元騎手・故 茂木光男(モギミツオ)日本中央競馬会】のこと
山形県西村山郡河北町谷地長表(ながおもて)出身
落馬のため殉職した昭和35年は1月17日〜4月9日までの短期間で14勝する。
昭和13年4月5日生まれ昭和35年4月10日死亡、22才までの騎手生命で27勝する。
こんな急成長した騎手は数少ないと聞いております。(下記サムネイル写真参照)
S34.12.12の3枚中2枚の写真が的中者なしの場合のレース結果と思われます。
予想外な勝利のため、投票なしの勝者となる。投票なしの場合の新たな配当ルールができた。
まさしく叔父は、突然桜の花と散ってしまった、昭和のスーパースターだった。
競馬史におけるキャリーオーバーのトリーガーとなった訳です。
※捨てられた外れ馬券を拾い集め1枚につき70円の払い戻し金を得た方がいたと聞いております。
この日の事はウィキペディア(フリー百科事典)で案内されております。(下記データ参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E7%A5%A8%E5%88%B8_(%E5%85%AC%E5%96%B6%E7%AB%B6%E6%8A%80)
の最下段脚注35・第6回中山競馬第3日・第1競走5番コイノボリ騎手茂木光男、第3競走5番ミヤリュウ騎手茂木光男
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%82%E6%9C%A8%E5%85%89%E7%94%B7
には茂木光男の経歴が記載されております。昭和35年4月10日落馬脳挫傷にて死亡。
【参考】
(志摩直人氏 著書「ある放蕩詩人の競馬三昧」P.56より引用)
 わたしは中山競馬場で昭和34年12月12日に的中者なしで儲けたことがある。12月の中山はその頃、霜柱が立って、とけはじめると馬場も重くなる・・・・・・・・・
 第1レースで早くも外した。5番コイノボリという馬が勝って、的中票は262票、第2レースでまた5番のコウリュウという馬が勝って、的中票は19票と、大きく減ってしまった。それでも19票もあれば第3レースで誰か的中票を手にする人がいるだろうと思っていた。ところが第3レースでまたしても5番ミヤリュウという馬がとびこんできて、ついに的中者なしという結果になった。・・・・・・・・・ (アリアドネ企画)発売 且O修社
                        【下部サムネイル写真中の拡大データ3点】
昭和34年12月12日第6回中山競馬


昭和34年12月12日第6回中山競馬


昭和34年12月12日第6回中山競馬

「ある放蕩詩人の競馬三昧」の文章に一部合わない部分があるどれが本当なのか?
             上記写真データが本当なのだろうと思っている。
                           【サムネイル写真はクリックすると拡大します】



S34.3.28

S34.4.12

S34.7.04

S34.7.12

S34.9.12

S34.9.26

S34.12.12

S34.12.12

S34.12.12

S34.12.19

S34.12.19

S34.12.27

S35.1.17

S35.2.20

S35.2.27

S35.2.28

S35.2.3.5

S35.3.6

S35.3.6

S35.3.6

S35.3.12

S35.3.13

S35.3.13

S35.3.20

S35.3.26

S35.3.27

S.35.4.2



昭和29年4月 山形県西村山郡河北町立谷地中学校 3年生の時
角川正則君と校庭木登り小中併設学校、山形県西村山郡河北町立谷地中部小学校前にて



同郷の山形県西村山郡河北町谷地長表出身には、調教師・茂木為二郎さんがいらっしゃいます。



















     故兄 茂木秀治 ・ 故母 茂木こよ(98歳)H24.2.19逝去 ・ 故父 茂木福治


故父 茂木福治は馬主でもあった。


【墓誌】 左から兄の秀治・父の福治・茂木光男(昭和35年4月10日死亡)
戒名は浄願院光阿櫻雄居士・光男が櫻と共に散った英雄と推測する




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