分裂する死者へのまなざし
碑文谷 創 ひもんや・はじめ  2016年5月17日(火曜日)中日新聞「人生のページ」より
墓の行方
不安抱える核家族

 いわゆる「お墓」問題が登場したのは1980年台後半くらいからである。行動経済成長期に起こった地方から都市への人口移動。この結果、都市に移動した新住民は都市近郊に「第二の住宅」ならぬ自分たちの墓を求めることにより、70年代から都市近郊では大規模な墓地造成が行われた。
 新しく建てられた墓は、「◯○家」の墓とは名づけられたものの、実態は新しく都市で生活を始めた「核家族の墓」であった。墓石に家紋が入れてあるのを見るが、発祥はともかく、家紋の流行は70年代以降のこと。ちなみに葬式でもこの頃から墓や提灯ちょうちんに家紋が入れられた。
 墓を新たに入手する(俗に「墓を買う」)には墓地内に自分たち用墓所の敷地を墓地管理者から譲り受ける。家であれば借地である。ただし、「いつまで」と期限が定まっていないので「永代使用料」と言われる。期限は「墓地管理料」を支払わなかったり、墓を使用(承継)する人がいなくなるまで、ということになる。「永代」は「永続」ではない。「承継者がいる限り」ということであるから、承継者(跡継ぎ)がいなくなったら「無縁墳墓」とされ使用権を失う。70年代にできた核家族ですでに無縁墳墓となったものも少なくない。


 戦後民法では結婚した男女は新しい世帯を作る。戦前のように女性が男性の実家の戸籍に入るわけではない。夫婦に子どものいないケースも多い。昔の家のように養子を迎えるケースは少ないから、夫が死に妻も死ねば夫婦で新しく建てた墓はすぐに無縁になる。もっとも甥、姪がいれば墓を継承させることは可能だが、そうした「迷惑」をあまり親しくない甥、姪に託す人は少ない。
 結婚しないケースは増える一方だ。生涯未婚率(50歳時に未婚)は男性20.1%、女性は10.6%(2010年)。30年には男性29.5%、女性22.5%まで増加すると推定されており、いまや結婚するのも一つの選択肢の時代になった。1970年には生涯未婚率が男性1.7%、女性3.3%だったから、時代は大きく変わった。
 墓には「子は皆娘だからはかを継げない」という誤解がある。戦後は財産相続さえ性別、姓別がないように、姓を変えようと娘は立派な承継者である。戦前のような大きな家単位であれば子も多く、長男に子がなくとも三男に子がいればつながる。しかし、戦後の核家族墓は指定すれば甥、姪でも継ぐことができるのに、実際は家族の範囲から除外することが多い。それゆえ70年代以降の核家族墓は将来大きな不安を抱えることになる。
 では地方の墓はどうか。今雑誌などでは「墓じまい」という言葉が流行している。都会に住む子どもが、地方で一人で生活することが困難になった親を呼び寄せる例が多くなっている。一見子どもの親への愛情ともとれるが、呼び寄せられた老親にすれば、付き合ってきた地域の仲間から切り離されて都会生活をよぎなくされ、「孤」を強いられるようなものである。年寄りには遠い田舎に墓参りするのは大変、とばかりに田舎の墓を整理し、都会に墓を移す。「お墓の引越し」つまり「改葬」の問題が出てくる。 


 かつて「お墓の引越し」には「300万円かかる」という話がまことしやかに言われた。墓地を元に復帰させるのに30万〜50万円、お寺へのお布施が50万円、都会で新しい墓を求めるのに2、300万円…というのが計算根拠。だが「墓じまい」の場合、将来が不安な墓を新しく求めるのではなく、跡継ぎが不要な永代供養墓(合葬墓)に納めるので、中には5、60万円で済ませる例もある。むろん「先祖代々の墓」ではなくなる。
 衛星行政法告例で改葬数を見ると、2008年が約72000件、14年度は増えたとはいえ約84000件である。改葬はそれほど多いとは言えない。次っ隊として多いのは田舎の墓の放りっぱなしである。いま地方の墓にはお参りされることのない墓が多いところでは全体の半数近くにおよぶ。

遺骨の行き先
尊厳なき「処分」横行 

 2010年、宗教学者の島田裕巳氏が『葬式は、要らない』という著書を出して話題を呼んだ。その島田氏が14年には自然葬(散骨)をさらに超えた「0(ゼロ)葬」を提唱した。火葬後に骨上げ(拾骨)をしないのである。骨上げをしなければ、遺骨はないわけで、究極の「ゼロ葬」という考えが出てくることになる。
 刑法190条では遺骨遺棄を禁じている。墓地埋葬法では「焼骨」だが、火葬された骨という意味である。焼骨がすべて遺骨であると、困るのは西日本の人たち。骨上げは全部の焼骨を行うのではなく、「のどぼとけ」をはじめ各部位を三分の一程度を拾うなど地域によってさまざまである。のどぼとけといっても、軟骨のため火葬で溶解するので実際は第二頸椎で代用する。ともあれ、西日本は部分拾骨を慣習としている。片や東日本の多くは焼骨全部を拾骨する。だから東日本の骨壺は大きいのである。
 焼骨=遺骨であると買いすると、西日本の人たちは、一部「遺骨遺棄」を行っていることになりはしないか。そこでかつての厚生省が編み出したのが、「慣習を罰することはできないので、骨上げされた焼骨を遺骨とする」という解釈である。骨上げしなければ遺骨はないことになり、刑法違反に問われることもない。実際、骨揚げしないで帰る遺族はいるが、それほど多いわけではない。多いのはそれ以前の遺体の引き取りを拒否する親族である。


 2010年にNHKが「無縁社会」で調査した際、身寄り不明な行旅こうりょ死亡人は全国で年約一千体。しかし、身寄りはあっても親族が遺体の引き取りを拒否したケースが全国で年に約三万一千体あったという。身寄りが親子や実のきょうだい関係であった場合は引き取られるケースが多い。引き取られなかったのは、最も近い関係者が甥、姪の場合だ。生前におじさん、おばさんとは付き合いがなかったから死亡したからとはいえ遺体を引き取りたくないい、という心情はわからないわけではない。
 人間は具体的に知った人の死には感情を揺さぶられるが、他人の死には極めて冷淡であるのが通常だからだ。甥や姪とはいえ生前になんらかの関係がなければ他人同様である。その死に哀惜もなく、遺体引き取りを拒むことになる。いや「遺体」と解するには、そこに愛着、尊厳があるからであり、無関係であれば法律用語の「死体」のままである。
 あれから6年が経過した。一部行政のデータを見ると「引き取りを拒否された遺体」は年々増加している。おそらく約五万体はあるのではないか。だが愛着、責任からではなく遺体を引き取った事例はもっと多いだろう。「生前には無関係であったおじ、おば」であってでもある。それはおじ、おばに財産があったケースである。単身者であれば配偶者もなく子もない。親も死亡して、いない。すると相続はきょうだいとなり、きょうだいが死亡していれば甥、姪が代わって相続する。
 我ながらいやな見方だと思うが、愛着がなくとも財産相続をするために遺体を引き取った事例は、実際かなりあるだろう。一方で相続財産がなくとも責任を感じて親の代わりに引き取った人も確かにいる。
 遺体を引き取り、火葬しても骨上げをしないケースもあるが、それを認めない火葬場が多い。そこで骨上げはするが、その遺骨の取り扱いに困った人が飛びついているのが「送骨」である。宅配業者は遺骨の運送を拒否するが、ゆうパックは可能とみて、遺骨を永代供養墓(合葬墓)に三万〜五万円を払って送る人がいるという。
 もともと、行旅死亡人の遺骨は無料で引き取っていた寺がある。その寺では行き先のない遺骨、生活困窮者の遺骨を引き取って供養しようという気持ちから出たところが少なくない。だが、骨壺に入れないで合葬するならスペースも取らず、現金収入があるのなら、と財政的理由で受ける寺院もある。


 葬儀では遺体の上にドライアイスを置くのも「冷たくてかわいそう」と嘆き、あやまって骨壺を落とすと自らが傷ついたように嘆く遺族は多い。しかし、今や遺骨の「処分」が、はばからず横行するようになっているのも事実である。この傾向はますます強まるだろう。しかし、これは「合理的」として推奨されるべきことではないだろう。お金の問題ではなく、生きとし生けるものの尊厳に属する問題と思うのだ。

ねるけ むほう

ひもんや・はじめ 1946年、岩手県生まれ。東京神学大大学院修士課程中退。雑誌「SOGI」編集長。著書に『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫)、『死にかたを忘れた日本人』(大東出版社)『新・お葬式の作法』(平凡社新書)など。