人は生きてきたように死を迎える

私は、看護学校卒後すぐ、実習先でもあった病院に就職しました。
面接の時には、一応希望する病棟の名前を聞かれましたが、まさか本当に希望通りに配属されるとは思ってもみませんでした。
その病棟は老人が多く、また、悪性腫瘍の患者さんがほとんどでした。
私の、学生時代のその病棟の看護婦さんのイメージは、「学生の話も、患者さんの話も良く聞いてくれる病棟」でした。
実際そこで勤務してみると、なんで看護婦さん達がよく話を聞いていたかがすぐにわかりました。 その病棟で死を迎える患者さんが比較的多いのです。先にも書いたように、悪性腫瘍の患者さんが多く、何度か治療の為の入退院をくり返しながら、次第に死へと近付いて行きます。
いわば、ゆっくりと死を迎えられる為の入院生活を手助けしているわけです。それには、良く話を聞かなければなりません。
人生の最後を迎える患者さんのケアを、「ターミナルケア」と言います。医学用語ですが、なんとなく、語感は伝わりますよね?
はっきりと、この患者さんにはターミナルケアを、と考えて看護できる場合もありますが、そうではない場合もあります。
たくさんの患者さんの中には、自分が死に向かっていることを知っている患者さんもいます。
もちろん知らないで、いつもと同じ毎日だと思って過ごしている患者さんもいます。

けれど、一日一日が、とてつもなく重く意味を持つ時間です。
私は状態が悪くなる患者さんのケアにあたる度に、
「今、私がしているケアはこの患者さんにとって最後のケアになるかも知れない」
そう思っていました。そうすると、自然と患者さんをよく看ます。
このごつごつした手は力仕事をしていたのかしら。そう思って奥さんに聞いてみると、やっぱり果樹農家で、病気が見つかるまで休む暇なく仕事をしていた、と聞いて納得したり。
笑いジワが深いけれど、良く笑うお父さんなのかしら、病室ではあまり笑わないけれど・・・。
奥さんに聞くと、娘さんにはとても甘くていつも目尻が下がっていた、なんてこともありました。
患者さんをよく知っていくと、自然と家族の方ともコミュニケーションがとれていきます。そして、いろいろな角度で患者さんを知っていきます。
そして、ようやく患者さんのことを知ったと思うと、人生がもう最後のステージに来ていたりします。

亡くなっていく患者さんの病室には、個性があります。
家族だけに看取られて亡くなっていく患者さん。
お孫さんが一人残らず訪れて、たくさんの人に看取られて亡くなる患者さん。
絶縁されているからと、たった一人で亡くなっていく患者さん。

「人は、生きてきたように死を迎える」
ターミナルケアの本で読んだ言葉ですが、まさに、その通りです。
私はそれを知っているからこそ、しっかり生きたい。
私は理想の死の迎え方がありますが、その為にも、それに相応しい生き方をしたい。
日本では死を語ることがタブー視されていますが、もっと自分や身の周りの死について語ったり、考えたりすべきです。死を知れば、おのずと生き方も変わります。
私も、人生を終える時には、生きてきたように死を迎えたいものです。

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