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原田雅彦(はらだ・まさひこ)

■1968年北海道上川管内上川町生まれ。東海大学第四高等学校卒業。雪印乳業所属。小学3年生よりスキーをはじめ、ノルディックスキー純ジャンプの選手として中学生の頃から天才の名を欲しいままにする。全国中学生大会、インターハイを制して高校3年生の時にワールドカップ (W杯)に初参戦。91年V字スタイルをマスターし、世界のトップクラスの仲間入りを果たす。95年12月に27歳でW杯初優勝し、このシーズン4勝。97-98年には5勝し、現在通算9勝。

■危うさと成功の可能性を秘めた一際高い飛行曲線が特徴。94年のリレハンメル五輪団体戦でみせた失敗ジャンプで、一般にもその存在を知られるようになる。お調子者ぶりが評判であり、浮き沈みが激しくチームの足を引っ張るかと見せかけて好成績を残すなど、何をしでかすか予想できないところも魅力といえるだろう。観客を常に意識した彼の華々しい活躍によって、生きる勇気、明日への希望を与えられるファンは少なくない。頼りになる日本のエースはすっかりまちの人気者である。「マスコミは嫌いではない」と公言しているとおりサービス精神が旺盛で、オフには講演活動のほかTV出演を数多くこなし、お茶の間のご機嫌をうかがっている。

■96−97年は前半あまりの不調のため第11戦よりW杯海外遠征メンバーから外れ、しばらく国内で試合に臨みながら調整を続けるという試練を経験したが、3月ノルウェー・トロンヘイムで行われた世界選手権大会では、日本人初の快挙となるラージヒル優勝を達成。そして、'97FISサマーグランプリ大会(全5戦)においては、けがで最終戦を欠場したものの4戦3勝で総合優勝し、圧倒的強さを披露した。その勢いを冬につなげることができ、またランディング(着地)の際にテレマーク姿勢をいかにうまく決めるかという課題も克服しつつあり、97-98年シーズンはW杯5勝、自己最高の総合4位。4年前の雪辱戦となった長野オリンピックではまさに劇的な団体戦優勝をみちびいた。

■2000年に所属企業の雪印が不祥事を起こし、今後、同社スキー部ジャンプ部門の選手数削減も考えられる。ここ数年はW杯の優勝から遠ざかり、個人戦の表彰台にも2年間上がっていない。目標は勝利。正念場だ。

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02/12/12