霊性の医療をひらく
対本 宗訓 つしもと・そうくん  2015年6月26日(金曜日)中日新聞「人生のページ」より
英国で出会った全人的ケア
不安や恐怖の緩和を

 生老病死といういのちのプロセスはひと連なりのもので、病と死の間にほんらい断絶はありません。たとえば黄昏たそがれの空に昼と夜との境目がないように、病のプロセスは徐々に死のプロセスに重なり合い、やがては肉体的寿命の終末を迎えます。ということは病苦と死苦もまた互いに対立することなく連続性のうちに溶け合っているはずです。
 にもかかわらず、私には病苦にかかわる医療と死苦にかかわる医療との間にどこか段差があるように思えてなりません。病気の初期からすでに緩和ケアが始まっている、という緩和ケアのあたらあしい考え方が普及されつつありますが、治ると見込める間は病院で、治らないとなったらホスピスへ、という現状に大きな変化はありません。治す治療を行う病院と看取みとりを行うホスピスとの中間に位置する施設…といったような漠然としたイメージを抱えて、私は模索の日々を送っていました。
 ところが3年ほど前、ロンドン在住中にふとしたきっかけで<ブリストル・アプローチ>のことを知る機会に恵まれました。これはイギリス西部の都市ブリストルにある「ペニー・ブローン・キャンサー・ケア」で行われている全人的ケアのことです。


 このセンターの創設は1980年にさかのぼります。ペニーという女性が、がんを患い、当時最先端の医療を受けたものの、満足のいく結果が得られませんでした。身体的治療だけではなく心や魂のケアが必要であることを痛感したペニーでしたが、しかしそのようなケアを提供してくれる場所は当時どこにもなく、最終的に彼女は友人とともに理想とする施設を自分たちで立ち上げたのでした。
 やがて彼らの活動がBBC放送で取り上げられたりすることで共感と賛同の輪が広がり、公益団体にまで成長して、今日ではブリストルの街はずれの大きな敷地に瀟洒しょうしゃな建物が立ち並んでいます。よく手入れされた庭園に咲きそろう季節の草花は、散策する患者さんや訪問者の心をやさしく包んでくれています。
 <ブリストル・アプローチ>のテーマは「がんとともによく生きる」こと。がんと診断されてその衝撃に打ちひしがれている人、抗がん剤の治療で副作用に苦しんでいる人、自分の運命を思い底知れぬ不安に苛さいなまれている人など、さまざまな苦しみを抱えている人々のために身体的、精神的、霊的なケアが提供されます。ここは病院ではありませんので、治療は行いません。ホスピスでもありませんので、看取りは行いません。
 そのかわり、がん特有の身体的苦痛やストレスを軽減したり、病や死の現実に直面した人たちの不安や恐怖を緩和したりするために、さまざまな補完医療やリラクゼーションの技法が取り入れられています。私が訪問したときにはメディテーション(瞑想)鍼はり、リフレクソロジー(足裏マッサージ)、ホメオパシー(同種療法)、ハーブ、音楽療法、ヒーリング、カウンセリングなどのスタッフがいて、一人一人の患者さんに合わせたテーラーメードのケアを行っていました。専属医が現代医学の観点から患者さんをきちんと見ていることも大きな安心につながります。
 また、よりよく生きるためには栄養が大切ということで、施設内のキッチンスタジオでは料理教室が開かれており、ヘルシー・クッキングのレシピを公開したり、ベストセラーの料理本まで出ていたりして、食を楽しむ人々の顔はみな明るく輝いています。


 この出会いを契機として、私の宿願である霊性(スピリチュアリティー)を背景とした医療の構想が一気に結晶化しました。<ブリストル・アプローチ>は「がんとともによく生きる」ことを掲げていますが、がんの患者さんだけではなく生老病死に生きる全ての人々に開かれ、医療と宗教とが日本らしく自然に調和したような安心あんじんの施設が希求されていることを私は確信し、そのための第一歩を踏み出したのです。

スタートした僧医外来
「生老病死」の支えに 

 20年以上も禅僧として生きてきた私が、なぜ人生半ばで医師になったのか。それは心や魂を観る僧の目に加えて、身体を診る医師の目を兼ね備えることにより、"全体としての人" を診る医療を志したからです。
 古代や中世の日本では、大陸から伝わった医術を身につけて庶民のために医療活動を行った「僧医」と呼ばれる仏教僧の存在がありました。私は自分の思いをこの言葉にこめ、現代に生きる「僧医」として、医療と宗教に霊性(スピリチュアリティー)を回復する活動を続けています。


 上編で「がんとともによく生きる」ことをめざす英国の<ブリストル・アプローチ>について紹介しました。そこでは、さまざまな補完代替医療を組み合わせた心身のリラクセーションのプログラムが提供されています。病院のような治療の場でもなく、ホスピスのような看取りの場でもない、生老病死といういのちのプロセスに常に寄り添ってくれるような安心あんじんの施設が日本でも必要です。こうした医療と宗教とが自然に調和した場を開くことこそが「僧医」である私の役割だと確信したのです。
 そのための第一歩として私は今春、東京の神田神保町に小さなクリニックを開設しました。ここでは一般内科の保険診療も行いますが、並行して自由診療の枠組みでいくつかの補完代替医療を実践しています。ストレス軽減とリラクセーションを目的にメディテーション(瞑想)を臨床に応用していることは<ブリストル・アプローチ>と同じ取り組みです。こうした統合医療の診療体制で、大奥の患者さんに求められているのが「僧医外来」で、心身のさまざまな問題を抱えた人たちが相談にみえます。
 およそ医師の仕事は治療、すなわち病気を治すことにありますが、病気は必ず治るとはかぎりません。慢性疾患のように、なかなか治りにくい、あるいは治らないことのほうが多いのかもしれません。短期的にはよくなったように思えても、中長期的にみると遷延や再発を繰り返すことがあり、結果的に病気と一生のおつきあいになってしまいます。特に、がんのような生命を脅かす病気になりますと、「治る治らない」は患者さんやご家族にとってより深刻で切実な問題となってきます。
 医師として治る患者さんへの対応もさることながら、僧医という役割からすれば治らない患者さんをどうケアするかに重心が移ってくるのは当然のことです。共感的な傾聴も患者さんのナラティブ(物語)に寄り添っていくことも大切なことではあります。しかし患者さんが僧医の私に求められるのは、むしろ、「指針」です。治らない病とわかったときの衝撃からどう立ち直ればよいのか、なぜ治らないのか、病とともにどう生きていけばよいのか、いのちの終末をどう迎えるのか、死のプロセスにおいて何が起こるのか。
 このような病苦から死苦へと続く深い不安を受け止め、病とともに生きる力を得てもらうために「僧医外来」はあります。患者さんと向き合って話をしながら、身体から霊性に至る各レベルでの人生の意味を探り、それを受容することで、治療という行為が患者さんの魂の成長を支援する行為となっていきます。
 治ることを前提に治すための医療を行う病院と、治らないことを前提に治さない医療を行うホスピス。この二つの中間的な施設というイメージで始まった私の模索は、生老病死とともに生きるための安心を支援するかたちで、まずは小さなクリニックで結晶化しました。「治る治らない」という視点に立つのではなく、「生老病死とともによく生きる」ことを第一にめざす医療が私の目標なのです。
 将来的には、もう少し大きな規模で集約的に展開させることも構想しています。そこでは、私がかねて提唱している「周死期学」(臨死前後の研究)を組み入れることが可能になると考えています。


 人は最期にどうやって旅立っていくのか。これを永遠の謎としてはなりません。臨死の人の言葉に耳を傾けながら死のプロセスの具体的なチャートを描くことにより、私たちに本来備わった素晴らしい生命の仕組みがあらわになることでしょう。そうすることで初めて、私たちは安心と尊厳の中で、「生老病死とともに生きる」人生を完成させることができるのではないでしょうか。
 霊性の医療が実現する日は決して遠くありません。

ねるけ むほう

つしもと・そうくん 1954年、愛媛県生まれ。京都大文学部哲学科卒業。天龍寺僧堂(京都・嵯峨)で修行。臨済宗師家。帝京大医学部卒業。2010〜14年、英国で臨床研究。リンデンクリニック(東京・神田神保町)を開院。内科医、僧医として活動中。著書に『禅僧が医師をめざす理由』(春秋社)『人生の最期に求めるものは』(佼成出版社)『祈る力』(角川oneテーマ21)など多数。