グローバル経済が溶かすもの
福田 邦夫 ふくだ・くにお 2014年9月12日(金曜日)中日新聞「人生のページ」より
世界商品の裏側
進む貧困、病む心身 [上]

 グローバリゼーションとは世界化・地球化を意味する。では何が世界化しているのだろうか。
  コロンブスが1492年、「新大陸」を発見した時代、ほとんどの人は農村で生活を営んでおり、当時の人が生涯で最も遠くへ移動した距離は平均24キロくらいだったといわれている。
 そんな時代、ブラジルにやってきたポルトガルの商人に、土地の長老が問いかけた。
 「あなた方は、海を渡り、困難を乗り越えてはるばる遠方からここにやって来てつらい仕事をして富を蓄えようとしているが、それは子供や相続人に富を譲るためなのか?
 あなた方の国には、食べ物を恵んでくれる土地がないのか? われわれにも愛する父や母、それに子供がいるが、私が死んでも、生きていくための大地を残して逝くので、その大地で子供たちは食べ物を得ることができる。富を蓄えて残すなどということは、心配していない」(『グローバル経済の誕生』ケネス・ポメランツ他共著)
 大地と共に心豊かに暮らしていたインカやマヤの人びとは、ヨーロッパからやって来た商人により瞬く間に滅ぼされてしまった。また彼ら商人はアフリカ大陸から2千万人もの人びとを「新大陸」に連れてきて奴隷制プランテーションで働かせ、飽くなき利潤を追求する「資本主義世界システム」の礎を確立したのだ。


 フランスの経済学者ジャック・アタリは商人階級の出現について「冒険家である商人は不正行為をしたり、ごまかしたり、必要とあらば殺人を行なうこともあえてしなければならない」と、その著書で述べている。
 富(貨幣)の獲得に生命を懸ける商人階級は、強い国家を必要とした。それは他国からの商品や資本の侵入を防ぎ、海外に進出して原料と市場(植民地)を獲得するためである。そのためにナショナリズムという想像の共同体意識が捏造ねつぞうされ強い軍隊が作られ、国家・国民意識が注入された。国家に反逆した人びとは弾圧された。日本では、大逆事件で仏教徒の内山愚童ら12人が天皇暗殺の嫌疑をかけられて殺され、高木顕明は刑務所で縊死いしした。
 商人はどのようにして富を蓄積していったのか。彼らはローカルな生産物や文化を破壊し尽くして新たにグローバル商品を作り、世界中に販売した。インカ帝国の神官が神に祈りを捧げる際の貴重な飲み物であったカカオを世界商品に仕立てた。またイスラム世界になくてはならなかったコーヒーの木をイエメンから盗み出し、植民地化したアフリカや南米に移植、世界商品に作り上げた。
 21世紀の商人階級は全世界を覆う金融・流通・情報網を張り巡らし、次から次へと新たな欲望を演出しては目新しい商品を開発、生産と消費を全世界的なものにしている。「マクドナルド現象」とも命名されているが、国内の原料で作られたものではなく、はるか遠い国で産出される原料をはるか遠い国で加工して生産されたものであり、誰一人として、自分が手にしているものの由来を知らないし、知ろうとしない。世界で20億人以上の人びとがマクドナルドを頬張りながら同じ時間にスマートフォンで同じゲームに興じている。
 世界商品は、私たちの足元からローカルで国民的な基盤を掘り崩し、民族の伝統や文化、それに大自然や神仏を畏敬する宗教さえも次第に溶かしてゆく。いつの間にか、god(神)はgoods(商品)になりつつある。


 昨年4月、朽ちた8階建ての縫製工場に詰めこまれ、働いていたバングラデシュの女性ら千百余人が死の直前に上げた悲痛な叫び声が、日本人には聞こえただろうか。彼女たちは、時給30〜50円で、日本人向けの安価でしゃれたTシャツやセーターを裁縫していた。一見「豊かな社会」の裏側では、恐るべき貧困が日々積み上げられてゆく。
 グローバリゼーションとは、商品として貨幣で地球上を覆いつくし、人びとの心と体を蝕むしばみ、心の病を蔓延まんえんさせる現象なのだろう。

劣化する国家
「病んだ心」に目を [下]

 グローバル経済のもと、資本の増殖運動に命を懸ける商人階級の力は、いまや国家の力を超えるようになった。国家の劣化現象であり、資本が国家を管理下に置く時代である。事態は一変したのだ。
 これまで決済の手段にすぎなかった貨幣は、世界を網羅するネットのもと〝記号商品〟になった。国境を越えて動く貨幣は、1日当たり5兆ドル(500兆円)に達している(2013年度・国際決済銀行年次報告)。世界の貿易額の数百倍もの貨幣が売買の対象とされている。数百兆ドル(数京円)の運用資金を持つ投資信託やヘッジファンドは、千分の一秒の速さで株や為替を売買しつつ天文学的な貨幣を蓄積している。その対局では貧富の格差は益々拡大し、恐るべき貧困が蓄積され続け、人びとの心身を蝕んでいる。貧困のグローバル化である。
 これまで企業は獲得した利潤の多くを国家に租税として納めていたが、これを拒否するようになった。日本だけではなく米国もそうだが、日本の法人実行税率は、1984〜87年には43.3%であったが、以降徐々に引き下げられ、ことし6月、安倍首相は来年度から数年間で20%台に引き下げる方針を発表した。その代わり消費税が段階的に引き上げられる。
 首相は、法人税率引き下げは日本企業の国際競争力を強化するためだという。輸出主導型の製造業は、猛烈な勢いで拡大する貧富の格差を省みない。国内の雇用継続や飽和状態の国内市場を見捨てて、グローバルな事業に向かっている。事業の核となる機能のみを東京(グローバルシティー)に残して、労働集約的な生産機能を低賃金国へ移転しているのだ。


 海外で事業展開する企業の現地調達比率は日増しに上昇している。だから日本は2011年度に貿易赤字国になったのである。それ以降、貿易赤字は縮小するどころか、12年度は8兆1千億円、13年度は13兆7千億円に達している。マスメディアは、貿易赤字の主な原因は原子力発電が操業停止したためであり、原発の再稼働が必要だと言うが、そうではない。
 貿易立国日本というイメージは過去の虚像であり、もはや神話でしかない。国内で生産して国外に輸出した時代は終わったのだ。日本企業の海外生産比率は年々上昇傾向にあり、日系自動車メーカーの海外生産比率は64.2%(13年度)に達している。
 こうした中、日本の対外資産残高は13年度末、前年比20.4%増の約800兆円に達し、5年連続で増加している。対外資産が増加するにつれて所得収支(日本企業が海外で稼ぎ、日本に送金した金)も増大の一途にある。所得収支が貿易収支をしのいだのは05年度以降であり、13年度の所得収支は16兆5千億円に達しており、貿易赤字を2兆8千億も上回っている。日本は1991年以降23年連続で世界一の債権国の座を維持しているのだ。余ったカネは海外に流れ、海外で稼いだカネはまた海外で増殖するから、国内の経済発展にはつながらない。
 ところで日本は貿易に依存しなければ成り立たない国なのだろうか。世界銀行によると、日本の国内総生産(GDP)に対する輸出と輸入の割合(貿易依存度)は極めて低い。日本の貿易依存度は、2012年が28.4%と、世界198カ国・地域の中で191番目なのだ。ちなみに同年の韓国の貿易依存度は、87.3%と高く、輸出で稼いだ外貨で輸入し、国内需要を充足しなければならない経済の典型なのだ。「貿易立国日本」というイメージは、輸出を志向する大企業や大商社がつくり上げた虚像でしかない。グローバル経済の名のもとに、原発や兵器まで輸出して際限のない利潤獲得競争に明け暮れ、全世界で事業展開をする巨大な無国籍企業に振り回されてはならない。過疎化してさびれた農漁村や地方の産業をよみがえらせ、新たな雇用と内需を創出する産業を保護・育成する必要がある。


 おカネで表現される経済成長の伸びに期待するのではなく経済成長が生み出した負の遺産にこそ目を向けなければならない。負の遺産とは何か。それはカネの獲得競争に疲れ果て、行き場を失った物質的に豊かな人々が日々繰り広げる、いたましい日常的な惨事である。いつ終結するのか分からない原発事故の後始末もその一つである。
 もっと大きな「負」がある。大自然と神仏を恐れることを忘れた人々の心の病であり、その病を治癒してくれるはずの〈宗教の死〉ではないだろうか。

ねるけ むほう

ふくだ・くにお 1945年、広島県生まれ。フランス国立社会科学高等研究院博士課程中退、明治大大学院修了、経済学博士。現在、明治大商学部教授、同大軍縮平和研究所所長。専門は、国際貿易論。故宇都宮徳馬参議院議員のもとで79年から13年間、日本とアラブ諸国、南北問題に取り組む。著書「世界経済の解剖学ー亡益論入門」(法律文化社)など多数。訳書に「グローバル経済の誕生」(筑摩書房)。