頑張っているけれど…大人のADHD
中日新聞2012年2月7日(火曜日)

 会社にいつも遅刻する、文書のミスが多い、思いつきをすぐ言動に移す―。こんな"困った大人"の背景には、発達障害の一つ「注意欠陥多動性障害(ADHD)」があるかもしれない。長年気づかないまま失敗などを重ね、うつ病などの二次障害が出て始めて始めて分かる場合が多い。大人のADHDの現状や支援の状況を3回にわたって紹介する。(竹上順子)

うつ病などから判明 気づきと受容

 埼玉県所沢市の社会福祉士、芹沢忠行さん(40)は約10年前、うつ病になった。きっかけは、5年間勤めた職場での解雇。経営不振が理由だったが、専門学校卒業以来、3カ所目で初めて「自分に合う」と感じていたため、ショックは大きかった。
 精神科クリニックで治療を始め、介護ヘルパーとして再就職。4年ほどして行政機関のソーシャルワーカーになった。ただ、良い考えが浮かぶたび、周囲に相談せずに「上司に話してみます」と言う様子が「勝手ばかりする」と非難され、退職を余儀なくされた。
 その後も人間関係が原因で、仕事は長続きしなかった。10回目の転職をした38歳のとき、主治医に「いくら何でもおかしい」と訴え、検査でADHDが判明した。


芹沢さんの「思いつきメモ」。左ページにアイデア、右ページに実現のために必要な行動を書く。ジャンルごとにシールの色を変えて貼ったりすることも

 

 「頑張ってもうまくいかない理由が、やっと分かった」。子ども時代から忘れ物などが多かったが、ADHDの特性に「不注意」があることや、思いつきで行動してしまう原因に「衝動性」があることを知った。それでも挫折感はなかなか消えず、自己評価は下がり切っていた。

 「ADHDのある大人には、ずっとつらさを押し殺して生きてきた人が多い」と、日本発達障害ネットワーク理事の田中康雄・北海道大大学院教授(児童精神医学)は話す。失敗が多く、頑張っても周囲から「努力が足りない」と言われてきた人が多いためだ。
 精神科や心療内科を受診し、診断で疑問が氷解する例も多いが、田中さんは「大切なのは、生きづらさを減らすこと」と話す。診断を受けなくても、生活環境の改善などで解決できることもある。「自分の中の違和感や困り事の程度により、受診するかどうかを判断してほしい」と話す。
 芹沢さんの転機は、地元市議選でのボランティアだった。近所の候補者から事務局長を任され、福祉政策にアイデアが採用されたり、マニフェスト作成に関わったりした。「自分も役に立てるんだと、自信と幸せを感じた」。ADHDを受容し、困った特性が長所にもなると気づいた。うつ病も良くなり、薬を減らした。
 芹沢さんはその後、ADHDの当事者らでつくるNPO法人「えじそんくらぶ」に入会した。妻(34)も一緒にストレスへの対処法や生活上の工夫などを学び、忘れ物防止のため玄関に箱を置いたり、アイデアを忘れず実現するため、手帳やノートの使い方を工夫したりしている。
 昨秋、社会福祉事務所「ひびき」を設立した。組織にいるよりフリーの方が、個性を生かして働けると考えた。名前には今の制度では手が届きにくい場所へも、福祉の力を響かせたいとの思いを込めた。
 「ADHDがあるからこそ、利用者の気持ちをくみ取れることもある」と芹沢さん。工夫と支援で、マイナスをプラスに変えていくつもりだ。

診療体制づくりが急務 治療と自助活動

 東京都内に住む女性(38)は6年前、ADHDの診断を受け、衝動性や不注意などを和らげる薬を処方された。集中力が増すなど症状は改善したが、翌年、この薬を使える疾病が厳しく制限され、ADHDの治療に使えなくなった。専門クリニックに通ってみたが、受診希望者が多くて待ち時間も長い。薬ももらえないため通院をやめた。
 日本では現在、成人のADHD治療薬は承認されていない。18歳未満の子ども向けには2種類の治療薬があり、17歳までにADHDと診断され、薬を使っていれば18歳以降も「継続使用」はできる。成人向け治療薬は現在、治験中だ。
 女性は現在、職場での悩みから不安障害となり、近所の心療内科のクリニックに通う。「頑張ってもうまくいかないのはADHDの影響も大きいと思う。大人も早く治療薬を使えるようにしてほしい」と訴える。

 ADHDはこれまで、小児期の発達障害と考えられてきた。そのため、大人に対する診療体制づくりは始まったばかりだ。診断基準もこれまでは小児向けのものが使われてきたが、大人になると変わる症状もあることなどから、厚生労働省の研究班が、米国の成人の診断面接法を基に日本語版を作成しており、3月に公表し、出版する予定だ。
 主任研究者の中村和彦・浜松医科大精神神経医学講座准教授は「ADHDのある人には他の発達障害があるケースも多く、適切な対応のためには、しっかりと診断することが大切」と話す。
 中村さんらの疫学研究では、日本の成人の約2.1%にADHDがあるとみられる。だが長年気づかず、うつ病などの二次障害で医療機関を訪ねる人も多く「医師にも広く知ってほしい」と話す。

 診断の有無にかかわらず、ADHD的な特性が原因の困り事に、工夫で対処していこうという活動もある。NPO法人「えじそんくらぶ」は、ADHDの理解に加え、弱点の克服や長所を伸ばすための支援として、特性や生活の工夫などの情報を、冊子や講座などで提供している。
 最近は、心が楽になる考え方や気持ちの伝え方、怒りへの対処法などを学ぶ「ストレスマネジメント講座」が人気という。自身もADHDがある高山恵子代表は「当事者や家族の生活の質を高めるのが目的。ADHDの人がつまずきやすい点には配慮しているが、どんな人にも役立ててもらえる」と話す。
 コミュニケーションに焦点を当てているのが、東京都成人発達障害当事者会「イイトコサガシ」のワークショップだ。参加者は少人数のグループをつくり、うち2人が一定のルールに従い、決まったテーマで話す。残りの人たちは、会話が終わった後に、2人の良かった点だけを挙げる。
 狙いは、コミュニケーション上の失敗が多く、自己肯定感が低下しがちな当事者に、自分の良さや可能性に気づいてもらうこと。主宰者の冠地情かんちじょうさん(39) は「コミュニケーションを楽しく試す場を提供したい。家族や支援者も、交流して当事者を理解してほしい」と話す。
 ワークショップは東京以外でも開催する。HPは「イイトコサガシ」で検索。えじそんくらぶのHPでは、ADHDについての冊子を無料でダウンロードできるほか、各地の当事者や家族の会も紹介している。

多角的に就労後押し 企業の相談に助言も

 神奈川県の男性(33)は24歳でうつ病になり、29歳のときADHDと、発達障害の一つでコミュニケーション障害などがあるアスペルガー症候群と診断された。「うまくいかない原因はこれかと思ったけれど、どう向き合えば分からなかった」
 頼りにしたのは、地元の発達障害者支援センターだった。定期的に通 い、仕事や生活について相談。診断を得たことで、就労支援など利用できる制度は増えたが、希望する分野では障害者向けの求人がないなど、相談事は尽きなかった。
 今は7カ所目の職場で上司だけに障害を伝えて働く。人間関係は今も苦労しているが「センターの担当者が『どんどん前に進んでいる』と言ってくれれるのが励み」。

 製薬会社の日本イーライリリーによる、ADHDと診断された18歳以上の男女100人への昨年の調査では、就労経験者では、転職回数が5回以上という人が最多。就労中の69人では、年収100万円以下が約22%と最も多かった。
 「発達障害のある人への就労支援制度は、近年大きく進んだ」と、日本発達障害ネットワーク(JDDネット)理事の大塚晃・上智大教授(障害者福祉論)は話す。発達障害者支援センターでの相談のほか、障害者向け専門支援として、各地の障害者職業センターや、ハローワークの専門窓口ができる。
 一般雇用でも、全国34カ所のハローワークでは発達障害の特性などに配慮した「就職支援ナビゲーター」のサポートが受けられる。ジョブコーチ制度や企業向けのハンドブックなどもある。
 臨床心理士らでつくる相談室「大人のための発達障害サポートセンター」(東京都品川区)には最近、企業からの相談が増えている。
 本人の希望に応じて検査を行い、得意と不得意をつかむ。書き間違いやチェックミス、会議の流れがつかめない、電話でのやりとりの内容を記憶できないなどの困り事を細かく聞き、オーダーメードで解決策を探る。
 「職場でも対応策が分からず、ようやくたどり着くケースも。多くの人が、もっと早く気づくようになってもらえたら」と井口和子代表。

 "居場所"づくりによる支援もある。発達障害者のフリースペース「ネッコ」(東京都新宿区)では、当事者による勉強会や就職講座、専門家の講演会を開催。利用者は30~40代が中心だ。
 運営者の金子磨矢子さんは「引きこもりやニート、生活保護を受けている人も多い。ここを外に出る第一歩にし、会社で疲れたときに仲間に会える場所にしてほしい」。
 JDDネット理事長の市川宏伸・小児総合医療センター顧問は「ADHDなど発達障害のある人は、合う仕事に就けば能力を発揮できるケースも多い。サポートや制度を活用し、自信をつけて」と話している。