのだ」)。最初、父親に黙って従おうとしていた娘は、周囲の目も恐れぬ青年の強い意志に突き動かされて、初めて父親に反抗する……。
公園のメリー・ゴー・ラウンド(空中にロープで吊り下げられた椅子が回転するタイプのやつ。あれは正式にはなんと言うのだろうか?)のイメージで始まった映画は、他人の結婚式のパーティで、父親や婚約者をそっちのけて娘と青年がダンスするシーンの回転するイメージと共に、古い世代と新しい世代、クラークの集団主義と昔ながらの農民たちの個人主義などなどの対立を、一挙に表面化させる。この場面は、新しいハンガリー映画と、新しいハンガリーを象徴する場面となった。
『第五の封印』を見たあとでは、この作品もスターリン主義時代に作られた映画によく見られるシェマティズムを多少引きずっているようにも思えるが、社会的問題よりも個人の存在に重心をシフトさせた映画の作り方や、先程のダンスのシーンに代表されるような、ダイアローグではなく視覚の斬新さとリズムによって見せてゆくスタイルなどは、ヌーヴェル・ヴァーグの登場にも似たインパクトを当時の観客達に与えたに違いない。
『ディアローグ デュラス/ゴダール全対話 (DURAS/GODARD DIALOGUES) 』
『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』 』
『フランシス・フォード・コッポラ、映画を語る ライブ・シネマ、そして映画の未来』
木全 公彦 『スクリーンの裾をめくってみれば――誰も知らない日本映画の裏面史』
『ユリイカ 2018年9月号 総特集=濱口竜介 ―『PASSION』『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』・・・映画監督という営為』― ムック −
蓮實重彦『映画はいかにして死ぬか 横断的映画史の試み 新装版』、『シネマの記憶装置 新装版 単行本』
黒沢清、荒木啓子、青山真治、中原昌也 ほか『ジョン・カーペンター 読本』
ロシアの作家S・アンスキが書いた同名の戯曲を、ポーランドの監督のマイケル・ワジンスキ(という読み方でいいのか? Michal Waszynski)が映画化した幻想的作品。 ジョゼフ・グリーンの『ヴァイオリンを持った少年』(Yidl mitn Fidl, 1936) 、エドガー・G・ウルマーの『緑の草原』と並んで、アメリカで(そして、おそらくは世界で)最もヒットしたイディッシュ語映画といわれる。 "Dibuk" とは、「死人の霊」を意味するイディッシュ語である。アンスキは最初ロシア語で原作の戯曲を書き、おそらくはスタニスラフスキーのアドヴァイスを受けてそれをイディッシュ語に翻訳した。1920年に初演されたこの戯曲はその後何度も上演されつづけ、例えば、シドニー・ルメットも60年代にこの戯曲をテレビ用に演出している。 監督のマイケル・ワジンスキは、ポーランドで最初のトーキー映画を撮った監督として知られる。主にワルシャワのスタジオ内で撮影され、ロケは『ヴァイオリンを持った少年』などと同じ村が使われた。
正直、一本の映画作品としてはそこまで面白くはない。この名高い作品が、世界中に散らばったプリントを長い時間をかけてかき集め、キレイな状態で修復され、オリジナルの125分にあと約10分と迫る長さにまで上映時間を回復されたのは嬉しい限りだが、2時間近いその長さがこの作品をいささか退屈なものにしていることも確かである。しかし、この映画が、歴史・民俗学的に、いまも比類のないドキュメントであり続けていることは誰にも否定できないだろう。ここには、ナチによって絶滅させられる直前の東ヨーロッパのイディッシュの文化が刻みつけられているのである。
ロングショットで撮られた田舎の一本道に、ふわっと一人の男が現れ、歩くうちにまたふわっと消えてゆくシーンから映画は始まる。近くのユダヤの村(シュトテル)で、親友同士の二人の男が、間もなく生まれる自分たちの子供がもしも男の子と女の子だったなら、ふたりを結婚させる誓いを神に立て、ラビにそのことを伝えようとしていた。冒頭に道を歩いていた謎の男(幽霊=メッセンジャー?)が突然そこに現れ、なぜかふたりがその誓いを立てるのを邪魔しようとする。しかし彼らは、まだ生まれぬ互いの子どもたちを結婚させる誓いを立ててしまう。やがてふたりに子供が生まれるが、一方の男の妻は娘(レナ)を出産したさいに命を落とし、もうひとりの男も妻が息子(ハナン)を出産する場面に駆けつける途上、船の上で命を落とす。
いつしかレナは年頃の娘に成長している。そこに、長い間放浪していたハナンが村に帰ってき、ふたりは、相手が誰かも気が付かないまま、たちまち惹かれ合う。しかし、レナを金持ちの息子と結婚させようとしている父親は、ハナンが親友の息子だとは気づかず、貧乏学生の彼をレナから引き離す。ハナンは悪魔を呼び出してまで、レナが 別の男と結婚するのを阻止しようとするが、いよいよ彼女の結婚が決まると、絶望して死んでしまう。 レナの父親は、ハナンが親友の息子だったこと、結果的に、互いの子供同士を結婚させるという親友との誓いを破ってしまったことを知るが、時すでに遅し。 レナもハナンの死に打ち沈むが、彼女と金持ちの息子との結婚式の準備は淡々と進められてゆく。しかし、結婚式の日、墓地に母親の霊を迎えに行ったレナは、ハナンの霊まで連れ帰ってしまう。婚礼の踊りで骸骨の仮面をかぶった男と踊ったレナは、それがハナンの霊であることを知ると、彼を自分の身体の中に受け入れる。 こうして、レナは死者の霊(ディブルク)に憑依されてしまう。そして、ラビによる悪魔払いの儀式も虚しく、 彼女も間もなく息絶える。
墓地、幽霊、悪魔憑き、エクソシズム……。同じ物語を完全なるホラーとして映画化することもできたろう。しかし、この映画の雰囲気はホラー映画からは程遠い。この映画の世界では、死はただ単に禍々しく恐るべきものではないという点が、この作品をホラーとは決定的に遠ざけている。ここでは、生と死、聖と俗の境界は、映画が始まった瞬間から曖昧にぼやけているのだ。クライマックスの悪魔祓いのシーンも、『エクソシスト』の善と悪が決して相容れることのなく対立し合うマニ教的世界とはまるで異質のものを感じさせる。あるいは、ユニヴァーサル・ホラーよりは、北欧のサイレント映画に近い雰囲気があるといえばいいか。
この奇妙な世界のなかで繰り広げられるラブ・ロマンスは、その神秘的・超自然的な描写によって興味深いだけでなく、この映画が描くと同時にそのなかに置かれてもいる歴史的文脈によっても胸を打つ。物語の舞台となる村の通りの真ん中には、数百年前のポグロム(ユダヤ人虐殺)によって殺された恋人たちの墓石が置かれている(上写真)。そして、この映画が撮られた30年代のポーランドにおいても、ユダヤ人はあいかわらず迫害され続けていたのであり、この映画が撮られた翌年には、ナチスによるユダヤ人虐殺が始まることも我々は知っている。実を言うと、この映画で恋人たちを演じた役者のふたりは、実生活でも結婚していた恋人同士で、ナチがポーランドに侵攻した頃、たまたまアメリカにいて、故国に帰る船に偶然乗り遅れたために収容所送りを免れたのだった。
ユダヤ教やイディッシュの文化、あるいは当時の東アジアの政治・文化的な情勢を知らなければたぶん理解できない部分がこの映画には多々あるに違いない。しかし、純粋に映画的に見ても、興味深い点はいろいろある。とりわけ、レナの結婚式シーンにおけるドイツ表現主義的と言ってもよかろう描写には驚かされる。 われわれが見ることのできるイディッシュ映画はまだまだ数が限られている。しかし、これ一本見ただけでも、例えば、ウルマーのイディッシュ映画を単に作家主義的な観点からだけでなく、もっと広い文脈から相対化するためのヒントが数多く隠されている。とにもかくにも、非常に興味深く、また貴重な作品である。必見。
今週末に迫った神戸映画資料館の講座の準備で、いよいよ余裕がなくなってきた。 コメントを書いている時間もないので、とりあえず最近見て印象に残ったタイトルだけを並べておく。
マーク・ロブソン『青春物語』は、アメリカではファミリー・メロドラマの名作として非常に有名なのだが、日本ではあまり知られていない。田園の四季を映し出す冒頭のシークエンスを始め、時折挿入される風景ショットにはハッとさせられるし、カラー作品でありながら深い影の落ちる室内撮影の重厚さはどことなくダグラス・サーク作品を思い出させ(ラナ・ターナーが主役のひとりなのでなおさらだ)、この時代のハリウッドの映画はさすがに贅沢だなと思う。しかし、2時間半を超える上映時間の中にこれでもかと言うほど、家族や学校や地域社会の様々な問題を詰め込み、最後は殺人事件まで起きるわりには、ドラマは終始一貫全然盛り上がらない。被告の無実を知る証人が、被告自らによって発言を禁じられ、被告が次第に追い詰められていく最後の裁判シーンなどは、ジョン・フォードの『プリースト判事』の最後の裁判部分と似たような話を扱っているのだが、同じ題材を扱いながらどうしてこうも盛り上がり方に差があるのだろうか。
デュヴィヴィエの『地の果てをゆく』は、今でも日本のオールドファンには人気があり、フランス本国でも評価が高い。冒頭の、リアルでありながらどこか歪んだパリのセットを俯瞰カメラがなめるように撮ってゆくショットには、この時代のフランス映画の快楽がある(わたしはこの時代のフランス映画のパリのミニチュアセットがたまらなく好きなのだ)。殺人を犯したばかりのジャン・ギャバンがビルから出てきた直後に、酔っぱらいの女に捕まり、なんとか手を振りほどいて立ち去ったあと、女が服に付いた血に気づいて「血よ!」("du sang" デュ・サン)と叫ぶと、女の背後の道路標識に沿ってカメラがパン・アップし、「サン・ヴァンサン通り」("Rue St. Vincent" リュ・サン・ヴァンサン)と書かれたパネルを映し出す。女の言葉と通りの名前が妙に韻を踏んでいることになんだかざわつく思いがし、思わず期待が高まるのだが、直後に舞台がバロセロナに移ってからは、フランス的な、あまりにもフランス的なロマネスクな物語がどうにも鼻につき、退屈で仕方がなかった。ギャバンにまとわりつく胡散臭い男を演じているロベール・ル・ヴィガン(セリーヌの小説にも登場する俳優)が、最後にギャバンとともに外人部隊として死の遠征に加わり、死を目前に二人の関係が宿敵から友へと変わるところもいささか説得力にかける。しかし、この映画は、ル・ヴィガン出演作のなかで最も印象的な一本と言ってもいいだろう。間違いなく彼の代表作の一つである。眼帯姿のピエール・ルノワールの存在感がこの退屈な作品を幾分救っていることも付け加えておく。
ブラックリストに名前が乗っていた監督ハーバード・J・バイバーマン(ビーバーマンじゃないの?)が監督した『地の塩』は、作品自体の出来というよりは、歴史的な重要性においてその名を今もとどめている作品と言っていい。プロと素人の俳優を織り交ぜて作られたこの映画は、演技だけでなくあらゆる面において素人くさい部分が目立つ。とはいえ、興味深い点は多々ある。メキシコ移民に対する差別を、炭鉱のストライキを通して描いていく過程で、権力に抵抗する側の中にもジェンダーによる差別が存在することを浮かび上がらせていくところは、今見てもちょっと面白い。とにもかくにも、権力に抵抗する者たちを描こうとする作者たちの誠実さは、その素朴な作風から伝わってくる。この作品はフランスでも(少なくとも公開当時は)評価が高く、1955年の「カイエ・デュ・シネマ」ベストテンの14位に選ばれている。ゴダールもときおりこの作品の名前を出すことがあるのだが、それは、彼のいう「政治映画」に対して、ふつうの意味での政治映画の代表的な一本ということのようだ。
神戸映画資料館の連続講座が目前に迫ってきたので、なかなか更新している余裕が無い。 とりあえず、最近見た中で印象に残った映画を列挙しておく。
ウジェーヌ・グリーンの新作は、人物を正面から切り返すあいかわらずのスタイルであまり変わりはないが、母マリー(マリア)の反対を押し切って、自分の実の父を探す旅に出た息子が、それと知らずに実父の弟ジョゼフ(ヨセフ)に出会って、彼を本当の父として受け入れるという、旧約聖書になぞらえたデタラメな物語が、不思議な説得力で語られていることにちょっと感動した。
68年の騒乱のさなかに撮られたガレルのドキュメンタリー短編『Actua 1』は、ドキュメンタリーとは完全に言い切れないところが面白い。ナレーションの使い方などにゴダールの影響が丸出し。しかし、何だかんだ言っても、わたしはこの頃の青臭いガレルの作品が一番好きだ。
パリを舞台に若者たちの集団によるテロ事件を淡々と描いたボネロの『ノクチュラマ』は、ガス・ヴァン・サントの『エレファント』を思い出させもする時間軸を交錯させた編集が、話をわかりにくくしているだけであまり成功しているようには思えないのだが、余計な説明を一切排して、ただただ画面の連鎖だけで見せてゆくラディカルなスタイルには、少なからず映画的な興奮を覚えた。
しかしなんと言っても、最近一番感動したのは、数十年ぶりに見直したバート・レイノルズの『シャーキーズ・マシーン』だ。むかし松浦寿輝か誰だったかが褒めているのを読んで、騙されたと思ってみてみたら本当に面白かったことは覚えているのだが、こんなにもあからさまにプレミンジャーの『ローラ殺人事件』を換骨奪胎してアクション映画に転換した作品だったとは。久しぶりに見直してみてびっくりした。ウィリアム・フレイカー撮影による冒頭トラストの空撮に音楽がかぶさるのを見ているだけでなんだか泣けてくる。こういう空撮で終わる映画、イーストウッドを最後にあまり見なくなった気がする(イーストウッド自身もやらなくなったし)。バート・レイノルズに合掌。
一般にはそこまで評価が高い作品ではない。星の数にはわたしの個人的な思い入れが多分に入っている。なぜだかうまく説明できないのだが、わたしはこの映画がとても好きなのだ。 「ラブレター」というタイトルは非常にロマンチックであるが、映画の内容はそこから想像されるものとはいささかかけ離れている。フランスでの公開タイトル「嘘の重さ」(Le poid d'un mensonge) のほうが、この作品の重々しい雰囲気を正しく伝えていると言えよう。
第二次大戦中、ジョゼフ・コットン演じる主人公アランは、がさつで文才のない友人に頼まれて、 その友人の名前で、ある女性と何度か手紙のやり取りをする。彼はもちろん、その友人も女には会ったことがない。女は手紙の相手に強く惹かれているが、アランが書いた手紙を、彼の友人が書いたものと思いこんでいる。アランには恋人がいるのだが、彼も、手紙のやり取りを通じて、その未知の女性に深いところで心が通じているのを感じていた……。
物語のベースになっているのは、言うまでもなく、エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』である。 しかし、この物語はここから思いもかけない展開を見せる。 友人とはそれっきりになったまま、アランは戦場に赴く。やがて負傷して帰ってきたとき、彼は友人が文通相手の女に会いにゆき、やがて彼女と結婚したこと、そして程なくして亡くなったことを知る。 しばらくして、アランは知人のパーティで一人の女性(ジェニファー・ジョーンズ)に出会い、たちまち親しくなる。女の名前は、例の文通相手の女性とは全然別の名前だった。やがて彼は、友人が実は妻によって殺されたこと、彼女はその事件がショックでその時の記憶も、自分の名前も忘れていることを、そして、パーティで出会った女こそは、その女であることを知る。 すべてを知った上でアランは彼女と結婚する。一見幸せな生活が続くが、欠落した記憶は女の幸せに暗い影を落とす。彼女は、郵便配達が手紙を運んでくるたびにわけもなく怯えるが、その理由がわからない。 アランがずっと思い続けていた女が他にいることも、女の気がかりだった。その女とは、彼が文通していた相手、すなわち彼女自身のことであるのだが、彼女がそのことを知れば、ショックで忌まわしい記憶が蘇り、最悪の場合、発狂してしまうかもしれないのだ……。
チャールズ・ヴィダーの『Blind Alley』について書いたときにふれたように、30年代の終わりにはハリウッドはすでに映画に精神分析を取り入れ始めていた。『ラブレター』が撮られた1945年は、ヒッチコックの『白い恐怖』やジョン・ブラームの『戦慄の調べ』が発表された年でもある。この頃、記憶の欠落を問題にした精神分析を主題とする映画が盛んに撮られるようになっていたのだった。実は、ディターレの『ラブレター』は、こうした流れの中に位置づけられるべき作品なのである。 もっとも、この作品には精神分析医も出てこなければ、あからさまな夢のシーンもない。だから、ピンとこない人もいるかも知れないが、欠けていた記憶を取り戻すことで人物が精神の安定を取り戻すという意味では、『ラブレター』は『白い恐怖』と同じ物語を描いた映画なのである。
たしかに、 この精神分析のメカニズムがこの映画をいささか図式的なものにしてしまっていることは否めない。しかし、同じでありながら異なる二人の人物の自己同一性と愛をめぐるテーマは、『淑女イブ』や『めまい』、あるいは最近では濱口竜介の『寝ても覚めても』といった作品でも描かれたものであり、わたしはこういう物語に出会うといつもめまいのするような感覚を覚えてしまうのだ。
さらには、その物語が手紙というアイテムを通して語られていることも、わたしがこの映画を偏愛する要因の一つであることはたしかだ。「書簡小説」というものが存在するように、「書簡映画」とでも言うべきものが存在する。『月光の女』(The Letter)、『三人の妻への手紙』、『忘れじの面影』……。わたしはこうした手紙を通して語られる映画になぜか惹かれてしまうのだ(とりわけ、『忘れじの面影』のようにそこに女性の声が重ねられる映画に)。そんな「書簡映画」の中で、この作品はベストとは言わないまでも、非常にユニークな位置を占めていることは間違いない。
フランク・D・ギルロイが自身の小説を映画化したカルト西部劇。
「撮影リュシアン・バラード」という文字に一瞬心躍るが、タイトル・バックに映し出されるいかにも作り物めいた西部の町を目にしただけで、その気持ちも萎えはじめる。しかし、 映画が進んでゆくに連れて、西部劇とは名ばかりで実は西部劇の枠組みを借りただけの艶笑喜劇とでも呼ぶべきこの映画の内容には、この作り物めいたセットはひょっとして似つかわしかったのではないかと思えてくる。
いかにもセット然としたその作り物めいた町の大通りを、馬に乗った4人の強盗が進んでゆき、銀行を襲う場面から映画は始まるのだが、不思議なことに、通りはおろか銀行の中にも人が誰もいない。彼らはいとも安々と銀行の金庫から大金を奪うことに成功する。だがいざ町を去ろうとした時、彼らは自分たちがいたるところからライフルで狙われていることに気づく。四方八方から降り注ぐ銃弾の雨。強盗たちは為す術もなく全員倒されてしまう……。
しかし、実はこれは、強盗団のひとりグラハム・ドーシー(チャールズ・ブロンソン)が見た夢に過ぎなかった。このいかにも人を食った始まり方からして、この映画がオーソドックスな西部劇ではなく、一癖も二癖もある映画であることを予感させる。
正午。4人はいよいよ本当に町に銀行を襲いにゆく。しかしグラハムの乗った馬が途中で動けなくなってしまい、彼だけが荒野にぽつんとある一軒家で、仲間が強盗を終えて帰ってくるのを待つことになる。ヴィクトリア調の瀟洒な内装を施されたその館には若い未亡人がひとりだけで住んでいる。彼女は最初こそは、亡くなった夫に対して貞淑を誓い、ブロンソンの誘惑に抵抗してみせるが、やがて二人はたちまち恋仲になる。しかし3時になれば強盗団の仲間が帰ってくる(これが「正午から3時まで」というタイトルの意味だ)。 西部劇ならば見せ場になるはずの銀行強盗の場面を一切見せることなく、映画は、このわずか3時間の間にグラハムと未亡人の関係が親密なものとなってゆく様子をひたすらコミカルに描いてゆく。だが、この映画が本当にユニークな展開を見せるのは実はここからだ。
強盗は失敗に終わり、仲間は全員捕まって縛り首にされることになったという知らせが入る。グラハムは内心ホッとするが、妙に男気を見せる未亡人にせっつかれて仲間を助けに行った際に(助けに行くふりをしただけなのだが)、追跡団に見つかって殺されてしまう。しかし実は、殺されたのはグラハムの身代わりにされた男で、グラハム自身は生きていた。ただ、身代わりになって殺された男が詐欺師だったために、グラハムはその罪をかぶって投獄されてしまう。 そんなこととはつゆ知らず、未亡人は愛するグラハムが死んでしまったと思い込む。彼女は、強盗に体を売った女として最初は町の住民たちに蔑まれ、憎まれるが、グラハムとのたった3時間の恋愛を恥じることなく堂々と表明する。やがて二人の物語は小説に書かれてベストセラーになり、町の劇場で芝居に演じられるようにさえなる。
未亡人は今や悲劇のヒロインとしてもてはやされ、グラハムも今では英雄扱いだ。未亡人の家は、小説を読んだ人々が訪れてくる観光名所にさえなっている。 小説に描かれた二人の姿は、未亡人の想像力の中でロマンチックに美化されていて、グラハムも実物よりもずっと背が高くハンサムな男に描かれているのだが、町の人達はそれが真実だと信じ込んでしまっている。獄中で小説を読んだグラハムが、「本物のグラハム・ドーシーはこんな男じゃない」と言っても誰も笑って取り合わない((自分の物語を読む主人公というのは、『ドン・キホーテ』の後編を思い出させる。フラーの『地獄への逆襲』でも、主人公は自分の物語が歌になり、芝居になるのを目にするのだった。))。それどころか、本物のグラハムを知っている未亡人でさえ、小説に描かれた彼のイメージが真実だと信じるようになっている。牢屋から出たグラハムが目の前に現れても、彼女は、「彼はもっと背が高かった」と言って、本人だと認めようとしないのだ。 ようやく、目の前にいるのが死んだはずのグラハムだとわかると、彼女は喜ぶどころか、彼が生きていることを世間が知れば、フィクションに描かれた美しい物語が台無しになると言って、物語を救うために自ら命を断つのである。ひとり残されたグラハムは、俺こそが本物のグラハム・ドーシーだと吹聴して回るが、彼は死んだと思われているし、小説に描かれたグラハムとかけ離れた姿の彼を誰も相手にしない。彼が狂人扱いされて精神病院に入れられるところで映画は終わっている。
ご覧のとおり、この西部劇が描いているのは、銀行強盗のサスペンスでも、アウトローの生活でも、恋愛物語でもなく、「事実が伝説となった時は、伝説を印刷しろ」というフォードの西部劇『リバティ・バランスを射った男』のテーゼなのだ。もっとも、この映画はフォードの崇高さとは程遠い。むしろ、よく似たプロットを持つアレクサンダー・コルダの『ドン・ファン』(34) などと比較したほうが有益かもしれない。 とても興味深い作品である。ただ、面白いかどうか問われれば、否定的になってしまう。二人の中心人物に品がないのはいいとして、映画自体に品がないのはいかがなものかと思うし、この興味深い物語を語るにあたってフランク・ギルロイ監督がみせる演出も、どこまでも通俗的で、なんのひらめきも感じられない。例えばマンキーウィッツがこの題材を映画にしていたなら、どんな映画になっていただろう。そう考えると、残念でならない。
プロダクション・デザイナーのロバート・クラットワーシーは、ヒッチコックの『サイコ』にも関わった人物で、そう思ってみると、この映画に出てくる一軒家には『サイコ』の屋敷の面影がある。
ボクシングの試合のシーンから始まる映画は少なくない。これもそんな映画の一つだ。
リングの上で二人のボクサーが激しいパンチの応酬をしあっている。パンチが入るたびに興奮してまくしたてる実況アナウンサー。やがて、一方のボクサーが片目を負傷し、闘いは終わる。ここまで、てっきりこれは、今まさに行われている試合を映し出した場面だと思って見ていたのだが、聞こえてくるナレーションから、これはとっくに終わってしまった試合をリプレイしたものに過ぎないことに不意に気づく。これは「往年の名試合」といったたぐいのTV番組の一場面だったのだ。事実、カメラが後ろに引くと、いままで見てきたシーンが実はテレビのブラウン管のなかの映像であったことがわかる。 目にしている光景が表に現れた意味とは別の意味を隠している。このオープニングは象徴的だ。騙し、裏切り、盲目、これらがこの映画に通底するテーマとなっていくだろう。
ソファに座ってこのテレビ番組を熱心に、というよりも取り憑かれたようにに見ている一人の男がいる。この男こそは、今見てきた試合のなかで片目を負傷して敗北した男である。彼は目の負傷が原因でボクサー生命を絶たれ、いまではしがないタクシーの運転手をしている(彼が目を負傷していることは、この映画のテーマを考えると実に意味深長だ)。しかし、彼は過去の栄光を今でも忘れることができずにいる。彼の強欲な妻は、チャンピオンになる男と思って結婚したのに思惑が外れ、未練たらしい今の男の姿にイライラするばかりだ。実は、彼女は別の男と不倫している。その男はギャングで、二人はダイヤの強奪を企んでいる。しかし事はうまく運ばないだろう。
さて、元ボクサーのタクシー運転手が、妻の不倫現場を目撃してしまった瞬間から物語は大きく動き始める。彼にとっての悪夢の夜の始まりである。カッとするとなにをしでかすかわからない彼は、妻とその不倫相手に対して殺意に近い憎悪の念をたぎらせる。まさにその時、彼の知り合いの別の女性が血相を変えて彼のところにやってくる。今は相手をしている時間がないという彼に女は、「人を殺してしまった。助けてほしい」というのだ……。
何という思わぬ展開。しかし、これも、表向きの意味とは別の意味を隠していることがやがてわかるだろう。しかし、まだ見ていない人のためにあまり多くのことは語るまい。実によくできた物語で、観客はグイグイと物語に引きずり込まれていくのは間違いないとだけ言っておく。
こういう犯罪物を取らせたらハズレ無しのフィル・カールソン作品の中でも、『無警察地帯』などと並んで最高傑作の一本と言ってもいい必見の傑作である。唯一の不満は、『幻の女』のエラ・レインズのように、あるいは『裏窓』のグレース・ケリーのように、男の無実を証明しようと時に危ない橋まで渡ってみせる女優の卵リンダ役のイヴリン・キースだ。彼女としてはベスト・ワークの一つであろうが、個人的にはどうにも好きになれない女優で、これが別の女優だったら最高だったのにと少し残念に思う。
アントニオーニに寄せたような邦題よりも原題の「ザ・タッチ」 のほうが馴染みがある。一度も見る機会がなく長らく気になっていたベルイマン作品のひとつ。『狼の時刻』や『恥』のように今まで抱いてきたベルイマンのイメージを改めさせてくれるような作品をちょっと期待していたのだが、そういう意味ではいささかがっかりする内容だった。ただ、その一方で、「神の不在」を問う深刻な(あるいは深刻ぶった)いつものベルイマンの世界とも、この映画は異なっている。人妻の不倫を描いたメロドラマ的、というかソープオペラ的な凡庸な物語を、一見なんの工夫もなく提示して見せているだけのように思えるこの映画には、死神や魔術師はもちろん登場しない。ベルイマンの作品としては例外的といっていいほど日常の世界を描いた作品だと言える。
『愛のさすらい』がそれまでのベルイマン作品とは一味変わっているのには、この映画がアメリカの ABCピクチャーズによって製作されたことが少なからず関わっているにちがいない。なにせ ABCプロダクションはこの年にペキンパーの『わらの犬』を製作したりしている会社であり、この映画の主演はあの『M★A★S★H』(69) のエリオット・グールドなのだから、いつものベルイマンとは雰囲気の違うものとなっても不思議はないだろう(もっとも、最初はグールドではなく、ダスティン・ホフマンで話が進んでいたとも聞く。ダスティン・ホフマン主演のベルイマン映画! それはどんなものになっていたのだろうか)。
ベルイマンが海外資本で映画を撮るのはこれが初めてであったかどうかは知らないし、プロダクションとの関係がどのようなものだったのかも不明だ。しかし彼がこの状況のなかで新しい映画の形を模索していたのは確かだろう。
共演はいつものマックス・フォン・シドーとビビ・アンデショーン。シドーとアンデショーン夫妻の平凡なブルジョア家庭の調和を、突然現れた考古学者グールドがかき乱すというかたちだ。エリオット・グールドではたして大丈夫だろうかと最初は思ったが、意外にも違和感なくベルイマンの世界に収まっていたのでびっくりした。
確かに、らしくないベルイマン映画ではあるが、繰り返される顔のアップはいつものようにベルイマン的な「顔の映画」を形作っている(とりわけ、朽ちかけた教会の壁の穴から覗き見られる虫に食われたマリア像の顔は、この映画のもっとも印象的な場面であり、この作品における数少ない宗教的象徴性を帯びた場面でもある)。ノラのように潔く家庭を捨てて愛人のもとに走る人妻アンデショーンの迷いのなさとは対照的に、あれこれと思い悩むグルードがときおり見せる破壊的な衝動の背後に、肉親の収容所体験が影を落としていることも興味深い。
『この女たちのすべてを語らないために』(64) 、『沈黙の島』(69) などと同じく、スヴェン・ニクヴィストの撮影によるイーストマン・カラー作品。花々を鮮やかに捉えた撮影は、『この女たち〜』の人工的な色彩とはまったく異なるナチュラルな色彩を見せる。
18世紀のイタリアを舞台にジャコモ・カサノヴァが活躍する冒険活劇。『Don Cesare di Bazan』(42)、『Aquila nera』(46) につづいてリカルド・フレーダが撮ったコスチューム・プレイの傑作だ。蓮實重彦も某ベストテンのなかにこの作品を忍び込ませている。
カサノヴァを演じるのはデビュー間もないヴィットリオ・ガスマン。この映画が7本目の出演作だが、それまではほとんどが脇役だったので、これは初主演と言っていい作品だったのだろう。この映画のガスマンは珍しくクールで男前な美男子を演じており、こういう本格的なコスチューム・プレイで眼にするのも初めてだったので、まるで別人に見えるくらい新鮮に思えた。
「神秘の騎士」というタイトルが付いているが、ファンタジー要素はこの映画には皆無と言っていい。「謎の騎士」くらいにしておいたほうが内容には近いだろう。
ロシアのエカチェリーナ(エカテリーナ)2世の影もちらつく政治的陰謀渦巻く世界で、盗まれた手紙をまさしくマクガフィンにして、ヴェネチア、ウィーン、はてはサンクトペテルブルグまで繰り広げられてゆくダイナミックな冒険活劇は、剣による一騎打ちはもちろん、様々な見え場にあふれていて、ラストの橇による雪原の追跡劇まで一気呵成に見せる一方で、女たらしのカサノヴァ(実は純情)のまわりには一癖も二癖もありそうな美女たちが次々と現れ、さながらコスチューム・プレイ版「007」といった様相も呈する。
単純にただただ面白い。リカルド・フレーダ作品は趣味でこれまでホラー系のものしか見てこなかったが、このジャンルのものももう少し抑えておいたほうが良さそうだ。
ヒッチコックの『疑惑の影』のようなスモールタウンを舞台にした犯罪ものと一応は言うことができるだろう。しばしばフィルム・ノワールにも分類される作品である。しかし、シオドマクがこの前後に撮った『幻の女』 (44)、『らせん階段』 (45)、『暗い鏡』 (46)、『殺人者』 (46) などと並べて見るならこの作品はいささか異質であり、見るものは肩透かしを食らったような気になるかもしれない。
名だたる名家でありながら、大恐慌のあおりをくって財産を失い、今では立派な屋敷だけが残っているクエンシー家には、ジョージ・サンダース演じる長男ハリーとかれの二人の姉妹の3人だけが住んでいる。姉のヘスターは未亡人で、家事に忙しく、美貌の妹レッティはただただ無為な生活を送っているらしい。この二人を養うために、ハリーは服飾工場で衣服の型を作るという家柄に似合わない地味な仕事をしている。
サンダースは、いつものシニカルで、勘の鋭いキャラクターとはまったく対照的な、善良で、いささか鈍いといってもいいほどの平々凡々たる人物ハリーを、やはり見事に演じているのだが、そんな地味な彼と、ニューヨークの都会からやってきた女デザイナー(デボラ)が、嘘のようにあっという間に恋に落ちたときから、物語は大きく動き始める。二人はすぐに結婚することを決めるのだが、そのためにはハリーの姉妹は住み慣れた屋敷を出ていかなければならず、姉妹は新しい家を探し始める。しかし、姉の方はハリーの結婚を心から喜んでいる一方で、妹レッティは言葉とは裏腹に彼の結婚を快く思っておらず、何かと難癖をつけて新居探しを半年以上引き伸ばし、ハリーの結婚をサボタージュしようとする。結局、この妹の奸計によって、ハリーはデボラと破局し、やがて彼女が他の男と結婚したことを知る。この映画が本当に面白くなるのはこのあたりからだ。
(デボラを演じているのはエラ・レインズ。『幻の女』『容疑者』(ともに 44 年作品)に続いてのシオドマク品への出演であり、とりわけ彼女がいくつものキャラクターを演じ分ける『幻の女』での演技が忘れがたい。)
レッティがハリーの結婚を阻止しようとする理由は、彼に対する近親相姦的な愛であることが徐々に明らかになってゆく(その禁断の愛は決して彼女の口から表明されることはないのだが、それは彼女の表情や行動によって誰の眼にも明らかである)。時代を考えると、この近親相姦的な愛のほのめかしは 非常に稀なるものであったと言っていいだろう。だが、不思議なことにこの部分は当時の検閲にはまったく引っかからなかったらしい。実は、この映画は、検閲によってラストが変えられてしまったことで有名なのだが、それはこの近親相姦的な愛とはまったく関係のない理由からだった(それについては後で説明する)。
たしかに、近親相姦がこの映画を当時としては例外的な作品にしていることは確かである。原作の戯曲ではたんに「ハリーおじさん」((なぜ彼が「ハリーおじさん」という愛称で呼ばれているのかは定かでない。))というタイトルだったものを、「ハリーおじさんの奇妙な事件」というタイトルに変えたのは、そうした倒錯的な部分を暗示するためであろうし、公開時にこの映画の宣伝に使われた惹句を見ても、製作者側がそこを売りにしようとしていたことは明らかだろう。しかし、この映画をこの点ばかりに注目して見るのは的はずれかもしれない。サスペンス映画として見たときは、たぶんなおさらがっかりするだろう。
妹のサンダースに対する禁断の愛が言葉によってあからさまには表明されないのと同様に、サンダースがその愛に気づいていたかどうかも、この映画は明確には描いていない。とにもかくにも、妹の彼に対する執着が顕になってゆく一方で、サンダースは彼女に対する殺意をつのらせてゆく。しかしながら、シオドマクは彼が妹を毒殺しようとする場面においてさえ、サスペンスを盛り上げることにさほど気を使っているようには思えない。最初に言ったように、この映画を『らせん階段』や『暗い鏡』のような作品を期待してみたなら、いささか失望することだろう。
それよりもこの映画は、自由を奪われた一人の男をめぐる物語と思ったほうがいいかもしれない。まるで牢獄のような館の中に閉じ込められた女の物語なら、われわれはいくらでも知っている。『レベッカ』、『眠りの館』、『魅せられて』……。しかし、この映画で囚われの身になっているのは女ではなく、男の方なのである(この点においてこそ、この映画は例外的なフィルム・ノワールであると言っていい)。都会からやってくる女は彼を破滅させるファム・ファタールというよりは、彼を救い出そうとする救いの手なのだが、彼はその手を掴み損なう。自由になるために彼が考えついた唯一の手段が、毒薬による殺しだった。
(この映画は、最後に、「誰にもこの映画の結末を話さないでください」という字幕が出て、観客にネタバラシを注意するほど、あっと驚く終わり方をする。これは作者が意図した結末ではなく、検閲によって強いられた結末なので、話したところでこの作品の価値が失われるというものではいささかもないのだが、念のために、これから先の部分はネタバレを含むということを一応警告しておく。)
ハリーは妹レッティを毒殺しようと試みるが、手違いで、レッティではなく姉のヘスターのほうが死んでしまう。しかし犯人として逮捕されたのはレッティの方だった。やがてレッティに死刑の判決が下るに至って、ハリーは悔恨の念から自分の罪を告白した手紙を判事に見せるのだが、妹を助けるために罪をかぶろうとしているだけだ思われ、まともに取り合ってもらえない。結局、レッティは死刑になる。ところがである、ハリーが屋敷でひとり悔恨の念にかられて打ちひしがれていると、扉が開き、彼と別れて違う相手と結婚したはずのデボラが入ってくる。彼女は直前になって結婚を思いとどまったというのだ。これに驚いていると、同じドアから死んだはずのヘスターまでが登場する。つまりは、すべてが夢=想像だったというわけだ。荒唐無稽な結末であるが、これは「犯罪を犯したものが決して逃げおおせてはならない」という、ヘイズ・コードを逃れるための苦肉の策だった。フリッツ・ラングの『飾窓の女』や、未見だがアーサー・リプレイの『The Chase』(46) もこのような夢オチの結末になっているという。少なくともこの頃は検閲を免れるためにこの手が通用していたことが伺える。しかし、このデウス・エクス・マキナ的な荒唐無稽なエンディングは、穿った見方をするならば、バカバカしい検閲をあざ笑うためにあえてわざとらしく作られているように見えなくもない((ネタバレと言ったが、日本での DVD タイトルは「ハリー叔父さんの悪夢」となっていて、タイトルでほぼネタをばらしている。))。
プロデューサーのジョーン・ハリソンはこの強いられた結末に激怒してユニヴァーサルを退社したとも聞く。ちなみにハリソンは、イギリス時代からのヒッチコックの脚本家で、彼と共にハリウッドに渡ったあとも『レベッカ』や『海外特派員』など数々のヒッチ作品に脚本を提供し、その後、シオドマクの『幻の女』でプロデューサーとしての活動を始めた女性である。当時は、ヴァージニア・ヴァン・アップとハリエット・パーソンズと並んで、ハリウッドで3人しかいない女性プロデューサーのひとりだった。ちなみに、以前紹介したロバート・モンゴメリーのフィルム・ノワール作品『桃色の馬に乗れ』も彼女がプロデュースした作品である。
今まで作っていなかったのが不思議なくらいだが、新しく「猫」のカテゴリーを設けることにした。いよいよ猫学を極めることを決意したからである。というのは嘘で、長い記事ばかり書いているとあまり更新できないから、ちょっとした小ネタを挟んでゆくことで、更新の間隔をできるだけ開けないようにする、そんな試みの一環としてである。まあ、小ネタなのでそんなに大したことは書いていない。気楽に読んでいただければと思う。 さて、このカテゴリー最初のお題は、「猫と映画と寺山修司」である。 寺山修司の作品にはたびたび猫が登場する。たとえばこんなふうに。
少年時代
長靴をはいた猫と
ぼくとが
はじめて出合ったのは
書物の森のなかだった
長靴をはいた猫は
ぼくに煙草をおしえてくれた
ちょっといじわるで
いいやつだった
長靴をはいた猫と
わかれたのは
木の葉散る
秋という名のカフェ
その日
ぼくは
はじめて恋を知った
人生のはじまる前と
人生のはじまったあと
そのあいだのドアを
すばやく駆けぬけようとした
ぼくの
長靴をはいた猫は
いまどこにいるか?
名詞
恋という字と
猫という字を
入れ替えてみよう
「あの月夜に
トタン屋根の上の一匹の恋を見かけてから
ぼくはすっかり
あなたに猫してしまった」と
それからブランデーをグラスに注いでいると
恋がすぐそばでひげをうごかしている
猫の辞典
猫…ヒゲのある女の子
猫…闇夜の宝石詐欺師
猫…謎解きしない名探偵
猫…この世で一ばん小さな月を二つ持っている
猫…青ひげ公の八人目の妻
猫…財産のない快楽主義者
猫…毛深い怠け娼婦
猫…このスパイはよく舐める
以上はすべて、『寺山修司少女詩集』に収録されている。
『猫の航海日誌』にも、「猫の辞典」によく似た定義の羅列が出てくる。
猫…多毛症の冥想家
猫…食えざる食肉類
猫…灰に棲む老嬢
猫…殺人事件の脇役
猫…財産のない快楽主義者
猫…唯一の政治的家畜
猫…長靴をはなかいときは子供の敵
猫…真夜中のヴァイオリン弾き
猫…舌の色事師
これらの猫の定義は、寺山の映画作品『トマトケチャップ皇帝』のなかでも形を変えて繰り返されることになるだろう。「トマトケチャップ帝国」(?)のなかでは、たとえば、長靴をはかない猫はすべて銃殺刑に処すべきという布告がなされていた。「唯一の政治的家畜」という言葉も、この映画のなかでほとんどそのまま使われていたはずである。しかし、「政治的家畜」とは一体どういう意味なのだろうか。
ところで、寺山修司の映画監督デビュー作は、公式的には62年の『檻囚』ということになっているが、それよりも前に撮られた8ミリ映画『猫学 Catlogy』が、彼の幻の処女作であることは、寺山修司のファンなら誰でも知っているはずである(「猫学 Catlogy」というタイトルは、おそらくチャーリー・パーカーの「鳥類学 ornithology」にヒントを得たものであろう)。芳村真理の飼猫がビルの屋上から無残に地面に投げ落とされる様がこのフィルムには収められていた、とまことしやかに語られているが、この作品を実際に見たものは松田政男などわずか数名に限られているし、むろんわたしも見たことはなく、理由は定かでないが、寺山自身がこの作品を廃棄(?)してしまった今となっては、その真偽を確かめるすべもない。ところで寺山は、この幻の処女作にふれて、「アウシュビッツの強制収容所」に言及しているのだが、彼はこの映画で猫の虐殺をアウシュビッツにおける虐殺と重ね合わせようとしていたのだろうか。それはあまりにも稚拙であるし、そのために猫を殺したのだとしたら、それは猫好きとしては絶対に許すことのできない行いであったというしかない。寺山修司は本当に猫が好きだったのだろうか。 それはともかく、「政治的家畜」という言葉の意味を解く鍵はこの幻の作品の中にあるのかもしれない。
ところで、クリス・マルケルが60-70年代の政治的騒乱を左翼的な立場から描いたドキュメンタリー映画『空気の底は赤い』(英語タイトルは "A Grin Without A Cat")には、「猫は政治とは無縁の動物である」という言葉が出てくる。わたしにはこの言葉のほうがむしろしっくり来る。猫は政治とは無縁の動物である。「ナチスの犬」はいても、「ナチスの猫」は存在しない。 (『猫学 Catlogy』の詳細については、例えば、『寺山修司 迷宮の世界』(洋泉社MOOK)を参照。)
わたしが見ることができたハンス・シュタインホフの映画は結局3本だけだが、この監督には確かな演出力があることが確認できた。彼が映画を撮ったのがたまたま(本当にたまたまなのか?)ナチス・ドイツでなかったならば、ひょっとしたら今頃は巨匠として名を残していたかもしれない。
ハンス・シュタインホフ『老いた王と若き王』(Der alte und der junge König - Friedrichs des Grossen Jugend, 1935) ★★
18世紀プロシア におけるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世と、その息子の王子フリードリヒ2世との確執を描いた伝記映画。軍人気質の権威主義的な父フリードリヒ1世とは対照的に、フリードリヒ2世は、フルートを嗜んだりする芸術家気質の人物だった。父フリードリヒ1世は、国事にもあまり関心のないひ弱な息子を事あるごとに叱責し、なんとか立派な世継ぎにしようとするが、息子はかえって反発する。このままでは父親の支配から逃れられないと考えたフリードリヒ2世は、とうとうフランスへの亡命を試みるが、直前で計画は露見し、父親によって投獄されてしまう。フリードリヒ1世は最初、息子を処刑することも考えるが思い直す。しかし、彼が下した処罰はそれ以上に残酷なものだった。フリードリヒ1世は、息子の親友で、かれの亡命を手伝ったカッツェを、息子の目の前で処刑したのである。この事件を境に、フリードリヒ2世は父親に絶対的服従を誓い、人が変わったように祖国プロシアのために献身的に働くようになるのだった。
息子フリードリヒ2世が、臨終の父親に、「お父さんは間違っていなかった」と語りかけ、フリードリヒ1世が「この国を偉大にするのだと言い残して息を引き取る場面がこの映画のクライマックスである。オフュルスの『マイエルリンクからサラエヴォへ』を少し思い出させる話ではあるが、ここには恋愛要素はまったくと言っていいほどない(シュタインホフの映画を見たのはまだ3本だけだが、恋愛要素がほとんど皆無であるのはただの偶然だろうか)。
フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)を描いた映画はサイレントの時代からドイツで撮られていた(『Fridericus Rex』(1922))。しかしナチスの時代になってそれが量産され始める背景には、この英雄的指導者とヒューラ―を重ね合わせようとする意図があったことは間違いないだろう。またエイゼンシュテインを持ち出すならば、『ヒトラー青年』が『戦艦ポチョムキン』を意識していたのに対して、この作品は『イワン雷帝』に当たる作品だということもできる(もっとも、『イワン雷帝』が撮られるのはこの映画の約10年後であるが)。
この映画はたしかに、『ヒトラー青年』のようなあからさまなプロパガンダ映画ではない。しかし、諸外国、とりわけフランスが祖国プロシア(ドイツ)と比べて侮蔑的に言及されていたり(フリードリヒ2世は留学 をきっかけにフランスにかぶれて音楽にうつつを抜かすようになる)、何よりも、権力者の命令には絶対的に服従すべきであるというメッセージが、いささかグロテスクな物語を通して語られるという部分に、プロパガンダ的な要素が多分に含まれていると言っていいだろう。
父フリードリヒ1世を演じているのは『嘆きの天使』のエミール・ヤニングス。いつものようにいささかオーバーアクト気味ではあるが、存在感は圧倒的であると言うしかない。ナチが政権を握ったあともドイツに残って映画に出続けたヤニングスは、戦後、映画界から追放されることになるだろう。ちなみに、『嘆きの天使』は退廃的であるとして、ナチが権力を掌握した33年に公開禁止になっている。
脚本を書いているのが、ラングが亡命したあともナチス・ドイツに残り続けたテア・フォン・ハルボウであるというのも、見逃せないポイントである。
ハンス・シュタインホフがどのような人物であったか、どのような政治信条を持っていたか、ナチとの関係はいかなるものであったかなどについて、わたしはあえて調べずにこれを書いている。わたしがそうだったように、事情を何も知らないものが見たならばたぶん、この作品にも『ヒトラー青年』と同じような曖昧さを感じるのではないだろうか。テア・フォン・ハルボウを始めとして、この映画に関わった作者たちは、おそらく、先程書いたようなプロパガンダ的な目的でこの作品を作っていたに違いない。しかし、自分のせいで親友が処刑されたのをきっかけに、まるで意思をなくしたロボットのように父親の望むとおりに振る舞うフリードリヒ2世を見ていると、命令には絶対的に服従すべしという表面的なメッセージの裏側に、それとは真逆なメッセージが込められているのではないかとつい思えてしまうのである。しかし、これはたぶん深読みに過ぎないのだろう。
1935年といえば、レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』が公開された年である。しかし実は、この年に撮られたナチのプロパガンダ映画の数は、その前後の時期と比べると、少なかったという。
『クリューガーおじさん』(Ohm Krüger, 1941) ★★★
19世紀末から20世紀初頭にかけて南アフリカのトランスバール共和国と、この地の金鉱の独占を狙うイギリスとの間で行われた帝国主義戦争、いわゆるボーア戦争を、トランスバール大統領クリューガーの視点から描いた映画。オランダ系アフリカ人であるボーア人たちとイギリスとの戦争という、『老いた王と若き王』以上に当時のドイツとはまったく関わりのない話であるが、この作品のほうがプロパガンダ色はより強い。
イギリスの支配から祖国を守ろうとするボーア人たちと大統領クリューガーの姿は、「自由と大地」のために戦っていたドイツ人とヒトラーに容易に重ねられるだろう。後半、イギリスとの戦争が激しさを増してゆくなかで、イギリス人たちは文字通り鬼畜のような描かれ方をされていく。わたしが今、プロパガンダ映画だとわかって見ていても、イギリス人たちに対する憎悪が自然と湧き上がってくるくらいだから、当時のドイツの観客たちはこの映画を見てさぞや好戦的な気持ちにさせられたことだろう。
しかし、この映画もやはりプロパガンダ映画としてはどうにもモヤモヤとした気分にさせる作品である。イギリス人たちは、戦争とは関係のない民家を焼き払い、民間人を逮捕して収容所に入れるのだが、その収容所で、満足な食事も与えないし、チフスが蔓延しても何の手も打とうとせず、異を唱えるものがあれば撃ち殺すという冷酷なイギリス人たちの姿は、第二次大戦を描いた映画におけるナチスの紋切り型のイメージとそっくりなのである。はたして、このアイロニカルなシーンをどのように理解すればいいのだろうか。
クリューガー大統領を演じているのは、またしてもエミール・ヤニングス。『老いた王と若き王』に比べるとずいぶん抑えた演技をしているが、そもそもメーキャップがすごくて元の顔はほとんど見分けがつかない。クリューガーの息子はイギリスに住んでいて、イギリスびいきの平和主義者になっているのだが、この息子と父クリューガーとの関係は、『老いた王と若き王』における父ヤニングスと息子の王子の関係を、ある意味で繰り返していると言っていいだろう(クリューガーは不甲斐ない息子を一度は勘当する。息子は、イギリス人の本性を目の当たりにして祖国のために戦うようになり、戦場でようやく父と再会するが、その頃には父ヤニングスは視力を失い息子の顔をほとんど見ることが出来ない)。
この映画にも、ゲッベルスのお気に入りだったという『戦艦ポチョムキン』を思い出させるシーンが少なからずある。収容所で食事に出された腐った缶詰を突きつけて抗議した女が殺される場面は、『戦艦ポチョムキン』の腐った肉のエピソードを思い起こさせる。その収容所に入れられている妻と子供に会いに来たクリューガーの息子は捕まり、小高い丘に立つ一本の木で絞首刑に処せられる。かれの妻を先頭に、女たちが抗議のシュプレヒコールを上げると、イギリス兵たちは彼女らを容赦なく撃ち殺してゆく。彼女たちが丘を転げ落ちるように撃ち倒されてゆくシーンは、オデッサの階段を意識したものに違いない。
ところで、レニ・リーフェンシュタールは『低地』(Tiefland) を製作中にゲッベルスから撮影を妨害されたという。「国民の戦争への協力 (war effort) のために、自作のセットを解体してスタジオを『クリューガーおじさん』と『老いた王と若き王』の撮影のために明け渡さなければならなかった」と彼女は語っている。しかし、時期から言って、『老いた王と若き王』の方はたぶんリーフェンシュタールの勘違いで、『Der grosse Ko¨nig』の間違いであろう。リーフェンシュタールは自分のナチへの関与を否定する発言を繰り返していた。この発言もそういう文脈で理解しなければならないのであろうが、いずれにせよ、この時期には、彼女のかつての栄光には陰りがあったことは確かであろう。
ヘルベルト・ノルクスという名前を聞いてすぐに誰だか分かる人は、ドイツ史の専門家でもない限りそう多くはないだろう。1932年1月24日、ベルリンで、いわゆるヒトラーユーゲント(ナチス党内の青少年組織)の一員だった若干15歳の少年が、ナチ党のポスターを張っていた際に共産主義者に刺殺されるという事件が起きる。その少年のこそがヘルベルト・ノルクスである。当時、ヒトラーユーゲントを指導していたバルドゥール・フォン・シーラッハと、ナチの宣伝相ゲッベルスは、すぐさまこの少年を英雄に祭り上げ、彼の死をナチのプロパガンダに利用した。事件の二日後には、ゲッベルスは、自ら創刊したナチスの機関紙「アングリフ」に、この殉教した少年に捧げる一文を掲載しているのだが、この文章がなかなか恐ろしい。ゲッベルスは、刺された上に頭を踏みつけられて殺された少年の、虚空を見つめるうつろな眼差しから語り起こし、その壮絶な死に様をほとんどサディスティックに描写してゆく。すると突然、「やつらが僕を殺した」と、死んだ少年が独白を始めるのである。少年は、自らが惨殺される瞬間を生々しく描写してゆくのだが、怖いのはその最後の部分だ。自分の死の瞬間を一通り語り終わると、少年は(というか、ゲッベルスは)次のように言葉を結ぶのだ。
「これはドイツで起きた。西欧文明の一員であると主張しているこの国で。しかもそれは、まだ子供である僕が、祖国のために尽くそうとしたというただそれだけの理由からだった……。僕こそはドイツだ」
ゲッベルスは、この少年を殉教者に仕立て上げ、英雄として永遠化することで、彼の中にナチス・ドイツの未来を永劫化してみせたのである。
この年、ノルクス少年をモデルにして書かれた小説、『Hitlerjunge Quex』が発行された。そしてナチスがついに権力を掌握する翌年の33年にはもう、この本はウーファ製作、ハンス・シュタインホフ監督で映画化されている。タイトルは原作と同じ「Hitlerjunge Quex」(「ヒトラー・ユーゲント Quex」)だった。日本では「ヒトラー青年」(あるいは「ヒトラー青年クヴェックス」)のタイトルで知られている。
第一次大戦の敗戦による法外な賠償金や、それに続く大恐慌によって貧困に喘いでいたドイツがこの映画の舞台だ。貧しさから盗みをはたらいた男を捕まえた店主に、野次馬たちが「悪いのは、働いても、働いても暮らしが楽にならないこの世の中だ」と囃し立て、やがて暴動が起きて警察が出動するにまでに至るところから映画は始まる。群衆を扇動していたのは一人の共産主義者であったことがあとになってわかる。この共産主義者は、最初こそ、このように一見民衆の側に立って活動するものとして登場するが、やがて次第に、目的のためには手段を選ばない悪意に満ちた卑劣な人間としてその本性を顕にしてゆき、結果的に主人公の少年をしに至らせることになるだろう。
このナチス初期のプロパガンダ映画においては、ユダヤ人の存在はほとんど問題とされていない。多くの作品を見たわけではないので断言はできないが、この時代のナチのプロパガンダ映画においては、ユダヤ主義が問題とされることはまだあまりなかったと言われる((むろん、それはこの時代に反ユダヤ主義が存在しなかったということを意味しない。実際、この映画を製作した Universum Film Aktiengesellschaft は、映画が公開された年に、すべてのユダヤ人を解雇している。))。いずれにせよ、この映画でナチス党に対立する存在は、あくまでも共産主義者たちである。
印象的な場面が一つある。冒頭に登場した共産主義者の男は、主人公の少年を共産主義に引っ張り込もうと企んで、彼をコミュニストたちのキャンプに連れてゆく。しかし、少年は、浮かれ騒いで、粗野な冗談を言って彼をからかうコミュニストたちの集団に居心地の悪さを覚え、ひとりでフラフラと林の中を歩きまわり始める。すると突然、眼下に開けた空き地が現れ、そこでナチスの若い党員たちがキャンプをしているのを垣間見る。コミュニストたちと対照的に、規律正しく、健康的なナチの党員たちの姿に少年はたちまち魅了される……。 少年は家に帰り、ナチスの党員たちが歌っていた唄を口ずさんでいるところを父親に見つけられて、激しく殴打される。少年の父親はコミュニストであるが、かれもまた、貧しいなかでなんとかやりくりしている妻に大声でわめき散らして無理やり酒代を出させようとする、アルコール中毒のみすぼらしい人間として描かれている。
一方で、この映画に描かれるナチの党員たちは、祖国ドイツのために真摯に努めるものたちであり、ドイツではなく他国(〈インターナショナル〉)ばかりを見ているコミュニストたちと絶えず対比される(「イギリスのビールとドイツのビールがあったならどちらを飲む?」)。そして、この映画の中では、ことを成就するために暴力を使うのはいつも共産主義者たちであり、その暴力の犠牲となるのはナチの党員たちのほうなのである。
こうやって書くと、とてもわかりやすい陳腐なプロパガンダ映画のように思えるかもしれないが、作品を見た印象はぜんぜん違う。決して押し付けがましい映画ではなく、むしろ、プロパガンダ映画であることを時々忘れてしまうほど、ときに繊細に見事に作り上げられている映画である。 たしかに、共産主義者たちを貶めることによってナチスを高揚するという姿勢においてこの映画はまぎれもなくプロパガンダ映画であると言ってよい(もっとも、それは、『戦艦ポチョムキン』がプロパガンダ映画であるのと同じ意味でしかない。実際、この映画はエイゼンシュテインのこの作品に対抗する形で、それを参考にしつつ作られたと言われる)。しかし一方で、この映画には何とも言えない曖昧さが最後までつきまとう。作者たちの意図がナチスの高揚であったにしても、観客は、この映画にはそれとは別の意味があるのではないかというモヤモヤとした気持ちを拭い去れない。この映画はナチスドイツのために犠牲となった少年を通じてナチを高揚した作品などではなく、コミュニズムがなんたるかもファシズムがなんたるかもわかっていない愚かな少年が、歴史に翻弄されて無意味に死んでく姿を描いた映画ではないのか? その時この映画は、例えば『ドイツ零年』のような作品に近づくと言っていいだろう。
この映画はナチスによって強力に推薦され、学校の子供たちが課外授業で映画館に観に行ったりもして、千から2千人の観客を動員したと言われる。 この悪名高い映画がドイツ国内外に与えた影響は決して少なくない。様々な研究がなされてきているが、とりわけ有名なのは、『精神のエコロジー』で有名なグレゴリー・ベイトソンが、この作品について詳細な分析を加えた一冊であろう。さいわい日本でも、『大衆プロパガンダ映画の誕生――ドイツ映画『ヒトラー青年クヴェックス』の分析――』として翻訳が出ている。実を言うと、この本は数十年前に買って読まずにずっと書棚に眠っていた。今回、この映画を見終わっただいぶあとで、「Hitlerjunge Quex」の邦題が「ヒトラー青年」だということに気づいて初めてこの本のことを思い出した次第である。なので、まだ読んでもいない。 この映画についてはまだまだ書くべきことがたくさんあるが、すでに長くなりすぎた。ベイトソンの本を読んだあとにでもまた詳しく論じたいと思う。
プレ・コード時代のハリウッドで作られた最初期のディザースター・フィルム(大災害パニック映画)の一つ。フィルムは失われてしまったものと長らく考えられていたが、1981年にイタリア語版のプリントが発見され、2016年になってさらに英語版も残っていたことが判明した。現在ではデジタル修復されてまばゆいばかりの状態で Blu-ray 化されていて、簡単に見ることができる。
監督のフェリクス・フェイストは、カート・シオドマクの原作を映画化した『ドノヴァンの脳髄』で有名だが、フランスのシネフィルの間などではカーク・ダグラス主演の『ザ・ビッグ・ツリー』が、ときにホークス作品と比較されるほど評価が高い。
オープニング・クレジットが終わると同時に、科学者たちが前代未聞の異常気象について警戒を強めている様子が描かれ、その直後に、台風と地震がニューヨークを直撃するというスピーディな展開がよい。やがて押し寄せた津波によって、立ち並ぶ高層ビルは次々と崩れ去ってゆき、NYはあっという間に見渡す限りの廃墟と化す。80年以上前に作られた映画だが、精緻に作られたミニチュアを使った津波の場面は今見ても十分に見応えがある。ニューヨークが海に飲み込まれてゆくこのイメージはおそらく『デイ・アフター・トゥモロー』の津波のシーンなどにも確実に影響を与えているはずである。 大スペクタクル映画とはいえ、70分ほどの上映時間しかないこの映画のなかで、カタストローフの場面は最初の半分だけで、映画の後半では、崩壊した世界のなかで生き残ったものたちのサバイバルが描かれる。「大洪水」という原題がすでに暗示しているように、この映画の背景には旧約聖書的な洪水の物語があるといっていい(実際、映画は旧約聖書の言葉の引用で始まっている)。
荒廃した世界のなかでやがて、素性の知れないひとりの美しい女性と、妻子を失ってしまった(と彼は思っている)ひとりの男性が、アダムとイブのように結ばれるのだが、その楽園は長くは続かない。海岸に流れ着いた女を最初に助けて、彼女を自分の所有物のように勝手に思い込んでいる野蛮な男が、銃を持った仲間のギャングたちを連れて彼女を奪い返しに来たのである。洞窟での銃撃戦の末にギャングたちを倒したふたりは、ちょうどギャングたちを制圧するためにやってきた別のコミュニティの者たちによって保護され、彼らが建てた街に連れて行かれる。だがそこには、死んだと思っていた男の妻子が生きて暮らしていて……。
前半が災害パニック映画だとすると、後半は、終末後の世界を描いたディストピア映画になっているとでも言えばいいだろうか。 スペクタクル・シーンがこの映画の見所であるのは間違いないが、プレ・コード時代の映画としてみたときも、この作品は実に興味深い。男女が同じベッドに横になっているショットはもちろんだが(この映画の1年足らず後には、同じベッドに男女が横たわっているイメージは、表象不可能なものになってしまっている)、一番驚いたのは、おそらくはレイプされて殺されたのであろう女の、ロープで縛られ全裸で打ち捨てられた死体(さすがに一部を見せて暗示するだけだが)まで見せているところだ。
ヒロインを演じているペギー・シャノンは、ジーグフェルド・フォリーズのコーラス・ガールのひとりとして活躍したあと、映画の世界に入り、当時神経衰弱で参っていたクララ・ボウにかわる「ニュー・クララ・ボウ」として売り出されたものの、女優として真に開花することはなかった。この映画を撮った数年後から彼女は酒に溺れるようになり、1941年、自宅のキッチン・テーブルで、グラスを片手にテーブルにうつ伏せになるようにして死んでいるところを、旅行から帰宅した夫によって発見される。わずか34歳だった。そしてその夫も、数週間後に、同じテーブルで頭を猟銃で撃って自殺している。
一方、主演男優のシドニー・ブラックマーは、このあと次第にテレビに活躍の中心を移してゆくのだが、この映画の30数年後に『ローズマリーの赤ちゃん』で演じた、ミア・ファーロー&ジョン・カサヴェテス夫婦の隣の部屋に住む奇妙な老夫婦の夫役はいまでも強く印象に残っている。
『A Simple Casse』でトーキーを試みたものの果たせずに終わったプドフキンは、この『脱走者』で初のトーキー映画に成功する。 「脱走者」というタイトルからつい戦争映画を想像してしまうかもしれないが、そうではく、工場のストライキを描いた映画である。むしろ「離脱者」くらいのタイトルが適当であろう。労働者運動からの離脱という意味だ。
映画の舞台となるのはロシアではなく、ドイツ(ハンブルク?)の造船所。そこの労働者たちはソヴィエトと密に連絡を取りながら、労働者運動を繰り広げている。工場で働く若者レンは、ストライキやデモに参加しながらも、労働運動の意味を信じられずにいる。ストライキが長引くうちに、労働者のなかには飢えに苦しんで盗みを働くものさえ現れ、デモに対する警察の弾圧も日増しに激しくなってゆく。こんなふうに犠牲者を出してまで、運動を続けてゆく意味が果たしてあるのだろうか。そんな折に、労働者のなかから数名が選ばれてソヴィエトに視察に行くことになる。労働運動のリーダーは、レンが運動に疑問をいだいていることを知りながら、あえて彼を視察団の一員に加える。レンにとって、このソヴィエト行は運動からの「脱走」にしかすぎなかったのだが、ソヴィエトで見た労働者たちの生き生きとした姿に心を打たれた彼は、そこで技師として働くうちに、社会主義の素晴らしさに初めて気づき、ドイツに帰国するや否やデモの先頭に立ち、労働運動に身を投じてゆく。
農夫(『聖ペテルスブルグの最後』)や、母(『母』)や、モンゴル人(『アジアの嵐』)の意識の目覚めを描いてきたのと同様に、プドフキンはここでもひとりの労働者の意識の目覚めを描いている。主人公が行き来するのが、スターリン体制の確立しつつあったソヴィエトと、ナチスによって政権が奪取される直前のドイツである点も興味深い。スターリニズムとナチズムという2つの悪夢にまだ無自覚のまま夢見られる労働者の楽園。ラストの遠ざかってゆく赤旗のイメージをどう解釈すればいいのだろうか。それは未来への希望なのか、それとも希望の遠ざかりなのか。
しかし、その内容以上に興味深いのは、実験的なサウンドの使い方だ。クリスティン・トンプソンは30年代初頭のソヴィエト映画11本を分析した上で、1928年にエイゼンシュテイン、プドフキン、アレクサンドロフによって発表された有名な声明のなかで提示された「対位法的サウンド」の理論にそったイメージとサウンドの分離を「一貫して」用いているのは、レオニード・トラウベルクの『オドナ』とプドフキンのこの作品だけであると結論づけている。この分析が正確であるかどうかはともかく、プドフキンがこの映画で初めてサウンドを扱うにあたって様々な実験を行っていることは確かである。
チャップリンが『独裁者』の最後で演説にたどり着いたように、プドフキンもこの映画のラストで、主人公にロシア人の聴衆を前にしてスピーチをさせている。不思議なのは、前半のハンブルクが舞台の場面では、ドイツ人たちは皆ロシア語を話していたのに、舞台がロシアに移った途端、主人公がドイツ語を話し始めることだ。しかしこれは意図的なものではなかったのだろう。この映画は当初、ドイツ語版とロシア語版の2つが作られる予定だったというので、そのあたりの制作事情が影響しているのかもしれない。 さて、そのスピーチの場面で、主人公がドイツ語で話すたびに、通訳がそれをロシア語に翻訳していくのだが、通訳が入ることによってスピーチと聴衆の反応のあいだに時間的なズレが生まれ、そのズレが主人公の焦るような気持ちを次第に掻き立ててゆくかのように画面が構成されているところが面白い。いわば万国共通の言語であったサイレント映画がトーキー映画へと移行するときに、通訳(吹き替え)の問題が出てくるのは当然だが、こうやって通訳を実際に登場させたトーキー映画というのはひょっとしたらこれが初めではないだろうか(調べもせずに適当なことを言っているのだが)。
ちなみに、ハルーン・ファロッキは、世界で初めて撮られた映画であるリュミエール兄弟の『工場の出口』から始めて、世界の映画史を「工場の出口」という視点から捉え直した作品、『工場を立ち去る労働者たち』のなかで、名もないドキュメンタリー映像もふくめた様々な映像とならべてプドフキンのこの映画を引用して短い分析を加えている。引用されているのは、ハンブルクの工場で、スト破りの労働者たちが積荷を船に運びいれるのを、仕事にあぶれた大勢の労働者たち(彼らはスト破りの予備軍である)が工場のゲートの格子越しにじっと見ている場面だ。この場面は、工場と牢獄のイメージの共通性が指摘される後半の部分で、もう一度引用されることになる。
フセヴォロド・プドフキン『脳の機能』(Mekhanika golovnogo mozga, 1926) ★
脳神経が動物の行動に及ぼす働きを描いた純然たる科学映画。カエルから始まって、犬、猿というふうに動物生体実験の様子が描かれてゆき、そこから得られた結論から、最後に、人間における脳の機能が考察される(さすがに人間の生体実験までは描かれない)。
パブロフのレニングラード研究所を取材したこの科学映画をプドフキンが撮るに至った詳しい経緯はわからないが、かれが若い頃に化学(化け学の方)を学んでいたことも少なからず関係しているのだろう。パブロフがこの映画にどのように関わったかについても詳細はわからない。完成した作品に対するパブロフの反応も曖昧で、気に入っていたという話もあれば、不満を漏らしていたという話もある。
それにしても、知らずに見たら、まさかこれがプドフキンの映画だとは誰も思わないだろう。
ちなみに、ヴェルトフも若い頃に脳心理学を学んでいたし、ドヴジェンコも『ミチューリン』という科学者映画を撮っている。ソ連における科学と映画の関係は意外と奥が深い。
フセヴォロド・プドフキン『A Simple Case』(Prostoy sluchay, 1932) ★★½
プドフキンがこの映画の制作に取り掛かったのは1928年のことだった。かれは最初この映画をトーキーとして制作しようとしたが、結局、サイレントとして作ることを余儀なくされた。最初、「人生は美しい」のタイトルで公開されたものの、批評家からは攻撃され、大衆からは「よくわからない」と言われたため、プドフキンはこの映画を編集し直して「A Simple Case」というタイトルで32年に公開し直すことになる。プドフキンにとって非常に不幸な作品だった。
1928年3月のソヴィエト映画会議において、映画作品は社会的・政治的な内容についての正確な基準を含んでいて、「万人に理解できるものである」べきであるという声明が発表される。映画の評価基準を定めた党によるこの正式な見解は、ソヴィエトの映画作家たちに直接的・間接的に大きな影響を与えることになるであろう。1935年の全ソ連邦映画人会議において社会主義リアリズムの理論が導入されるよりもはるか前のこのときから、ソヴィエトの映画作家たちは周りの空気が変わり始めていたことを感じていたに違いない。
それと同時に、1928年は、ソヴィエトの映画作家たちがトーキー映画を視野に入れて映画を作り始める時期でもあった。ソヴィエトにおける最初のトーキー映画が公開されるのは、31年製作の『女一人』になるのであるが、ヴェルトフの『カメラを持った男』(29) やプドフキンのこの『A Simple Case』など、この時期に制作された映画には、当初はトーキー映画として考えられていた作品が少なくない。
この映画が失敗したのは、むろん、こうした外的な理由だけではないだろうが、こうした状況がこの映画の命運に少なからぬ影響を与えたことは確かだろう。
単純な物語のわりには、正直、わかりにくい映画だが、ときおり現れる映画的瞬間にはハッとさせられる。大地にひとり立ち尽くす男。空を流れる雲。一本道を走ってくる女のカットイン。曲がりくねった道を捉えたロングショット。男に駆け寄る女。冒頭のこの一連のショットは、あまり意味のないハッタリのようなカットつなぎだと思いながらも、引き込まれるのは確かだ。男が駅で女と別れるシーンのあとに、突然、「3分前」という字幕が挿入され、階段を降りる無数の脚をスローモーションで捉えたショットが続く場面もとても不思議な感覚を与える。
プドフキンの映画のモンタージュは、いわゆる「モンタージュ」よりも、ストーリーを効率的に語るためのハリウッド流「カッティング」に近いと言われたりもする。たしかに、プドフキンが理論的著作のなかで表明していたのはそのような映画だったろうが、当然ながら、プドフキンの実際の映画がかれの理論通りにできているわけではない。そういう意味では、この映画は、当初彼が考えていたものとはずいぶん別のものになってしまったが、プドフキンの作品のなかでもとりわけ実験的な一本とさえ言えるかもしれない。
「メアリー・ピックフォードの映画にふくまれる甘いプチ・ブルジョア的毒は、健全で進歩的な観客の中にさえ残っているプチ・ブルジョア的な傾向を意図的に刺激することで、搾取し、手懐ける」(エイゼンシュテイン)
「ヨーロッパの観客が『戦艦ポチョムキン』の水夫たちを見て熱狂していたとき、ロシア人たちはメアリー・ピックフォードとルドルフ・ヴァレンチノを夢見ていた」(クリス・マルケル『アレクサンドルの墓/最後のボルシェヴィキ』)
1926年にツアーでロシアを訪れていたメアリー・ピックフォードとダグラス・フェアバンクスを、本人役で登場させ、物語の重要な登場人物にしてしまった、ある意味で商魂たくましいロマンティック・コメディ。セルゲイ・コマロフは主に俳優として知られている名前であるが、この映画をふくめて2本だけ監督作品がある。彼も、プドフキンやバルネットなど多くの監督たちと同じくレフ・クレショフの門下生だった。
映画館に務める主人公の青年は、ピックフォードに憧れる女優の卵に惚れている。女優の卵に「スターになってから来なさい」と言われた青年は、怪しげなフィットネスクラブに通ってスターを目指す。その努力はさして実らないのだが、映画撮影中のピックフォードが何故かかれに目を留め、青年はピックフォードのラブシーンの相手役に大抜擢される。そのシーンのなかでピックフォードに頬にキスされた青年は、メアリーにキスされた男としてどこに行っても VIP 扱いされるようになる。こうして念願のスターとなった青年だが、彼のあとを狂ったように追い回し始めるファンの行動は次第にエスカレートしてゆき……。
他愛のないコメディであるが、この NEP(新経済政策)の時代に、海外の(とりわけハリウッドの)映画がどのように受容されていたのかがよく分かるという意味で、非常に興味深い。映画史において、20年代のロシア映画は、いわゆる「モンタージュ派」の作品のみによってややもすれば代表されてしまいがちであるが、もちろん、実際には、もっと因習的な、早い話がハリウッド風の映画も数多く作られていた。一方で、ピックフォードやフェアバンクスの映画を始め、チャップリン、キートンなどのハリウッド映画が次々と公開され、人気を博していた。この映画は、そうした状況をわかりやすく皮肉交じりに描いている。ただ、この作品が、ハリウッド映画への大衆の熱狂ぶりを、真剣に憂え、批判しようとして作られた映画であるかというと、それはかなり怪しい。
冒頭に引用した言葉からもわかるように、エイゼンシュテインはメアリー・ピックフォード主演の映画をプチ・ブル的と批判していた。だとすれば、劇映画を全否定していたジガ・ヴェルトフにとっては、彼女の映画はなおさら唾棄すべきものに映っていたに違いない。しかし、この映画にはエイゼンシュテインやヴェルトフらがこうした映画に対して抱いていたネガティヴな意識は微塵も感じられず、それどころか革命などまるでなかったかのように作られている。
噂の域を出ないが、この映画には、初代教育人民委員(文相)であったルナチャルスキーも関わっていたらしい。ルナチャルスキーといえば、「あらゆる芸術のなかで、映画はもっとも重要な芸術である」というレーニンのよく知られた言葉を自著のなかで伝えた人物として有名である。彼はその同じ著書のなかで、レーニンの主張を敷衍する形で、映画は社会主義のイデオロギーをただ主張するだけでなく、大衆にアピールするものでなければならないという考えを述べていた。退屈なアジテーションは、反アジテーションになりかねないというわけである。もしも、ルナチャルスキーが関わっていたというのが真実であるとするなら、この一見何の政治性も感じられないコメディにも、なにがしかの政治的な意図が込められていたと考えることもできるのだろうか。
すったもんだの末に恋人と結ばれた主人公の青年は、最後に、頬に残っていたメアリー・ピックフォードのキスのあとを拭い去り、元の静かな生活へと戻ってゆく。この終わり方に某かのメッセージを受け取るべきなのか(だとしても、それは弱々しすぎるメッセージであると言うしかない)
ちなみに、映画をテーマにしたこの映画には、実は、あのアブラム・ロームも映画監督役でカメオ出演している。
イフゲニー・スラヴィンスキー『女教師とごろつき』(Baryshnya i khuligan, 1918) ★½
ロシア未来派の詩人ウラジミール・マヤコフスキーが脚本を書き、出演もしている短編映画。マヤコフスキーはたぶん演出にも関わったと思われる。1895年に出版されたイタリアの作家 Edmondo De Amicis の小説をマヤコフスキーが脚色したもので、物語の舞台も原作のイタリアからロシアに移されている。
若い美人の女新任教師が、年齢もバラバラで(なかには老人もいる)、文字もろくに読めない粗野な男たちばかりのいる教室で教鞭をとることになり、その男子生徒の一人にしつこく迫られるという〈女教師もの〉。
美しい女教師に一目惚れし、真剣に恋をするが、不器用に迫ることしかできないガラの悪い不良青年を、マヤコフスキーは並々ならぬ存在感で演じている。
「あなたが好きです。キスさせてください」と宿題の紙に書いて手渡してきた青年を、女教師は最初は激しく拒絶する。しかし、男はあきらめず、ストーカーのように彼女につきまとう。やがて、青年が他の生徒達と喧嘩になってナイフで刺され、死にかけていると知った女教師は、彼のベッドに駆けつけ、唇にそっとキスをする。死ぬ間際に青年は、神父の持っていた十字架に唇を押し当てるのだった……。
――という、内容的にはどうということのないメロドラマ。しかし、不良青年を演じるマヤコフスキーには、いかにもヤバそうな雰囲気があり、何とも言えないオーラが感じられる。
ジガ・ヴェルトフは、1917年にペトログラードに移住し、そこでマヤコフスキーとも出会っているはずである。この映画は1918年製作であるから、この頃にはすでにふたりは出会っていたのだろうか。
この頃の二人の関係がどうだったのかは不明だが、1920年代の中頃になると、マヤコフスキーは「レフ」誌の編集長として、ヴェルトフとエスフィル・シューブのドキュメンタリー映画を擁護し、ヴェルトフがそうしたように、商業主義的なソヴィエト映画や、NEPの時代に輸入されてくるハリウッドの恋愛映画などを攻撃していたという。マヤコフスキーの映画に対する姿勢は、フィクション映画を激しく攻撃したヴェルトフの姿勢に近いものがあったようだ。
「キノ-フォト」誌((ロシア構成主義の芸術家であり理論家であったアレクセイ・ガンが発行した映画雑誌。))にマヤコフスキーは映画についてのユーモラスな詩を発表しているのだが、そのページにはヴェルトフの写真が掲載されているという。ロトチェンコとの関係ほどには具体的なエピソードは残っていないようだが、ヴェルトフとマヤコフスキーは、実際にどの程度の付き合いがあったかとは無関係に、社会主義下における芸術の役割について、共通する考えを少なからず持っていたことを伺わせるエピソードである。研究者のなかには、マヤコフスキーの「事実の詩」が、ヴェルトフの「映画眼」をもたらしたというものさえいる。それはともかく、ヴェルトフの残した数々のマニフェストを見てもわかるように、彼がこの詩人の影響を強く受けていたことは間違いない。
「マヤコフスキーは映画眼だ。彼は眼に見えないものを見る[…]
映画眼は、世界中の映画が作り出している紋切り型を背にして立つ、マヤコフスキーだ」(ジガ・ヴェルトフ)
セルゲイ・エイゼンシュテイン『グリモフの日記』(Dnevnik Glumova, 1923) ★½
エイゼンシュテインが初めて撮った彼の映画デビュー作。
『雷雨』で知られるロシアの劇作家アレクサンドル・オストロフスキーの戯曲『どんな賢い人間にも抜かりはある』を脚色してプロレトクリト劇場で上演する際に、エイゼンシュテインはこの短編映画を「アトラクションのモンタージュ」として劇中に導入した。
あくまで劇のなかで見せる目的で撮られた作品であるので、この映画だけを見ると、正直、理解に苦しむ部分が多々ある。
ロープで建物をよじ登っていくスラップスティックなアクション。赤んぼうやロバなど、相手の望むとおりの姿に変身するグリモフ(メリエス的な他愛もないトリック撮影が使われている)。原作の戯曲がサーカスを描いたものなので、顔を白塗りにしたサーカスの芸人らしきものたちが次々と現れるのだが、だれが誰かもわからない。カーニバル的な狂騒がただただ脈絡もなく連続してゆくだけだ。ちなみにこの映画には字幕は全く使われていない((映画は3つのパートに分かれていて、それぞれが劇の然るべき瞬間に上映される形になっていたようだ。『グリモフの日記』はそれを一つの作品につなげているので、さらにわかりにくくなっている。しかも、下 DVD に収録されているヴァージョンでは、どうやら最初のパート(エイゼンシュテインが登場する部分)がカットされているものと思われる。))。
たぶん様々なものがパロディ化されていると思うのだが、背景がわからないので何が揶揄されているのかも定かでない。エイゼンシュテイン自身の証言によると、この前年から撮られ始め、当時のロシアの映画館でよく見られていたジガ・ヴェルトフの「キノ・プラウダ」シリーズのパロディにもなっているらしいのだが、少なくとも現存する『グリモフの日記』のプリントを見る限り、両作品に似ているところはほとんど無いように思える。
エイゼンシュテインは原作を変更して、舞台をパリに移し、そこのロシア人サーカス一座という設定にしたらしいのだが、撮影自体はたぶんモスクワで行われたものと思われる。時折ちらっと見える街の実景には、ルイ・フイヤードの『ファントマ』などのロケーション主体で撮られた初期サイレント映画の雰囲気もある。
この短編映画が映画デビュー作であったので、エイゼンシュテインは、映画の様々なテクニックを学ぶためにゴスキノからアドバイザーを送ってもらったのだが、なんとやってきたのは、自分がパロディにしようとしていたジガ・ヴェルトフだったので、この皮肉な成り行きにエイゼンシュテインは苦笑したという。ヴェルトフは数ショットを見ただけで帰っていったというが、彼はそれが自分の「キノ・プラウダ」のパロディであることに気づいたのだろうか。それもよくわからない。
『グリモフの日記』は長らく紛失したと思われていたが、1977年になって、1923年にジガ・ヴェルトフが編集したニュース映画『キノ・プラウダ』16号の中に、「プロレトクリトの春の微笑み」というタイトルで編入されているのが発見されたという。この経緯もよくわからない。この映画のテイストはヴェルトフの作品よりは、例えば、オーソン・ウェルズが秀作時代に撮った『The Hearts of Age』のような作品に近く、ニュース映画のなかに紛れ込ませることができるような映画にはとても思えないからだ((エイゼンシュテインのこの短編を「キノ・プラウダ」シリーズに紛れ込ませることによって、ヴェルトフは、エイゼンシュテインによるパロディ自体を、さらにパロディにしていたのであると、セス・フェルドマンは解釈している。))。
とにもかくにも、エイゼンシュテインとヴェルトフの対立は、そもそものこの出会いからどうやら始まっていたらしいということがわかる、興味深いエピソードである。
上で紹介した2作品は下写真の DVD のなかに収録されている。同 DVD にはドヴジェンコのスラップスティックなサイレントコメディや、プドフキンの抱腹絶倒のコメディ『チェス狂』などを始め、めったに見ることが出来ないロシア・ソヴィエトの映画作品(1912-1933年)が8本入っている。
5月26日の神戸映画資料館の連続講座:20世紀傑作映画再(発)見 第4回「『カメラを持った男』──機械の眼が見た〈真実〉」がそろそろ近づいてきたので、これから暫くの間はロシア・ソヴィエト映画強化週間になります。
ミハイル・カラトーゾフ『軍靴の中の釘』(Gvozd v sapoge [Lursmani cheqmashi], 31) ★★½
『スヴァネチアの塩』を始めとするドキュメンタリー作品数本を撮った後にカラトーゾフが手掛けた劇映画第2作目。
革命軍の武装列車が皇帝軍の襲撃を受ける。列車とそれに乗った赤軍兵士たちを救うために、一人の兵士が大事なメッセージを携えてひとり列車を離れ、援軍を呼びに向かう。しかし、その途中で彼の履いた軍靴の釘が足に刺さり、苦痛で動けなくなる。その間も列車は攻撃を受け続け、味方は次々と死んでゆく。兵士は軍法会議にかけられ、敗北の責任を追求される。しかし、彼は反論するのだった。工場でもっとちゃんとした軍靴さえ作られていたなら、こんなことにはならなかったのだと……。
エイゼンシュテインたちに少し遅れて、モスクワでクレショフらの提唱する斬新なモンタージュ理論にふれた地方出身の青年監督が、それを急速に吸収してゆき、いささか過剰なまでにモンタージュの技法を披露してみせたとでもいうべき作品で、『スヴァネチアの塩』同様、形式的には目をみはるものがある。
この映画では戦闘がリアルに描かれる一方で、どことなくおとぎ話めいた雰囲気が最初から漂っている。とりわけ、後半の裁判シーンで、若者たちが、「われわれにはこのような父親はいらない」(「父親」とは、今まさに裁かれている兵士のこと)と書かれた垂れ幕を掲げて傍聴席に入ってくるところあたりから、作品のトーンが予想もしない方向に変化していき、ちょっと唖然とさせられる。
カラトーゾフにはおそらくその意図はなかったはずだが、この作品は赤軍を批判的に描いているという理由で上映禁止の憂き目に合った。スターリン時代の検閲の実体を考える上でも、この作品は重要な映画の一つと言える。この前に撮られた『スヴァネチアの塩』もソヴィエトのネガティヴな部分を描いているとの理由で当局から睨まれたわけだが、どちらも表向きの理由であり、実際は、カラトーゾフの映画の形式主義が、スターリン時代の締め付けが強まり始めていた党の映画についての方針と相容れなかったということかもしれない。いずれにせよ、このあと彼が思うように作品を撮れるようになるのは、実に、ここから20数年後のことであった。
トーキー時代に入ってもカラトーゾフの映画から画面の過剰さは消えることがなかった。サイレント時代のめくるめくような素早いモンタージュに代わって異様なほど長いワンショット=ワンシークエンス撮影へと姿を変えてそれは残り続け、ソ連を遠く離れたキューバにおいて撮られた晩年の傑作『怒りのキューバ』に於いてマニエリスムの頂点に達するだろう。
Filmmuseum から出ている DVD(下写真)には、『スヴァネチアの塩』も収録されている。
たまたま(?)ジャッロ映画を続けて見てしまったのでかんたんにメモしておく。
ルイジ・コッツィ『キラー・マスト・キル・アゲイン』
(L'assassino è costretto ad uccidere ancra, 75, 未) ★★
妻を疎ましく思っている男(ジョルジオ)が、寂しい埠頭の電話ボックスで電話をしているときに、偶然、謎の男が殺した女を車に乗せて海に沈める瞬間をみてしまう。しかし彼は、警察に通報する代わりに、犯人にある話を持ちかける。今見たことは黙っていてやるから、自分の妻を殺してほしいというのだ……。
こうして、交換殺人めいた場面から映画は始まるのだが、謎の男がジョルジオの家で彼の妻を殺した直後に(むろん、この時、ジョルジオは別の場所でアリバイを作っている)、女の死体を乗せた彼の車が軽薄なカップルによって盗まれてしまうあたりから話が横滑りしてゆき、ロードムーヴィー風サスペンス映画とでもいったものに変わっていくところがなかなか面白い。
カップルの女のほうが謎の男によって強姦されている場面と、カップルの男のほうがたまたま拾った別の女とカーセックスしている場面とをカットバックしてみせるシークエンスなどに、ジャッロ映画の紋切り型に対する作り手の批評意識のようなものが感じられる(優れたジャンル映画というのは、しばしばそのジャンルに対する批評を含んでいるものだ。この映画ではそれがさほど成功しているように思えないが)。
特典映像のインタビューを見ると、この監督は、ゴダールの『アルファヴィル』の影響丸出しのSF映画を撮っていたりするらしい。ちょっとだけ興味が湧いてきた。他の作品ももう少し見てみたい。
セルジオ・マルティーノ『ウォード夫人の奇妙な悪徳』
(Lo strano vizio della signora Wardh, 71, 未) ★★½
外交官の妻ワルド夫人には3人の男がいた。異常なほどサディスティックな過去の恋人ジャン、結婚したばかりの夫ニール、そして新たにできた愛人ジョルジュである。彼女と3人の男の関係が複雑になってゆく一方で、いま彼女が滞在しているウィーンでは、女性ばかりを狙ったシリアル・キラーによる殺人事件が街を騒がせていた。やがて彼女は、ジャンこそがシリアル・キラーなのではないかと疑いはじめる……。
60年代末に登場したダリオ・アルジェントの作風の影響が強く感じられるジャッロ初期の佳作。この映画は、マルティーノの長編劇映画2作目で、彼がわずか30歳の頃の作品である。それにしては堂々たる演出ぶりで、観客の予想を少しづつ裏切るようにしてサスペンスを持続させてゆく手腕はすでになかなかのものであるし、空間把握にも才気が感じられる。ヒロインにつきまとう謎の人物が指定した庭園に、ヒロインの女友達が代わりにおもむく場面では、シネスコの画面全体をあえて無駄に使い、だだっ広い何もない空間に巧みにサスペンスをみなぎらせることに成功していた。ここはたぶん、『北北西に進路を取れ』で、ケイリー・グラントが辺り一面何もない一本道で飛行機に追いかけられるシーンからヒントを得たのだろう。そういう意味では、たしかに目新しいところは何もない映画かもしれないが、監督2作目で、様々な影響を消化してこれだけの作品を撮れれば十分だろう。
あまり詳しく書けないが、後半の二転三転する展開もミステリー・ファンには嬉しいはずだ(意外性を求めるあまり多少強引なところも見られるが、基本的にはよく出来ている)。
Ján Rohác, Vladimír Svitácek『千のクラリネット』(Kdyby tisíc klarinetu, 65) ★½
何やらどんくさそうな新兵が、野外で訓練中に上官に注意され、罰として遠くに見える一本木まで突撃を命じられる(彼はいつもこういう罰を命じられてばかりいるらしい)。しかし、新兵が一瞬目を離した隙きに、その木は根本から切り倒され、見えなくなってしまう。戸惑う新兵は、その瞬間に意を決し、銃もリュックも投げ捨て、脱走する。彼はすぐに追い詰められ、自分に銃を向ける仲間の兵士たちに取り囲まれてしまう。しかし、そのとき不思議な事が起きる。上官が「撃て」と命じた瞬間、兵士たちが構えていた銃がクラリネットに変わってしまうのである。この時を境にして、兵舎の至る所で、武器という武器がヴァイオリンやトランペットなどの楽器に姿を変え始める。兵舎は、手に手に楽器を持った兵士たちが歌い踊り、事件に気づいたテレビの女レポーターらを巻き込んでの御祭騒ぎになる。
奇想天外なチェコ製ミュージカル。アイデアだけのちょっと脳天気な作品という気もするが、事態にうろたえた軍の上層部が調査を始め、武器が楽器に変わる地理的境界線を見定めて杭を打っていく場面は『光る眼』を思い出させるし、境界線上で武器を動かすと、線を境に楽器に変わってゆくショットなどは、CGも使っていないのによく撮れていて感心する。 映画の大半は兵士たちが陽気に歌い踊っているだけなのだが、最後に、冒頭で脱走した新兵が再登場すると空気が一変。またしてもまわりを取り囲まれると、今度は逆に、彼が手にしていたクラリネトが機関銃に変わり、彼はそれを盲滅法に発砲し始める。続くラストショット。さっきまで兵士たちが楽器を持って座っていた楽譜台に、いまは人影はなく、ただ銃が置いてあるだけ。途中の展開が脳天気だっただけに、このペシミスティックなラストに意表を突かれる。
マルコ・フェッレーリ『白人女にさわるな!』(Touche pas à la femme blanche ! , 1974) ★★½
ジョージ・アームストロング・カスターは、イエス・キリストやヒトラーほどではないにしろ、映画史上もっとも神話的な人物の一人と言っていいだろう。サイレント時代のフランシス・フォードの『The Last Stand』から、ウォルシュの『壮烈第七騎兵隊』をへて、ロバート・シオドマクが最晩年に撮った彼の唯一の西部劇『カスター将軍』(もともとは黒澤明が監督するはずだった)、そしてアーサー・ペンの脱神話的西部劇『小さな巨人』に至るまで、数々の西部劇がこの複雑なイメージに彩られた人物を好んで描いてきた。そこに、ロナルド・レーガンがカスターを演じた『カンサス騎兵隊』やそれよりもずっと出番の少ないデミルの『平原児』のような作品、あるいはカスターという名前の人物こそ登場しないが、明らかに彼と第七騎兵隊を題材にしたと思われるジョン・フォードの『アパッチ砦』、さらには最近の『ナイト・ミュージアム2』のような作品まで加えるならば、カスターが登場する映画は、これまで数限りなく撮られてきたと言ってもいい。だが、そんな数あるカスターもののなかでも、マルコ・フェッレーリがフランスで制作した『白人女にさわるな!』ほど奇妙な作品はないだろう。『最後の晩餐』がスキャンダルを巻き起こし、それで懲りたはずなのにまたこんな珍作を撮ってしまうところが、フェッレーリのフェッレーリたるゆえんかもしれない。
『白人女にさわるな!』に描かれるのは、多くのカスターものと同じく、リトル・ビッグ・ホーンにおけるカスター率いる第七騎兵隊とインディアンとの戦いである。しかし、フェッレーリはふつうの意味におけるリアリズムにはまったく関心を払っていない。19世紀のアメリカで起きたこの神話的出来事が、この映画においては、同時代の(つまりは70年代初頭の)パリで、全員フランス語を話す俳優たちによって演じられるのである。カスターは、初めて画面に登場する時、汽車ではなくモダンな電車に乗ってパリの北駅に降り立つ(なぜ彼が北からやって来るのかも謎だ)。駅のホームには、北軍の軍服をまとった俳優たちに混じって、カートを押して歩く今風のフランス人女性などの乗客の姿が見え、当時の北駅の風景がふつうに画面に写っている、といったぐあいである。(ちなみに、リトル・ビッグ・ホーンでカスターらの第七騎兵隊が全滅する戦いが起きたのは、この映画が撮られた1974年のほぼ100年前の、1876年のことだった。) しかも、よりによってマルチェロ・マストロヤンニに、ジョージ・アームストロング・カスターをこの上なく愚鈍で滑稽に演じさせ、さらには、見栄っ張りのバファロー・ビル役にミシェル・ピコリを、カスター中佐の上官であるアルフレッド・テリー将軍((ちなみに、「将軍」というのは、正確には、階級ではない。将官クラスのものならばみな「将軍」と呼ばれることがあるのでややこしい。カスターもしばしば「カスター将軍」と呼ばれる。))役にフィリップ・ノワレを、カスターを惑わす『オセロ』のイアーゴめいたインディアン斥候役にウーゴ・トニャッティを起用するという(つまりは『最後の晩餐』の4人組)キャスティングがふざけている。アラン・キュニーがシッティング・ブルを、セルジュ・レジアニがクレイジー・ホース(?)をという、インディアンの配役もでたらめであるが、見ているうちに全員しっくりしてくるのが不思議だ。(しかし、そもそも、 イタリアはマカロニ・ウェスタンの国であったことを忘れてはならない。)
天井桟敷による実験的な市街劇を多少思い出させもする作品だが、俳優たちは自分たちが現代のパリにいることは決して口にせず、あくまで19世紀のアメリカに生きているふりをしている。彼らが同時代に言及するのは、2年前(72年)に起きたウォーターゲート事件とニクソンの名を口にする時だけであるといっていいかもしれない。テリー将軍らの出入りする部屋の壁や机の上などあちこちに飾られた肖像写真によってもニクソンの存在は強調されている。これだけでも、この映画が政治的な含みを持たされていることは明らかだろう。実際、アメリカ映画の(ということはアメリカの)象徴であると言っても過言ではない((「アメリカ映画」という言葉は同語反復であるとセルジュ・ダネーは言っていた。なぜならアメリカ=映画であるから))西部劇は、ニューシネマの時代には反西部劇というかたちで、ある種政治的な意味合いを持たされることになるし、ゴダールの『東風』(実は、フェッレーリはこのゴダール作品にチョイ役で出演している)やリュック・ムレの『ビリー・ザ・キッドの冒険』などといった作品においても、西部劇のわかりやすい表象は、資本主義や政治体制を批判するために《政治的に》活用されていた。もっとも、フェッレーリのこの映画が非常に政治的な作品であるのは確かであるとしても、そのターゲットはアメリカでもニクソンでもない(少なくとも、それだけではない)。
『白人女にさわるな!』の中心をなし、クライマックスのリトル・ビッグ・ホーンの戦いの場所となるのは、かつて「パリの胃袋」と呼ばれたレ・アルのパヴィリオン・バルタールがあったその跡地である((わたしは実物を見たことがないのだが、パヴィリオン・バルタールの骨組みの一部が日本に寄贈されて、いま横浜にあるらしい。これほどの歴史的建造物が、写真で見ると、何だかもったいない展示のされ方をしている気がするのだが。))。そして、この映画の政治性は、ニクソンの肖像写真ではなく、パリにぽっかり空いたこの《穴》にこそ表れている。
デュヴィヴィエの『殺意の瞬間』の舞台ともなった巨大な中央市場レ・アル(前にも書いたが、築地のようなところだと思っておけば良い)は、70年代の初頭に移転され、その跡地には巨大なショッピング・センターが建設されることになっていた。この映画が撮られたのは、ちょうどその解体作業が終わり、しかしいまだ新たな建物の建設は始まっていない時で、そこには何もない巨大な《穴》がぽっかり空いていたのだった。当然、そこにいた庶民たち、あるいはそこを生活拠点にしていた浮浪者やヒッピーたちは、この移転によって立ち退きを余儀なくされる。フェッレーリは、この映画のなかで彼らのような存在を、自分の居場所から追い出されたインディアンたちの姿と重ね合わせて描いているように見える。
フェッレーリがアメリカの西部の物語と現実のパリとを重ね合わせている部分はそこだけではない。映画のなかで、鉄道建設の話題が何度か出てくる。このジャンルに詳しいものならば、西部劇において鉄道が持っている意味を知っているだろう。簡単に言うならば、西部劇における鉄道(あるいは鉄道建設)は、一方において、進歩の象徴であり(例えば『アイアン・ホース』)、他方において、貧しいものたちを搾取するものたちの象徴でもあった(例えば『無法の王者ジェシー・ジェームズ』などのジェシー・ジェームズもの)。ところで、フェッレーリがこの映画を撮っていた時、パリでは実際に、パリ市内と郊外を結ぶ鉄道網 RER(イル=ド=フランス地域圏急行鉄道網)の本格的な開業が進められていたのだった(いま、飛行機でパリに到着する旅行者の多くは、この RER に乗ってパリに入っていくはずである)。フェッレーリは、当時進んでいたこの RER の建設を、西部劇の鉄道神話と重ね合わせているのである(それが成功しているかどうかは微妙だが)。 おそらく、こうした並行関係は、当時のフランスを知るものが見れば、さらに見えてくるのだろう。例えば、カスターを始めとする騎兵隊の隊員たちが着ている制服が、デモなどの鎮圧にあたる CRS(フランス共和国保安機動隊)のユニフォームとそっくりだと言うものもいる。フェッレーリがそういうことを意識していたのかどうか定かではないが、この映画が作られたのは5月革命の熱気がまだ消え去っていない時代であったことを考えると、こういう見方が出てくるのも、ある意味当然かもしれない。
多くの西部劇がそうであるように、この映画の主要な登場人物たちも男たちが占めている。例外は、カスターの心を奪うフランス人女性、マリー=エレーヌ・ド・ボワモンフレ夫人であり、この女性を終始白いドレスをまとったカトリーヌ・ドヌーヴが演じている((ハリウッドの西部劇のなかにフランス人や時にはスウェーデン人などの外国人が登場することは珍しくないが、この映画では、そもそもパリでロケされ、全員フランス語を話す役者たちがアメリカ人を演じているというなかでの、フランス人という設定であるから、ここにも一種のパロディ精神が感じられる。))。この映画のタイトル「白人女にさわるな!」の「白人女」とは、実は、ドヌーヴ演じるド・ボワモンフレ夫人のことを直接には指している。カスターのインディアン斥候(トニャッティ)が夫人にさわろうとすると、カスターがこのセリフを言って制する場面が何度か出てくるのである。ハリウッドで映画化されたカスター映画においても、カスターは、多くの場合、多少とも人種差別主義者として描かれてきたが、フェッレーリはこの映画において、人種差別主義者カスターのイメージを極端に推し進めていると言っていいだろう(そもそも、それをタイトルにしているのだから)
ところで、西部劇というジャンルは、時として、フェミニズムなどの立場からその男性中心主義を批判されることが少なくない。その意味においても、フェッレーリはこの作品において一石を投じている。象徴的な場面を一つ挙げるとするならば、プラトニックな関係を貫いてきたカスターとド・ボワモンフレ夫人がついに結ばれる場面であろう。普通ならば男が女を抱えてベッドに向かうところを、フェッレーリは、ドヌーヴにマストロヤンニをお姫様抱っこさせて、ベッドまで運ばせるのである。男女の関係を端的に逆転させたこのシーンに、西部劇のセクシャリティに対するフェッレーリの批判的な態度を見て取ることができる。
成功作か失敗作か訊かれたなら、たぶん失敗作に近いのではないかと思うのだが、それでもフェッレーリのフィルモグラフィーにおいて極めて興味深い作品であることは間違いない。とりわけ、西部劇に関心のあるものなら、必見の作品であると言っておく。
と、真面目に注釈を書いてきたが、フェッレーリがこの映画を作ったのは、たんなる復讐のためだったという説もある。『最後の晩餐』は大きなスキャンダルとなったのだが、その一方で、その醜聞が宣伝となって興行的には大成功したのだった。ところが、何かと問題の多いプロデューサーのジャン=ピエール・ラッサムは、フェッレーリに入るはずだった利益の大部分を彼に渡さず、次の作品の製作費に使ってしまった。フェッレーリはそれに激怒し、復讐を誓う。彼がこの映画を、ラッサム製作で、しかも『最後の晩餐』の俳優たちを使って撮ったのは、『最後の晩餐』の成功に気を良くしたラッサムに、同じレシピで作られたこの次作に巨大な製作費を投じさせた挙句、最終的には興行的に失敗させるためだったというわけだ。事実、『白人女にさわるな!』は興行的には惨憺たる結果に終わったわけだが、「わたしにとっては、成功だった」とフェッレーリは嬉々として語っていたという。
ジョン・ブラーム『ファティマの聖母の奇跡』 (The Miracle of Our Lady of Fatima, 52) ★½
『劇場版 SPEC』の「結」だったか「天」だったか、いろいろあってよくわからないので忘れたが、とにかくシリーズの一つのなかでも言及されている、有名なファティマの奇跡を映画化した作品。カトリック信仰を素朴に扱ったこういう作品はどうも苦手で、これもその意味では、わたしのような無信仰な人間にはなかなか見るのが辛い作品ではあったが、興味深いところもある。この映画が、基本的に、ファティマの奇跡の(伝えられるかぎりにおける)事実に基づいて作られているということがまずその一つだ。このウィキペディアの記述を読むと、映画の中で3人の子どもたちが聖母と交わす会話なども、かなり忠実に再現されていることがわかる(しかし、地獄についての予言や、あの有名な第3の予言については、まったく触れていなかったはずである)。
映画は、1910年10月5日の革命によって、ポルトガルの立憲王政が打倒され、バルコニーからホセ・レルヴァス(?)が群衆に向かって共和国の樹立を宣言する瞬間から始まる。このような始まり方に一瞬戸惑うが、すぐさまナレーションの声が、シニカルな、覚めた口調で、これと似たようなことがヨーロッパで何度も起きた。こういう宣言はもう聞き飽きたとコメントする。次いで、ナレーションは、この新政権によって教会とカトリック信仰の弾圧が始まったことを告げる。宣言のなかでも、ナレーションのなかでも「社会主義」という言葉が何度か使われ、この言葉に宗教弾圧のイメージが重ねられてゆく。このあたりまで見ただけで、この映画の流れはだいたい予想がつく。実際、映画は予想通りに、ファティマの奇跡を「史実に忠実に」描く一方で、政府による宗教の弾圧を前面に押し出しながら、物語を語り始める。ここには反共プロパガンダの匂いさえすると言っていい。そう考えると、聖母の予言のなかのロシアに関わる部分(これは、実際にそういう予言があったという記録が残っている)がこの映画のなかではやたらに強調されているような気がしないでもない。 最後の聖母出現シーンで、雨傘をさした群衆によって丘が一面埋め尽くされる場面は、マグリットの絵を思わせるようなシュールさがあって、ちょっと面白かった。 信仰の厚い人向け。
そういえば、ポーリン・ケイルは、スピルバーグの『未知との遭遇』について書いた批評の最後で、この映画を引用していた。みんなが空を見上げる映画。
イングマール・ベルイマン『牢獄』(Fängelse, 49) ★★½
ベルイマンが初めてオリジナル脚本を映画化したという意味では、彼の最初のパーソナルな作品。
映画の撮影が行われているスタジオの光景から映画ははじまる(これは、ベルイマンが映画のなかで映画をテーマにした最初の作品である)。映画監督マルティンを訪ねて、かつての恩師ポールがスタジオにやってくる。ポールは、「この地上は地獄である」という映画のアイデアを持ってきたのだったが、マルティンはそれを一笑に付す。 ここからマルティンを主人公とした物語が始まるのかと思いきや、そうはならない。マルティンの友人であるトーマスとソフィのカップルが登場し、脚本家であるトーマスが、最近知り合って取材したある娼婦、ブリジッタの物語を話し始めると、語りの中心は、映画内映画のかたちで物語られてゆく、娼婦ブリジッタとそのヒモであるピーターの話へと移行してゆく。その映画内映画の導入部分には、ナレーションのかたちでスタッフが紹介され、監督はイングマール・ベルイマンであると語られる。ただし、この映画内映画は、トーマスが取材した本当の話であるらしく、トーマスやソフィも登場してくる。だから、どこからが映画内映画なのかは、正直、判然としない。 その映画内映画で、ブリジッタは、妊娠した子供をピーターによって半ば強制的に堕胎させらる。その罪の意識を背負いながら、彼女は一旦はピーターの元を離れて、やはりソフィと別れたトーマスと、ほんの短い間だけ幸福な時間を過ごすのだが、結局、ピーターのもとに戻って、最後は自殺する。
映画の構成はお世辞にもわかりやすいとはいえず、よほど注意してみていないと話の筋を見失うに違いない。この映画を制作する際、ベルイマンは無理解なプロデューサーのせいで、予算も撮影スケジュールも削られ、非常に制約された条件のなかで映画を撮らざるを得なかったと言うが、それがこの映画のわかりにくさの原因になっているとは一概にはいえまい。とにもかくにも、この制約が、結果的に、この作品をこの時期のベルイマン作品のなかでもひときわ実験的な映画にしたとは言えるかもしれない。
ブリジッタが見る悪夢(堕胎した自分の赤ん坊が、バスタブのなかで魚に姿を変え、絞め殺される)や、逆光によって撮影されたコントラストの強いモノクロ画面など、ベルイマンの世界はすでにほとんど出来上がっている。 一方で、この地上こそが地獄であるというテーマは、いささか不器用に、性急に提示されていて、あまり説得力はない。 《映画》のテーマはそれほど深く追求されているわけではないが、トーマスとブリジッタが屋根裏部屋で、手回し式の映写機を使ってサイレントのスラップスティック喜劇を見る場面は忘れがたい。この映画はおそらくはベルイマンが少年時代に見たサイレント映画のパスティッシュであり、その意味でベルイマンと映画自体の幼年期の幸福が、この恋人たちの短い幸福な時間と重なり合う、そんな場面である。この場面は、ゴダールが『映画史』のなかで何度も繰り返し挿入するショットとしても名高い(ここで出てくるサイレント映画はたしか『ペルソナ』の中でも使われているはずであるが、要確認)。
ちなみに、映画監督マルティンを演じるハッセ・エクマンは、スエーデン時代のバーグマンの主演作『間奏曲』で知られる男優ヨースタ・エクマンの息子であり、当時は監督としてベルイマンとは比べ物にならないほど有名だった。
『アンジェラ・マオの女活殺拳』(Hapkido, 72) ★★½
アンジェラ・マオインが活躍する女ヒーロー物。ブルース・リーと共に武侠映画(カンフー映画、とは微妙に違うが、ややこしいのでとりあえず同じものとして扱う)がアメリカに初めて知られはじめた頃に作られた、ゴールデン・ハーヴェスト初期の作品。 原題の "Hap Ki Do" は、漢字では「合気道」となるが、日本でよく知られているあの合気道とは別物である。ハプキドーは、日本で大東流合気柔術を学んだ韓国人・崔龍述(チェ・ヨンス)が、韓国に帰って道場を開いて広めたのが始まりと言われる。日本の合気道もルーツは同じだが、見ての通り、まったく別物に発展しているので、それだけに漢字で書くと同じ名前なのが事態をよけいにややこしくしている。
この映画も、始まりは韓国を舞台にしている。日本による統治下にある韓国でハプキドーを学んだ3人の中国人が、日本人といざこざを起こして韓国にいられなくなり、中国に帰ってハプキドーの道場を開くところから、物語が展開していく。やはり日本人の支配下にある中国でも、3人の中国人たちは日本人の嫌がらせを受け、耐えに耐えるが最後どうにも我慢ならなくなって、敵と相対するというお話。
冒頭に出てくるハプキドーの師匠の教えが、とにかく「忍」の一言で、壁中に「忍」という字が書かれていたりする。「でも、どうしても我慢できなくなったときはどうすれば?」と問う弟子に、師匠は、どうしても我慢できなくなったらこの秘伝の書を開けるが良いと、一通の封筒を手渡す。日本人の嫌がらせに耐えに耐えた弟子たちが、ついに我慢の限界に着て、そうだあの秘伝の書がったと思い出して封筒を開けてみると、中に入っていた一枚の紙切れにはただ一言、「忍」とだけ書いてあった、という場面が苦笑を誘う。
こんな風に、耐えて耐えて最後に爆発するという王道パターンの物語のはずなのだが、アンジェラ・マオと兄弟弟子のサモ・ハン・キンポーが、何かとすぐにキレてしまうキャラクターを演じていて、途中で何度か爆発するので、クライマックスのシーンにいまいちカタルシスが感じられなかったりする(サモ・ハンはこの映画以外でもアンジェラ・マオと何度か共演しており、役者としてだけでなく、アクションの指導でも大きく力を貸したと言われる)。 とりわけ際立ったところのない作品であるが、それだけにアンジェラ・マオのアクション女優としてのポテンシャルを感じさせてくれる楽しい映画だ。
アンジェラ・マオは、海外では、なぜか、主役でも何でもないブルース・リーの『燃えよドラゴン』での演技が一番有名だったりする(日本でもそのような評価に若干近い)。アンジェラ・マオのファンは少なくないが、彼女のスターとしての評価はまだまだ低いと言うべきなのかもしれない。 『女活劇拳』はマオの映画のなかでも人気が高いし、日本版 DVD では、マオイスト(むろん、毛沢東とかけてある)を自称する宇田川幸洋がコメンタリーをやっていて、マオについて嬉々として喋っっているので、アンジェラ・マオ入門としては絶好の作品ではないだろうか(Amazon のレビューの数の多さを見れば、この映画の人気の高さがわかるだろう)。
ちなみに、この作品にはジャッキー・チェンもチョイ役で2度ほど登場する(ホントのチョイ役なのでよく見ていないと絶対に見逃す)。それから、これはたぶん宇田川幸洋も言及し忘れていたと思うのだが、アンジェラ、サモ・ハンと並ぶもう一人の弟子を演じているカーター・ワンは、数々のカンフー映画以外にも、例えば、ジョン・カーペンターの『ゴースト・ハンターズ』で嵐三人組の一人を演じていることでも知られる。
前回に続き、マルコ・フェッレーリ作品についての覚書。
マルコ・フェッレーリ『人間の種子』(Il seme dell'uomo, 69) ★★½
「人間の種子」。まさしくダーウィン的なタイトルだ。ただし、ここに描かれるのは「種の起源」ではなく、「種の終焉」である。
時代は明示されていないが、おそらくは近い未来。ヨーロッパ全土に伝染病が蔓延し、人類は滅亡に向かっているらしい。チコ(Marzio Margine)とドラ(アンヌ・ヴィザゼムスキー)の若いカップルは、政府の人間らしきものたちによって隔離地区に一時的に閉じ込められ、ワクチンのようなものを実験的に注射される(それによって発病がわずかの時間だけ抑えられるらしい)。ふたりは海辺の一軒家に移り住み、ロビンソン・クルーソーのような生活を始める。彼らはそこで子供を作り、人類の種子を残すことを求められているのである。しかし、ドラは「わたしたちには子供を産む権利はない」といって、子供を作ることを頑なに拒みつづけるのだった……。
あらすじをざっと説明するとこんな感じになると思うが、物語から想像されるようなパニック映画的な要素は一切ない。SFというよりは寓話のような作品である。もっとも、この寓話に何らかの教訓があるのかどうかは、定かではない。フェッレーリは明確なメッセージを伝えるために、きちっと物語を構築して映画を撮るというたぐいの作家とは違う。「わたしたちには子供を産む権利はない」というドラの言葉は、この映画の中心テーマ(そんなものがあるとして)に関わってくるような重要なセリフだと思うのだが、この部分にさえフェッレーリは一切説明を加えようとしていないように見える(子供を産むか産まないかという問題は、『猿女』のラストでも描かれていた)。
チコは無理やりドラを妊娠させるのだが、そのことが原因で口論している最中に、ふたりは浜辺で爆死する。この唐突な結末も、ロングショットのなかで描かれているだけなので、実際のところ何が起きたのかよくわからない。ふたりは地雷を踏んで事故死したのか、あるいはドラが故意に爆発させて自死を選んだのか。とにもかくにも、ここに漂っている終末的な雰囲気は、他のフェッレーリ作品にもいつ頃からか濃厚に漂いはじめるものだ。
68年5月の「革命」の動きともときおり関連付けて語られることもあるフェッレーリだが、この作品が発表された頃に「カイエ・デュ・シネマ」に掲載されたインタビューを読むと、彼がそのなかで、「映画は何の役にも立たない」という言葉を何十回となく繰り返していることに驚く。真の意味での自由を奪われた社会を、本気で変革したいと思うがゆえのネガティヴな発言なのか、この言葉にはフェッレーリの諦めというよりは、苛立ちというか、怒りが隠されているように思える。この映画のラストも、システムに強要されて子孫を残すくらいなら、いっそすべてを破壊して終わらせてしまったほうがいいということなのかもしれない。
まともな映画などほとんど撮ったことのないフェッレーリだが、この映画にもさまざまな彼の奇想が描かれている。ふたりが住む海辺の家に入り込んできて、そのまま居座ってしまう謎の女(『猿女』のアニー・ジラルドが普通の女性を演じている)は、チコをめぐってドラと争って殺され、挙句の果てに、人肉として皿の上に載せられて食卓に供せられる(チコは、そんなこととはつゆ知らずその肉をうまそうに貪り食う)。人間、とりわけ男が、退行していき、どんどんと本能的な状態に近づいていった時に、食欲が大きな問題となってくる。フェレ―リはこのテーマを、『最後の晩餐』(73) で大きく取り上げることになるだろう。 浜辺に打ち上げられるクジラの死骸はフェリーニの『甘い生活』を思い出させもするが、フェッレーリの『バイバイ・モンキー』にもつながってゆくイメージだ。
マルコ・フェッレーリ((「フェッレーリ」と「フェレーリ」、どちらが正解なのか。前者だと思うが、allcinema では「マルコ・フェレーリ」となっている。))は見逃している作品がまだまだ多くて、全体像をつかみかねている。もう少し作品を見てからまた改めて書きたいと思うが、とりあえず、最近見た数作品について順に覚書を書いてゆく。
マルコ・フェッレーリ『猿女』 (La donnna scimmia, 64) ★★½
したたかにずる賢く生きている興行師の男(ウーゴ・トニャッツィ((イタリアを代表する男優の一人。1950年から1991年の間に150本近い作品に出演し、代表作を選ぶのが難しいほどである。フェッレーリ作品だけでも、『最後の晩餐』ほか複数の出演作がある。この間紹介した『私は彼女をよく知っていた』でも重要な役で出ている。)))は、偶然見つけた全身毛むくじゃらの女(アニー・ジラルド)を、アフリカで発見した珍種の猿女と銘打って見世物小屋をはじめる。外見を恥じて長いあいだ世間を避けてきた女は、自分を商売道具としか見ていない男にだんだん心を許してゆき、やがて彼に結婚を迫るようになる。男は、愛というよりも、商売道具の女を自分のものにしておいたほうがなにかと便利だというくらいの気持ちから、女と結婚する。猿女の見世物は評判を呼び、ふたりはついにはパリで公演を行うまでになる。この頃には、女は、裸同然で客に向かって尻を振るまでになっていた。そんな時、女が妊娠していることがわかる。医者によると、出産は彼女自身とお腹のなかの胎児の命に関わるらしい。それでも女はなんとしても子供を生みたいという……。
テーマ的には、『フリークス』や『エレファント・マン』とも重なってくる興味深い作品だ。 この前年に撮られた『女王蜂』には、レイプされかかった女が、こんな目に合わないようにわたしの体を毛むくじゃらにしてくださいと神に祈る場面がある。だから、『猿女』が撮られたのはある意味そこからの当然の帰結だった。一見、デタラメに作られているようでいて、フェッレーリの作品はすべてあるロジックでつながっているのかもしれない。と考えると、結局、一本一本見ていくしかないのだろうか。とりあえず、今わかっているのは、フェッレーリが『バイバイ・モンキー/コーネリアスの夢』(77) で再び霊長類を描くということだけだ(ちなみに、「ゴリラ」という言葉は、語源的に、「毛深い女」を意味するという説がある)。
この映画は、トニャッツィが、アフリカかどこかの珍しい部族の写真をスライドで見せているシーンから始まっている。見たこともない姿をした人間たちを見て大笑いする白人たち……。この人類学的視点はフェッレーリの映画作品で繰り返し描かれていくことになるだろう。「映画史上ただ一人のダーウィン主義者」と、だれかが彼のことを評していたが、この言葉はフェッレーリの作品を多く見れば見るほど真実に思えてくる。
映画のラスト、出産に失敗した女は病院のベッドの上で死に、胎児も死んだ状態で生まれてくる。その時だけはたぶん本気の涙を流していた男が、しばらくすると、博物館に展示されることになっていた女のミイラ化された死体を、所有権を主張して奪い返し、それを出し物にした見世物小屋を性懲りもなくはじめるところで映画は終わっている。見ようによっては、フェリーニ『道』の意地の悪いパロディとみなすこともできる作品だ。 (ところで、この最後の部分で、妊娠した女が顔をさすると毛が抜け落ちるというシーンがある。どうやらこれは医学的にも正しいらしい。しかし、彼女が死んだあとで、トニャッツィが顔に髭を生やして登場するのは、フェッレーリの創作だろうか?)
一見ありそうもない話だが、実はこの映画は、かつて実在した多毛症の女性ジュリア・パストラーナの生涯に基づいたものなのである。女が病院で命を落とすというのも実際の顛末通りらしい。ただし、映画のこの結末はあまりにも救いがないということから、海外版などではもう一つのエンディングに差し替えられた。
オルドリッチ・リプスキー『アデラ/ニック・カーター、プラハの対決』(Adéla jeste nevecerela, 78) ★★
『カルパテ城の秘密』で知られるチェコの映画監督オルドリッチ・リプスキーが撮ったコミカルな探偵活劇、というかそのパロディ。
ニューヨークのビルの高層階にある探偵ニック・カーターの事務所の窓や正面のドアから、悪人たちが彼を殺そうと次々と襲ってくるのだが、ニックはのんびりと新聞を読みながら机の足元のレバーを操作して、振り向きさえせずに相手を撃退する。そんないかにも漫画チックなシーンで映画ははじまる。最初の刺客が使う凶器は、マンガでしか見たことのないような、球形をしていて短い導火線がついている爆弾だ。実際、彼はマンガにもなっているくらい有名な探偵という設定なのである(映画のなかに、かれが主人公の漫画が何度も登場する)。
ニューヨークといっても、出てくるのは実際のニューヨークではなく、書割に書かれた風景が窓からぼんやりと見えるだけのセットにすぎない。もっとも、ニューヨークが出てくるのは冒頭の部分だけであり、この直後、ニックは謎の失踪事件についての調査を依頼されてプラハに飛び、舞台はすぐさまチェコへと移り変わる。現地に到着して初めて、彼は失踪したのが人間ではなく、犬であることを知るのだが、そんなことにはめげずに調査をすすめるうちに、この事件には、肉食の不気味な植物が関わっていることを突き止める。プラハでコンビを組むことになった、ちょっとマヌケな太っちょの警部(だがいざという時には頼りになる、ワトソン的存在)と共に謎の植物の行方を追ううちに、ニックは事件の背後に、かつて自分が追い詰め、すでに死亡しているはずの悪名高い犯罪者の存在を感じはじめる……。
こんなふうに、物語自体もデタラメ極まるものだ。ロジャー・コーマンの『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』とシャーロック・ホームズをかけ合わせたような作品とでも言えばいいか。ニックが葉巻型の小型爆弾といった小道具を使うところや、あるいは、敵の手下たちが毎回変装してニックたちの前に現れるところなどは、『007 死ぬのは奴らだ』のようなたぐいのスパイ映画を思い出させもする。しかし、最後に変な装置を装着して空まで飛ぶニックは、ホームズでも007でもなく、ガジェット警部に近いかもしれない。
食人植物を描く際に使われるクレイアニメなど、見所はたくさんあり、あの手この手で楽しませてくれる映画ではある。正直、これがアメリカ映画だったならば、こんな映画もあるよね、で話は終わっているところだと思うが、チェコでこういう映画が撮られていたことはなかなかに興味深い。ドイツ映画における西部劇の存在など、東ヨーロッパ映画、というか東ヨーロッパ文化においてアメリカの大衆文化がどのように受容されてきたかというのは、まだまだ研究の余地のある部分だろう。もっとも、この映画には、クレショフの『ボルシェヴィキ国におけるウエスト氏の冒険』には申し訳程度には存在していた、資本主義国アメリカに対する批判的眼差しは微塵も感じられない。
"Dinner for Adele" という謎めいた英語タイトルについてはあえて説明しないでおこう(まあ、だいたい想像はつくと思うが)。
「ル・モンド」に掲載されたカトリーヌ・ドヌーヴの(ものとされる)発言が話題になっている。#metoo をきっかけに過剰になってゆくセクハラ告発に対して、女性の立場から異を唱えたものである。これに対しては、彼女の姿勢を称賛するものや、逆に、批判するものなど、日本でも様々な反応がすでに出ている。しかし、元の記事を読めばわかるように、ツイッターなどでドヌーヴの発言として言及され、リツイートされている言葉は、実は、どれも彼女自身が言ったものではないし、このテクストも彼女が書いたものではない(彼女の発言だという事実がどこかにあるのなら教えて欲しい)。 問題のテクストは、Sarah Chiche (作家・臨床心理学・精神分析), Catherine Millet (美術批評家・作家), Catherine Robbe-Grillet (女優・作家), Peggy Sastre (作家・ジャーナリスト・翻訳家), Abnousse Shalmani (作家・ジャーナリスト) によって書かれ、そこに100人の女性が連名で署名している。ドヌーヴはその中のひとりにすぎないのだが、そのなかでは彼女が圧倒的に有名であるためか、なぜか全て彼女の言葉ということにされて情報が拡散してしまったようだ。これは、最初に紹介した日本語の記事がずさんで曖昧だったためだろう。ドヌーヴも署名しているのだから、当然彼女はテクストの内容に概ね賛同していると考えていいと思うが、彼女が発言したわけでもない言葉を、彼女の言葉としてとりあげて、彼女を称賛したり批判したりするのは、また別問題である。
ついでなので、問題のテクストをざっと訳しておく。 http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html#meter_toaster
レイプは重罪です。けれども、しつこかったり不器用だったりするナンパは犯罪ではないし、女性を口説くこと(galanterie)はマッチョな攻撃ではありません。
ワインスタイン事件によって、女性に対する性的暴力が、とりわけ、 権力を悪用する男性がいたりする職場環境における、女性への性的暴力が、正当に意識されるようになりました。こうした問題が意識されるようになったこと自体は、必要なことでした。しかし、自由に発言できるようになった女性たちの矛先が、いまや逆方向に向かいはじめました。わたしたち女性は、しかるべく話し、女性たちの気分を害することは言わないように命じられ、この厳命に従わない女性は、裏切り者であり、男たちの共犯者とみなされてしまうのです。
ところで、いわゆる共通の利益の名のもとに、女性を保護し、解放するという口実を持ち出して、彼女たちを永遠の犠牲者の状態に、かつての魔女狩りの時代のような、男尊女卑の悪魔たちによって支配されたか弱い者の状態に、鎖でつなぎとめること、これこそがピューリタニズムの特性なのです。
密告と告発
実際、#metoo の運動は、出版物やソーシャル・ネットワークにおいて、個人を密告したり、公に告発するキャンペーンを引き起こしました。告発された個人は、答えたり自己弁護したりするのを許されることなく、性的犯罪者とまったく同列にあつかわれました。この手っ取り早い正義の裁きは、すでにその犠牲者を生み出しています。男たちは、仕事において処罰されたり、辞職を余儀なくされたりしていますが、彼らが犯した唯一の過ちというのは、仕事上の会食の席で女性の膝をさわったり、無理やりキスをしたり、親密な言葉を囁いたりしたことや、性的な意味にも取れるメッセージを、自分に気のない女性に送ったりしたことだけなのです。
《豚ども》を屠殺場送りにしようとするこの熱病は((フランスでは、#metoo に代わるものとして #balance ton porc (お前の豚を厄介払いしろ)というタグが使われている。))、女たちを自立させるどころか、実際には、性的に自由な敵たちを、宗教的な過激主義者たちを、最悪の反動主義者たちを、さらには、善の根幹をなす概念とそれに似合うヴィクトリア時代のモラルの名のもとに、女は《別の》存在であり、大人の顔をした子供であり、保護されるべき存在であると考えるものたちを、利するだけなのです。
男たちは、罪を告白し、そして、ここ10,20,30年の間に自分たちが犯したかもしれない「不適切な行い」を、振り返って意識の奥底に探し出し、それを後悔するよう、面と向かって促されます。大衆の面前で懺悔する、検事を自任するものたちが私的な領域へ闖入してくる、こうして全体主義的な社会の空気が定着するのです。
清浄化の波はとどまるところを知りません。エゴン・シーレの裸婦画を使ったポスターを禁じるものがいるかと思えば、幼児性愛を擁護しているとの理由で、バルチュスの絵を美術館から外せというものが現れます。作者と作品の混同から、シネマテークでのロマン・ポランスキーの回顧上映は禁止され、ジャン=クロード・ブリソーの回顧上映は延期になりました。ある大学は、ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』を、「女性嫌悪」の作品であり「受け入れがたい」と見なしました。この修正主義に照らすならば、ジョン・フォード(『捜索者』)もニコラ・プッサン(『サビニの女たちの略奪』)も気が気でないでしょう。
すでに、わたしたち[女性作家]のなかには、男性の登場人物の「性差別主義」の度合いを弱め、性行為と愛についてあまり度を越して語らないように、さらには「女性の登場人物が受けた心的外傷」 についてもっとあからさまに書くように(!)編集者に求められているものもいます。滑稽の極みですが、スエーデンでは、性的交渉を持とうとするものすべてに、同意の意思を明確に伝えなければならないという法律が制定されようとしています。ここまでくればあと一歩で、セックスしたいと思っている大人のカップルは、携帯のアプリで予め、自分たちが承諾できる行為と、承諾できない行為をリストアップした書類にサインしなければならないということになるでしょう。
欠くべからざる人を害する自由
哲学者のリュヴェン・オジアンは、芸術的創造に欠かすことのできない、人を害する自由を擁護していました。同じように私たちは、性的自由に欠かすことのできない、うるさく言いよる自由を擁護します。わたしたちは、性的な衝動がもともと人を害する野蛮なものであることを認めるだけの知識をもっていますが、同時に、不器用なナンパと性的攻撃を混同しないだけの洞察力も持っています。
なによりも、わたしたちは人間というものが一枚岩でできてはいないことを知っています。一人の女性は、同じ一日の間に、職場のチームリーダーを務めると同時に、男性の性的対象であることを享受しながら、それでいて「アバズレ」にも家父長制の卑しい共犯者にもならないでいることができるのです。女性は、自分の給料が男性の給料と違いがないように注意を払う一方で、地下鉄の痴漢に(たとえそれが犯罪であったとしても)決して心を傷つけられたりしないでいることもできるのです。女性は、それを大いなる性的貧困の表れとみなし、それどころか、とるに足らないこととみなすことさえできるのです。
職権乱用(セクハラ)を告発するだけでなく、男性も性行為も憎むたぐいのフェミニズムには、女としてわたしたちは違和感を覚えます。性的なくどきにノーという自由は、うるさく言いよる自由を必ず伴うものであるとわたしたちは考えます。そして、このうるさく言いよる自由に対しては、獲物の役割に閉じこもる以外のかたちで、答えるすべを知らなければならないと考えます。
わたしたちのなかで子供を産むことを選んだ人たちに対してはなおさら、自分の娘が、怖気づいたり、罪悪感を覚えたりすることなく、十全に人生を生きることができるように、知識を与えられ、自覚を持つように育てることが、適切であると考えます。
女性の身体に触れるアクシデントは、必ずしも女性の尊厳を傷つけはしませんし、ときに耐え難いものであったとしても、それが必然的に女性を永遠の犠牲者としてしまうことがあってはならないのです。というのも、わたしたちはわたしたちの身体に還元されるわけではないからです。わたしたちの内的な自由は侵すことができません。そして、わたしたちが大切にしているこの自由には、必ずリスクと責任が伴うのです。
チャン・チェ『残酷復讐拳』(Crippled Avengers, 1975) ★★★
眼や腕など身体の一部を欠落させたものたちがヒーローとして活躍する物語なら、われわれは「座頭市」や「丹下左膳」などで慣れ親しんできた。自分の身体的欠損を、それを補って余りある力へと反転させるヒーローたち。そんなヒーローのイメージに、われわれ日本人は他の国の人間以上に慣れているのかもしれない。そもそも、映画にかぎらず、むかしから童話や昔話の主人公は、自分のなかのネガティヴな要素をプラスに変えて成功を収めてきた。アクション映画においては、それがときとして身体的欠損として形象化されるということだろうか。アクション・ヒーローたちはしばしば瀕死の負傷をして、そこから奇跡の復活を遂げる。盲目や切断された片腕といったかたちでヒーローたちに永遠に刻みつけられた身体的欠損は、かれらが力を獲得するために失わなければならなかった代償なのだろうか。あるいは、ヒーローたちが抱えている身体的欠損は、旗本退屈男の眉間の傷のような聖痕の延長のようなものであるのかもしれない。
それはともかく、障害を背負ったアクション・ヒーローはなにも日本映画の専売特許ではない。特異なアクション映画をを生み出してきた香港映画もまた、そうした障害を持つヒーローたちを繰り返し描いてきた。これまでに何度か取り上げたチャン・チェは、その代表的な監督のひとりである。ジミー・ウォングを主演にしてかれが撮った『片腕必殺剣』『続・片腕必殺剣』『新・片腕必殺剣』は それを象徴する作品と言っていいだろう(のちにジミー・ウォングの監督・主演で撮られる『片腕ドラゴン』や『片腕カンフー対空とぶギロチン』は、その延長線上で撮られた作品にすぎない)。だが、そういう意味では、チャン・チェが監督した数々の武侠映画のなかでも、この『残酷復讐拳』こそは、まさに異形の映画と呼ぶにふさわしい、特異な作品であると言っていいだろう。
"Crippled Avengers" という英語タイトルが端的に示しているように、この映画が語る物語は、このジャンルによくある復讐譚であり、しかもその復讐者たちはいずれも何らかのかたちで身体に障害を持ったものたちである(("crippled" は今では差別的表現であり、あえてそれに対応する日本語を選ぶとするなら、「不具の」あるいは「かたわの」という言葉になるだろうが、これもむろん今では差別的表現である。))。これだけでも十分なのだが、この映画では、その復讐者たちが復讐しようとしている相手もまた、身体の自由を奪われている者であるという設定の徹底ぶりに驚く。
映画は、町の大地主のトー・ティエンタオ(チェン・クアンタイ)が、彼に恨みを持つ3人の襲撃者たちによって妻を殺され(その殺され方も、胴体を真っ二つという残酷なものだ)、幼い一人息子のチャンも両腕を切り落とされてしまうという、壮絶な場面から始まる。十数年後、トーは、切られた両腕に鉄のギブスをはめて武術家となった息子チャン(ルー・フェン)とともに、町を恐怖によって支配していた。ある日、トー親子の傍若無人ぶりを見かねた鍛冶屋のウェイ(ロー・マン)は、彼らに暴言を吐いたために、チェンによって、口も聞けず、耳も聞こえない体にされ、ウェイに賛同した商人のチェン・シュン(フィリップ・コク)は、両目を突かれて盲目にされてしまう。さらには、町で仕事を探していたフー・アクイ(スン・チュン)はチェンに両脚を切り落とされ、偶然彼らと出会って3人のかたきを討とうとした旅の武芸者ワン・イー(チェン・シェン)も、敵に捕まり、頭を万力で締められて、幼児のような知力しかない状態にされてしまう。4人はワンの師匠の元へ向かい、復讐のために武術を学びはじめる……。
普通なら両腕を切断されたチャンが復讐者となってゆく物語になりそうなものだが、彼を襲った3人の襲撃者たちはその場で父親のトーによって殺され、さらには、後に成人した3人の襲撃者たちの息子たちも、それぞれ体の一部を破壊されるだけで(「だけで」という言い方も変だが)、その後の物語にはなにも関わってこない。結局、チャンに復讐するのは、冒頭の場面にはまったく関係がないし、ワンをのぞくと武術家ですらない者たちである。こういう展開も、無駄にサディスティックというか、いかにも倒錯している気がする。
格闘シーンがダンスのように様式化されているのはいつもながらであるが、前回取り上げた『少林拳対五遁忍術』の漫画チックなアクションと比べると全然リアルで美しく、わたしの趣味にはこっちのほうが合っている。チャン・チェの映画を全部見たわけではないが、これは彼の最高傑作の一本と言っていい作品かもしれない。最も完成された作品とはいえないかもしれないが、異様で強烈な印象を残すという意味では、間違いなく彼の代表作である。
ただ、障害を持つヒーローという存在については、もっと仔細に見てゆく必要があるだろう。ヒーローの多くが男性であるという点に注目するなら、ここにはセクシャリティの問題も関わってくる。わたしにはその知識はあまりないが、精神分析的な観点からこれらの作品を解釈してゆくことも可能だろう(たとえば、『新・片腕必殺剣』で主人公の片腕を切り落とすのが女性であることは、精神分析的にどのように解釈されるのだろうか)。さらにはまた、暴力と死によってアイデンティティを獲得してゆくヒーローたちを描くこうした作品を、ファシズム的とみなす論者さえいる。この問題についてはまた機会があれば論じてみたい。
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