第三の敗戦
上田 紀行 うえだ・のりゆき  2014年11月7日(金曜日)中日新聞「人生のページ」より
使い捨てと保身
「支え」なくした社会 [上]

 「日本は第三の敗戦を迎えている」。私がそのことを痛感したのは2006年のことだった。
 世間では「使い捨て」という言葉がはやっていた。そして小泉純一郎首相は当選したての小泉チルドレンに向かって、「政治家だって使い捨てにされることを覚悟せよ」と訓示した。落選すれば議員は使い捨てだ、だからがんばれという発言だったが、「政治家だって使い捨て」発言の裏には、国民の多くが使い捨てにされている現実の追認がある。その言葉に大きな憤りを感じざるを得なかった。
 しかしその発言直後に行われた世論調査で、まさに「使い捨て」状態に置かれている非正規雇用の若者たち、ワーキングプアと言われる貧しい若年層の間の小泉首相の支持率が急騰したと聞かされた。「全ての人が使い捨てだと、正しいことを言ってくれた。われわれだけが使い捨てじゃないんだ」というわけだ。しかしそこは「政府は何でわれわれを使い捨て状態に放置しているんだ!」と支持率が下がるべきところではないのか、私は愕然がくぜんとした。


 私は教壇に立つ東京工業大学のクラスで二十歳前後の大学生200人に「人間は使い捨てか?」と聞いてみた。なんと半数の学生が「使い捨てだ」に手を挙げた。私はとてつもなく悲しくなった。二十歳の若者にこんな答えをさせてしまう社会は根本的に間違っているのではないか?そして私はこれはもう「第三の敗戦」なのではないかと思った。
 第二次世界大戦の軍事的敗戦が第一の敗戦である。しかし私たちは忍耐強く復興を成し遂げ、1980年代後半には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と経済的勝利に酔いしれた。しかし90年代初頭のバブルの崩壊は一転して経済的敗戦という第二の敗戦をもたらした。
 それに続く第三の敗戦、それは安心と信頼の敗戦である。支えの喪失といってもいい。私の身に何があっても社会は助けてくれない。全ては自己責任とされ、失敗した人間は見捨てられ、使い捨てとなる。そんな社会は社会と呼べるのか。それは心の焼け野原の風景ではないのか。そう思えたのである。
 それはもちろん若者たちの責任ではない。彼らが物心ついてから二十歳になるまで、どんな日本社会を見せられて育ってきたのか。それは私たち年長世代の問題だ。リストラされて絶望していても誰も助けない、経済的効率で生身の人を評価し、もうけの少ない人間はいなくなったほうがいいと言わんばかりの社会を若者たちに見せつけてきたのは私たちなのだ。
 しかしさらに大きな驚きが私を待っていた。彼ら学生に社会正義と内部告発についての講義をしたときのことだ。「あなたが就職して派遣された東南アジアの工場は有毒な廃液を流していて、下流で住民が病気になり死者も出ている。あなたは工場長にかけあったが、事実を隠蔽いんぺいすることを求められた。あなたはどうするか?」という問いに対して200人はどう答えたか?
 一、「自分の名前を出して内部告発する」が3人。二、「匿名で情報をリークする」が15人。三、「何もしない」が180人いた。
 その結果に私が「君たち、自分の工場のおかげで人が死んでいるんだよ!」と問うても、大多数の学生たちは隣同士で顔を見合わせて「何もするわけないよな」とうなずき合うのだった。


 自分の勤めている企業の垂れ流す毒物で関係のない人が死んでいても、自分はそれを止めようともしない。そんな若者を育ててしまう教育を教育と呼んでいいものか。そして社会正義の滅んだそんな国に対して誇りを持つことができるのか。私はそのとき誓った。私が退職する時までには、人間を使い捨てと思う若者、他人の苦しみより自分の保身を選ぶ若者を無くそうと。
 使い捨てと保身、それは実は表裏一体のものだ。いちど使い捨てになってしまえば全てが自己責任とされ誰も助けてくれない。そんな社会では誰もが利己的な保身に走る。社会に「支え」がなくなったとき、正義もまた滅びる。
 第三の敗戦からの復興が私のテーマになった。

心の廃墟からの復興
大人も正義感持て [下]

 「使い捨て」という言葉が流行した2006年、私は日本の「第三の敗戦」を実感した。教えている大学の講義で二十歳の学生200人の半分が「人間は使い捨てだ」に手を挙げる。9割の学生が自分の会社の工場の有毒廃液のために一般市民が死んでいても、自分の保身のためにその事実を隠蔽するという。そんな社会はとうに終わっている。その責任はそんな日本社会を子どもたちに見せ続けた私たち大人にある。
 その敗戦からの復興はいかになされるべきなのか。私は講演やセミナー、そして著作でと、微力ながら全力で立ち向かった。講演やセミナーで話を聞いてくれた人は深く感じ入ってくれる。著書の読者からは熱い反応が来る。しかし「敗戦」をもたらしたのは社会の総体であり、時代の趨勢すうせいである。その前で自分の力不足を感じざるを得なかった。
 しかしその流れを変える大きな出来事が起こった。東日本大震災と福島第一原発事故である。震災後3ヶ月の11年6月、私は200人の学生に同じ質問をしてみた。君が派遣された東南アジアの工場の有毒廃液のために下流で一般市民が死んでいる。君は上司から事実の隠蔽を命じられた。どうするか。
 一、「自分の名前を出して内部告発する」が30人。二、「匿名で情報をリークする」が100人。三、「何もしない」が70人だった。06年のそれぞれ3人、15人、180人から、大逆転が起こった。
 その1年後、私は揺り戻しが起こっているのでは、とドキドキしながら同じ質問をした。結果は、50人、120人、30人であった。情報の隠蔽は許さないという姿勢が学生にますます広がったのである。


 それは明らかに福島第一原発事故の影響である。原発には危険性があるということを知りながら、意図的に隠蔽する、あるいは保身のために言い出せないという、まさに06年の学生たちが選んだ態度が原発の周辺には蔓延まんえんしていた。その過ちによりどれだけ巨大な災厄がもたらされたか。それを目の当たりにした学生は、もはや情報の隠蔽を選ばなかった。自分の保身よりも社会正義を選ぶという選択が大多数となったのである。
 また東日本大震災の被災地の救助に携わった多くの人々の姿が若者たちの意識を変えたことも見逃せない。自衛隊員から行政の人々、数多くのNPOやボランティアたちが被災者のために行動している姿は、この社会にもまだまだ困窮している人を救う力があるのだということを私たちに実感させた。この社会にはまだ「支え」があるのだということを、私たちはあらためて認識させられたのである。
 困窮している人を誰かが救おうとしているとき、救われているのは困窮している人たちだけではない。その姿を見て育つ子どもたちもまた救われている。人間は使い捨てなんかではない、あなたも人生で苦しむことがあっても、そこには必ず救いがある。そして正義感に燃えて間違ったことを間違っていると言って、一部の人からは非難されることはあっても、社会全体は必ずあなたの勇気と正義感を褒めたたえるだろう。そうしたメッセージがどれだけ若者たちを励ますことだろう。
 そしてそのことに励まされるのは若者たちだけではない。私たち大人世代にとってもそれは大きな支えとなるだろう。12年後の26年には、その年の出生者77万人に対して死亡者155万人と、誕生祝いの二倍の葬式を出す社会が私たちを待ち構えている。もちろん全てのお年寄りがぽっくりと逝くわけではなく、多くは病を得て長期のケアが必要だ。その状況で「人間は使い捨てだ」という思想が蔓延していたとき、何が起こるだろうか。


 若者たちに芽生えた支えと社会正義への思い、それを大人社会がまたつぶしてしまうようなことが起これば、その報いを受けるのはまさに年長世代の私たちにほかならない。それは誰もが幸福になることができない、不幸の連鎖の悪循環である。
 問われているのは年長世代の勇気ある行動である。自分の保身に汲々きゅうきゅうとする姿ではなく、社会の困窮に立ち向かい、良き未来を創り出そうとする気概ある姿をどれだけ若い世代に見せることができるか。「第三の敗戦」に導いたのが私たちならば、そこからの復興もまた私たちの責務である。焼け野原と化した街をかつて復興させたように、私たちは心の焼け野原の風景を今こそ描きかえていかなければならないのだ。

ねるけ むほう

うえだ・のりゆき 1958年、東京都生まれ。東京大大学院博士課程修了。文化人類学者。東京工業大・リベラルアーツセンター教授。著書に『生きる意味』(岩波新書)『がんばれ仏教!』(NHKブックス)『今、ここに生きる仏教』(共著、平凡社)など多数。