骨折3

当時の私はすでに結婚・離婚を経てデザイン関係の仕事をフリーで始めて5年目だった。
デザイン業界は手作業からコンピュータの時代へと変わり、私ができることは、ほとんどなくなって来た頃だ。経済的にコンピュータを導入することもできず、今後どうやって生計を立てていこうかと悩んでいる時期だった。

私の家族は、シェパード1匹。
彼女と夜、近くの公園に行ってフリスビーで遊ぶのが楽しみだった。
小さい頃から練習して来たので、かなりうまくて、投げ手はともかく受け手は素晴らしいものだった。
その芸を人様に披露することなく2004年7月23日、天に召された。

その日は2月のかなり冷え込んだ夜。公園のベンチに、寒空の下にカップルがひと組。
二人を気にしながら、いつものように10メートルのロープを彼女につけて(大きい犬なので、人が怖がった時にそなえてロープをしていた)ディスクを4~5投ほどした時、私はロープを踏んでいるのに気づかずに投げ、彼女はダッシュ!
同時に私は足を取られて、思いきり左肩から地面に倒れ込んだ。

ディスクをくわえて喜んで戻って来た彼女。
倒れたまま、起きあがれない私。
カップルの視線を感じつつ、どうにかこうにか起き上がる。

肩がはずれたかな……腕が上がらない……

脂汗が出て、呼吸が速い。

そんな私を理解できない彼女は、もっともっと!いつものように続けて!! とせがむばかり。そうだよなあ、来たばっかりでもう帰るのはかわいそうだな。

いつもは50投くらいやっていたので彼女の不満を考えると、帰ることができなかった。
痛む腕を動かさないように、ディスクを投げること5回…。
しかし、やっぱり、それどころじゃない!

必死でロープを手繰り寄せて、右手で荷物とロープを持ち、帰路を急ぐ彼女のスピードで振動が伝わる腕の痛みに耐えながら顔面蒼白で帰りついた。

幸い?その時は妹と同居していたので、寝ている妹を起こして救急車を呼んでもらい「鳴らさないで」とお願いしても「規則ですから」とピーポー鳴らされ、寒気に震えながら病院へ。

どうするんだ、これから。
仕事がない上に、怪我なんかしちゃって。
手術? 入院? 冗談じゃない。
おまけに胃まで、死ぬほど痛い!

結局、手術はまぬがれたものの、1ヶ月の入院。
妹に生活の負担がかかり、ずいぶんと迷惑をかけた。妹は離婚して一人娘とともに、私のところへ身を寄せていた。子どもが小さい上に、仕事をしながらダメねえちゃんの世話までするはめになったのだ。

私が退院して間もなく、妹は近くのアパートに引っ越して行った。

2回目の骨折で、左ひざのお皿を割りましたが、その治療は完了していなかった。
割れた骨をステンレスの針金で結んでいたのだが、その針金を除去しなければならなかったのだ。
しかし病院からお呼びがなかったのと、特別不具合を感じていなかったので放っておいた。

今回の入院で、「ひざはどうなっているんだろう」と思いレントゲンを撮ってもらったら、針金が折れていることがわかった。今でも、そのままだ。

この頃の私は、自分の中に力を感じることができなかった。
勤めていた会社が分裂してしまい、独立せざるを得なかった状態でフリーになって5年、そうとうくたびれていた。離婚の勢いでやってこれたようなものだ。

デザインやイラストの仕事を、好きでやっていたはずなのに、いつも自分の仕事に自信が持てなかった。
そのくせ、評価はしてもらいたい。能力がないのだろうか、独立するような器じゃなかったんだろうか……
自分のことを「デザイナー」「イラストレーター」と呼ぶことに抵抗を感じていた。

そして、一人で生きて行くという強さを持ち続けられるだろうか。
仕事を引き寄せる能力が足りない。
だれか、私の生活を支えてくれるような人が現れないだろうか。
もう、しんどい。

そんな時の骨折だった。