変わる

「絵を描く」ということ。

小学生の頃から絵を描くことが好きで、学校で何度も賞状をもらっていた。
いわゆる写生コンクールとか、授業で描いた絵を先生が秀作として選び、朝の全校生朝礼で表彰する。
学校は嫌いで、授業が終わると急いで家に帰って絵を描いていた。塗り絵や、紙人形の服を描いて着せたり、とにかく紙と色鉛筆、クレヨン、ハサミ、ノリ、セロテープ、鉛筆を研ぐ小刀、絵の具、折り紙などがあればスーパーハッピーだった。

中学生時代も変わらず、それに加えてギター弾きと歌うことなど音楽(洋楽、日本のフォークソング)、作詞作曲、編み物に縫い物、ようするに何かを作るなど、夢中になれることには事欠かなかった。

高校生時代。学校は美術科に入り、普通教科と美術教科が半々の高校だ。
絵を描く人間というのは個性的なタイプが多いせいかなかなかユニークなクラスだった。
美術科は3年間同じクラスで、毎年クラスが変わる普通科の子たちとは違った雰囲気があって楽しかった。
よく普通科の子に「美術科は怖い」と言われていたけど、たぶん自己表現が自由奔放な私たちが奇異に見えたんだろう。
自由奔放といっても、普通科の子と何も変わらない同じような悩みや思いを抱えている。
精神的にセンシティブな分、深く傷つく子もいたし、複雑な家庭環境でなじめない子もいた。

高校時代は美術科だったので、周りが全員絵を描くことを得意として来ているから、昔のように表彰されたり特別にほめられたりしない。
もちろん秀作は学校に残されるので、学校的に出来の良い作品はあこがれた。
私の作品が残ることはなかったが、文化祭で黒いケント紙とセロファンで作ったステンドグラスの部屋と、
同じ手法でギリシャ神話をスライドにして紙芝居風に上演したことは、一番の思い出だ。
クラス全員で作業を分担して創り上げたステンドグラスの色合いは感動的だった。
私のギターで、一緒に歌う親友もできた。

高校を卒業すると、短大美術科に行く子を除いて、絵や美術に関わる仕事に就く子は少なかったと思う。
そんな中で、私は広告代理店に就職したが1年で辞めて実家を出る。まだ19歳だった。

レコード店が主催した漫画コンテストにイラスト(アニメの模倣)を出品したことがきっかけで、それを見た女の子が私に連絡をしてきた。 コミケ(コミックマーケット)に同人誌を出すための漫画を描いてくれと頼まれた。
深く考えることもなく彼女の実家に下宿して、漫画を描き上げようと努力したが、漫画も人間関係もうまくできずに結局私が出て行き、縁が切れた。

絵を描くことが好きで、特技で、それさえやっていれば幸せを感じていたという自分自身は、年々変化した。絵を描くことが仕事や頼まれ事になるたびに、苦痛の色が濃くなっていく。
好きだからこそ頼まれればつい受けてしまう。
相手の意向を汲むことに必死になるので、子どもの頃の楽しさなど味わえるわけもない。
その後は広告業の仕事でイラストを描いて来たが、仕事でのイラストは他人のためのものでしかない。
自分のタッチがあるほうがかえってじゃまで、何でも、どんなタッチでも描けなければならなかった。
もちろん相手が気に入ってくれる喜びは何度も味わったが、自分自身は「本当に絵を描くことが好きなのか?」と自分に問うことが多くなった。

仕事以外で、自分の心の赴くままに描くことをすればいい!と思い、何度もそういう時間を作って描こうとしてきた。しかし今度は「自分が自分に頼み込んで、描かされている」みたいな感じになり、ますます「絵を描くことを楽しんでいない」自分に気づく。
親友と会うたびに「描かなきゃだめだよね。どんどん描けなくなる」と話すのだがお互い、火が消えていくのを悶々として眺めるだけのような感じだった。
自然に描きたくなるという日を心待ちしていたが、気がつくとどんどん年を重ねている。

私の最後の絵の仕事はカスタムペイント(車やバイクやヘルメットなど色々なものにエアブラシで塗装・イラストを描くもの)だったが、それこそお客さんのイメージどおりのものに仕上げるのが一番の目標で、
特に私の絵は、絵というよりも塗り絵に近いものだった。
見本の写真やイラストにそっくりに描くのが目的なので、お客さんさえ納得すれば良かった。
感謝されればそれなりに充実感もあったが、「自分の絵ではない。私は自分の絵に個性を見い出せず表現できずに終わったな」ということがはっきりした。

その仕事が終わった日から、急速に「絵を描く欲望」は消えて行った。
解放感すらあったのには自分でも驚いた。
基本的にデザイン・レイアウトが好きなのでPCでの作業は好んで受けていたが、自分の手で絵の具やら鉛筆やらを使って白い紙に何かを表現することが、本当に、なくなった。
時折くすぶる「過去に持っていたはずの技術がどんどん廃れていく」という強迫観念にさいなまれたが、今ではそれもなくなった。

まわりから「もったいない」と言われる。私もそう思う。
あれほど情熱を傾けていた膨大な時間が、今の私に何を残したのか自分でもわからない。
いや、わからないわけじゃないか。人のために何かをしたいということは、とてもはっきりしたことだ。

絵を描く「指導霊」が、「消えた」と実感する今日この頃。


2012.12