生と死をあわせ持つ仏陀像
立川 武蔵  たちかわ・むさし  2016年9月27日(火曜日)中日新聞「人生のページ」より
八百万のほとけたち
他宗教も影響し多様化

 最近、我が家にかかってくる電話のほとんどが墓地の宣伝、生命保険の勧誘だ。先方には私たち夫婦の齢よわいが分かっているらしい。さびしい気もするが、歳をとるといいこともある。自分や社会の動きが以前より長いスパンで見えることだ。
 この半世紀、仏教の研究に携わってきたが、仏教は実にややこしい。ブッダといっても、釈迦族の太子として生まれ、誇りを得たかの釈迦一人を指すわけではない。仏陀、仏、如来、ほとけなど呼び方もさまざまだ。如来も、阿弥陀、大日、薬師など大勢いる。まさに八百万やおよろずのほとけたちである。
 インド仏教の歴史は三期に分けられる。紀元前五世紀頃の誕生から紀元前後までの初期仏教、七世紀半ばまでの前期大乗仏教、十三世紀のインド仏教消滅までの後期大乗仏教である。
 仏教は紀元一世紀には中央アジアを経由して中国に、そして六世紀に日本に伝えられた。チベット王室が仏教を導入したのは八世紀後半だった。今日、東南アジアにはインド初期仏教に近いかたちが残っている。


 釈迦の実践方法はヨーガの一種の禅定であった。彼は弟子たちに禅定によって煩悩を鎮めよと教えた。死者の魂が天国に行くとはいわなかった。仏陀は臨終に際して弟子たちに「修行に励むように」といい残したのみであったという。
 紀元前後から一、二世紀の間に、インドの仏教に新しいかたちの信仰、つまり浄土信仰が加わった。それは死後の魂の安心を主要な課題とした。阿弥陀仏という新しいブッダへの信仰であった。
 死者の魂を、この新しいブッダは娑婆しゃば世界を超えた浄土へと招いた。阿弥陀仏の名を唱えることによって死後、彼の浄土に生まれて死後の魂の安寧を願うことができるとされたのだ。阿弥陀仏は死の側面を司る仏であった。浄土は死の国だ。
 阿弥陀の浄土信仰は当時、台頭しつつあった大乗仏教の一部に過ぎなかったが、けっして無視できる存在ではなかった。そのことは、後の中国、日本の仏教における浄土教の位置を考えても頷うなずくことができよう。
 浄土教における信仰のあり方はそれまでの禅定あるいはヨーガとは異なっていた。人格「神」との交わりを通じて死後の魂の救いを願うかたちのこの種の信仰(帰依)は紀元前後までのインド仏教にはないものであった。仏教はこれをヒンズー教から学んだのではない。ヒンズー教においてもそのような信仰のかたちはそれまでなかったのだ。
 初期仏教にとって死は大きな問題であった。狩野者家族の太子の問題も死であった。インド初期仏教は煩悩を鎮め、悟りの智を求めた。そして、死後の魂の安楽を人格神的存在(例えば、阿弥陀仏)に託そうとはしなかった。
 紀元前後に、仏教やヒンズー教においてほとんど同時にバクティ(帰依)信仰が現れたことは興味深い。このかたちの信仰はおそらく西アジア、すなわちゾロアスター教、初期キリスト教、ミトラ教などからの、直接ではないにせよ、何らかの影響を受けての結果ではないかと考えられる。西アジアのそれらの宗教では、死者の魂が「神」あるいは「神の国」に迎えられると考えられたのである。 


 浄土信仰の登場の後、インドの仏教はまた新しい潮流に見舞われる。密教(タントリズム)の興隆である。密教とは、仏教誕生以前に盛んだった古代インドのバラモン僧たちの儀礼中心主義の影響を受け、さらに、古代インド以来の「世界と個(アート)我(マン)の同一性」の思想を受け入れたものであった。この新しいタイプの仏教は、この娑婆世界を重視し、大日如来を中心とした。
 浄土信仰がこの娑婆世界からの離脱を目指したとするならば、密教はこの娑婆世界を浄土と考えたといってよいであろう。この意味では大日は「生の」側面を司るブッダである。
 次回では、密教で重要なマンダラについて考察し、「死のブッダ」と「生のブッダ」の関係を考えたい。

阿弥陀や大日如来
「仏教の一生」での成果 

 先回で述べたように、紀元五、六世紀のインド大乗仏教には密教の台頭が見られた。それまで仏教を支えていた商人階級は没落し、インドは再び農村社会へと移行しつつあった。七世紀、ヒンズー教の勢力は仏教のそれを凌しのいだ。
 誕生以来、儀礼に消極的であった仏教は、この頃には儀礼を盛んに取り入れていった。例えば、古代バラモン僧たちのホーマ祭式を仏教僧たちは「心の中で煩悩を焼く行為(護摩)」というように意味を読み替えて修行の一環とした。
 バラモン僧たちの聖典群ウパニシャッドは「世界の根本原理と個我は一つである」と主張した。この考え方はその後のヒンズー教の精神的支柱となった。
 釈迦は「世界と個我は同一だ」とはいわなかった。だが、七、八世紀頃からは仏教も「世界と個我との同一性」を主張するようになった。これもヒンズー教の影響であろう。


 世界と個我との同一性を図示する装置がマンダラである。これは密教以外では用いられず、密教の中ではきわめて重要であった。マンダラでは、仏・菩薩は宮殿に整然と並んでいる。宮殿は世界を、仏・菩薩は人間を意味する。つまり、マンダラとは、聖化された娑婆世界の図なのだ。
 マンダラに並ぶ仏・菩薩が観想される場合、仏・菩薩や宮殿が自分の身体の各部分に対応すると考えられる。つまり、マンダラと行者の身体が相同の関係にあると感ずるのだ。次に、マンダラが世界の縮図であると理解し、その世界が大日如来の身体に他ならないと観想する。
 このようにマンダラは、行者の身体と世界が相同関係にあり、さらにその世界が大日であることを示す。つまり、行者は世界と自分とが本質的に同一であることを確信し、次に高度のヨーガによって悟りの智慧を得ようとすることになる。
 心の作用を統御することを目指すヨーガは、ブッダ以来、仏教の基本的な実践方法であった。日本にも伝えられた禅は、広義のヨーガの伝統に属すといえよう。
 七、八世紀頃には身体に張り巡らされた脈管を流れる「気」を統御することによって悟りの智慧を得ようとするヨーガが開発された。
 釈迦は歴史の中で法(ダルマ)を体現した人物だ。彼の死後、肉体はないが形と働きのあるブッダ(報身ほうじん)を人々は作り出した。釈迦の肉体は滅んでしまったが、どこかで今も法を説いているに違いないと考えたのだ。その報身には、阿弥陀のように主として「死」の側面を司るブッダと大日のように「生」の側面を重視するブッダとの二種が生まれた。石を投げたとき、地上から離れようとする力と地上に引き戻そうとする力との二種の力がある。そのように、世界を否定する阿弥陀と世界を肯定する大日との二種の報身が生まれたのである。
 釈迦以来の仏教の基本思想は空(非我、無我)だ。空思想は、過度の貪むさぼり、この世界への執着などの否定を説く。そして、空に至った実践エネルギーがよみがえって現世を肯定する。その否定的側面を阿弥陀が、否定の後の肯定を大日が主として表すのである。
 このように仏教の歴史の中では「相反する」側面を持ったブッダが「生きて」きた。この「相異なる二側面」は、どちらかを選択すべきものではなく、両者は総合的に考えるべきなのだ。
 私は、最近、仏教の歴史もひとつの生命体の一生の歴史として理解できるのではないかと思っている。生物が誕生し、成長し、熟年期を辿たどるように、仏教も二千五百年の時間の中でさまざまな状況に接して成長してきたのではなかろうか。
 阿弥陀仏の浄土に対する信仰や大日如来のマンダラを中心とする密教も仏教の成長の中で遭遇した状況を乗り越えようととした結果なのである。


 仏教は新しい歴史的状況にただ呑み込まれてきたわけではない。この生命体は自らの特質を知りつつ、時をかけてそれらの状況と向かい合って自身をさまざまに変革してきた。
 それらの変革の中で重大なもの、特に日本人にとって重要なのは、浄土教と密教であろう。これらの変革は「釈迦以来の仏教史における不幸な変節」ではなくて、「仏教の一生」の中での成果だと思われる。
 阿弥陀仏に自らの魂を委ねる帰依と、この娑婆世界を聖化された世界へと変えていく大日如来の働きに参入することはけっして矛盾しないと思われる。そもそも釈迦、阿弥陀、大日は、仏教の生涯の中で生み出されてきたブッダなのだから。


たちかわ・むさし 1942年、名古屋市生まれ。名古屋大文学部卒。文学博士、Ph.D.名古屋大、国立民族学博物館、愛知学院大学の教授を経て、現在、国立民族学博物館名誉教授。1997年中日文化賞、2015年瑞宝中綬章。専門はインド学・仏教学。著書に『空の思想史』『ブッディスト・セオロジー』全5巻(講談社)、『最澄と空海』(KADOKAWA)など。