「多様性社会」の実現とイスラーム理解
三尾 真琴  みお・まこと  2016年11月1日(火曜日)中日新聞「人生のページ」より
ムスリム生徒の苦悩
誤解、偏見から不登校に

 筆者は昨年1月のイスラム過激派組織ISによる日本人拘束・殺害事件以降、国内のモスクなどでムスリム(イスラーム教徒)生徒のいじめや困り感に関する聞き取り調査をしてきた。学校でのイスラームに対する誤解や偏見が予想されたからである。
 残念ながら、それは的中した。子どもたちは、クラスメートから「テトリスト」「爆弾を作っている」といった心ない発言を浴びせられ、からかわれることもあった。教師自身がイスラームとISを混同したり、クラス内の偏見や誤解を放置する状況もみられる。その結果、不登校になった生徒の事例もある。さらに、ISを指す「イスラム国」という呼称がマスメディアに氾濫し、彼らを苦しめている。ISの蛮行や価値観は、自分たちのイスラーム信仰と相いれないと強く感じ、呼称に不快な思いを抱いている。
 国内のムスリム(在留者)人口は、十一万人程度と推定されている(店田廣文「イスラーム教徒人口の推計 2013年」)。礼拝所であるモスクも、全国に約80ある。就労や日本人との結婚などを通して人口は増え、定住化の傾向にある。学校や地域で彼らと接触する機会は今後さらに増えるだろう。私たちはもっと知る必要がある。


 ムスリムの子どもたちは小学校の半ばまでに、それまで当然と考えていた生活習慣や価値観などに関し、「他者からのイスラーム観」に出会い、葛藤する場面があるという。例えば、イスラームでは豚を不潔・不浄な動物とみなし食材としない(『コーラン(クルアーン)』第2章173節)ばかりか、牛肉や鶏肉にもイスラームの所作で処理された「ハラール」が求められる。豚のエキスやアルコール成分が入った食材も不可である。その結果、学校給食を食べられず、弁当持参ケースも増え、クラスメートとは違った自分を感じることになる。校外学習や修学旅行では、入浴でもストレスを感じやすい、男女とも他人の裸を見ない、見せないというイスラームの規範から、一人で入浴できる環境を確保できなければ、入浴を諦めざるを得なくなる。
 女子は成人に達すると(『コーラン』に成人年齢に関する記載はなく、概ね9〜11歳と認識されている)、「美しい部分を隠す」ことが求められ(『コーラン』第24章31節ほか)、スカーフ着用や長袖・長ズボン(ジャージー)などの服装が強く推奨される。制服との兼ね合いが難しい。体操服も同じで、水泳の授業はほとんどの場合、見学を余儀なくされる。逆に「友達と一緒がいい」とスカーフ着用を拒否する場合もある。
 ムスリムであることを頑かたくなに隠し通した男子生徒もいた。その結果、保護者との関係が悪化した。母親によると、彼は小学校から学校を休みがちで、中学では授業参観などに保護者が来るのを拒絶した。中二の調理実習のとき、代替食品(ハラール)を用意したから学校に行くようにと叱ると、「ムスリムであることがばれる」と泣かれた。彼が小学校でからかわれ、辛い思いをしてきたのを、その時知った。不登校の本当の理由に気付き「この子に寄り添い、守ろう」と心に誓ったという。 


 彼女は学校や担任にメール等で状況を説明し、理解と協力を求めた。学校行事での写真がないのを彼が悲しんでいるのを知ると、ムスリマ(女性のイスラーム教徒)の象徴ともいえるスカーフを外して学校へ行き、文化祭や卒業式でたくさんの写真を撮った。息子さんの笑顔に、よかったという思いと、もっと早く気付いてあげられればという自責の念をもった、と話してくれた。
 聞いていて胸が熱くなった。イスラームへの偏見から心ない発言をされ、つらい学校生活を経験した子どもたちの思いと保護者の心情。私たちは、ムスリム生徒の状況をどこまで理解しているのだろうか。

 中東、アフリカでの体験
相手を知る努力から 

 筆者は、会社員時代に中東・アフリカ地域の営業担当として、イラン、シリア、レバノン、ヨルダン、アラブ首長国連邦(UAE)、トルコ、エジプト、スーダンなどイスラームの影響が強い国を訪問し、いろいろな体験をした。
 レバノンでの商談は気が抜けなかった。販売目標や価格の話がまとまった後の夕食の席で、仕事の緊張も解け、楽しくレバノン料理を食べ、アルコールも進んだ、その時、「ところで」と、昼間合意した条件の見直しを持ちかけられた。「このタイミングで」と一気に酔いがさめた。「レバ・シリ(レバノン人、シリア人)商人」はタフな交渉相手と聞かされてはいたが。
 敬虔けいけんなムスリムが多いといわれるトルコのコンヤでは、日本式のお辞儀をしたところ「私は神ではない」とすごい剣幕で抗議された。彼にとって頭こうべを垂れる対象はアッラーのみであったのだ。
 他方、行く先々でお茶やコーヒーを振る舞われ、食事も一緒にと、強く勧められた(最初は「下心があるのでは」と勘繰ったりもした)。それは遠方からの客に対するイスラーム流「おもてなし」である。また、路上で地図を広げていると大抵、誰かが「どこに行きたいのか」と尋ねてくる。相手も場所がわからず、訪問先に電話をしてくれたこともあった。こちらが困っていると手を差し伸べてくれるのである。見知らぬ土地での心温まる記憶も多い。
 ある国では、メッカ巡礼者(ハッジー)を迎える飾りを撮影したところ、地域の自警団と思われる集団に事務所に連行されたこともあった。私に不審な点はなく、まもなく丁重に放免されたが、それには、相手との間に共通の知り合いがあったのも大きかったと思う。彼らは人間関係を特に大切にする。


 会社を辞め大学院に進学する旨を知らせると、「お前ひとりくらいなら面倒みてやるぞ」と連絡をくれたムスリムの客先があった。半信半疑であった。彼の業務に何ら利益を生まないであろう異教徒の私に対して…。だが、そのご縁で、宗教のモザイク国家といわれるレバノンで、18を数える宗派と学校教育との関係を調査する機会を得た。彼は事務所の一角をデスクとして与え、コピー機の自由な使用を許してくれた。また、アラビア語が不自由な私に、通訳として従業員をつけてくれた。彼の支援と思いやりに支えられた研究だったと言っても過言ではない。
 中東地域とのつき合いは、30年近くになる。誤解や諍いさかいもあったが、彼らと接していると、幼少期に経験した祖父宅での光景と重なることがある。宴会ではたくさんの料理が振る舞われ、もう食べられないというと持ち帰らせる。年長者が大切にされ、仕事の本題に入る前に、家族の近況報告にたっぷり時間を使うなど。私たちには案外共通点があるかもしれない。
 先回、学校現場でのムスリム生徒たちがもつ「困り感」の実情を書いた。一方、問題解決に向けた取り組みもみられる。例えば、津市教育委員会(人権教育課)は、昨年二月、ムスリム生徒へのからかいがあったとの報告を受け、管轄の幼稚園、小・中学校に「ISIL(アイシル)に夜人質事件等による偏見や差別的行為を見過ごさないための教職員への注意喚起について(依頼)」を出した。また、同課の担当者はモスクへ出向き、関係者への聞き取り調査を行った。からかいのあった学校は、ムスリム生徒の保護者を招き、教職員研修会を実施した。迅速な対応と情報の共有化で構内の理解が進み、新たないじめの発生を食い止めたという。このような取り組みや連携が広がることを望みたい。


 イスラーム信仰に基づく色のルール、ベールや服装、男女の役割分担などは、私たちとの「違い」を意識させる。しかし、彼らの他者(異教徒)に対する思いやりの精神は共通・共有できるものであり、もしかしたら、私たちにこそ欠けている点かもしれない。相手(イスラーム)を知ろうとする努力から始めたい。違いがあるのは当然だ。次は「何に困っているのだろう」。こうした配慮や取り組みは、学校現場にとどまらず、地域社会でも有効であろう。
 国土交通省などは、わが国の在り方として「多様性社会」を掲げる。人種・性別・年齢などに一切関係なく、すべての人々が自分の能力を活かしていきいきと働ける社会の実現を目指す。イスラーム理解はその一歩に過ぎないかもしれないが、多様な他者を理解し、認め合い、受け入れる社会の実現に向け、私たちにできることは身近にあるはずだ。


みお・まこと 1958年、愛知県江南市生まれ。名古屋大大学院教育発達科学研究科博士課程満期退学。12年間の会社員時代に中東・アフリカ地域を担当し、イスラームならびに子どもたちへの支援と教育のあり方に関心を持つ。研究領域は比較教育論、特別支援教育、教育原理。2009年から帝京科学大教授、13年から同大総合教育センター長。