宝物 B

高校を卒業する数カ月前、私と父は最寄の東海道線の駅で「東京」へ行くために電車を待っていた。
思い出はいつも、そのイメージから始まる。

でもそこに至るまでのあれこれが、まったく記憶にない。
鈍行に乗った後、新幹線に乗りかえたのかも覚えていない。
出掛けた理由は覚えている。
当時私は、アニメーターになりたくて、東京で仕事をしたいと思っていたらしい。
どこでどうやって住所を知ったかは忘れたが、東京ムービーというアニメの会社に手紙を出して、「榎本さん」という女性が返事をくれた。見学にきても良いという内容だったと思う。
父は、賛成や反対の意見を言う前に、その手紙をもとに榎本さんに会いに行き、仕事場の様子や東京での生活の実態など、私に見せようと、東京ムービーまで連れて行ってくれたのだ。
世間知らずの娘の夢を、簡単には壊さずに、納得させるために。

どこかの駅で榎本さんに会い、仕事場へ案内してもらった。
今でこそテレビやネットで簡単にさまざまな情報を知ることができるが、当時の私にはアニメーターへのあこがれしか持っていなかった。

セル画というものは透明なセルロイド板に輪郭線をトレースして、裏から絵の具を塗るんだということを知った日は驚喜した。
アルバムのフィルムを粘着面からはがして、マジックで線を描き、裏にして水彩絵の具ではじくのもおかまいなしに厚塗りした。なかなか絵の具が乾かないのをガマンして、背景画を描いて、絵の具の表面だけが乾いたものを背景画に重ね、セル画の出来上がり!とばかりによろこんでいた。

そんなところから始まったセル画は、街へバスと電車で出掛けて専用のセルと絵の具を手に入れた。動画用紙も手に入れ、タップも手に入れ、ひたすら何枚も何枚も動画を描いてはパラパラやって感動していた。
ライトボックスなどなかったので、蛍光灯を入れてスリガラスでふたをした箱の設計図を描き、建て具屋さんに頼んで作ってもらった。(それはまだ持っている)

東京ムービーの仕事場は、夢のようだった。ごちゃごちゃしていて、カラフルで、絵にあふれている。絵コンテや台本、書き損じの動画すらゴミ箱の中で輝いていた。
私がその場所で感動に浸っている間、となりで父が榎本さんと会話をしている。
「お給料は安いですし、仕事は忙しく健康的ではありません。一人暮らしも大変だし、生活していけるかどうか……」
否定的な話をしているということだけは、わかっていた。ちゃんと耳に入っていた。
でも、その場所にいることだけで幸せだった。

男性がそこに入ってきた。「おーい、新巨人の星のオープニング曲ができあがったぞ!」(私:ええ~!!!!!?????!!!!!)
すぐにラジカセでテープをかけていた。「変な曲だなあ…」と思った覚えがある。

別の男性が、「おみやげに好きなの持ってきな!」と言ってたくさんのセル画を箱で抱えてきた。
「そうか。帰らなきゃいけないんだ」
バカボンのセル画や侍ジャイアンツのセル画をもらい、妙に冷静な自分だった。
ここで働くことはできないと分かっていたけれど、悲しくもなく、ただただ、来ることができてよかったと思っていた。

榎本さんが会社のロビーまで見送ってくれた。
父は、「ここではやっていけないだろう。」と静かに言ったような気がする。
その時の自分の態度を覚えていない。アニメーターになりたいという情熱はどこへ行ったんだ?(笑)
本当に、ガキだったんだなあ。
父は、あきらめさせるために連れていったのかもしれないが、私には幸せな旅だった。

2012.8