正伝の仏法を慕う
石川 和幸 いしかわ・わこう 2016年6月14日(火曜日)中日新聞「人生のページ」より
再び「オウム」を生まない
迷妄打破へ出家修行
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映画『ビルマの竪琴』を観ました。山林から街中に下りてきた僧の汚れた法衣を見て、「なんて厳しいご修行をなされたことか」と街の人が恭うやうやしく供養をする。今の日本なら「なんだ、物乞いか」と思う人もいるでしょう。托鉢を行じての実感です。
「チチキトク スグカエレ」。1985年、突然の知らせで、私は米国から帰国しました。天国と地獄を行き来するかのような闘病の末、桜花満開の時節に父を見送りました。葬儀、納骨と済ませ、初盆までには少し間があると参禅の旅に出ました。旅の最後の永平寺で「もう少し坐りたい」と申し出た私が連れて行かれたのは、山峰を幾つも越え、雪は祖山そざん、永平寺の三倍も降りつもる山奥の寳慶寺ほうきょうじ(福井県大野市)でした。永平寺の重役を退き、滋賀県の自坊を息子に譲った後、単身入られた故北野良道老師がおられました。由緒はあるが、檀家だんかも寺録じろくもないボロボロの廃寺同然の山寺で、寺の子ではない修行僧二人とともに、坐禅、托鉢、精進食の禅の生活を送っていられました。
人は無情に遭遇したとき、出家を志すといわれる。『発菩提心ほつぼだいしん』である。これは言葉に置き換えることのできない究極の救いの道を歩く決意にほかなりません。無心に真実に生きたいと願う心です。無から生まれ無に戻って行く人生とはどういうことなのか。誰からも邪魔されることなく自分自身と向き合うことでしか、無常観からはい上がるすべはありません。それは自分自身を見つめ、自己の本質に感づくことです。自分の「弱さ」の正体を知ることともいえます。近親者の死。対人関係、恋、金、裏切り、怒り、無知、我欲。得意げになったり落ち込んだりする自分の弱さ。
突き詰めれば、家族には許しがある。だから人は真の、深しんの、尽じんの無常観に支配されたとき、在家の宗教では救いきれない活路を求めて、法のりの道を行く出家僧となる。そこには今も昔も変わらない、釈尊自身がなさった決して生やさしくはない、永きにわたって受け継がれた、実体験で裏打ちされた修行そのものがあるのです。修行が自分で自分を救ってくれるのです。修行の道場・寳慶寺には自己と向き合うことのできる時間と場所とがありました。
その後、私は有給休暇をためては、小遣いをためては、参禅を続けることになる。男女にかかわらず僧も俗も自由に出入りができる公界くかいの道場・寳慶寺があったからこそ、私は自殺もドラッグにも、そしてカルトに走ることもなく、多感な青年期を過ごすことができました。
あなたの周りにはいないだろうか。私にはいた。東大を卒業して有名私立大学の教員になった知人、母親が一人で苦労して学習院大を卒業させ一部上場企業に就職した友が。彼らは「オウム真理教」の信者となって走って行って、今もって消息はわかりません。
私たちの社会は、元をたどれば天地十方のどこかで有縁無縁の無限の結つながりで造られています。その私たちの社会が「オウム」を造り出してしまったのです。自分は被害者でも加害者でもなく仏教にも関心がないからと、傍観者を決め込むことで果たしてカルトの再発は防げるのでしょうか。実は無意識のうちに社会の一員としてカルトの発生に加担していたのかもしれない。そう思うことは、もう決して「オウム」を生まないという決意と共振する大切な動機となります。
伝統仏教寺院の大方が経営に懸命で本筋の仏道を行じる力は薄らいでいます。僧侶にでもなれば少しはかっこうがつくし、にわか出家も確かにいます。そんな今日、本来の僧侶の形態である出家修行者は隠され、軽視されているのが実情です。
釈尊自身が実際になさり、歴史の荒波を越えて今に伝わる出家修行は、迷妄打破の最も信頼できるセーフガードです。この正伝の仏法を僧と俗がともに慕い、尊び、伝え合うことが必要なのです。なぜならば、このままではカルトは必ず場所と形を変えて、また生まれるに違いないと思うからです。
女性差別は愚の極み
伝統教団こそ自省を
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ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムスなど数紙を抱えて弁護士のM・ E子が「大変だあ、大変!」と朝のカフェテリアに駆け込んできた。そこは国連第四回世界女性会議の準備会合(1995年3月)が開かれていたニューヨークの国連本部でした。どの新聞も一面で「トウキョウでテロリズム」と報じている。日本から来ていた総理府(当時)などの女性官僚や私たち非政府組織(NGO)の参加者たち皆の全身から血の気が引いた。「オウム真理教」の地下鉄サリン事件は私を変えました。
永平寺で戒律を授かり、「戒名」をミドルネームとしてパスポートに入れていた私。それまでは、ただ仏教徒として生きてゆけばよいと思っていた。しかし「オウム」事件の翌年、俗世の仕事と暮らしから離れました。
禅は欧米で日本の最も優れた精神文化として認められています。平等公平の価値観が禅思想の根底にあるからです。それを強く主張したのが道元禅師でした。男尊女卑を厳しく諌めている道元の言葉を『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』から少し紹介します。(筆者意訳)。
◎年上だから実務が長いからというだけで本質を把握していない男に何の必要があろうか。得法の女を登用しなさい(得法とは、「ものごとのあり方の本質を把握した」という意味)。
◎女は性欲の対象だと見るのなら、男は男色の対象となる。ならば女も男もすべてを排除しなければならない。人を性の対象とみるのは愚の極みです。
◎女というだけで非難される、なんの欠点があるというのか。男というだけで、何の徳があるというのか。
◎優れた結果をもたらすはたらきや能力を、性別とは関係なく登用しなさい。
◎日本国にひとつの笑いごとあり。結界けっかいと称して女を入れないことだ。結界は心が造っているのです。
◎善の行いの極位ごくいは差別をしないこと。
仏法において生きとし生けるものは全て平等であり、「男女差別は愚」以外の何物でもないと、確固たる信念をもって道元は断言しました。しかし伝統仏教教団の現実は全く違っていました。
男僧なんそうは小僧になったばかりのお経もろくに読めない時分から教本や生活に必要な物品が無料で支給され、布施をもらって修行をします。それに引きかえ尼僧にそうは薪代米代を払い、教本、祖師の法語集はもちろん、石鹸や足袋、衛生用品など生活や修行に必要な経費も自前です。男僧には支給される布施も年次で上がってゆきますが、尼僧は修行をすればするほど費用がかかることになります。ここに世間から宗門にもたらされる布施収入の再分配はありません。
その理由は男僧寺の大方は檀家からの収入があるからです。しかし、尼寺のほとんどは檀家も財産もないため、ともすると主たる収入は托鉢たくはつだけということになるのです。有望な僧侶の養成を目的とする修行と学問の根本道場である本山僧堂から尼僧は除外され、寺格、職位、役責など全てにおいて周辺に置かれ続けます。
75年、第一回世界女性会議は女性を下位の人間としている社会構造の是正を目的として開かれました。宗教、倫理、哲学は女性が生まれながらに持っている人権を確認することに貢献しなければならないとしたのです。それから四十余年、日本の生活レベルは世界最高水準に達し、国際化、情報化は目覚ましく進展しました。しかし女性差別の解消と地位向上は一体どれほど進んだのでしょう。
日本における男女不平等の原因のひとつに伝統仏教の教団における女性差別の現状が影響していないと言えるでしょうか。権威権力は男にという特権意識を補完する装置となっていやしないでしょうか。
社会の法律や制度が整ってもそれを行うのは人の心です。人間の根本の心と、そこから生じる態度の極意を、正伝の仏法は教えてくれます。
「男児なにをもてか貴ならん。男女なんにょを論ずることなかれ。これも仏道極妙ごくみょうの法則なり」(『正法眼蔵』)
女性差別という慣行を自省し、釈尊と宗祖の教えを実行することで、仏法がもつ普遍的価値「平等」を具現する。これが人々の心の中にある障壁を取り除き、社会に意識変革をもたらす利益ははかり知れません。
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