仏教の出会いと人間主義の探求
植木 雅俊 うえき・まさとし 2016年9月13日(火曜日)中日新聞「人生のページ」より
中村元博士の講義
晩学の身、挫けず前進
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私が九州大学に入学したのは1970年のことだった。その二年前に米軍戦闘機ファントムが大学構内に墜落炎上したことで、学生運動が激化し、教養課程の学生全員が留年という事態になった直後のことだ。問題意識の塊のような先輩たちからは、ことあるごとに議論をふっかけられた。
丸暗記で受験勉強を続けてきた私は、自分の言葉では何も語れなかった。「だから何なんだ」と詰め寄られ、私の知識が音を立てて崩れ、言葉が意味を失っていった。専門用語を覚えていても、それを使うことで何が明らかになるのか、何がすごいのか——全く分かっていないことをとことん思い知らされた。社会や人生、思想についての無知から私は自信を喪失した。
さらに自己嫌悪にも陥った。それまでの私の生き方は、「誰かが私を見ていて、その見られている私が何かをする」というものだった。例えば勉強していい成績をとると周りが誉ほめてくれる。ちやほやされる。それを求めて勉強していた。高校まではそれでよかったが、大学ではそれが通じない。いい成績をとっても誰もちやほやしてくれない。
今まで何で勉強してきたのだろうと考えた時、虚栄心を満たすためだったと気付いて自己嫌悪に陥った。そして、極度のうつ状態になった。
孤独と虚しさに耐えられず、同情と慰めを求めて毎晩のように友人・先輩の下宿を訪ね歩いた。そんな時、ある先輩に勧められて読んだのが、東京大学教授の中村元はじめ博士が訳された原始仏典だった。中村博士はインド哲学・思想史の世界的権威で文化勲章を受章されている。
その原始仏典の中の「自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」という言葉に出会って目が覚める思いがした。虚栄心の塊で毀誉褒貶きよほうへんにとらわれ、他人の視線ばかり気にしていた自分が恥ずかしくなった。
また法華経の「衣裏珠えりじゅの譬たとえ」や「長者窮子ちょうじゃぐうじの譬え」等を聞いて感動した。いずれも自らを貧しいものと思い込み、無上の宝石が自分に具そなわっていることを知らない。目の前にあっても自分とは無縁と思っている人に、宝石の具有を自覚させる物語である。無上の宝石とは仏の本性(仏性)のことであり、法華経は、誰もが成仏(人格の完成)できることを説き示す経典であった。自己嫌悪になっていた私は、まさにその「貧なる人」であった。こうした比喩物語を聞きながら、虚栄心の塊であった私は、「ここまで人間を信頼し温かい眼差しで見ているのか」と励まされる思いを感じた。そして、先行の物理学を学ぶ傍ら、仏教を独学で勉強し始めた。原始仏典から大乗仏典まで読みあさった。
友人たちから「物理学が何で仏教学なんだ?」と聞かれ、「僕にとっての〝ブツリ〟の〝ブツ〟は〝物〟ではなく〝仏〟と書きます」と答えていた。
社会人となってからも、独学で仏教学を学び続けた。しかし、仏教解説書を読んでも、「だから何だろう」の疑問に答えてくれるものは少なかった。疑問は山積するばかりで、独学と漢訳だけからの勉強の限界に直面していた。そんな矢先に不思議なご縁で中村博士の開設された東方学院にいらっしゃいと声をかけていただき、サンスクリット語と、中村先生の講義を受けることになった。41歳のことであった。
講義を拝聴し、山積していた疑問が次々に氷解していった。それが嬉しくて、中村先生に「もっと早く来ればよかった」と言った。すると先生は毅然とした表情で「それは違います。人生において遅いとか早いとかいうことはございません。思いついた時、気がついた時、その時が常にスタートですよ」と言われた。この一言は、何よりもありがたかった。この言葉に支えられて、晩学の私は挫くじけることなく仏教学と、サンスクリット語の勉強を続けることができた。
権威主義を超えて
真の自己に目覚める
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仏典には普遍的なことが説かれている一方で、女性差別や、在家の軽視、迷信じみたことなどが混在していて理解に苦しんだ。
例えば「三千大千さんぜんだいせん世界のすべての男性の悪業あくごうを集めたとしても、たった一人の女性の悪業には及ばない」「女人は地獄の使いなり」といったひどい言葉が出てくる。それを見て、これが仏教か?と驚いた。
本来の仏教は何だったのかという疑問を抱きながら、思いがけず、中村元先生の講義を毎週3時間受けるという幸運に恵まれた。
インド仏教は、(1)釈尊のなまの言葉に近い原始仏教(2)釈尊滅五百年(紀元前3世紀)以降の保守・権威主義化した小乗仏教(3)紀元前後の大乗仏教——と大きく三つに分けられる。原始仏典はスリランカに伝わるもので、明治期までわが国には知られていなかった。
中村先生はその原始仏典に注目して、後世の神格化され人間離れしたブッダ像を選り分け、歴史的人物としての〝人間ブッダ〟の実像を浮き彫りにされた。その結果、西洋の絶対者(=神)は人間から断絶しているが、「仏教において絶対者(=仏)は人間の内に在し、人間そのものである」と言われた。
だからこそ、原始仏典の古層では「自己を求めよ、護れ、愛せよ」等と積極的に「自己の実現、完成」を説いていて、「無我」という表現は見当たらない。仏教は本来、「真の自己」に目覚めることを強調していて、決して個々の人間から一歩も離れることはない。人間を原点に見すえた人間主義であり、人間を「真の自己」と「法」に目覚めた人(覚者=ブッダ)とするものであった。
私たちは作られた価値観、迷信、権威などによって物事を考えがちである。あるいは、祟たたり、脅し、恫喝どうかつ、罰への不安感などから行動している。そこに「真の自己」の自覚はない。
仏教は、「自己」を離れたところを拠り所とするのではなく、ありのままに見ること(如実知見にょじつちけん)によって、「真の自己」に目覚めることを最重要のこととし、それに伴って開ける「法」を拠り所とするようにと説いた。
仏教は〝自覚の宗教〟である。
自己に目覚めることにより、普遍的で具体的な「法」が立ち現れ、一切のものとのつながりの中に自己を見ようとした。
人間を見すえることで、原始仏典では在家も出家も男女の別なく仏弟子」とされ、在家であっても「智慧を具そなえた聖なる仏弟子」とまで称された。ところが、小乗仏教では在家と女性が仏弟子から除外された。原始仏典で代表的な仏弟子は、在家・出家、男女の区別なく列挙され、もっとも智慧のある女性の智慧第一、説法第一もいたし、在家の説法第一もいた。釈尊の教えを理解できなくて智慧第一の女性に質問し、明快な答えを聞いて感動した女性出家者もいた。ところが、小乗では女性と在家が除かれ、智慧第一の舎利弗しゃりほつなど男性出家者のみの十大弟子に限定された。
原始仏典で釈尊は、「私は人間である」と語っていたし、弟子たちも「真の人間である目覚めた人」と呼んでいた。ところが小乗では「私は人間ではない。ブッダである」と神格化された。最古の原始仏典で「目の当たり即時に実現され、時を要しない法」と繰り返されていたにもかかわらず、小乗では何劫なんこう(劫は極めて長い時間の単位)もの天文学的な時間をかけて修行(歴劫りゃっこう修行)してやっとブッダになったとされ、釈尊が人間離れしたものとされた。それは、釈尊の神格化による人間の卑小化を意味する。
それに対して大乗仏教は、「悟りを求める人」すべてを菩薩として、成仏をあらゆる人に解放した。それは仏教本来の平等思想だといえよう。
ところが、大乗は歴史上の人物である釈尊に代わる多くのブッダを考え出した。それらは巨大な身体を持つとされ、人間だけでなく釈尊までも卑小化させた。これは、人間主義からの逸脱である。地球と月の距離の百六十倍の身長を持つ妙音みょうおん菩薩に「娑婆世界の釈尊が短軀たんくだからといって軽んじてはならない」と忠告する言葉が法華経に出てくるが、それは、ブッダを巨大化させて人間釈尊を軽視する傾向への痛烈な皮肉であろう。
仏教史を概観すると、釈尊の人間主義が、滅後に台頭した権威主義に取って代わられ、大乗、さらには法華経において人間主義復権の思想運動が展開される。中村先生との出会いから四半世紀、人間主義の観点に立つことで、これまでの疑問を乗り越え、納得することができたように思う。
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