「共生」の回復を願って
平野 喜之 ひらの・よしゆき  2015年6月12日(金曜日)中日新聞「人生のページ」より
尾崎豊にみる自由と孤独
人のつながり希薄化

 「こころの貧しい人たちは、幸いである。天国は彼らのものである。」(マタイ書第5章3節口語訳)
 心が貧しい、つまり心が満たされていない、と感じる人たちは、救いを求め天国に生まれたいと願うから幸いである。私はこの聖書の言葉を、そのように理解している。この国の心貧しき若者たちは、幸いなのだろうか。
 今年は、地下鉄サリン事件から20年ということで、オウム真理教についてのさまざまな番組が放送された。私がそれらの番組の中で特に関心を持ったのは、信者たちの入信動機である。信者たちの多くは、経済的な豊かさの中にあって何か満たされないものを感じていた。その心の空白を埋めたいと思って王蟲に入信した若者たちの結末が、大量殺人の実行であった。つまり、天国への門をくぐったつもりが、たどりついた先が地獄だったのだ。


 私の高校や大学の友人たちが、王蟲に入信した。その中のある者は出家して犯罪に手を染め、ある者は地下鉄サリン事件後に脱会し、ある者は現在もその後継団体で修行をしている。彼らの心の空白の正体は一体、何だったのか。どうすれば、その空白が満たされるのか。私は1998年に僧侶になり、現在も王蟲元信者たち、そして自分自身との、答えの出ない問答を続けている。
 私はあるとき、オウムの入信者の多くが尾崎豊の曲に共感していたことに気づいた。尾崎の代表作である『卒業』(1985年)には、次のようなフレーズがある。
 「行儀よくまじめなんて出来やしなかった(中略) 逆らい続けあがき続けた 早く自由になりたかった」
 「うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解ってたこと この支配からの卒業」
 日本の近代化は明治維新とともに始まった。それから1970年代の半ばまでが近代過渡期、それ以降は近代成熟期と言われている。近代過渡期に要求された身体は、「行儀よくまじめ」に働かなければならない工場労働者やサラリーマンをモデルとする規律正しい生活を送れる身体でありそれを育成するのが学校の役割だった。生き方は横並びで上昇志向、窮屈で退屈なものだった。しかし、国を挙げての経済発展のためには我慢するしかなかった。ところが、近代も過渡期を過ぎて成熟期に入り、そんな窮屈な生き方をあえてする必要もなくなった。だからこそ、必要でないのに縛り付けるものから自由になりたかったのである。
 『卒業』で尾崎は「大切なのは何」と自分に問いかけ、「愛することと生きるためにすることの区別迷った」と続けている。この歌の中の「愛」は一応は男女の恋愛を指していると思われるが、実は、損得を超えた人と人とのつながり、本当に信頼できる人と人とのつながりを「愛」という言葉で表現しているのだと私には思える。近代過渡期に強いられた生き方によって犠牲になったのは愛、人と人とのつながりだった。近代化がもたらした一番大きな問題は、さまざまな共同体の崩壊である。村落共同体、地域共同体が崩壊し、家族共同体も空洞化し、バブル崩壊後は会社共同体までもが崩壊した。共同体の崩壊がもたらしたもの、それは孤独である。孤独こそが、心の空白の別名である。


 尾崎は、近代成熟期には必要なくなった窮屈で退屈な近代過渡期的な生き方からの「自由」と、共同体が崩壊したことによってもたらされた「孤独」を歌った。自由と孤独、これが尾崎の歌を読み解くキーワードであると同時に、オウム真理教の入信動機を読み解くキーワードである。
 ここで尾崎に問おう、あなたが歌で表現した自由はk、束縛からの自由であったが、まさにその自由こそが孤独をもたらすものではないか、と。だから、問うべき問いはこうだ。愛と一つになった自由とはどのような自由だろうか。

ブッダの食卓運動
分別の固執を超えて 

 マザー・テレサは初来日のとき、次のように言った。
 「豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。誰からも必要とされていないという心の貧しさ」
 マザー・テレサは、誰にも手を差し伸べられずに酒に酔って路上で寝ていた男について言っている。しかし、共同体が崩壊した国に住む誰もが、その男と同じ寂しさを抱えてはいないだろうか。その寂しさを埋めるために修行と称して人里離れた富士山のふもとで神秘体験の快楽に溺れてしまったオウムの若者たちと、お金で人間関係の煩わしさから逃れ、欲望を満たすことでその寂しさを埋め合わせてきた者たちは、どこか似ているかもしれない。
 では、人と人との「共生」を、自由を失うことなくどのように回復すればいいのか。その問いに答える前に、どうしても潜くぐらなければならない問いがある。それは、人間は何がしたいか、何をすれば本当に満足なのかという問いだ。もし自由が与えられたとしても、本当にしたいことがなければ自由は無意味だからだ。その問いに対して浄土真宗は「願生浄土がんしょうじょうど」と答える。
 「願生浄土」とは、「浄土に生まれんと願え」と我われに呼びかけている阿弥陀如来の声である。「浄土」とは、一人一人が個性に輝き全体として調和している世界である。阿弥陀如来は我われに「そういう世界に生まれたい」という願いを持ってほしいと呼びかける。その声は、浄土に生まれたいという、我われのいのちの底に流れる根源的な願いを呼び覚ますのだ。


 では、どのようにすれば、煩悩まみれの我われが、そのような調和的な人間関係を生きることができるだろうか。
 仏教は「一切衆生(生きとし生けるもの)ち共に生きることができる心」とはどのような心であるかを掘り下げ、それと同時に、何が共に生きることを妨げるのかという問題も徹底して掘り下げてきた歴史を持つ。そして、共に生きることを妨げるのは、分別ふんべつの固執こしゅうであることを見いだした。好き嫌いや善悪、損得で人を判断し、その判断にこだわることを分別の固執という。固執によって人とのあいだに壁を作っている自分が問われないと、「共に生きる」ということは成り立たない。物差しを握って離さない自分を照らすのが、ブッダ(真理に目覚めた人)の教えだ。
 願生浄土の歩みの具体的な例として、友人である梁河文昌やながわふみあきの、東日本大震災の被災地で炊き出しを続けている活動を紹介しよう。彼が始めた運動のテーマは「共に生きるが、どこで成り立つか」である。テーマ自体が、問いかけの言葉であることが大事だと思う。私は何度かその運動に参加して以来、その運動を「ブッダの食卓運動」と呼んでいる。
 イエス・キリストは訪れた先々で食卓を開き、当時蔑視されていた取税人や女性たちを食卓に招いた。ある先生はイエスのその活動を「食卓運動」と呼んでいる。食卓に招かれたものは、イエスと食事を共にすることで、自分らしさや人間としての尊厳性を取り戻すことができた。食卓を囲むなごやかで親密な交わりの中にこそ、愛と一つになった本当の自由があったのだ。
 梁河たちはこの4年間、毎月欠かさず被災地の人たちに食料を運び、食卓を囲んでの交流会を開いてきた。仮設住宅の人たちと梁河たちとが食事を共にするなかで、それまで口に出せなかった辛い思いを語ることで自分を取り戻しつつある人を、私は目の当たりにした。
 例えば、こういうことがあった。ある女性は言った。
 「この町がもとに戻っても、私の復興はありません」
 「どうでもいい命なんてない。お釈迦様からそう聞いています」
 梁河の言葉に、その女性は涙を流しながら深く頷うなずいた。


 ボランティアをする者と被災者は、どうしてもお互いの立場の違いから壁ができてしまう。被災者同士でも、子どもを失った者とそうでない者の間に壁ができる。ある人は、生き残ってしまった自分を許せないという、自分に対する壁をもつ。壁を作っている自分をどう乗り越えていくか。その課題をブッダの教えに聞く。だから、ブッダの食卓なのだ。
 最後に、ある仮設住宅で梁河が聞いた言葉を紹介する。
 「炊き出しは嬉しい。それよりもこんなにも心配してくれる人がいることが本当に嬉しい。忘れずにいてくれているんだと思うと、力がもらえる」

ねるけ むほう

ひらの・よしゆき 1964年、京都市生まれ。金沢大大学院(数学専攻)博士課程修了、大谷大大学院(仏教学専攻)博士課程満期退学。博士(理学)。現在、金沢大非常勤講師(数学)、石川県かほく市・浄専寺住職、真宗大谷派修練スタッフ。「『生きて罪を償う』井上嘉浩さn(オウム真理教元信者、死刑囚)を死刑から守る会」事務局長。