「する」仏教から「ある」仏教へ
武田 定光 たけだ・さだみつ 2015年8月21日(金曜日)中日新聞「人生のページ」より
過去の体験に支配されない
<いま>を肯定、受容する
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現代のアメリカで仏教がブームになっているという。それも三千万人もの信奉者がいるらしい。どのように調べたかは、わからないが驚きの数字である。よく聞くと、彼らは何も特定の仏教を信仰しているわけではない。自分の好みで仏教に近づき、ヨーガや坐禅を行うという。いわゆる「体験型の仏教」なのである。ビートルズもそうだったが、西欧はいつの時代も東洋の神秘主義に憧れをもつ。
以前、アメリカの若者はキリスト教の教会には通わなくなったと聞いたことがある。彼らは、もはや言葉で語られる宗教には惹きつけられなくなったようだ。
目を日本に向けてみれば、これまたアメリカと同じ現象が起きている。一連のオウム真理教事件の若者たちは、瞑想やヨーガによる悟りを求めたのではないか。彼らは言葉で表現される宗教には関心がなかった。伝統仏教で出家するには様々な手続きがいるが、オウム真理教の場合、条件を満たせば出家し修行生活に入れたようだ。その手軽さと切実さが、若者たちを惹きつけたのだろう。
歴史をさかのぼれば鎌倉期の親鸞は比叡山延暦寺で不断念仏行をしていた。何日間も、不眠不休で歩きながら南無阿弥陀仏なむあみだぶつと念仏を称となえ、阿弥陀如来との神秘的な合一を体験していた。ところが、二十九歳の親鸞は比叡山を捨てて下山し、「ただ念仏」という道に立ったのである。なぜ捨ててしまったのか。それは神秘的な体験は尊いことだが、体験に永続性のないことだった。つまり、「私はかつて神秘的な体験をした」と、自らの体験が過去の出来事として記憶され、生々しい、<いま>からズレてしまうからだ。
親鸞には、その仏教が真実かどうかを判定するルールがある。それが「いつでも・どこでも・だれでも」である。その体験が「いつでも_にかなっていなければ、それは仏教ではないのだ。つまり「あのとき素晴らしい体験をした」と過去形で語られるとき、「いつでも」のルールから外れてしまう。思想家_森有正はそれを「体験」と語る。「ある人にとって、その経験の中にある一部分が、特に貴重なものとして固定し、その後の、その人全ての行動を支配するようになってくる。すなわちその中にあるものが過去的なものになったままで、現在に働きかけてくる。そのようなとき、私は体験というのです」(『生きることと考えること』から)
親鸞も自らの神秘体験が過去的な「体験」に随していたことを知った。そこから「体験型の仏教」と決別して「ただ念仏」という地平に出た。ただし「ただ念仏」が、口で念仏を称えるという行為性に随す危うさも知っていた。念仏を称え続けトランス状態を引き起こす危険性や、何万遍も唱え続ける努力編重主義の危険性も知っていた。
親鸞のルールに当てはめると「少しでも修行をしようとしたら救われない」ことになる。修行が悟りを目的としたとき、それは手段化されてしまい、「いつでも」のルールから外れてしまうからだ。つまり、常に<いま>体験できていなければ仏教ではないのだ。それは、さあこれから修行するぞという能動型の仏教ではなく<いま>を受容する受動型が親鸞の仏教なのである。
さあこれからと意気込むことは尊いことだが、意気込むことで「いつでも」から外れる。そこで親鸞は能動型の仏教から離れて山から下りた。人間は意志する生き物だから、「する(Doing)」という能動性がどうしても勝ってしまう。しかし自己という存在が誕生したのも、人間が民族や時代を背負わされるのも受動性以外の何ものでもない。
能動型の仏教は<いま>を否定して理想を求めるが、受動型の仏教は<いま>と「ある(Being)」を肯定する。受動型の仏教以外に能力主義を超えることはできない。誰においても間違いのないことは、自己という存在が「ある」ことだ。そして「ある」以外に誰でもが平等に救われる道はないと、私は考えるのである。
平等に与えられた<いま>
人を生かす背景が存在
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「ある(Being)」以外に誰でもが平等に救われる道はないと、前回書いた。しかし「あるがまま」を受容するだけでは、人間に向上や発展がないではないかと、よく批判を受ける。これは法然・親鸞たちが旧仏教から弾圧を受けた論理と同じである。どこに問題があるのかといえば、旧仏教がみている<いま>と親鸞がみている<いま>が違っているのだ。旧仏教がみている<いま>は、<いま>から努力し向上して悟りをめざすための<いま>である。
それでは<いま>が常に方法手段になってしまう。しかし親鸞がみていた<いま>は、一瞬先にある臨終の<いま>であった。人生には同じことの繰り返しはない。すべての<いま>は二度と繰り返すことのできない<いま>で完結している。明日の朝、布団のなかで心臓が止まっているかもしれない可能性を秘めた<いま>である。
まだまだ死ぬわけはないとタカをくくっているから、明日も明後日も努力して、より上をめざそうという努力主義が生まれる。旧仏教は、未来に目的を設定しているので、<いま>を手段化させ、これから修行をして悟りを開こうと考えた。
親鸞はそういう呑気な<いま>を生きていなかった。明日、死なないとは誰が保証できるのか。だから、与えられた<いま>以外に救いはないと考えたのである。親鸞がみていた<いま>は、すでにやるべき修行が尽き果ててしまい途方に暮れた人間がようやく出遇であえた<いま>なのだ。
だからこそ、この<いま>だけが誰においても平等に与えられた<いま>である。とても自分は、人間になるための修行をしてきたなど身に覚えのないことである。ところが、「ある(Being)」は自分を超えて成り立たせている、いのちの全背景である。それを比喩的に「ある」と表現したまでのことだ。ここまでこないと「だれでも」というルールが全うされない。これから、これからと考える<いま>ではなく、すでにわが思いを超えて与えられた<いま>である。
親鸞の中で「する(Doing)」仏教が死んだとき、「ある(Being)」仏教が動き出した。」それが受動型仏教である。「ある」仏教は決して静的で固定的なものではない。ダイナミックな動きを展開する。その動きとは無限の懺悔ざんげ運動である。
体験型仏教は趣味程度であれば、さほど危なくはないが、それを突き詰めてゆくと危険な匂いが漂ってくる。もし神秘的な体験をしたとすると、それを体験した自分を知っているということであり、知っていることで自分を高みに置くことになるからだ。体験していない人間よりは体験した人間の方が上位に立ち、教団のヒエラルキーを作ることにつながりかねない。自分が意識する、しないにかかわらず、そうなってしまうのだ。それを親鸞は「憍慢きょうまん」と呼んだ。自分自身を高みに立て、人を見下し、驕おごり高ぶる差別心のことである。
親鸞は徹底して「憍慢」と闘った。そして最後にはこういった。「是非ぜひ知らず邪正じゃしょうもわかぬこのみなり、小慈小悲しょうじしょうひもなけれども、名利みょうりに人師にんしをこのむなり」(正像末和讃しょうぞうまつわさん)と。つまり、何が正しく何が間違っているのかもわからず、そのうえ人を思いやる心もないくせに、名声や利益のために人の上に立つ師匠と呼ばれた愚かな私であるというのだ。
このように親鸞を懺悔させたはたらきは何か。それこそが「ある」という存在の厳粛性である。人間が動物である限り能動性から解放されることはない。どうしても「する」という関心から逃れられない。ただ、「する」という関心で動いている自分を、その都度、徹底的に懺悔させずにはおかない無限の運動が「ある」仏教である。
人間は<いま>を呼吸して生きているのだが、呼吸は自分が能動的にしているものではなく、あくまで受動的なはたらきである。つまり呼吸は厳密にいえば、「ある」によって「させられて」、私が「している」ということになっているだけだ。そうであっても、人間はいつの間にか「自分が呼吸をしている」と、自分が生きる主体であるかのように錯覚する。
本当は、「ある」が主体であり、自分という「思い」は客体である。この「ある」が主体とならなければ、「いつでも」というルールにかなうことはない。受動型仏教の修行の主体は「ある」であり、私という「思い」ではないのである。
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