恋愛感情は麻酔薬 |
気がつくと、パートナーのイヤな部分が自分の中にたまっている。
昔はあんなことしなかった、昔はこんなことしてくれた。
出会った頃、少しは気付いていたくせに、恋人関係を終わらせるのが怖くて、寂しくて、もったいなくて、片目をつぶっていたこともわすれて、自分にとっての利益ばかりを考えているようになる。。
不満はたまる一方で、それに比例してパートナーへの愛情がうすれていくのを感じる日々。
「私のために、ぼくのために、○○してほしい」
昔、ある若いカップルが結婚式を挙げることを目標にして、そのために仕事をし、計画を立て、結婚式の準備に忙しくも楽しい日々を送るのを見守っていたことがあった。
彼は彼女の実家に居候していた。
その間、ふたりはしょっちゅう衝突し、不満を言い合い、私には理解できない理屈で仲直りしては結婚式当日に突き進んでいく。私たちを結婚式に招待しないでくれと言っておいたのに勝手に受付けにされてしまった。こちらの都合はおかまいなしだ。
結婚式が終わり、「自立するんだ」と言っていたから実家から出るのだと思っていたら、彼女の実家の目と鼻の先にアパートを借りたが、ケンカばかりして彼女は実家へ当たり前のように帰る。
さんざん愚痴を聞いているうちに、ばかばかしくなってきた。
6ヶ月後、離婚したと聞いた。しかしすぐに「また一緒に実家で暮らしている」という話を聞いた数ヶ月後、やはり彼は落ち着かず出ていったようで、今どうしているかは知らない。
私たちのもとには、幻の一瞬である披露宴での様子や親族・友人の集合写真がむなしく残っている。
二人は、仲直りするたびに自己麻酔を打つ。
結婚すれば幸せな二人の暮らしが待っていると思っていたから、結婚したかったのだ。
結婚すれば、精神的なつながりがもっと強くなって、ケンカしても仲直りしながらやっていけると思っていた。
恋愛も人間関係を学ぶひとつの形だ。 |
麻酔薬を打たれ、学びの相手と関わっていく。
必ず破局するわけではない。相手もまた同じ立場なのだ。学びの相手をお互いに選んだのだ。
賢く学び、相手を尊重し自分も大切にすることができ、同じ方向を見ることができて、同じ歩調で励まし合いながら生きていけるのなら、それほど素晴らしいことはない。
恋愛が成就しなくても、一緒に過ごした日々そのものが大切な学び合いの時間だ。
だからこそ、愛されることよりも自分から「愛する」「好きになる」ことが大切。
さらに、その愛情は条件付きではなく、「ただ、すべてを受け入れ、愛する」ものでないと、相手だけではなく自分自身も傷つく。
おまけにその愛情は、「愛情の名のもとに相手を束縛し、コントロールするようなものであってはいけない」のだ。
相手の「自由」を尊重することを、どこまでできるか!!
2009.10 |