シナイ山の夜明けに
久保田 展弘 くぼた・ひろし  2014年10月10日(金曜日)中日新聞「人生のページ」より
一神教の戒めと対峙
荒野に始まる宗教 [上]

 エジプトのシナイ半島を南下する大地を広くおおう、小石まじりの砂漠。これがいつの間にかハイウエーを思わせるような舗装道路に変わり、その行く手に二頭のラクダを引き連れたベドウィンの男たちが見えてきた。と、半島の中南部から南へと打ち重なる山岳地帯が突然彼らの背後に迫って見えたのである。
 古くからジェベル・ムーサ(「モーセの山」)の名で親しまれてきたシナイ山(2,285メートル)が花こう岩の峰々を従えそびえ立っていたのだ。
 この山麓に唯一の水場を持つセントカテリーナ修道院。紀元330年、荒野を好んだキリスト教修道士たちの道場であったここに530年、東ローマ帝国皇帝の命によって、こんにち見られるような堅固な修道院が建設された。
 午前二時。ひんやりとした闇につつまれた修道院を囲む、高さ10メートルに及ぶ堅固な壁の前に立ち、前方へとつづく濃い藍色の大気におおわれた岩の道に向かう。
 修道院からおよそ二時間の岩の道は、山頂まで幾曲がりもしてうねり、それは荒々しいまでに峻険しゅんけんな峰々に囲まれながら、まるでそこをたどる者を庇護ひごするけものの背のように、不思議な暖かさにつつまれていた。
 しかも闇におおわれた山上の岩場は、どこか荘厳な大気を放っている。ヤッケを通して凍みてくる大気が心地よい。だが眼下の周囲のどこにも明かりひとつ見えない。私は岩頭に腰を下ろし、日の出を待ちながら、あらためて『旧約聖書』にある「出しゅつエジプト記」を思い起こしていた。


 紀元前1250年のころと推定される、エジプトにあって奴隷状態にあったというモーセを含むイスラエル民俗による大脱出行。だが、この大脱出がどれくらいの規模で、目的の地カナンまで何年を要したかという現実については、ほとんど不明のままだ。しかもこの謎こそが律法誕生の伝承を力づけてもいる。
 『旧約聖書』の最初の五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)が「モーセ五書」の名で呼ばれてきたことが語っているように、エジプトからの大脱出そのものが、イスラエル民俗の存在理由とその信仰を裏づける伝承以外のなにものでもないことに気付く。
 「出エジプト記」は、神の指示によってシナイ山へただ一人おもむいたモーセに、その山上を襲った激しい雷鳴の轟とどろきをもって神のことばが下ったことを告げている。のちに「十戒」の名でいわれる神による厳しい戒めである。
 すでに東の地平線状には、炎につつまれた伏せた椀わんのかたちに見える太陽が、大気を振るわすようにして昇ってくるのが見える。山の頂で御来光を拝むというより、荒野のすべてが光によっておおわれてきたそれが、宇宙の夜明けにも見えてくる。


 気付けば私の背後に40人余の人々が日の出に向き合っていた。聞けば南米のコロンビアを始め北米、ポーランド、さらにはインドネシアからやって来た、イスラム教徒と思われる若者のグループが、わいわい声をあげながら日の出を見ている。
 山上にはキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒といった一神教三教に、おそらくただ一人の仏教徒が加わったことになる。だが、わずか二十数分後、私の周囲には、ほとんど人影がなかった。山上に集まった多くの人は日の出という荘厳な光景を見にやって来るのだが、この日の出に感動し、手を合わせるなんてことはまずないという。
 十代のころ山岳霊場をめぐり、自然という命に向き合う山の信仰に目覚めた私は、すでに地平線をはるかに離れ、一層輝きを増す太陽から目を離せず、山上におよそ二時間立ち尽くしていた。一瞬の休みもなく自然は色彩の変化を見せ、その前に立つ者を励ましつづける。
 だが「モーセ五書」に示された唯一の神による厳命と、人間の思考・行動にまでおよぶ価値観の規定だけで、共存を忘れ、いま世界各地に広がる対峙たいじを回避することなどできるわけもない。シナイ山の夜明けが大いなる光の波動をもって私を揺さぶってきたのはこのことだった。

一神教とグローバリズム
時代に翻弄される神 [下]

 紀元前2000年ごろと推定される時代、神に選ばれたアブラハム。この、最初期の一神教徒による、神が約束した大地カナンへの大移動を前史として、エジプト脱出の途上にあったシナイ山上のモーセにくだった律法。
 神との契約にもとづくこれが、ユダヤ教に限らない、キリスト教、イスラム教を含む一神教の信仰に深い影響を与えてきたとすれば、シナイ山はエルサレム、あるいはメッカとは別格の、文字通り一神教徒にとっての根本聖地ということになる。
 いや、イスラエル民俗であるユダヤ教徒にとって、「出エジプト記」は、いまのイスラエル、パレスチナ自治区を含む地が神に導かれ、居住を許された、何者も否定することのできない約束の大地であることを明かしている。イスラエルが、パレスチナ、ガザ自治区を否定し対峙を続けるのは、三千年にわたって伝承された「モーセ五書」が、神と人間のやりとりを超えた史実として受け継がれているところにある。
 しかし、いま中近東各地に鳴りやまない紛争はどれも、神がモーセを通して民衆に告げた「あなたは殺してはならない」を含む戒めのことごとくを放り出している。神の名を叫びながら、一神教の根本的な教えをはるかに逸脱し、利を求める民俗、部族の世俗的欲望による争いにすぎないとさえ見えてくる。宗教がヒトとモノが激しく行き交うグローバル経済の荒波に翻弄ほんろうされていないだろうか。


 あらためて聖書をたどるなら、もし人が互いに争って、害が生じたときには「命には命を」「目には目を」等々と、同害報復が許される神のことばにあることに気付くだろう。紀元前のバビロン王ハンムラビが制定した『ハンムラビ法典』に「目には目を、歯には歯を」のもとになった同害報復の例が見えている。
 驚くのは、その後の世界の刑事法典の多くは、紀元前に制定されたこの「ハンムラビ法典」を参考にしていることである。『旧約聖書』の「モーセ五書」に、物語や詩のかたちをもって流れている律法の背後にも、神の啓示として「ハンムラビ法典」の影響をうかがうことができる。
 アブラハムからモーセを通して流れる一神教の宗教史が、イスラエルが古代バビロニアに敗れ、捕囚を余儀なくされた紀元前500年代、故国帰還後に、バビロニアにおける法典をさらに律法として具体化したことはいうまでもない。
 ところが、いまイスラエルによる圧倒的な軍事力をバックにしたガザ自治区への攻撃、あるいはシリアにおける複雑きわまりない内線、さらにイラクにおけるスンニー派過激派による武力紛争等々に、同害報復の法を適用することなぞ、できるはずもない。
 世界はいま、宗教によって、人間の傲慢な行動が抑制されるわけでもなく、唯一の神に名をかかげ、叫びながらミサイル発射をやめようとしない人間を抑止することもできないでいる。
 とりわけ神の唯一性を強調し、その救済に絶対の信頼をおいてきた一神教三教の神が、対峙のやまない現実の世界を共存させる力を持っているとは、恐らく誰も信じていないだろう。しかも正義を語りながら、その正義が異なる価値観をつなぐ力になるとも思っていない。
 まだ記憶に新しい、1979年にはじまる、アフガニスタンにおける旧ソ連、つづく米国という二大大国の長期にわたる駐留。二大国は、対抗する武装勢力の脅威を前にして駐留を放棄し、それに伴う大量の武器拡散は、この国の部族社会を一層疲弊させた。イスラム原理主義のテロリストによる活動がより先鋭化したのはこのときからで、それは今日の中近東各地における、より苛烈な紛争状況へと続くことになる。


 シナイ山上の戸が閉ざされた小さな教会堂をめぐり、人影のない岩陰に黄色の小さな花を見つけたとき、風はつねに光を含んでいのちの誕生を促していることに気付く。
 世界を力と欲望で統治し、人間の行動を左右しようとするとき、そこに残されるのは、人間の人間に対する憎悪だけであろう。
 湿潤な風土に育まれてきた日本人の、いのちに向き合う精神性はいま、紛争を抑止できないでいる一神教世界の、異なる価値観を排除しようとする現実に、どう向き合ってゆけるのか。

ねるけ むほう

くぼた・のぶひろ 1941年、東京都生まれ。早稲田大卒業。アジア宗教・文化研究所代表。専門は宗教学。著書は『さまよう死生観 宗教の力』(文春新書)『荒野の宗教・緑の宗教』(PHP新書)『神の名は神』(小学館)など多数。