親鸞の教え 「私」を問い続ける
本多 静芳 ほんだ・しずよし 2014年8月15日(金曜日)中日新聞「人生のページ」より
内なる我執
社会の迷妄と重なる [上]

 文化人類学者で、仏教にエールを送る上田紀行さん(現東京工業大教授)と初めて会ったのは、1990年でした。最初の作品『覚醒のネットワーク』(カタツムリ社、講談社+α文庫)に触発されたからです。上田さんは、次のように書いています。
 〈「いのち」の危機が何によってもたらされているのか、そしてこの危機はどうやって乗り越えていけばいいのか。(略)それは「私」の中にある、というのがここでの解答です。私たちの「私」は、実は私たちが本当に望むものを邪魔するような「私」でもあるのです。そして、そんな「私」のあり方といまの世界の危機的状況は鑑のこちら側と向こう側のようにぴったりと重なっています。「いのち」を痛めつける暴力の根源は、世界のシステムの中にあるのと同様、「私」自身の中にもあるのです〉
 親鸞聖人の浄土真宗に求めてきた私の生き方も、「解答は私自身の中にある」という言葉に導かれてきたように思います。
 親鸞聖人の教えは、在家仏教と呼ばれます。過程で生活習慣として、お仏壇の阿弥陀あみだ如来に合掌(礼拝)し、お念仏を称となえ(称名)、お寺や地域の講などで聴聞した阿弥陀如来の本願の慈悲を心に深く思うこと(憶念)で、信心が開かれ、新しい仏教的人格が育てられると説きます。
 弟子による聞き書き『歎異抄』ほど、広く知られた仏教書はあるでしょうか。解説書や小説などによって、真宗教団に関わらない人びとにも、親鸞聖人の教えは、大きな関心をもたらしています。


 親鸞聖人の主著『教行証文類きょうぎょうしょうもんるい』に「神祇不拝じんぎふはい」と「国王不礼こくおうふらい」が出てきます。私は、この念仏的人生態度が親鸞聖人の教えの根幹であると受け止めています。平たくいえば、素朴な呪術宗教、つまり我欲を問題にしない宗教を拝まない、世俗の権威や財力の象徴である王国などに屈服しないということです。誤解されやすい一面があるのですが、これこそが人々を引き付ける教えであり魅力なのです。
 この根幹の教えは、どこからきたのかといえば、お釈迦さまが体験された「さとり」に基づきます。私たち人間と社会の現実は迷いであり、その原因は外にあるのではなく、「私」の内側は我執という自己中心性そのものであると認識・体験されたことから始まります。そして、あるべき理想は、この我執に振り回されている自己の本質から脱皮し、変革していく営みによって、まことの人生が成り立つと説かれたのです。
 信心体験を開いて「私」の迷いに気づかされると、迷いにある私たちがつくり上げている社会のあり方が重なってきます。逆に社会を問題にしていくと、必ず私自身の自己中心性を問うことになります。ひいては「私」を変革する生き方が社会を変化させることにつながってゆくという自覚が開かれてゆきます。
 仏教の興隆に尽くした聖徳太子は「世間虚仮せけんこけ、唯仏是真ゆいぶつぜしん」(私と社会は相対なもので迷いです、それを目覚めさせるのは唯ただ、仏ブッダのみです)と説きました。太子は、摂政という政治的に権力そのものにある立場の人でした。権力者は、自分の既得権益を守ろうとして、自己の正当性を前面に出したがるものです。しかし、太子の「世間は虚仮」とは、政治も含めおよそ人間の迷いがつくり上げている出来事とは、絶対のものはひとつもないということで、権力者自身がそれを表明したことになります。


 『歎異抄』で親鸞聖人も「よろずのこと、みなもて、そらごと、たはごと、まことあることなき」と語り、仏法を実践して、まことの人格とまことの社会の成長を求める道を示しています。
 親鸞聖人の教えに生きようとする私が、「私」と社会の両方に向き合おうとしてゆくうちに、信心という「目覚め体験」が開けて、私の自己中心的なあり方が、実は社会の迷妄と重なることに気づいていくことになります。

阿修羅の「正義」
迷いの姿を見つめる [下]

 フランスの歴史学者、アンヌ・モレリは『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社)で、戦争を進める政府為政者が、民意に反して戦争を正当化して遂行するときに、メディアと結託して流した嘘を分析しています。歴史の中で繰り返された情報操作の方法や、「正義」が捏造ねつぞうされる過程を浮き彫りにして、十項目の似通った傾向があることを指摘しています。その三つを紹介しましょう。
 一、「われわれは戦争をしたくない」
 政府や為政者は、自らを正当化してから、戦争を始めます。よく考えると、戦争をしたい人は戦前にも、戦後にも確実にいます。軍需産業やそれに関わる人びとです。
 二、「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
 例えば、柳条湖事件は、日本軍が爆破したのに、中国側が起こしたかのように喧伝けんでんして戦争の火ぶたを切ったのです。イラク戦争も、大量破壊兵器があるという根拠のない発言を基に始めました。
 三、「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
 政府や軍部の情報操作によって、人心は簡単に左右され扇動されてきました。なぜでしょうか。自分たちこそが「正義」だという一方的な主張は、自分もまた「正義」であると考えたがる「私」たちによって簡単に受け入れられるからです。


 海外では、イスラエルのガザ地区への無差別攻撃、ウクライナ紛争、日本では、原発事故情報の隠蔽いんぺい、秘密保護法や憲法解釈による集団的自衛権の容認、子供の貧困率と差別社会の拡大…。いま世界の多くの人たちは、いのちと暮らしを脅かされる状況にあります。
 親鸞聖人が、拠り所にされた経典『無量寿経』には、阿弥陀仏が私たちを救済するために発おこされた四十八の誓願が説かれています。第一・二は、六道輪廻ろくどうりんねの地獄・餓鬼・畜生という、迷い・貪むさぼり・争いに苦悩する生き方から人々を脱皮させ、新しい仏教的な人格に向け成長させたいとの願いです。第三・四は、あらゆるいのちを能力や価値によって生じる貧困・差別・格差から脱皮させ、お互いが平等に認め合える社会に向け成長させたいとの願いです。
 つまり、称名念仏の仏道を勧める本願は、私が仏教に生きることと、歴史や社会で生まれるさまざまな問題とは別のことではないことを示しています。私と社会の両方を見つめる人格と態度を育てる教えといえるでしょう。
 もともと、大乗仏教は、個人だけの救いを求める仏教を誤りだと批判して、人間一人ひとりと社会そのものが、「さとり」を目指す運動として始まりました。そして、その流れの一つとして、在家仏教の浄土真宗が親鸞聖人によって示されました。親鸞聖人は、自分だけが救われればよいのではなく、あらゆる人びと、念仏を弾圧する人たちまでが救われるように祈りをこめなさいと教える手紙が残っています。
 浄土真宗本願寺派では、毎年九月、千鳥ヶ淵で「全戦没者追悼法要」を勤めますが、追悼とは勤める私自身に悼いたみを覚えることです。仏教の視点に立つと、暴力はいけないといいつつ、相手の存在を否定してまで、自分を認めさせようとする心が、私にもあることに気づくと痛みになります。そのとき、社会の問題は「私」の問題であり、国策として認めた殺し合いという戦争によって戦没した全てのいのちに対する「追悼」が生まれます。


 ところで、仏教では、道理に基づかないで一方的な「正義」を主張することを六道輪廻の一つ、阿修羅の姿といい、それを迷いであると教えます。大変残念なことに、昭和の十五年戦争において、仏教教団を運営する人びとは戦争を肯定し、教義をねじ曲げて聖戦といい戦争に協力しました。そこでは「私」を見つめることなく、「正義」を掲げたからでした。
 親鸞聖人は『歎異抄』で「さるべき業縁ごうえんのもよほさば、いかなるふるまひもすべし」(その時の条件次第で、この私は、どのような行いをするようになるかわからないものです)という深くて恐ろしい言葉を残されています。
 この教えに沿って、原発の再稼働や集団的自衛権の容認などの問題を直視するには、「私」の迷いの姿をどこまでも問い続けなければなりません。
 念仏者の一人として私は、思いを共にする多くの人びとと、同じ視点を持って歩み続けたいのです。念仏を称となえる仏道とは、新しい仏教的人格の主体を育てることでもあります。

ねるけ むほう ほんだ・しずよし 1957年、東京都生まれ。慶応大文学部哲学科卒、東洋大大学院仏教学科博士過程満期退学。武蔵野台助教授を経て、現在、東洋大非常勤講師・浄土真宗本願寺派万行寺(東京都東村山市)住職。「念仏者九条の会」東京呼びかけ人。著書『信心の日暮らし』(探求社)『歎異抄に学ぶ大乗仏教入門』(国書刊行会)『いのち、見えるとき』(法蔵館)など。