仏教の再生
山下 良道 やました・りょうどう 2014年1月11日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
自分もまた患者
迷い不安を正直に告白 [上]

 ある人が、お坊さんにこう質問した。「極楽浄土」というものは本当に実在するものなのですか? これは「素朴すぎる質問」だろうか。お寺の法話の後、質疑応答の時間に、聴講者が単なる知的好奇心からそれほど真剣さを伴わずに、こう質問することもあるだろう。その反対に、末期のがん患者が自分のみに迫り来る死の恐怖のなかで、自分の存在のすべてをかけて必死に問いかけてくる場合もおおいにあるだろう。
 この質問にどう向かい合うかで、仏教者としての立ち位置は決まってくる。「想定問答集」の範囲のなかで、どこからも突っ込まれない「模範解答」を言うことぐらい、少し仏教を専門に勉強した人間には簡単にできる。「信じる人には存在するのですよ」などと。またあらゆる仏教教典を持ち出して、それを引用することで自分の答えを補強し、権威づけてゆくことも、それほど難しいことではない。
 質問者がそれで納得しようがしまいが、そこで質問を打ち切ることもできる。でも、自分自身は本当にそれで納得しているのか。「極楽浄土は本当に実在する」。それをまっすぐに、自分自身にも地球上のすべての人に向かっても、絶対の確信と自信をもって言い切れるのか。もし言い切れないのならどうなるだろう。
 質問者はもういない、自分だけが残されたその場所で、いいしれない不安が忍び寄ってこないだろうかそのとき「極楽浄土があると絶対の確信をもって言い切れないため、不安にさいなまれる自分」をまっすぐに見つめること、それが「仏教再生」にむけての最初の第一歩にはならないだろうか。


 私は、禅宗の伝統のもとで日本仏教の僧侶としての修行を始めた。そこでは浄土系仏教において「浄土」にあたるのが、「人間は最初から悟っている」という教えだった。われわれは本来的に悟っているから、いまから一生懸命に修行して遠い場所にある覚りにいたるのではなく、もともとある覚りの上で修行してゆくのだと教えられた。
 私はもう悟っているのか。不思議な言説に思えた。なぜなら、この私のなかでは常にネガティブな感情がわき、いくら坐禅をしても思考はとまらなかったからだ。朝から晩まで坐禅をする接心という修業期間中、自分の心が際限なくどうでもいいことを、考え続けるのをあきれてみていた。
 どこをどう考えても私は「もともと悟った人間」ではない。それはあまりにも明らかだった。なのに、周りでは誰もその矛盾に悩んでいる人はいなかった。私と違い彼らは坐禅のなかでも日常生活でも、まったくネガティブな感情がわかない人たちなのだろうか。そうではないことは、一緒に暮らしていてすぐにわかった。ではなぜこの矛盾に誰も苦しまないのだろう。教えは教え、自分は自分という割り切りなのだろうか。
 そのころより自分の仏教に対する態度がかなり特殊であることに気づき始めた。私にとって仏教というのはなによりも「自分の苦しみを解決してくれるはずの薬」であった。知的好奇心の対象でも、教養を高めるためのものでもなかった。
 十代のころより世間の価値観とそれに基づく生き方そのものが人間を不幸にしているとしか思えなかった私は、「もう一つの生き方」を必死になって求めていた。なかなかみつからなかった。現状を否定しながらその代わりになるものがない、という宙づり状態が長い間続いた。大学の卒業間近になりながら進路も決められずにいた私の前に、突如ある光が差し込んだ。曹洞宗僧侶の内山興正老師(1912~98年、沢木興道老師の弟子)が目の前に現れたのだ。


 老師が他の仏教の先生と根本的に違っていたのは、ご自分がもともと「患者」であることを、正直に公言されていた点だった。元患者である方が病を克服して、いまは「医者」として現在の患者の治療に当たっておられる。そのすっきりした道筋がなんともまぶしかった私は、この名医の指導のもとに患者として自分の治療を始めた。

青空へ抜けてゆく
身体通し心配を手放す [下]

 私の師である内山興正老師が、ご自分が元患者であることを公言されたのは、仏教の先生としては珍しいと前回に述べた。確かに珍しい、ただし日本では、である。日本の外では、そもそも仏教の開祖であるお釈迦様ご自身が「元患者」ではなかったか?
 これはとっぴな意見だろうか。出家前、シッダールタ王子としての宮殿での生活の様子が、さまざまな経典のなかで描かれている。王子はひたすら「患者」として苦悩されていた。でなければ苦しみからの解放を求めて、全てを捨て森のなかを6年もさまよう必然性はなかったろう。その修行の果てにブッダガヤの菩提樹の根元で苦しみのない世界を発見された。ようやく「患者」を卒業し仏陀(目覚めた人)になられたのだ。
 仏教というのはもともと、患者として苦しみ抜いた人がその病を根本的に乗り越えたあとに、「元患者の医者」として自分の後輩にあたる患者を治療してゆくのが本筋だとわかるだろう。内山老師はまさに仏教の王道を歩まれた。


 では仏教の王道の治療とはどういうものだろうか。まず治療の第一歩として、われわれの苦しみの原因が指摘される。それは自分のなかの止まらない思考とそれに伴って生じてくるネガティブな感情であると。世間の苦しみの理解と真逆の考え方である。
 例えば、「心配」について考えてみよう。われわれのなかにしつこくわき起こってくる心配。それは常に「何かに対する心配」というかたちをとる。自分の健康状態、将来の生活、仕事の成否などが心配の対象となる。われわれはその「心配の対象」が自分の苦しみの原因だと思いこむ。だから必死になってそれらをコントロールしようとする。でも世の中のほとんどのことはコントロールできない。その結果、もう心配が止まらない。苦しみも止まらない。われわれにできることは、せいぜい誤訳やアルコール、時にはドラッグまで使って気を紛らわすこと。でも、気は紛れはしない。
 仏教は真逆の見方をする。あなたの苦しみの原因は「心配の対象」ではなく、「心配そのもの」だというのだ。発想がコペルニクス的に反転している。「心配の対象」はコントロールできなかった。だから苦しみも止まらなかった。でも「心配そのもの」はどうだろう。心配は自分のこころの動きそのものだから、なんとか自分のコントロールの範囲内ではないのか。なんだか希望が湧いてくる。「心配の対象」はどうにもならなくても、「心配そのもの」はどうにかなりそうだ。でも慎重にやらなくてはならない。いくつもの落とし穴がぱっくりと開いているから。
 まずは心配の抑圧。心配を無理やり押さえつけること。その結果ますます心配になることは経験者ならみな知っている。次に心配から目をそらすこと。これは現実逃避にすぎないから、現実のほうがしつこくわれわれを追いかけまわして逃がしてはくれない。
 抑圧でも逃避でもなく、ではどうすればいいのか。それは心配を手放すこと。その手放しのためにもっとも有効なのは、自分の身体の微細な感覚をみること。自分の身体というもっとも身近なところに、開放への扉が開いている。現在、多くの仏教瞑想の指導者だけではなく、セラピストの人たちの関心もこのあたりに絞られてきている。
 ためしに目をつぶって、手のひらを膝の上に置きそれを感じてみよう。最初は何も感じられず、心は明日の重要なミーティングの心配を始めるかもしれない。そのことに気づいたら、また手のひらに戻ろう。だんだん不思議なことが起こってくる。最初は手のひらの表面がぴりぴりし始め、さらに手のひらの奥で微細なエネルギーが動き始める。その流れはやがて微細な感覚の海となる。その海へ飛び込んでみよう。そのとき、われわれの思考も、心配をはじめとする一切のネガティブな感情も、自然と止まっているだろう。こころは鏡のようになり、リアリティーをありのままに認識している。別の次元が現れ、その先に無限の深さをもった青空のような世界が開かれている。


 「極楽浄土は実在するのか?」。いくら経典を読んでも、いくら理論を重ねても、どうしても確信をもって答えられなかった。では今はどうだろう。この世界とは次元を異にする何かが、どうやら実在する。この自分自身の身体の微細な感覚を通してそれをリアルに実感できる。その「青空の世界」で、ようやく患者を卒業するときがきたようだ。

やました りょうどう やました・りょうどう 1956年、東京都生まれ。鎌倉・一法庵住職。東京外国語大卒業後、曹洞宗僧侶に。88年、米国ヴァレー僧堂で布教を開始。京都曹洞宗禅センターで外国人に坐禅指導。2001年ミャンマーでテーラワーダの比丘(僧侶)となり、日本人初のパオ瞑想メソッド修了者に。日本各地、インド、台湾、韓国などで坐禅瞑想を指導。著書『アップデートする仏教』(共著、幻冬舎新書)。