骨折1

中学1年、当時の私は、学校生活がきらいだった。
唯一、楽しめるのは一人で絵を描いたり音楽を聴いたりの好きなことをしている時間で、集団で行動することは本当に苦手だった。

当時、私の身も心も占領していたのはアニメ「海のトリトン」。
早く家に帰って、絵を描きたくて、レコードを聴きたくて、自分の世界に帰りたくて、ぼーっとして自転車に乗っていたのだろう。おまけに視力もよくなかったから、車が近づいているのを見落としたのかもしれない。

幸い、相手の方は私を車に乗せ、病院まで運んでくださった。
この場合、車を運転していた方が被害者だ。今となっては遅いが、申し訳なかったと思う。
病院に到着すると父が玄間で待っていて、私を抱きかかえて院内に走って行った。

その事故をきっかけにして、自転車の通学路が変更になった。私は「大変なことをしてしまったのか」という思いがあった。 そして、そのことをきっかけに父は、決心をひとつ、したのだと思う。

自動車学校の教官であった父は、こう思ったに違いない。
「娘には、運転免許は取らせまい」

父の思いは、強い「信念」となり、無言の「氣」を私と妹に送り続けたようだ。
「家族」の思いは、強力なものだ。
「家族」という成り立ちは、人間が安全に暮らすための最初の人間関係で、「家族」としてのルールや考え方は、「守る、護る、抱え込む」という意味からもとても強い意識だ。
「家族」としての秩序や常識とする考えを外れた者はその強い結びつきゆえに強力に非難される。
子どもは、そこから排除されることは「生きて行けない」と本能的に感じるから、当たり前のように親からの信号を受け取る。それが、身の安全につながるからだ。

娘たちを「事故で失うかもしれない」ということを恐れた(っていうのは私の勝手な想像だ)父は私が高校を卒業する頃になっても、車の免許を取る話を一切しなかった。
それ以前に、私や妹も、車の免許を取ることなど全く考えもしなかった。周りの同級生たちが免許の話をしている中でも「私はどうしよう?」なんて思いすら浮かばなかった。

同じように妹も車の免許はない。
私はその後、原付免許を取り2度目の骨折までバイクに乗っていた。そして2度目の骨折で、もうバイクも乗れないと思い更新はしなかった。

30代、スクーターレースに出るためにまた免許を取った。しかし貧乏だったのでバイクが買えず、結局免許証を失効させた。
以来、電車とバスと自転車と徒歩が移動手段の全てだった。
現在は相方がどこにでも車で連れて行ってくれる。運動不足だな。
不思議だなと思うのは、大人になって出会った人が皆、バイクや車大好きで仕事も車関係だということだ。
弟は自動車販売の自営業者になった。