31:三条院(さんじょういん)(68)

心にもあらでうき世にながらえば
恋しかるべき夜半の月かな
目(み)守り給え願い届かねど
心ならず辛い事の多いこの世に長生きするような事があれば
きっとこの真夜中の美しい月をおもいだすことだろうなあ
館の焼失、失明、失脚と読み札の本心は
「もう死んでしまいたい」って気持ちですね。


32:陽成院(ようせいいん)(13)

筑波嶺(つくばね)の峰より落つるみなの川
恋ぞつもりて淵となりぬる
逢うと決めたら気のみせかるる
筑波山の峰から流れる男女川の水が積もって淵となるように
あなたへの恋心も積もって淵になってしまった。
「ぞ」と「ぬる」で係結び。「男女川」は見たことが
なかったらしいけど、その名にあやかって詠んだのね。


33:相模(さがみ)(65)

恨みわびほさぬ袖だにあるものを
恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
夢では涙君の胸注ぐ
つれなさを恨んで涙で乾く間も無い袖が朽ちる以上に
この恋のためにあらぬうわさを立てられ
朽ちてしまう私の評判がおしまれてならない。
ここでの係結びは已然形なので「こそ」が係助詞
「なむ」は「な」+「む」の2語ですよ


34:後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)
(藤原良経@ふじわらのよしつね)(91)

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
衣片敷きひとりかも寝む
月には遠し横目の落ち葉や
こおろぎが鳴いているこの霜のよるの寒いむしろの上に
私の(は)片袖を敷いてひとり寝するのだろうか。
「さむしろ」は「寒し」と「むしろ」を掛けています。
「きりぎりす」と「こおろぎ」は当時逆だったのは有名ですよね。
「さむしろに衣片敷き」と「ひとりかも寝む」は本歌取りです。


35:持統天皇(じとうてんのう)(2)

春過ぎて夏来にけらし白妙の
衣ほすてふ天(あま)の香具山
端(は)より映して虹迫り来る
春が過ぎて夏が来たらしい白い布の衣が
夏になると衣を干すといわれる天の香具山に干してあります。
ちょっとお!十市!はい、なんでしょう?讃良様
これ、私の作った歌なのよ!存じております。
なんかこれじゃあ、ただ洗濯しただけ!ってかんじじゃないのお!
いいこと!まずね、体言止め。
ーー==(/^^)/あ、ありゃりゃ・・
それからね「白妙の」は「衣」に掛かる枕詞だけど
ここでは白い布でできた衣ってことなのよ。
な、なんかそのまんまですね・・必殺サララキーーーーーッック!いったー!
春の終わりの青葉の中に白い衣が干してあるさわやかな景色を詠んで
なおかつ「冬だけどあの雪を白い衣だとおもうと寒く感じない」っていう意味も持つ力強い歌でもあるのよ。
万葉集では「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天(あめ)の香具山」
と直接的に見たものに対して
百人一首のは柔らかめで間接的に「言い伝えられている」って感じにされてるの。
平安時代の方はソフトなタッチを好まれたようね。
「ほすてふ」は「干すといふ」の略です。そうそう、これ飴皇子!なんでしょうか?
最後の青い字の部分はどう言う意味?場合によってはサララチョーーーップ!よお!
白い衣を大きなスクリーンにして山の端から虹が讃良様の見てるほうに迫るように
徐々に映し出されるという意味です。
百人一首はと中大兄皇子(天智天皇)父娘から始まって、
最後は後鳥羽院&順徳院の親子で締められております。
里中満智子先生の「天上の虹」では主役はでございます。
と・お・ぜ・ん・よね!あんたはお嬢様か!天皇(すめらみこと)様でございます。


36:猿丸大夫(さるまるだゆう)(5)

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
声(こゑ)聞く時ぞ秋は悲しき
最後の一葉舞う角(つの)の先
奥深い山で紅葉の落ち葉を踏み分けて鳴く鹿の
声を聞く時が中でも特に秋は悲しいことである。
「ぞ」は「強意」で「・・のなかでも」とか「とりわけ・・だ」って訳します。
係助詞なので「悲しき」と係結びです。


37:藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)(51)

かくとだにえやはいぶきのさしも草
さしも知らじな燃ゆる思ひを
急(せ)き耐えるこそ「きゅう」のことなれ
このように言う事すらできないのだから(貴方は)知らないでしょうね
伊吹山のさしも草くらい私の思いが燃えていることを
「え」だけだと「できる」っていみですが、「やは」という反語の係助詞を持ってきて
打消しの意味にここでは「できない」って意味です。
「いふ」=(言う)と「伊吹」、「思ひ」と「火」という二回の掛詞が、
さらには「さしも草」(お灸に使うもぐさの原料、栃木県の伊吹山が産地)
「燃ゆる」「火」の3つは縁語というすごい文法が31文字に濃縮されています。


38:紀友則(きのとものり)(33)

久方の光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ
そっと漕ぎ出せ薄紅の小舟
陽の光がのどかなはるのひに、なぜあわただしく
桜花は散り急ぐのでしょうか
(飴皇子様の返歌がクリスタル45第四部にございます。113番です。)
人気のある歌だけに飴皇子もプレッシャーかかったでしょうね。
「久方の」は「天、空、光」(ここでは光)にかかる枕詞
「らむ」は推量・・「(なぜ)・・なのだろう」と訳しましょう。
花が急ぐ・・擬人法ですね。当時は花といえば桜のことですよ。
私・・四月生まれです・・・(だからどうした!)


39:式子内親王(しょくしないしんのう)(89)

玉の緒よ絶えねば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする
待つ限り過ぐtake a chance !
命よ!絶えるのなら絶えてしまいなさい!生き長らえていると
ひそかに耐え忍んでいることが出来なくなってしまうかもしれない。
(恋心が現れてしまう)
良く出てくる「内親王」は独身の皇女のことです。
でも、「皇女」を「ひめみこ」と読むほうが好きよ。ねえ、十市。
そうですね私もそうです。・・私も讃良様も「ひめみこ」の時代で
「内親王」という呼び方はそれより少しあとからできたことばです。
あの・・讃良様・・文法とか・・
あらいけない、私としたことが・・・おほほ・・
「も」+「ぞ」で「xxかもしれない」と訳します。
「ぞ」がきてるので係結び、さいごの「する」は連体形ですよ。
「ながらへ」は元の形は「ながらふ」下二段活用だから
未然形と已然形が同じ「ながらへ」になります。+「ば」は
全体を吟味して判断してみましょうね。「玉の緒」は「我が命」ってとこかしら・・


40:蝉丸(せみまる)(10)

これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関
天地(あめつち)の間に絵となるは人
これが噂に聞く(都へ)行きまた帰る人も
知る人も知らない人もまた逢う逢坂の関なのか
都は10世紀ですので京都の事です。
れやの」と「るもらぬ」で頭韻
「行く帰る」と「知る知らぬ」で脚韻を踏んでます。
「別れて」に対して逢坂の「逢う」でうまくまとめてるし・・
さらに体言止め。飴皇子もさぞやりつらかったことでしょう。
蝉丸は坊主めくりのときに坊主か否かでまようけど、
いろんな伝説があります。ツルツルに剃っているわけではなく
「xx法師」という名前もついてないのでノーマル扱いにしました。



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