71:小式部内侍(こしきぶのないし)(60)

大江山いくののみちも遠ければ
まだふみもみず天の橋立
よしなしごとのきくのはかなき
大江山を越えて行く生野の道は遠いので
まだ天の橋立に足を踏みこんだこともありませんし、
母からの「文」も見ていません。
この歌も人気の歌ですよね。母親の和泉式部が丹後に行っている間の
歌会で若い内侍は「お母様からの代作の文はまだですか?」
とからかわれて、即興で詠んだのがこの歌です。
「いくの」には「行く」と「生野」、「ふみもみず」は「踏みもみず」と「文も見ず」
が掛けられて、さらに「踏み」は(天の橋立の)「橋」の縁語です。
はじめの「遠ければ」は已然形+「ば」で「遠いので」と訳します。
飴皇子様の下の句がみんなひらがななのはいったい・・
「よしなしごと」で「止し(て)」と「いろんなこと」と掛け
「きく」で「聞く」と「菊」の掛け合わせで花の命の短いところから
「つまらないことをいうのはやめましょう」と内侍の気持ちを
代弁してみました。できたかな?
飴皇子も苦労するわよね、この歌完成度高過ぎよね。
だから好きなんだけど・・


72:中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)
(在原行平@ありはらのゆきひら)(16)

立ち別れいなばの山の峰におふる
まつとし聞かば今帰り来む
海渡る鳥に命預けて
わかれて因幡国に行きますがその峰に生えている松の
「まつ」という言葉通り「待っている」と聞いたならば
私はすぐにでも帰ってきますよ。
この歌も掛詞「いなば」は「因幡」と「往なば」(いったならば)
「まつ」は「松」と「待つ」を掛けています。
「む」は意志の助動詞ですから「xxしますよ!」「xxしましょう!」と訳しましょうね。
それから訳で絶対間違って欲しく無いのは「まつとし」は「待つ年」なんて意味じゃないこと。
これはひっかけよねぇ・・そう思うわよねえ。でも・・・だめ。


73:藤原興風(ふじわらのおきかぜ)(34)

たれをかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに
腹われぬよな友要らずかな
いったい誰を知人としよう。あの高砂の松くらいだろうか・・
それとて昔からの友人ではないのになあ。
「xxをかもyy」で「いったいxxをyyとしよう」と言う意味
この「か」は係結びなんですが意志の助動詞「む」にかかります。
「ならなくに」も注意!このパターンはよく出てきますよ。「xxではないのになあ」
と逆接の詠嘆を含んでいます。
「xxなら泣くのに」なんて訳しちゃだめよ!


74:安倍仲麿(あべのなかまろ)(7)

天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも
越ゆる雁でも故郷思うに
大空を遠く見渡すと出ているのは
春日にある三笠の山に出ていたのと同じ月なのだなあ。
「天の原」は大空のことです。
「見れば」は已然形+「ば」で「見わたすと」になります。
最後の「かも」は詠嘆で「xxだなあ」と訳します。疑問じゃないのよ。


75:従二位家隆(じゅにいいえたか)
(藤原家隆@ふじわらのいえたか)(98)

風そよぐならの小川の夕暮れは
みそぎぞ夏のしるしなりける
君への想い再び清めて
風がそよそよと楢の木に吹く「ならの小川」の
夕暮れは秋のようだけど禊は、まだ夏であると言う
証拠なのだなあ。
「ならの小川」は上加茂神社の境内を流れる御手洗川で
楢の木と掛詞になっています。
ここでの「みそぎ」は水無月祓いのことで、
旧暦6月末に詠まれたみたいです。
旧暦では7月から秋ですもんね。
「ぞ」は強意の係助詞で「ける」(詠嘆)と係結びです。


76:河原左大臣(かわらのさだいじん)
(源 融@みなもとのとおる)(14)

陸奥のしのぶもちずり誰ゆゑに
乱れそめにし我ならなくに
気持ち送ろう黄のクロッカス
陸奥のしのぶもぢずりの模様のように
わたしの心が乱れているのは
誰のせいでも無い、貴方ひとりの為に乱れはじめたのですよ。
黄のクロッカスの花言葉は「私を信じて」です。
「陸奥のしのぶもちずり」は「乱れ」を導く序言葉
「そめ」は「染め」と「初め」の掛詞
また「染め」は「しのぶもぢずり」の縁語です。
「われならなくに」は「私では無い」と訳しましょう。
またこの恋はしのぶもぢずりがはいってることから
「お忍びの恋」だったようね。うらやましいい・・プチプチプチッ!
あ、讃良様がお怒りみたいな・・
お忍びなんて・・お忍びなんて・・・許せない!そう言えば十市!
あなたもあのひと(大海人皇子)の子でありながら高市と・・キィーーーーッ!
ち、ちがいます、高市(十市の異母弟)は好きだったけど大友(中大兄の子)様を愛しておりました。
うそおっしゃい!御名部(讃良のいとこであり異母妹、高市の正妻)がかわいそうじゃないの!
それはいえる。アーーーッ!飴皇子様まで!だって御名部好きやモン・・
大体あなたの母親額田王だって大海人様と逢引してたらしいじゃないの。くやしいい!
でも父(大海人)の最初の妻は母上でした。それを中大兄様が・・・
お父様のことはいわないで!くやしいいいいいいいい!
さからうつもりなの!抹殺するわよーーーーー!
父娘そっくりよね・・・中大兄様と讃良様


77:待賢門院堀河(たいけんもんいんほりかわ)(80)

長からむ心も知らず黒髪の
乱れて今朝は物をこそ思へ
すすぐ黒滝雫にも君
貴方の心が末永くかわらないかどうかもわからない。
黒髪が寝乱れている様に今朝は私の心も物思いに沈んでいます。
「長からむ心」は「末永く変わらない心」です。「物をこそ思へ」は67番と全く同じ用法。
「ながからむ」は「黒髪」の縁語です。また「乱れて」も「黒髪」の縁語です。
長からむ・・黒髪・・乱れて・・恋しくて物思いに沈んで・・・
あーーーーーーーーーーー!くやしいわくやしいわ!
讃良様まだひきずってらっしゃる・・・・でもなんか気持ちがわかるような・・


78:謙徳公(けんとくこう)
(藤原伊ただ@ふじわらのこれただ)(「ただ」は「伊」のにんべん抜き)(45)

あはれとも言うべき人は思ほえで
身のいたづらになりぬべきかな
悔い残らぬと言い聞かせながら
かわいそうだと言ってくれそうな人は思い浮かばずに
わが身は空しく恋焦がれて死んで行くのだろうなあ。
「思ほえで」の「で」は打消しです。「いたづら」は「むなしく」
それからよくでてくる「なりぬべきかな」は「なってしまうだろうなあ」
と訳します。「xxぬべきかな」はほかでもよく使われるわね。
「べき」・・連体形で終止形は「べし」です。
現代語だと「xxしたほうがいい」「xxやりなさい」というかんじなんですが
古語の「べし」は推量ですから「xxだろう」と訳します。
また「あはれ」なんですが、
「あはれ」・・・・・・・・・・・・・・「かわいそう」
「あはれなり」・・・・・・・・・・・・「しみじみとおもむきがある」
と、まあたまには例外も在りますが概ねこう訳すと良いでしょう


79:元良親王(もとよししんのう)(20)

わびぬれば今はた同じ難波なる
みをつくしても逢わむとぞ思ふ
心揺れぬと波に誓えば
今はもはや思い悩んでいるので
それは身を捨てたのと同じこと、ならば
なにわにある澪標の名のように
この身を尽くしても逢おうと思う.
「わびぬれば」は「思い悩む」、「はた」は「もはや」「すでに」と訳します。
「逢はむ」の「む」は意志で「逢うのだ」「逢おう」と訳します。
さいごの「思ふ」は「ぞ」と掛かり結びで連体形ですよ。
みをつくしは「澪標」と「身を尽くす」をかけてあります。


80:皇嘉門院別当(こうかもんいんべっとう)(88)

難波江のあしのかりねのひとよゆゑ
みをつくしてや恋ひわたるべき
うつつをこゆる夢の瞬き
難波の入り江に生えているアシの刈り根の
一節(ひとよ)のような短い夜を貴方と過ごしたばかりに、
私は貴方を身を尽くして思いつづけることになるのでしょうか?
「難波江」の縁語が「アシ」「かりね」「ひとよ」「澪標」「わたる」と5つ。
「かりね」は「刈り根」と「仮寝」の掛詞でもって
さらに「仮寝」には「かりそめの契り」が暗示されています。
「ひとよ」は「一夜」と「一節」の掛詞。
みをつくしはこの上の歌同様「澪標」と「身を尽くす」をかけてあります。
「べき」は「や」と掛かり結びだから連体形。終止形は「べし」ここでは
推量ですから、「xxでしょうか?」「xxだろうか」と訳します。
いまでは「澪標」は大阪市の市章になっていますね。
ちなみに私も「こゆる」を「越えることが出来る」「恋している」と掛詞し様にしました。



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