さくらんぼの君(長文)

さくらんぼの季節が来ると思い出す人がいる。
私が、ようやく看護婦の仕事を覚え、
患者さんと心を通わせられるようになり始めた頃に担当する事になった患者さん。

戦時には衛生兵見習いをしたという男性で、さくらんぼ農園を営んでいた。
入院した時から、奥さんがこまごまと身の回りのことをしていて、
いかにも家の中では中心に居ただろうと思わせるだけの雰囲気を醸し出していた。
日々の会話でも、自分の意見を退ける事はなく、太い、大きな声で主張しまくる。
担当した二人の医師も、ネーベンと言われる年上の医師ばかりを信頼し、
「その先生じゃないと」と、休日でも医師のリクエスト。
患者としてしちゃいけない事ではないけれど、ちょっとわがままで頑固な患者さんよね、
という共通認識が病棟内に浸透してきた頃。
私に「彼を担当して」と、先輩看護婦からの声がかかった。

彼の病室に行き、「私が担当になります」と挨拶。
彼は少し驚いたような表情になり、それから
「そうかそうか!よろしく」
と笑った。私は拍子抜けした。
医師を選んだように看護婦をも選び、ある程度キャリアのあるベテランでなければ、
と拒否されるかと思っていた。
意外にも、ひよっこの私が、彼のお目にかなってしまったらしい。
ダメもとで担当し始めた私を、どうやら彼は気に入ってしまったようだった。
私は、勤務日には時間を見つけては担当の患者さんと話をする。
彼の場合、まめに通ってきている奥さんと3人で話す事もあったし、
それに息子さんが加わって、さくらんぼ作りの講習会になってしまった事もあった。
「ウチのさくらんぼは実が大きくて甘いんだ。」
そう言って自慢気に腕を組む彼を知って、「ただわがままな患者さん」なだけではない、
彼の一面を見た。
その時彼は長年仕事をしてきたプロであり、
また、さくらんぼを息子に預ける父親であり、上司だった。

ある日、彼に告知する事が決まった。
彼は癌だったが、それは家族と医療関係者だけが知る事だった。
彼には、精密検査中と話されていたし、彼もその言葉を信じて検査を受けていた。
告知は、彼の家族と医師の判断だった。

告知する際には、患者の心が大きく揺れ動く為、慎重に進められる。
特に、入院してからも威勢よく頑固な主張を通していた彼の性格を考え、
告知後の対応を綿密に行う計画で進められた。
レントゲン写真や検査結果を示し、静かに説明する医師の前で、
静かに説明を聞く彼。
説明が終わり、病室に帰るその後ろ姿は、がっくりとして淋しそうだった。
けれど、どこかすっきりとした印象も受けた。
家族が帰宅した頃を見計らって病室へ向かい、彼の話を聞いた。
彼は、涙ぐみながらも、病気を受け入れたと語った。
私は話を聞いてそばに居た。
私にできるのはそれだけだった。

それから、彼は静かになった。
機嫌を悪くする事も少なくなり、静かに治療を受けた。
私はなんだか少し淋しくなって、
入院当初の、勢いがあって元気なわがままな彼が懐かしくなった。

一旦は治療を終えて退院した彼だったが、ほどなく再入院となった。
2度目は隣の病棟に入院となったが、仕事を終えた私は挨拶に行った。
少し痩せてしまった彼は、私を見ると酸素マスクの下で、にやっと笑った。
目元にはじんわり涙が滲んでいた。
手を挙げて挨拶すると、
「久しぶり」。
私もにこっと笑った。
何故か私の胸はあったかくなった。
あの頑固一辺倒の彼が、苦しい中、笑いかけてくれている。
涙が出そうで、胸が苦しくてたまらなかったが、
プロなんだから…と、自分に言い聞かせ、頑張って笑顔を作る。
主治医から、今回の入院を最期に、
もう彼が生きて自宅に帰れないだろう事を聞いていた私は、
彼が笑顔を見せてくれる位の関係を築けて、心から幸せだ、と感じた。
「時々、顔を見せに来ますから。」
「俺も車椅子ででも顔出しに隣に行くからよ!」
言葉だけは以前通りで元気だ。

その後間もなく彼の状態は急変し、約束は果たせないまま、
私は、物言わぬ静かな退院を見送った。
頑固な彼に、私は看護婦として患者さんと心通わせる喜びを教わった。
私の中で、一生忘れられない「さくらんぼの君」なのだ。

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