81:権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)
(藤原敦忠@ふじわらのあつただ)(43)

逢ひみてののちの心にくらぶれば
昔は物を思はざりけり
葉ずれの風ぞ空耳になる
逢って思いを遂げたあとの心に比べれば
それ以前は物思いをしていないのと同じだなあ。
「逢ひみて」は逢って契りを結んでって意味です。
逢う前を「昔」という言葉で表現しています。
最後の「けり」は詠嘆ですね。


82:文屋康秀(ぶんやのやすひで)(22)

吹くからに開きの草木のしをるれば
むべ山風をあらしといふらむ
下(お)りてきた風颪(おろし)のごとし
吹くやいなや秋の草木がしおれてしまうので
なるほど!それでやまからの荒い風を「嵐」というのだろう。
「しをるれば」は已然形+「ば」ですから「xxので」
「むべ」は「なるほど」という意味。山風を続けて書けば「嵐」よね。
ここでは「嵐」と「荒し」を掛けています。
私はふきおろしの風を「颪」と康秀に負けじと言葉遊び。
「きた」は「下りてきた」の「きた」と「北風」の「きた」をかけてみました。
もー!飴皇子って負けず嫌いなんだから!


83:平兼盛(たいらのかねもり)(40)

忍ぶれど色に出にけり我が恋は
物や思ふと人の問ふまで
湯で洗顔のおぼえもあらずに
忍んでいましたが顔色に出てしまいましたよ私の恋は。
「何か物思いをしているのですか?」と人が訪ねるほどまでにも。
本来は「我が恋は」がトップにきてもおかしくないわよね。
つまりこれは倒置法ですね。
「や」はここでは疑問の係助詞係結びの対象は「思ふ」ですよ。


84:菅家(かんけ)
(菅原道真@すがわらのみちざね)(24)

このたびはぬさも取りあへず手向山(たむけやま)
紅葉の錦神のまにまに
星と夕日の織り成す手形を
この旅は「ぬさ」を用意する事も出来ませんでした。
この手向山の錦のように美しい紅葉を
神の御心のままにお受け下さい。
「たび」は「旅」と「度」を掛けています。
「ぬさ」は漢字で書くと「幣」で紙・布の小さく切って
撒いたりするものなんですが、この紅葉の美しさを神様にも見てもらおうと
わざと用意してこなかったと言われています。
「まにまに」は「御心のままに」という意味です。
その後ろにはお受けください、うーん古語で言えば「受けたまへ」かな
その言葉が省略されています。


85:左京大夫顕輔(さきょうだいぶあきすけ)
(藤原顕輔@ふじわらのあきすけ)(79)

秋風にたなびく雲の絶え間より
もれ出づる月の影のさやけさ
テラスに寄せて集え指輪に
秋風に吹かれて横に長くなびいている
雲の切れ間から漏れて出てくる月光が
なんと澄み切っている事だろう!
「月の影」は「月光」
「さやけさ」はすみきっている」ってことかしら。
体言止めにもなってるわね。


86:権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)
(藤原定家@ふじわらのさだいえ)(97)

来ぬ人をまつほの浦の夕凪に
焼くやもしほの身もこがれつつ
この香とともに飛べ伝書鳩
まっても来ない人を待つ私はまつほの浦の夕凪の時に
海辺で焼く藻塩のように私も恋焦がれています。
「来ぬ」は「こぬ」とよみます。つまり「来なかった」って意味。
「来ぬ」を「きぬ」と読むと「来た」って意味です。
「まつほの浦の夕凪に焼くやもしほの」は「こがれ」を導き出す序詞
「焼くや」の「や」に特にいみは無いの、
疑問・反語の係助詞とまちがわないでね。
「まつ」は「待つ」と「松」、
「こがれつつ」は藻塩と自分の恋が「焦がれる」という
意味になっています。
藤原定家は「百人一首」の撰者です。さすがに手が込んで・・でも・・
でも・・なんでしょう?なんで私の歌そのまま採用しなかったの?
ですから平安時代の方は・・それはわかっています!あの、だったら・・
だってだってくやしいんだもん!そのまま採用して欲しかったのにぃ
讃良ね讃良ね、なんかくやしいんだもん!
天皇様がおっしゃっても・・なんか、可愛く無いですね・・あ、それは禁句!
必殺サララトマホーーーク!可愛いって言うより綺麗って言おうとしたのに・・・
ウソおっしゃい!さすがは・・自覚なさってる天皇様・・


87:皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい)
(藤原俊成@ふじわらのとしなり)(83)

世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
明日はコーラスひばりのソナタに
この世の中というものは憂さから逃れる道はないのだなあ。
思い込み入った山の奥にも鹿が悲しげに鳴いているようだ。
よくひっかかるのは「鹿ぞなくなる」を「無くなる」っておもっちゃうこと。
「道こそ」と「なけれ」、「鹿ぞ」と「なる」係結び2ヶ所、
しかも「こそ&けれ」は頻繁に出てくる形ですよ。
「思ふ入る」は「深く思いこむ」と「(山に)入る」をかけてます。


88:曽禰好忠(そねよしただ)(46)

由良の門を渡る舟人と梶を絶え
行方も知らぬ恋の道かな
風見鶏似の羅針盤なり
由良の海峡を渡る舟人が梶を失って
行方も知らず漂うようにどうなるのかわからない
私の恋の道ですねぇ
「由良の門を渡る舟人と梶を絶え」は「行方も知らぬ」を導く序詞。
「道」は「渡る」「絶え」「行方」の縁語です。


89:藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)(18)

住の江の岸に寄る波よるさへや
夢の通ひ路人目よくらむ
夢胸に秘め舟の櫓に抱く
住ノ江の岸に寄る波、その「夜」さえも
夢の中で恋人のところに通う路ですら人目を避けるのだろうか
「住の江の岸に寄る波」は「夜」を導き出す序詞
「や」は疑問の係助詞で「らむ」は係結びで連体形
「よく」は「よける」と言う意味です
結構私この歌好きなので
青字部分に知る人ぞ知る暗号を入れてみたりして
わかるかな?


90:坂上是則(さかのうえのこれのり)(31)

朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里に降れる白雪
帰りたくない星かくれんぼ
夜がほのぼの明けるころ有明の月の光かと
見間違うような吉野の里に降っている白雪だなあ。
「朝ぼらけ」は夜がほのぼのと明けるってこと
有明の月は何度も出てきたように夜が明けても残っている月。
「見るまでに」は「見間違うような」
そしてラストは体言止めになっています。
体言止めは余韻や詠嘆を残すように訳しましょうね。
あの飴皇子さま。十市ね、十市ね・・・
な、なんか讃良様と似たようなことしてどうしたんですか?
お星様ってどこに帰るのかしらほーーほっほっ!しらないの?M78星雲よ!
こらこら・・なんでやねん!イメージとして星は「夜空のカーテンを開けたら
空に帰る」という前提で光と雪の同じ白さを同じ場所に
置いてなおかつ月と星で対比させてみました。
星影の妖精がきっと白雪に隠れてるのよね。かーわいいい!
ちょっとちょっとぉ!これじゃまるで私大ボケじゃないのぉ
うう・・くやしいわくやしいわ・・必殺十二単ハリケーン!
おっと・・とばされるううはい体力回復「鮒の味噌煮」
うう・・必殺技考えなくちゃ・・・か・・考えなくていいです!



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