思い出す人たち
柏木 哲夫 かしわぎ・てつお 2014年6月27日(金曜日)中日新聞「人生のページ」より
感謝という跳躍
死は成長の最後の段階 [上]

 ホスピスという現場で約2500人を看取った。末期状態の患者さんはホスピスで人生の総決算をする。そこに参画させていただいたことは貴重な学びの体験であった。患者さんから実に多くのことを教えていただいた。多くの患者さんを思い出すが、その中から最後の跳躍をした人を紹介したい。
 〈人は生きてきたように死んでいく〉
 しっかり生きてきた人はしっかり亡くなられていくし、経んな表現だがベタベタと生きてきた人はベタベタと亡くなっていく。周りの人に感謝して生きてこられた人は、我々スタッフに感謝をして亡くなっていく。周りの人に不平ばっかり言って生きてきた人は、われわれに不平を言いながら死んでいく。人は生きてきたように死んでいく。それ故、良き生を生きていかなければ、良き死を死すことはできない。逆に言えば、良き死を死すためには良き生を生きる必要がある。しかし、例外的に不平ばかり言っていた人が、最期に「感謝の人」になることもある。


 〈自主的内観療法〉
 64歳の男性胃がん患者の例を紹介したい。痛み、食欲不信、全身倦怠けんたい感、不眠などを主訴としてホスピス入院。小さな町工場の責任者。いわゆる職人かたぎの人で短気。不平、不満が多い。例えば、投薬時間が少しでも遅れると、「遅い!!」と大声でナースに怒鳴る。病室のドアをもっと静かに開けるようにと声高に注文を付け、血圧の測り方が悪いと文句を言う。ナースのあらゆるケアが気に入らないらしく、「ここの看護師は最低だ」と言う。
 しかし、病状が進むにつれて、患者に顕著な変化が現れた。スタッフに感謝しだしたのである。
 神経症の治療の一つに「内観療法」というのがある。専門の施設に一週間ほど入所して、専門家の指導の下に、人生の振り返りをするのである。一日の一定時間、静かな部屋で目を閉じて自分の一生を振り返る。小、中、高、大の生徒、学生時代、社会人になった時、結婚生活などを振り返る。その時、それぞれの時代に自分が他の人にしてあげたこと、人からしてもらったことを中心に振り返る。毎日自分の振り返りの結果を日記のように書き、指導者に提出する。
 このような人生の振り返りの中で、多くの人は自分が人にしてあげたことよりも、人にしてもらったことの方が多かったことに気付く。これまでの自己中心的な、また、感謝することが少なかった生き方を反省し、人に感謝することの大切さを学ぶのである。
 内観療法は指導者があり、一定期間専門的な施設に入所して、スケジュール通りに進む専門的な治療である。
 この患者は内観療法を自主的にしたといえる。指導者はいなかったが、ホスピスのベッドの上で、人生を振り返り、人からしてもらったことの多さに気付き、廻りに感謝できるようになったのである。

 〈最後の跳躍〉
 私は彼の変化を「最後の跳躍」と名付けた。不平不満に満ちた人生を歩んできた人が、最後に感謝という跳躍をしたのである。彼以外にもこの最後の跳躍をした人を幾人か見てきた。前に述べたように、多くの人は生きてきたように死んでいく。不平不満を言いながら生きてきた人は不平不満を言いながら死んでいく。廻りに感謝して生きてきた人はわれわれスタッフに感謝しながら死んでいく。これまでの生き方が、末期に濃縮する形で現れるのである。
 しかし、最後の跳躍をする人もいる。「死ぬ瞬間」(川口正吉訳、読売新聞社、1971年)の著者、キューブラー・ロスが「Death」という本を書いている。その副題が「The final stage of growth 成長の最終段階としての死」である。人間は成長し続けることができる。死というのは人間の成長の最後の段階である、というのが著者の主張なのである。この患者のように、人生の総決算のときに、最後の跳躍というすばらしい成長を遂げる人も存在するのである。

謝って死にたい
自らの価値観を再吟味 [下]

 死を体で感じ始めたとき、人は最後の希望を持つことがある。これだけは何とか実現させて死を迎えたいという強い気持ちである。
 Mさん(男性)は52歳の肝臓がん末期の患者さん。腹部の痛みと全身倦怠感を訴えてホスピス入院。入院の動機となった身体的苦痛(痛みと全身倦怠感)はコントロールされたが、Mさんを最も苦しめたのはスピリチュアルペイン(魂の痛み)であった。二人の娘さん(19歳と17歳)が見舞いに来ないのである。
 Mさんは上場企業の営業部長。一流大学を出て一流企業に就職し、若くして結婚。Mさんは典型的な会社人間であった。営業畑で頭角を現し異例のスピードで出世した。家庭のことは奥さんに任せ、ひたすら会社のために働いた。
 このような生活の中で、二人の娘さんとの接触時間は極端に少なかった。娘たちとの間に溝ができてしまったことをMさんは感じていたが、まさか、娘たちが父親の死が近いにもかかわらず、見舞いにさえ来ないほどの溝の深さとは思っていなかった。溝が深いというよりも、反逆心、敵対心、といった気持ちを持っているのであろうとMさんは感じ始めた。


 〈魂の痛み〉
 死が近いということを自覚し始めると、人はスピリチュアリティー(霊性)の覚醒を経験する。これまでの人生を振り返り、生きてきた意味を探り、自分が大切にしてきたもの、価値観を再吟味する。その時、もし、自分が大事にしてきた価値観が間違っていたのではないかと思い始め、やはり間違っていたと確信したら、その人の痛みはいかばかりであろうか。その痛みは心の痛みを通り越し、魂の痛み、すなわち、スピリチュアルペインと呼ばれる痛みになるであろう。
 Mさんの痛みはまさに魂の痛みであった。体の痛みもつらいが、魂の痛みは深く耐え難い。ある日の回診の時、Mさんは私にこう言った。
 「先生、私は人生の価値観を仕事に置いてきました。そして、私なりに、仕事の面ではよくやったと思います。かなり若くして営業部長になり、仕事も面白く、やりがいがあり、私は家庭を家内に任せて仕事に没頭しました。良い仕事をすること、会社のために働くことが価値あることだと思っていました。二人の娘のことも家内に任せきりでした。私の心は娘たちに向いていませんでした。たまに顔を合わせると、『ちゃんと勉強してるか?』と形式的に、しかもややきつく言うだけでした。娘たちは一生懸命働いている父親の背中を見て、素直に育ってくれればいいと勝手な期待を持っていました。しかし、そのような考えが間違っていたことが死ぬ前になって、やっとわかりました。娘たちには本当に申し訳ないことをしました。何とか謝って死にたいと思います。二人がここへ来てくれたら、手をついて謝りたいです。でも来てくれません。それが一番つらいです」


 〈主治医に免じて〉
 Mさんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。Mさんのために主治医として何ができるであろうか。私はいろいろ考えた末、娘さんたちに主治医として、一度お父さんに会いに来てほしいという手紙を書くのはどうかと思った。Mさんと奥さんにそのことを話すと、是非そうしてくださいとのことであった。私はお二人に短い手紙を書いた。「お父さんの病状は思わしくなく、あと一カ月くらいで旅立たれると思われます。お父さんはこれまでのことをお二人に謝ってから死にたいと私に言われました。お父さんの最後の願いです。どうか主治医の私に免じて、一度だけでいいですから、お父さんに会いに来てください」。文中、「主治医の私に免じて」の下にかなり太い赤線を引いた。この赤線が効いたかどうかは定かではないが、二人がホスピスへ来てくれたのである。


 〈謝罪の成立〉
 Mさんは病室の床に頭をこすりつけるようにして、「お父さんが悪かった。赦ゆるしてほしい」と真摯しんしに謝った。その姿を見て二人の娘さんの心が動いた。姉が「お父さん、もういい、わかった」と言った。ことばは短かったが父親の謝罪を受け入れた響きがあった。
 それから親子四人は二度ほどホスピスの近くのレストランで水入らずの食事を楽しんだ。一家に撮っては初めての経験ともいうべきことであった。
 謝ることができ、それを受け入れてもらえたと感じたMさんの表情が変わった。苦悩を抱えた硬い表情が消え、柔らかで穏やかな表情になった。それから一カ月後、Mさんは奥さんと二人の娘さんに見守られながら静かに旅立った。

ねるけ むほう かしわぎ・てつお 1939年、兵庫県生まれ。大阪大医学部卒。ワシントン大で精神医学研修。帰国後、淀川キリスト教病院にホスピス設立。金城学院大学長を経て現在学院長、大阪大名誉教授、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長。著書に「いのちに寄り添う。」(KKベストセラーズ)「『死にざま』こそ人生」(朝日新聞出版)など多数。