内側の声に耳傾けて 思想家・合気道師範 内田 樹
中日新聞2012年1月24日(火曜日)13面

 神戸市内の静かな住宅街に「凱風館」という看板を掲げた一軒家がある。漆喰しっくいの白壁と切り妻の黒屋根が、現代の武家屋敷を思わせるたたずまいだ。昨年11月に完成したばかりで、室内では京都産のスギ材が芳香を放つ。
 「凱風というのは中国の『詩経』にある言葉で、初夏の暖かい南の風です。この風が吹くと、こわばっていた木の芽が開いて、やわらかい花びらが広がる。かたくなになったものを自己解放して、潜在的な資源が開花していく、そんな意味を託しています」
 2階の居間でこたつに当たりつつ、この家の主で神戸女学院大名誉教授の内田樹さん(61)が話す。ベストセラー『日本辺境論』などを次々に著す思想家にして、合気道の師範。2階には大きな書架が並び、1階には合気道の道場が設けられたこの住まいは、内田さんの人生そのものを体現する設計といえようか。
 「ここを拠点に、日本の少年を硬直した自我から解放させたい。日本の若い女性に比べて男性は、身体感覚が極めて悪い。自分の身体の内側に対するセンサーが働いておらず、自身の内側からふつふつとたぎる声に耳を傾けられる子はほとんどいません。それが現代日本の大きな危機であり、日本のシステムの最も脆弱(ぜいじゃく)な部分じゃないかという気がします」

 日本の危機というとき、政治や経済の問題を挙げる人は多かろうが、こうした問題意識をまっ先に訴える人がどれほどいることか。その視座こそは、内田さんに記者が会いたかった理由だ。
 《身体の内側に対するセンサー》という指摘には、少し説明がいるだろう。内田さんは、合気道をはじめ日本の伝統的な武道を、自分の身体の構造や動きを探究する科学だと見ている。それは他者との競争などではなく、強弱や勝敗ともまるで無縁の行為だ。


弟子の稽古に、厳しい視線を送る道着姿の内田樹さん=神戸市内で

うちだ・たつる 1950年、東京都生まれ。東京大を経て東京都立大(現首都大学東京)大学院でフランス現代思想を専攻。90年から神戸女学院大学で教壇に立ち、2011年に退職。同年、第3回伊丹十三賞を受賞。合気道七段。著作に『私家版・ユダヤ文化論』(小林秀雄賞受賞)『日本辺境論』(新書大賞受賞)『呪の時代』など多数。

 「しかし、今の日本の学校体育やプロを含むスポーツは、身体能力を比較可能な条件にして優劣を決めるもので、そこでは身体は競争の道具でしかない。身体や心を含めて自分自身を探究することには家庭も学校も社会も何の興味も示さず、市場価格という基準に合わせて自分の体を商品にすることが社会を覆い尽くし、日本人の生きる知恵と力の成長をさまたげています。それを解放しなくては、というのが、大学を定年より5年早く辞めて個人的に道場をつくった一つの理由です」

 大学の教え子をはじめ、合気道を志す子どもから高齢者まで、初心者も有段者も集う凱風館。ここを学塾にもしたい。使命感を抱いて新たな一歩を踏み出した内田さんだが、折しも今はグローバリズム経済全盛の時代。競争は疑いのない《善》とされ、勝者がすべてを独占する反面 で、競争に負けた企業はつぶれ、経済成長を果たせない国は困窮する。そうした状況院対応した教育が必要だと政治家や経済人は口をそろえて叫ぶ。
 「競争に勝つことが目的という考え方は、議論の帰結として、生産性の高い個人が生き残り、低い個人は自己責任として路頭に迷えということになります。でも人間の共同体をつくっていくのはそんな排他的なシステムではない。人間には生産性の高い時期も低い時期もある。支えたり支えられたりというネットワークの中にいる以外に、人間は生きる道がないです」

 神戸を襲った大震災の折には、避難所の体育館で3週間暮らした。住民の中には自分の要求を声高に叫ぶだけの人もいたが、足元のごみを自発的に拾い、トイレを黙って掃除する人たちも大勢見た。
 まずは足元のごみを拾う。人間のネットワークづくりは、そうした小さなことから始められると内田さんは考えている。「改革とか維新とか大きなことを言わなくても、自分でできることって、けっこうたくさんあるんです」

取材ノート
 取材の後、合気道の稽古を見せていただいた。この日集まったのはおよそ30人。道着姿の内田さんはにこやかに語りかけつつ、時にどきりとするほど鋭い表情になる。インタビューの途中で「競争とは人の成功を呪い、失敗を喜ぶこと。そういう人間ばかりになった集団は必ず滅びます。日本は明らかに滅びに向かっている。『呪い』って恐ろしいんですよ」と語った時の視線も、実に厳しいものだった。(三品 信)