死と生への深きまなざし
山崎 龍明 やまざき・りゅうみょう  2015年11月17日(火曜日)中日新聞「人生のページ」より
死を問うとき生は輝く
表裏一体 別離は始まり

 私が「死」を忘れていても「死」は私を忘れることはありません。ラテン語に「メメントモリ」というものがあります。「死を絶えず想起」せよという意味です。それは、「死」を問い、学ぶところに「生」の充実、豊かさがあるということです。私たちは身近に「死」がありながら、なかなか「死」に向きあうということがありません。「死」をまだまだ先のこととして先送りし、今が大事と言って現実に埋没しているのです。
 学生諸君と喫茶店で話をしていたとき、「死」の問題に話題が移りました。あれこれと「死」について話が交わされました。その時一人の学生が「もっと明るい話をしましょうよ」といったのです。「死」は暗い話なのです。しかし、暗いか明るいかということではなく、それが重要な問題であるかどうか、ということが問われないところに問題があると私は考えるのです。


 仏法は最初から「死」の問題をかかげます。なぜならそれは「生」そのものに深いかかわりを持つからなのです。「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」(『修証義』)という言葉があります。一言でいえば「生きるということの意味と、死というものを明らかにすることが、仏法者の第一の課題」だというのです。
 ここから人生の全体像、人間というものの実相が見えてきます。生と死を分断しない、一如いちにょなるもの(紙の表裏のようなもの)としての認識です。私は僧侶になってから50年余りが経ちます。多くの人々と、であい、別離をくり返してきました。その別れの中で多くのことに気づき、学ばせていただいたことがあります。キューブラーロスの『死ぬ瞬間』ではありませんが、「死」を前にして恐れ、おののき、自己を喪失していく人。もっていきようのない不安を周囲の人々にはげしくぶつける人。さまざまです。
 しかし、そんな中にあって「死」をしっかりと受容して、自らの「死」を「死」んで往った人にも多く接してきました。私は、みごとな死とそうでない死というものを問題にしているのではありません。「死」そのものに私は全く違いはないと考えています。「死」はそれぞれ尊厳なるものです。ひとはみなそれぞれの「死」を「死」んでいくのです。「死」のランク付けなど「死者」を冒涜ぼうとくするものではないでしょうか。
 私の行き方の根底にある親鸞聖人は八十八歳の手紙に次のように記しています。
 「去年から今年にかけて多くの人々の死にあってきましたが、悲しいことです。しかし、生死無常しょうじむじょうの教えは仏さま方が説きつづけてきたところであり、今更おどろくべきことではありません。親鸞においては臨終の善し悪しなど一向に問題にはなりません。そのことが救いを決定するのではありません。今、ここでアミダ如来の教えを共に生きているか、ということが人間の救いを決定するのです」(『親鸞聖人御消息集』十六通、現代訳)。
 当時は人間のなくなり方が救いを決めるものでした。それを否定したのです。生も死も「縁」によってあらわれるもので、そこに善し悪しなど関係ないというのです。重要なことは、真実をさとられたアミダ如来の教えに導かれ、よりたしかな人生を営むこと。その人は清浄にして平等な浄土(さとりの世界)に生まれるというのがアミダ如来の教えでした。
 この教えに生きる私たちは「死」を単なる別離と考えず、「さとりの身」となることとして受けとめてきました。いのちの往きさきが定まっていると安堵あんどして生きられます。ここに「死」を超える浄土の存在が大きくはたらいています。ある方は「いつ死んでもいい。いつまで生きていてもいい」というのが、アミダ如来の教えに生きるものの世界である、といわれました。


 「死」を問い「死」を深くみつめるとき、生が輝いてきます。「死」の問題は「生」の問題であり「今」の問題です。死は敗北ではなく新たないのちの始まりです。それが往生です。終活も大事ですが、いのちの終活は自らの求道によって得られるものではないでしょうか。

よき生がよき死を
こころを真実に置く 

 私は今まで多くの人々と、であってきました。そして別れてきました。寺に生きる者ですから、一般の方々よりは多くの人々と別離をかさねてきたと思います。その中で学んだことは「であいは人生を豊かにし、別れは人生を深くする」ということです。
 つまり、であいも別れもともに私を育ててくれるものであることを知りました。しかし、ひとの死は私の死ではありません。そこにはキョリがあるのです。死に直面している他人をどれだけ言葉をもって慰めても慰めようがありません。いや慰められると思うことがひとつのおごりかもしれません。死について考え、話すことはとてもむずかしいことです。私が経験したことがないからです。しかし、私は仏法に生きる者として「死」について学ぶことはことのほか大切なことだと考えます。仏法とは一言でいえば「死」についての深き学びであるといってもいいと思います。「死」について考え、説くことがなくなったならば、それは仏法ではないといってもいいと思います。
 「死」について考えることは、そのまま「生」きることについて考えることだからです。「死」について考えることによって、今、ここにいる私の「生」があらためて見えてきます。私たちは人の「死」にであった時に、さまざまなことを考えさせられます。別れによって人生が深くなるというのはこのことです。釈尊の言葉に「人の世にいのちをうけることは難く、やがて死すべきものの今いのちあるは有り難し」とあります。「やがて死すべきもの」というめざめは「死」の自覚の共有です。誰も例外なく死にます。


 私の知人が余命の告知を受けました。彼は苦しみ、悩みました。あらゆる治療を試みました。「なぜこの私が」「どうして」。答えのない、出口のない迷いの中で苦悶しました。ずいぶんと文通を重ねました。夜に便箋20枚、30枚と書きましたが、朝になると投函できないのです。「死」を目前にした人に、一般論の「死」など全く通用しません。私は彼の手紙を読み話を聞くしかありませんでした。このときほど聞くということのむずかしさと辛さを感じたことはありません。彼は自分の人生の中で「死」について考えたことなど全くなかったと気づき学び始めたのです。彼の中に少しずつ変化が起こりました。「僕にはもう時間がない」といいながら。
 親鸞聖人は念仏者の最期を「死」といわず「往生」(往きて生まれる)といいます。往生とは、この肉体は尽きてもそのいのちは多くの人々に影響を与えるという思想です。親鸞聖人の説かれた教えは、アミダ如来の教えによってこの人生を生きぬき、いのち終わる時、平等無差別といわれる「浄土」(さとりの世界)に生まれます。そこで仏(さとりを得た者)となり、苦しみ悩む人々のためにこの土に還かえってきて救いに従事すると説きました。
 浄土とは宇宙のどこかにあるという世界ではありません。この土を穢土えど(煩悩、自我むきだしの世界)というのに対して、自我から解放された真実(さとり)の境界を浄土といいます。親鸞聖人は「無量光明土」(かぎりなき智慧の世界)という語で表現されます。アミダ如来の「アミダ」とは「無限、無量」という意味です。かぎりない智慧の光をもって、欲望充足のために自我むきだしで生きる私を照らし、誤りを正して真実に随順する生き方を示すものです。これがアミダ如来の浄土であり、はたらきであると私は領解しています。


 私がこの浄土に還っていくことを「往生」といいます。いのちの往く先、還る処をもつ人生には安定があります。私たちは相変わらず欲、いかり、おろかさの中の生き方ですが、軸足は「浄土」にあるので「いのち」のブレはありません。「真実信心のひとのこころ、常に浄土に居す」と親鸞聖人の手紙にあります。アミダ如来の教え、こころと共に生きる者(念仏者)は身体はともかく、「こころ」は常にアミダ如来と同じであるというのです。言葉を換えていえば、価値観の変革です。世俗、自我中心の生き方(私中心)から仏(真実)中心の生き方への転換です。この道に往きづまりはありません。
 「超世ちょうせの悲願ききしより、われらは生死しょうじの凡夫かは、有漏うろの穢身えしんはかわらねど、こころは浄土にあそぶなり」(教えを聞く身になっても煩悩の身は変わりありません。しかしこころはさとりの境界にあります)。これは親鸞聖人の作と伝えられる『和讃』(仏教讃歌)です。

ねるけ むほう

やまざき・りゅうみょう 1943年、東京都生まれ。龍谷大大学院修士課程修了。現在、武蔵野大名誉教授、仏教タイムズ社社長。東京都小平市・法善寺前住職。著書『親鸞論攷』(永田文昌堂)『歎異抄を生きる』(大法輪閣)『親鸞上人「和讃」入門』(同)『初めての歎異抄』(NHK出版)など多数。4月からNHKラジオ第2で「親鸞上人からの手紙」(第2日曜日)を放送中(来年3月まで)。