やまと言葉で思索する
竹内 整一 たけうち・せいいち 2012年11月24日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
 [上]

 私自身もそうであるが、ときとして人は、生きる意味とは何かといったようなことを考える。今自分のやっていることが何か無意味に思えたり、このままでいいのかと考えたりすることがある。
 しかし、われわれは、何かに熱中しているときには、じつはそんなに考えていない。サッカーに夢中になり、音楽に聴き惚れているときには、自分は何のためにこうしているのか、何の意味があるのか、などと問うてはいない。まさに我を忘れて、やっていることに没頭して楽しんでいるだけだろう。生き生きと生きているときには、そうしたものであり、それですんでいる。
 「ほれる」とは、もともと「心が朦朧もうろうとなり思考力・判断力を失う」という意味であり、それが、「思いをかけて心を奪われる」という恋慕の意味としても使われてきた言葉である(『岩波古語辞典』)。また、「惚」は、立心偏りっしんべんは「心」の意で、旁つくりは「心と、なにもない意と音を示す勿とから成り、もと、ぼんやりする意」である(『新字源』)。
 だから、できれば考えなくてもいい。むしろ、考えずにいられるような、惚れられるもの、夢中になれるものをどれだけ持てるかということが、その人の人生のゆたかさを左右すると言ってもいい。
 が、問題は、われわれは必ずやつまづく、うまくいかなくなるときがあるということである。どんなに惚れていても、相手が受け入れてくれないかもしれないし、自分があきてしまうこともあるかもしれない。その他、いろいろ都合の悪いことが出てくるかもしれない。


 だが、それは、われわれが絶対でも万能でもない、有限な存在であるかぎり、当たり前のことである。だからこそ、そこに、考えるということが、またそのことによって、よりよくなるように努めることが求められてくるのである。「人は努力するかぎり迷うもの」(ゲーテ)であるならば、迷い続け、考え続けるのが人生だということにもなる。
 「かむがふ(考ふ)」とは、もともと「力は、有り力・住み力の力。所・点の意。ムカフは両者を向き合わせるの意。二つの物事をつき合わせて、その合否を調べ、ただすの意」である(『岩波古語辞典』)。事柄をあれこれつき合わせながら、具体的に明らかにしていくことである。
 また、「おもふ(思う)」は、「胸のうちに、心配・恨み・執念・望み・恋・予想などを抱いて、おもてに出さず、じっとたくわえている意が原義」である(同)。


 つまり、「かんがえる」・「おもう」とは、決してただ抽象的に理論・理屈をいじりまわすことではない。詩人の長田弘が言うように、「考えるということは理屈をつけることではなく、深く感じるということである。深く感じる力を自分の中に育てられないと何も見えてこない」―。それは例えば、「彼のことを思う」の「思う」というようなことでもある。「深く感じる」ということが、基本だということである。
 そしてそのとき、考えるということと同時に、どうしても必要なのは、学ぶということである。「まなぶ」とは、外にあるものを「まねぶ」こと、まねをして自分のものにすることである(「ならう」も同じで、なれによって自分のものにすることである)。学ぶことがなければ、考えることもできない。また、考えることがなければ、何を学んでも意味がない。
 「学んで思わざれば則すなわち网くらく、思うて学ばざれば則ち殆あやうし(学んでばかりいて自分の頭で考えないと何も見えてこないし、自分だけ考えているばかりではひとりよがりになって危険だ)」とは、『論語』の永遠の金言である。
 学びながら考え、考えながら学ぶことにおいてのみ、自分自身の生きる意味が何らかの手応えや味わいを持ってくるということであろう。
 "意味"とは、本来、字義どおり、「物事の、深みのある趣、含蓄のある味」の意である(『日本国語大辞典』)。

「おのずから」と「みずから」
自分の力超えた感受性[中]

 われわれはしばしば、「今度、結婚することになりました」とか「就職することになりました」という言い方をする。そうした表現には、いかに当人「みずから」の意志や努力で決断・実行したことであっても、それは「おのずから」そう"なった"とする受けとめ方のあることが示されている。
 日本語では、「おのずから」と「みずから」は、ともに「自(ずか)ら」である。
 「みずから」したおとと「おのずから」なったこととは別事ではないというような理解が、そこにはある。
 「できる」という言葉にも同様の事情をうかがうことができる。「出来できる」とは、もともと「出で来る」という意味であり、ものごとが実現するのは、「みずから」の主体的な努力や作為のみならず、「おのずから」の働きにおいて、ある結果や成果が成立・出現することによって実現するのだという受けとめ方があったがゆえに、「出で来る」という言葉が「出来る」という可能の意味を持つようになったとされている。


 このような言葉遣いや受けとめ方のあるところでは、ややもすれば、人生やこの世のもろもろの出来事は、われわれの思いどおりにならない「おのずから」の働きで成り行くのであって、「みずから」にはどうすることもできない、したがってまた責任もとりえないといった考え方も生まれてくることもある。
 「結婚することになりました」という言い方が、文字どおり"成り行きでそうなった"という意味で語られたとすれば、もしその結婚がうまくいかず離婚という事態をむかえても、それもまた「今度、離婚することになりました」と、同じような、当事者不在の意味合いで語られてしまうことだろう。
 日本人の発想のこうした傾向は、丸山真男が「無責任の体系」と言い、山元七平が「空気」と言って批判したところでもある。また、このたびの福島第一原発の国会事故調査委員会が、事故の根本原因は日本に染みついた悪しき慣習や文化にあったと批判したところの根にある問題でもある。
 ならば、そうした言葉遣いのすべてがそうした無責任な成り行き主義で語られているのかというと、必ずしもそういうわけではない。
 例えば、どんなに「みずから」努力しても、結婚する相手に出会うということは、その努力を超えているだろう。自分の力のおよばない不思議な働き、―縁とか偶然とか、まわりの手助けとか、そういうものの中で、人は人に出会うのであるし、また出会った後にも、さまざまな幸・不幸の出来事のさきで、やっと結婚という事態にいたるのである。「結婚することになりました」とは、そうした、自分の力を超えた働きへの感受性の表現でもある。


 「しあわせ」とは、もともと「為合いあわす・仕合わす」という言葉からきたものである(『日本国語大辞典』)。つまり、本来は「みずから」の努力によって、「うまく合うようにする」という意味の言葉であった。が、やがてそれが「しあわせ」という名詞として使われるようになると、「めぐりあわせること、運、なりゆき、いきさつ」といった意味合いの言葉になってくる。
 そこには、結果としての「しあわせ」は、われわれの力だけではない、それを超えた働きに大きく左右されるものだという受けとめ方があることが示されている。
 つまり、「しあわせ」とは、われわれ「みずから」の「為合わす」努力を基本にしながらも、それと同時に、「みずから」を超えた「おのずから」の働きを祈り、待つというところに招来されるものだということである。
 以上のような言葉遣いには、人生やこの世のもろもろの出来事というのは、単に「みずから」の営みだけではなく、また、かといってむろん、単に「おのずから」の働きだけでもなく、まさにその両方のせめぎ合う「あわい(あいだ)」においてこそ起きているのだ、という日本人の大事な知恵を読みとることができるように思う。
 日本の文化や芸術の、一見消極的・受動的に見えて、しかし、しなやかで繊細な、また柔軟・多彩な表現は、そうした感受性において育てられて来たということができるだろう。

「花びらは散る」と「花は散らない」
生者死者の関係を表現 [下]

 昨年、『花びらは散る 花は散らない』)(角川選書)という本を上梓じょうしした。仏教思想家・金子大栄の「花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ」という言葉を考察したものである。
 この言葉は、(金子自身は、ほとんど説明していないが)「あらゆるものは実態なく移りゆくが、そのことを悟れば、それらはそのままに実在である」という、仏教の「色即是空 空即是色」という考え方にもつながるし、より一般的に、「死は生きている存在のすべてを破壊するが、生きたという事実を無と化することはできない」(ジャンケレヴィッチ『死』)というような考え方にもつながる。


 そして、そこで肝心なことは、それが、抽象的にではなく、より具体的な死者と生者の関係性として語られているということである。
 生者は死者の死を「悼む」。「悼む」とは、もともと、自分の体や心が「痛む」ということ、人の死に接して自分の心が「痛み」、それを嘆き悲しむということである。漢字の「悼」は、「心と卓(ぬけでる意)とから成り、気が抜け落ちたような悲しみの意を表す」と説明されている(『新字源』)。
 「いたい」という感情は、自分一個にとどまるものではない。それは、他者の「いたみ」を思いやる「いたましい(いたわしい)」という感情に広がり、さらには「いたわる」というところへと広がっていく。ケアの倫理一般においても重要な意味を持つ言葉の広がりであるが、ここでの他者とは死者のことである。死者を「悼む」ことは、まずもって、自分が「痛む」ことが基本だということである。
 哲学者の西田幾多郎は、愛娘まなむすめを失ったとき、「人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという、しかしこれが親にとっては堪え難き苦痛である。…何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我わが一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。…この悲は苦痛といえば誠に苦痛であろう。しかし親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである」と述べている(『思索と体験』)。
 「思い出してやりたい」というのは、その「思い出し」の中で、死者をその人自身として受けとめてやるということである。それがいかに「苦痛」であろうと、そうした生者の「いたみ」を通してしか、死者はその存在をこちら側に現すことはできないのである。
 「痛み」において死者に出会うという「悼む」という営みは、そのまま「弔う」という営みでもある。「弔う」とは、「訪う」こと、「問う」ことである。死者の思いを訪れ、問い尋ねて聴いてやることである。葬式などで、この人はこういう人だった、こんなことを言っていた、こんな一面もあったとか、さまざまに思い起こしながら話題にするということにも、そのような意味合いがあるだろう。


 能という、日本を代表する芸能は、いわば、そうした「とむらい」や「いたみ」を主題として表現する装置である。その演目の多くは、生前どうにもならない悲しみや苦しみを抱いたまま真で亡霊となった者がシテ(主人公)である。そうしたシテのところに、ワキ(傍役)の僧が訪れ問うことによって、シテがこの世に残した思いが嘆き届けられ、再現されるというスタイルとなっている。
 ワキが「とむらい」「いたむ」ことにおいて、その死者の思いは、観客らにあらためて理解され記憶されるのである。そうすることにおいて、死者が生きて咲かせた「花」が「花」として荘厳しょうごん(飾られること)されるのである。
 と同時に、この金子の言葉において大切なのは、その「散らない花」とは、生者の側が死者に働きかけるだけではなく、死者の側が生者に働きかけてくる何らかの働きによって花開くものとして考えられているということである。
 この言葉の直前に金子は、「思ひ出に還り来る祖先はみな仏となりてわれらを安慰せらるゝ」と、死者は「仏」となり、それゆえそれは、ときに「和やかなる光」ともなって、自在にまた無碍むげに、生者を慰め護まもることができると述べている。宮沢賢治は、牧草のチモシイをゆらす風の中に、死んだ妹・トシを感じとろうとしていた。
 「花びらは散っても花は散らない」とは、生者と死者の、そうした双方向の関係性の表現ということができる。

たけうち・せいいち 1946年、長野県生まれ。東京大倫理学科卒。現在、鎌倉女子大教授、東京大名誉教授。専攻は倫理学・日本思想史。著書『「かなしみ」の哲学』(NHK出版)『やまと言葉で哲学する』 (春秋社)など多数。