大悲 ものうきことなし
竹村 牧男 たけむら・まきお  2009年12月19日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
背く我々を追いかけ 包み込む絶対者の愛 [上]

 鈴木大拙は、ちょうど第二次対戦が終わる直前に『日本的霊性』という本を出しました。父性に対する母性的なもの、あるいは天に対する大地のことが、『日本的霊性』の一つのテーマでした。大地はありとあらゆるものを自分の上に載せ、どんな汚いものでも受け入れて、しかも浄化していく。そこに大悲の働きの革新がある。そういう大地性に触れることから、本当の宗教が開けてくる。教徒の殿上人てんじょうびとにはこの世界はわからない。大地を鍬くわで耕す関東の農民たちであって初めて、そうした大地性の中の霊性を自覚しえたのだ、と大拙は強調しています。
 この本の中で大拙は、「日本的霊性」に関して、次のような趣旨のことを説いています。「親鸞は、罪業ざいごうから解脱げだつすることを説かない。宿業しゅくごうの繋縛けばくからの自由を説かない。この娑婆しゃば世界の苦悩に満ちた存在をそのままにして、阿弥陀仏あみだぶつの絶対的な本願力のはたらきに一切をまかせるというのである。ここにおいて、阿弥陀仏と親鸞一人との関係を自覚するのである。絶対者の大悲は、善・悪、是・非を超えていて、人間の小さな思い、人間のわずかな善・悪の行為などでは、それに到達するべくもない。ただ、この身にそなわると考えられるあらゆるものを、捨てようとも、保とうとも思わず、自然法爾じねんほうににして大悲の心に浴するのである。これが日本的霊性の上における、神ながらの自覚にほかならない」


この大拙と非常に親しく、心からの友であったのが西田幾多郎です。西田が若い頃、ひたすら禅に打ち込んだ背景には、大拙が円覚寺で禅の眼を開いたことを聞いたということがありました。西田の禅修行は、実に徹底したものでした。西田の処女作、『善の研究』の「純粋経験」の背景には、禅体験があるといわれるのも当然のことです。
 というわけで、西田は禅の人と思われがちですが、母親は篤信とくしんの浄土真宗の門徒だったのです。幼い時からその母の薫陶くんとうを受けて、無意識のうちに真宗の教えが西田の血肉になっていました。それが最晩年に甦よみがえってくるのです。
 西田の最後の論文に「場所的論理と宗教的世界観」があります。大拙がいう「弥陀なる絶対者と親鸞一人との関係」、宗教哲学の世界で言えば、絶対者と自己との関係を解き明かし尽くしたのが、この論文ではないかと思います。この中で西田はこう言っています。「絶対者はどこまでも我々の自己を包むものであるのである。どこまでも背く我々の自己を、逃げる我々の自己を、どこまでも追い、これを包むものであるのである。即すなわち無限の慈悲であるのである」


 西田は宗教に対してこういう感覚を持っておられたのです。背く我々でさえ追いかけて包む、それこそが本当の絶対者というものなのだと。とすれば、西田は宗教の本質というものを、大拙と同じところに見ていたようです。
 西田はさらに、「絶対者は何処どこまでも自己自身を否定することによって、真に人をして人たらしめるのである」とも言っています。自ら無になることによって、真に人を救うのだと。これはなかなか興味深い考えだと思います。仏教の根本に空性の世界、すべてを空化してやまない世界があるのと同じように、西田の宗教哲学の根底には、絶対無があるのです。それはしかし、単なる虚無ではなく、むしろ人間を人間たらしめる愛のことであり、大悲の心のことでもあるのでした。
 私の禅の師、秋月龍みん(たまへん+民)りょうみん老師は、「初めに大悲ありき」といいました。根源にあるものは、ロゴス(理)ではなくアガペー(愛)であるというのです。そういう自己の根源を、なんらかのかたちで自覚しえた人は、究極の安心と、むしろ他者への慈悲の思いに生きることになるでしょう。

衆生を導き救い取る [下]

 「鈴木大拙や西田幾太郎きたろうのはるか昔に、大乗仏教の経典は、もっぱら、仏さまの大悲の心が自己の根底にはたらいていることを語っていたと思います。まず、『華厳けごん経』の「性起品しょうきはん」には、次のようにあります。
「 衆生しゅじょうには、私の智慧ちえがそっくりそのまま存在している。しかし衆生はどういうわけかこのことに気づきえないでいる。だから私はまさに彼の衆生をして、その仏の覚さとりの智慧を覚らせ、みんなの衆生を妄想顛倒てんどうの苦しみから完全に離れさせ、如来にょらいの智慧が自己の内にあることをはっきりと見させて、仏と異ならないようにさせよう」。こうして仏さまは、無明むみょう・煩悩ぼんのうのために自分で自分を開きえない衆生にはたらきかけて、その人の自己の真実に目覚めさせたというのです。
 これと同じことを『法華ほけ経』もまた説いています。
『法華経』「譬喩品ひゆほん」には、有名な「三車一車の喩たとえ」話があります。ある長者の邸宅が火事になった。その家の三人の子どもたちは遊びに夢中になっていて、火事に気づかない。危ないから出ろとストレートに言っても、遊びに夢中の子どもたちには言葉が届かないのです。そこでこの家のお父さんは一計を案じて、お前たちが昔から遊びたいと言っていた羊のひく車と鹿しかのひく車と牛のひく車、羊・鹿・牛の三車が門の外にあるから、それで遊んだらどうかと呼びかけると、これには子どもたちも反応して、一目散にその火事の家から門の外に出て来ます。しかしそこに三つの車ともなかったのでした。子どもたちがお父さんに、さっきくれると言ったものをくださいと頼みますと、お父さんが、一大白牛車、白い堂々とした牛がひく、立派な飾りの車をみんなに等しく与えたというのです
 これは仏さまが衆生を声聞しょうもん乗、縁覚乗、菩薩ぼさつ乗(小乗と大乗の三つの道)で誘導して、最後に完全な教えの『法華経』をみんなに等しく分け与え、その覚りの世界に到達させるということの喩えになっています。この譬喩がいかなる意味であるのか、このあと経典自身が解説していくのですが、そこにはたとえば、衆生の姿について、次のようにあります。
 「諸もろもろの衆生を見るに、生・老・死・憂・悲・苦・悩のために焼かれあるいは煮られ、また、物やお金等への愛着のゆえに、種々の苦を受けている。また、貪むさぼり、欲望を追い求めることから、現世には多くの苦を受け、来世には地獄・畜生・餓鬼に生まれて激しい苦を受けるであろう。もし来世に天上に生まれ、または人間に生まれれば、貧窮びんぐ・困苦、愛別離苦あいべつりく、怨憎会苦おんぞうえくという、そうした種々の苦があるであろう。衆生は、その中にどっぷりつかって、しかも歓喜し遊戯して、本来、苦に満ちた存在であることを分からず、知らず、驚かず、怖おそれず、また厭いとうことをせず、解脱を求めることもない。この三界の火宅において、何かを追い求めて東西に走り回って、大きな苦しみにつかっているにもかかわらず、それをわずらいとしないでいる」。
 このゆえに仏さまは、「われは衆生の父なので、まさにその苦難を抜き、無量無辺むりょうむへんの仏の智慧の薬を与え、それに遊戯させよう」と思い、そのことを実現したといいます。


 多くのさまざまな苦にどっぷりつかりつつしかも欲望の充足を喜んでやまない衆生とは、まさにこの私自身の姿です。このように、我々は煩悩にまみれてどうにもならない人間だということが、『法華経』の中にもきちんと指摘されているのです。仏さまは父の立場で、自分の方から衆生に働きかけて、なんとか救い取ろうとしてくださっているのです。
 というわけで、『法華経』は「大悲の仏」こそをテーマとしているといえます。その一乗思想(どんな人にも仏になれるという思想)は、誰もが仏性を有していることを語るのみでなく、自分を開き得ない、苦悩する衆生をなんとか救おうとする仏さまがいることを語るものなのでした。かの『華厳経』もほぼ同じことを説いていました。浄土教の『無量寿経』は、阿弥陀あみだ仏がなんとかして凡夫を極楽浄土にひきとり、あるいは救いとろうとされるその一心(本願)を語るものです。とすれば、大乗仏典の教えというものは、いずれの経典であっても、おそらく本質的には何も変わらないと言えるのではないかと思います。
 『法華経』の「信解品しんげほん」には、「われは本、心にねがい(りっしんべん+求むる所有ること無かりしに、今、この宝蔵は自然じねんにして至れり」とあります。さまよう者も、絶えず仏さまの導きをいただいて、ついに仏とさせていただいたというのです。親鸞の自然法爾じねんほうにと一つです。平安末の源信はその著『往生要集』に「大悲ものうきことなし、常に我が身を照らしたもう」と語りましたが、ここに日本的霊性、大乗仏教の根本、否、宗教の核心があるのではないかと思うのです。

たけむら・まきお 1948年、東京都生まれ。東大文学部インド哲学科卒。文化庁専門職員、三重大助教授、筑波大教授を歴任。現在、東洋大教授、同学長。専門は仏教学、宗教哲学。著書に『インド仏教の歴史』(講談社学術文庫)『入門 哲学としての仏教』(同現代新書)など多数。