数学の中の人生
森田 真生 もりた・まさお 2016年8月30日(火曜日)中日新聞「人生のページ」より
デカルトが追究したもの
よく考え、よく生きる
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高校生の頃、黒板に描かれたグラフや数式を見ながら「数学は、人生と何か関係があるのだろうか」と疑問に思うことはしばしばだった。幾何学の図形は、画家の描く繊細な風景の輪郭に比べれば平板であるし、一様に並ぶ数の世界も、混沌とした感情の宇宙に比べれば精彩を欠く。数学が嫌いというわけではなかったが、人生に関わる重大な営みであるとは、当時の私には思えなかった。
四百年前のフランスに、ルネ・デカルトという少年がいた。少年はからだが弱く、早朝から同級生たちが学校に出かけていく傍ら、医師の勧めで昼まで布団のなかで思索に耽ふけることを習慣にしていた。読書を好み、学校の勉強にも熱心だったが、やがて文字による学問に飽き足らなくなり旅に出た。志願兵として各地の軍隊に入り、さまざまな身分の人と交際し、「世間という大きな書物」のなかに飛び込んでいく。
学問と人生の乖離かいりを深刻に受け止めていたデカルトには野望があった。それは数学を一つの規範として、より生き生きとした、より真実に即した、新しい学問を創造しようという偉大な野望だ。
彼はやがて、図形の中に図形を測るための「軸」を描き込むことで、図形を方程式で表せるということを見出した。いまでいう「座標系」に相当するこの発想によって、図形を扱う幾何学と方程式を扱う代数学を一つに統合することに成功した。
図形をひとたび方程式に置き換えて仕舞えば、幾何学の問題も、直感やひらめきに頼ることなく、数式と計算によって解決できる。数学者の才能と運に任せて行き当たりばったりに問題を解くのではなく、「数式の計算」という、筋道だった方法に基づいて全数学を統合するというのがデカルトの「普遍数学」のヴィジョンであった。
彼はこの発想をあらゆる学問に敷衍ふえんしようとした。思考はいつでも計算するかのように明晰で確実な手続きに従うべきだというのである。
数学と言えば数式と計算というイメージを持っている人は少なくないだろう。ところが、数式と計算を中心とする数学は、デカルトによるこの数学の刷新によって、17世紀の西欧世界で初めて生み出されたのだ。黒板に描かれたグラフや数式は、人生と無関係であるどころか、よりよく考え、よりよく生きることを追及し続けた数学者の人生の結晶そのものだったのである。
ところで先に述べたように、デカルトは数学における「計算」を思考のあるべき姿の規範としたが、そんな彼が、文字通り計算によって思考する現代の「計算機コンピュータ」を見たら、どんな感想を持つだろうか。
人間の知的能力のうち、計算機に今のところまったく欠けているのは、他と共感する能力である。人の悲しみを前にして、自分もすっかり悲しくなること。喜ぶ人を前にして、まるで自分のことのように嬉しくなること。こうした能力は、囲碁が打てたり、積分をできたりするよりもはるかに基本的な人間の知能だ。
数学は、計算だけでは成り立たない。単に正しい答えを見つけるだけでなく、その答えの意味するところを「わかる」ことを目指すからだ。では「わかる」とはどういうことか。それは煎じ詰めれば、わかりたい対象に共感し、心を通わせ合うということではないだろうか。
計算のような正確な思考こそ数学の美徳だというのがデカルトの考えだったが、およそ日常とはかけ離れた対象にまで心寄せていく開かれた想像力もまた数学の美点だ。
数学と人生の関係について漠然とした疑問を抱えていた私はいまでは、数学が、よく考え、よく生きようとする営みそのものだと感じている。数学はいつしか、すっかり人生の一部になってしまった。
岡潔のしなやかな思考
「知」「情」のせめぎ合い
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知的探求は才能と運に任せて闇雲に行うべきではなく、自覚された「方法」に基づいて行われるべきだというのが哲学者ルネ・デカルトの洞見だった。デカルトが、その「方法」の模範を数式による「計算」に見出したことは、前回すでに述べたとおりである。
ルールさえ正しく守れば、同じ計算は必ず同じ結果を導く。計算の過程に隠された曖昧さはなく、すべてが明晰で確実な手続きにしたがって進む。デカルトは、計算の持つこうした性質に、思考のあるべき姿を見出したのだ。
近代数学における計算の生産性を支えたのは、記号の力である。意外に思われるかもしれないが、つい数百年前まで数学は、ほとんどの記号を欠いていたのである。中世イスラーム世界における高度な数学は自然言語で行われていたし、ヨーロッパでも、+、−、×、=、√など、基本的な記号が出揃うのはようやく16世紀に入ってからのことだ。こうした記号の威力を存分に発揮して、デカルトは新時代の数学を切り開いたのである。
私たちが学校で学ぶのは基本的に、こうして17世紀に西欧世界で花開いた近代黎明れいめい期の数学だ。方程式の解法にしても微分や積分にしても、カリキュラムの大部分は17、8世紀以前の数学の成果を扱っている。高校数学が、19世紀以後の数学に本格的に踏み込むことはまずない。
ところが、19世紀以降、数学は大きく姿を変える。数式と計算に過剰に依存した数学が行き詰まりを見せるにしたがって、新しい「概念」や「論理」が数学の中心舞台に躍り出てくるのだ。そのため、大学で数学を学ぶと、高校までの数学との違いに戸惑う人も少なくない。
創造的な概念の導入によって、数式や計算の制約を乗り越え、より自由に数学の世界を押し広げていく。これが、19世紀半ばのドイツを中心に生まれた新しい潮流だ。その精神を日本において継承し、計算という方法のみに固執せず、しなやかな思考で独自の数学理論を展開していった岡潔おかきよし(1901〜78
年)という数学者がいる。
彼が切り開いたのは「多変数解析関数論」と呼ばれる数学の理論だ。そこでは関数たちが、四次元以上の高次元空間の中に住む。それら関数の全貌は、数式の力のみによっては捕らえられない。数式によって明示的に描くことができるのは、関数の局所的(local)な相貌に過ぎず、その局所的な情報を互いにうまく貼り合わせることではじめて、関数の大域的(global)な姿が浮き彫りになる。戦後に岡は、関数の局所的データを貼り合わせて大域的対象を作り出す「層(shear)」の理論の基礎を完成させ、やがて世界中に知られる数学者となるが、そんな彼が数学や人間について語るとき、好んで用いたのが「情」や「情緒」という言葉であった。
情が湧く、情が移る、情が通い合う、などというように、情は自在に自他の壁を超えて融通する。そんな情のはたらきが、個々の存在を緒いとぐちとして現れたとき「情緒」と呼ばれる。「情」が人間のこころの大域的な様相だとすれば、「情緒」は心の局所的な姿のことだ。
大自然の中の小さな存在である私たちは、常に自分を超えたものに支えられている。人間は、まるで大樹の枝先に生えた葉のようなものだとも岡は言う。葉は幹から水や養分をもらって生きる。だから、葉だけが自分だと思うのは間違いである。かといって、自分が大樹そのものだというのも言い過ぎだ。大樹に支えられたひとひらの葉。それが人間である。同じく、情を踏まえた上での情緒。それが私たちのこころの真相である。このように岡は説くのだ。
自みずから積み上げる知と、自おのずから湧く情、この自力と他力のせめぎ合うところに、数学の生命はある。
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