父 |
父は、48歳の若さで自らこの世を去った。
椎間板ヘルニアを長く患い、快方と悪化を繰り返していた。
仕事に対する責任感の強い父だったので、病を苦にして…と表面的には見えるが、遺書などもなく本当のところはわからないままだ。
一家の主人が、健康を害して働けない… 会社の同僚に迷惑をかけている…
なにより自分のからだが思うようにならない苦しさ、痛み…
父が一番苦しかったであろう時期、私はひとり実家から離れて生活いた。
父が亡くなった時私は21歳、 弟は19歳で社会人、妹は17歳の高校生だった。
父は8人兄弟、上から3番目の次男だ。8人の中から選ばれて、養子に出された。
父の、実の父親の妹さんかお姉さんの夫が、子供ができないために欲しがり父が選ばれたらしい。
兄弟の中から選ばれたということを、父はどんなふうに感じていたのだろうか。
その後の兄弟の間柄はうまくいっていたのか。
親戚にもらわれたとはいえ、こちらの家系は議員や教授がいたりする一家、 妬まれたりしなかったのだろうか。
8人のうち一人は、故郷から遠く離れた駅で行き倒れになって、人知れず亡くなっている。
父の実の母親も、いきさつはわからないが自殺してる。
兄弟が多いと、年老いた両親を誰がひきとるかということでもめたこともあったようだ。
「父」といっても、「私」と何も変わらない、個人としての苦悩を抱えて生きてきたひとりの人間だ。
父の自殺は、表面的な肉体の苦痛だけでなく、48年間を過ごしてきた、たくさんの「思い」や「気」をからだの細胞に刻んできた結果の父の今世の「終わり方」だった。
あまり自分のことを語らない、口数の少ない父だったので、誰かに話して吐き出して、心を軽くするなんてこともままならなかったのではないかと思う。
私は、大人になった自分が、父から色々な話を聞かせてもらえるのはこれからだと思っていた。 亡くなる少し前、まだ高校生だった妹に、父がふと「死にたいなあ……」と、もらしたそうだ。 |
今の私がそばにいたら、父の心に、何か変化を起こすことができたかもしれない。
でも、運命はそれぞれ自分で作っていくものだ。
父が自殺を決意した瞬間、私はその場所にいることはできなかった。
父の運命は、その時私が関わる筋書きではなかったのだ。