COLON県 (Provincia Colon)


PANAMA共和国の第二の都市を持つカリブ海に面した県。コロン市は香港に次いで、世界第2位の規模を誇る貿易港であり、フリーゾーンと呼ばれる免税問屋街があります。


ポルトベーロ (Portobelo) 〜歴史の証人と宗教のメッカ〜

Foto Portobelo2Foto Portobelo1

ここColon県にはコロン市から東に49kmの所に私がパナマで一番お気に入りの場所、ポルトベーロと呼ばれる町があります。アメリカ大陸に初めて出会ったコロンブスが1502年にここへ立ち寄り、このポルトベーロという名前もコロンブスによって名付けられました。ポルトベーロとは、スペイン語で「美しい港」を意味します。

この町はコロンブスから始まった西洋人の登場と侵略の歴史に何度も名前が出てくる町であり、スペイン人達が侵略した南米大陸にあったインカ帝国の金や財宝もパナマの地峡を渡り、このポルトベーロの税関を通ってスペインへと運ばれていったのです。そこで、スペイン人達は他国や盗賊からの襲撃を防ぐ為に巨大な砲台を持つ要塞を随所に築きました。まず、湾の入り口の南北に2ヶ所、湾内に2ヶ所、集落に1ヶ所。更に、南西約60km先にはサン・ロレンソ要塞を築きました。この要塞はあのイギリスの海賊ヘンリーモーガンにより1666年に襲撃され、壊滅的な打撃を受けましたが、今でもその要塞跡、砲台や砲門などが残っており、その当時を思わせてくれます。ここポルトベーロとサンロレンソ遺跡は1980年9月5日付けでパナマでは初めて、「パナマのカリブ海側の要塞群:ポルトベーロ-サン・ロレンソ」としてUNESCOの世界遺産に選ばれています。

パナマ市からはバスに乗って1時間半くらいで行けるので、私は月に一度は本を読んだり、スケッチをしに出かけていました。今でももう一度は行きたい場所です。なお、右写真のSan Fernando遺跡はボートで向こう岸に渡る必要があります。大抵ボートが数隻止まっていますので交渉次第で往復させてもらえます。


Foto Nazareno

ここポルトベーロにはもう一つ別の顔があり、パナマをそして中米を代表するものがあります。それは大変多くの人に敬い、信仰されているキリストネグロ(黒いキリスト)です。私はパナマに来る前にその存在を聞き、運河と共にキリストネグロに会う事に大変興味がありました。そこで勇んで初めてポルトベーロに行った時にはセマーナサンタ(聖週間)にあたってしまい、キリストネグロが収まっている扉が閉まっており、会うことは叶いませんでした。そして、2度目には念願の出会いを果たした訳ですが、その時には紫のマントをはおい、十字架を背負ったキリストの神々しさに少し圧倒されてしまいました。何故、キリストネグロなのかということに関しては諸説(私は2つほど聞きました)あるのですが、そのうちゆっくり紹介したいと思います。キリストネグロの像はIsla Grandeにもあります。
 このキリストネグロを祝う最大の巡礼が毎年10月21日に行われます。信者達は前日から思い思いの場所からそのキリストネグロが祭られている教会まで歩きます。私もまず1997年にほとんどの信者達がスタートする地点(教会まで33Km)からパナマ人の友人2人と歩きました。10月21日0:00丁度にスタートして歩く事7時間と20分。途中、ホタルや友人達(歩かないけど、キリストネグロにはお参りに行く為、車で移動しポイント、ポイントで私たちを待っている)に出迎えられながらの道のりでした。この巡礼は参加者がそれぞれ自分たちが思い通りのスタイルで関わっているのが印象的でした。若者達の中にはラジカセをかつぎ、歌いながら連れ立って歩いているものもいますし、キリストネグロの象徴である紫のマントを纏っているものや、十字架を担ぎながら歩くもの、パナマから約100Km以上歩くもの、そして四つんばいになりながら進むものなど様々です。普段は比較的静かなこのポルトベーロもこの日ばっかりは要塞跡や草むら、道路は横たわったり、座ったりして休憩するものであふれかえり、また教会にも沢山の人だかりがしていました。私は翌年も参加し、パナマ人数名と同じ地点から深夜にスタートし5時間程でたどり着きました。この年は翌日に仕事だったため、到着後、お参りをした後バスで戻り、寝ないで仕事場にいったのですが、さすがにつらかったのを今でも覚えています。

このキリストネグロは「ナサレノ」とも呼ばれているのですが、このナサレノを題材にした曲も多数あり、私はIsmael Riberaが歌う「El Nasareno」という曲(サルサです)がお勧めです。



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