皆さんは、ここに祀られている観音様が、ここ千浜の地に来てどの位経つか知っていますか。
そうです。600年です。今から約600年前、室町時代の頃からずっとお観音様は、私たち千浜の人々を見守ってくださいました。
そんなお観音様のことをもっと知ってもらうために紙芝居を作りました。皆さん聞いてください。
                  
昔、来福村に笠原源一郎さんという若者がおりました。働き者のこの若者が、前の浜を歩いていると……海面の向こうに煌々と輝く光が見えました。
          
源一郎さんは驚いて、思わず手を合わせました。するとその光の渦の中に、何と観世音菩薩像が現れ、どんどんこちらに近づいてくるではありませんか。
         
そしてとうとう海岸に漂着したのです。
「こ、こりゃあたまげた。きっとわしらを守ってくれる観音様に違いない」
源一郎さんは、その像を自分の家に持ち帰り、丁寧におまつりしました。
         
するとその話を聞きつけた村の人達も、次から次へとお参りに来るようになりました。
「なんとありがたい。なむあみだぶつ……」
来福村の人々は、毎日熱心に拝むようになりました。
その頃、村で困ったことが起こると村人は一心に念じ、一生懸命働きました。砂地を開墾し、畑を広げました。苦しい労働も、観音様を拝むことで乗り越えることができました。観音様が見守ってくれているという安心感が、人々に感謝の気持ちを持たせたのです。
「お観音様のおかげで幸せに暮らすことができる。ありがたい……なむあみだぶつ……」
     
源一郎さんは、このような立派なお観音様をいつまでも自分の家に祀っておくわけにはいかないと考え、永福寺の境内にお堂を建てました。そして永福寺の和尚さんに、これからお祀りしていただきたいとお願いしました。
その後このお観音様にお参りする人々が増え、地域に信仰心が広まりました。人々はお参りすることで、頑張る力を得たのです。
     
その後お堂は、幾度か建て直されましたが、1854年、この来福の村を大きな地震が襲い、お堂は完全につぶれてしまいました。
村の人々の家々も大きな被害を受けました。人々は住むところもなく、途方にくれました。お観音堂を建てる余裕もなく、お観音様は小屋の中におかれました。
そんな中でも、私たちの祖先はあきらめず、生活を立て直していきました。お堂はなくなってしまいましたが、お観音様を拝むことは忘れませんでした。そしてとうとう、千浜東の青年団が立ち上がり、お堂作りのためのお金を作り始めたのです。
     
お金を作るといっても、その当時、明治の若者は、どんなことを始めたのでしょう。わらで縄を作って売ったのです。
お堂を立てるためには、たくさんの縄をなわなくてはなりません。若者達は懸命に縄をないました。自分たちの祖先をずっと見守ってくれたお観音様を祀るお堂を作りたい一心でした。
     

一本の縄の代金は少ないものでしたが、一人一人があきらめず作り続けました。そんな若者達の様子を見て、寄付をしてくれる人も出てきました。縄を作り始めて15年以上の年月が経ち、とうとうお堂を立てるお金が貯まりました。大正2年5月15日のことでした。

時は移り、平成22年、現在の新しいお堂が出来上がりました。
今日は、お観音様600年のお祝いを行っています。手を合わせた時にいつもありがとうございますの気持ちを伝えましょう。
そして、お参りする私たちの元気な姿を、これからもずっと見ていただきましょう。
これで、紙芝居を終わります。

 

2017年7月9日