墓地に至る道程

別に死ぬってわけじゃなく
生きていくことは、ゆるやかに死へ向かっているということ
そんなふうに、思っています



昭和52年・冬
某家の長女として誕生
ひとりっ子&初孫のセットで溺愛さる

昭和53年〜55年
風疹とリンゴ病に罹患
小児喘息発症。もともと体が丈夫ではなく、アレルギーもち
引っ越したようだが、本人はおぼえていない
3歳、保育所入所。内気で、利発的ではなかった
独りでトイレに行けない、食事を残すなどと問題が山積み

昭和56年
おたふく風邪と神経性周期性嘔吐症(自家中毒)に罹患。吐血。本人がいちばん驚いた
このときすでに、自律神経を患っていた
夏頃、父方の曾祖母がガンにて死去。はじめて人の死というものに出会った
幼すぎて、死というものがまだ理解できなかった

昭和57年・夏
伝染性軟属腫(水いぼ)に罹患
ピンセットで片っ端からつぶしていく、という療法だったため、あちこちから流血
これ以来、白衣に拒否反応(笑)
子供ってそんなもんね

昭和58年・4月
保育所卒園、小学校入学。同時に学童保育参加
ひとりっ子のせいもあり、なかなか集団生活になじめなかった
特に給食を食べたり、問題を解くのはとてもとろかった。いつもビリ
しょっちゅう微熱を出し、風邪をひくと肺炎になる
肺炎をくり返し、肺活量は人よりも少ない

昭和59年・2月
卵アレルギーでじんましんを出して、兵庫医科大学病院小児科(当時)に即日入院
血尿を出していた。畜尿パックにあふれるまで尿を入れて遊ぶ
ナースさんごめんなさい。ちょっと反省

4月上旬
重度の麻疹に罹患。自宅療養を続けるも、病状悪化の一途をたどる
兵庫医科大学病院小児科(当時)と耳鼻咽喉科に緊急入院。即隔離
医師の診断は、ごく少ない確率で罹患する重度の麻疹、麻疹肺炎、急性中耳炎、化膿性髄膜炎等の併発
高熱が続き、意識不明の日々が続く。一時、危篤状態に陥る
髄膜炎および重度急性中耳炎により、失聴。混合性難聴と診断さる
損失聴力、右・85デジベル、左・85.5デジベル
鼓膜と耳小骨の一部は、高熱で溶けて失われた

5月
ろう学校への転入を薦められる
この時期、現在の耳鼻咽喉科主治医に出会う。当時の主治医はキシモト先生
ストレスでか、当時の記憶はほとんどない
今の主治医は「耳の中を診てこりゃひどいと思った」と語っている
同時に「このときの痛みのせいで治療に支障をきたしてしまった」とも

6月
月末、退院。体重は16キロに激減。なぜかおなかはへっこまない
1ヶ月ほどリハビリを自宅にておこなう。箱型補聴器を装着しつつ、日常へ戻るべくの訓練
長期の休暇をとった母親と外出したり、通院を続ける
平衡感覚がほとんど機能しない。平均台からよく落ちる
乗り物に酔う体質になってしまう

7月
復学。在籍していた小学校に両親が何度も説得をし、普通クラスへ戻る
しかし闘病生活のため著しく体力が低下、通学はほぼ不可能
補聴器があわないため頭痛がひどく、以来、装着は断念。
「あなたの笑顔が唯一の救いだった」と、のちに母親は語った

昭和61年・8月
左耳鼓膜再生術を受けるも、急性炎症により失敗。病棟で肝試しをして遊ぶ
この頃、母親が宗教にすがりだした時期だったと思う
冷めた目で眺めていた。みっともない、くだらない とすら思った
それも母親の愛情だったなんて、気づくはずもなかった
母は看護婦で、わたしの障害は自分のせいだと自責していた

昭和62年・8月
右耳鼓膜再生術も、失敗に終わる。今度は注射器で水鉄砲遊び(笑)
学校でいやがらせやいじめにひんぱんにあうようになる
後天性自閉症の疑いをもたれ、精神科を受診。検査結果は異常なし
単に性格の問題なんだろ(笑)←親は髄膜炎の後遺症ではないかと恐れていた
聞こえねーからパニック起こしてるだけ

昭和63年
学校でのいじめ、両親の不仲により、極端な人間不信におちいる
髪の毛をむしる、壁に身体をぶつけるなど、自傷行為がみられる
両親は離婚。そのためか、性への嫌悪が激しくなる
もともと対人・視線恐怖でもあった
すでに心身症を発症していた(その後、神経症&心身症)

平成元年
小学校卒業。公立中学校入学。聴覚障害をもつ同級生と同じクラスで学ぶ
いじめの頻度は小学校と変わらないが、陰湿なものへと変化
担任の見て見ぬふりと理解不足の言動連発で、教師を蔑視するように
プライドの高いクソガキではあった(笑)
中学時代は委員会活動に明け暮れ、最終学年で委員長を務める
勉強しなくても、国語では学年の上位にいたりする。不思議ね

平成3年・春
最高学年。つまり高校受験
内申内申とうるさく言われ、中耳炎の治療にも行けない日々
もしこの時、治療を受けていたらば手術を何度もせずとも良かった
耳漏や耳鳴がひどく、補聴器の装着は無理
担任から「補聴器なんでつけへんのや。お前ワガママもええ加減にせい」
と投げられ、人間不信のどん底に突き落とされる。表には出さなかったけど
これが教師の投げる言葉とは情けない限り
文部省、教育委員会、それでも知らん振りは良い度胸だ


この頃、妹が生まれたらしい
母親とよその男性のあいだにもうけられた女児のため、知らされず
妹は写真をみて知っているが、本人は妹の名前しか知らない状態
学校の課外活動は、態度不良のため退部。だってつまんないもん(爆)
聞こえない授業はほとんど考え事をして過ごす
自分のすべてが気に入らない状態
人生投げ出してる(笑)

11月頃
所属している学習塾分校の高校受験願書が届いて泡をふく
スイスなんて誰が行くか〜!!
あ、あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅうぇる!!
へるぷみーぷりーづ!! ぶりーづ!!

平成4年・春
中学卒業とともに、県立高校・全日制普通科へ進学
(受からない可能性大って言われてましたけどね。ほほほ)
やはり普通クラスに在籍。珍しく、同学年の難聴生徒と別クラスになる
車椅子のコもいて、バリエーションに富んだ生活だった
成績は中の下ぐらい。理系は最悪、文系のみ高得点を維持
耳の調子は、相変わらずかんばしいものではなかった
しかし、いじめばかりの義務教育時代にくらべると、かなり快適な学校生活
初めて『恩師』と呼べる女性教諭に出会う
彼女に出会えなかったら、今のわたしは絶対に存在しなかった

平成5年・春
いやがらせはあとを絶たなかったが、めんどくさいので無視するとそのうち消滅
人を見下して遊ぶのもいい加減にしろ。アホ丸出しやぞ
…とか、これぐらい開き直るのも大切
委員会・クラブと、意欲的に学校行事に参加。実績はそれにくらべると下ランク(笑)
内申? そんなくだらん理由で委員長とか部長できるか
肩書きばかりの図書委員長を務める。本がだいすき

平成6年・秋
某有名私立大学の一芸入試の推薦をけっとばす
「一芸なんかで入りたくない」のが理由
成績がよろしくないわりには、やることなすことが豪快。無鉄砲
この頃から、中耳炎が悪化。学校を早退し、兵庫医大へ通院の日々が続く
担任は、いつも気づかってくれていた。何、中学と高校のこの差?
高校決まったか? という主治医の言葉に超ショック。大学受験だよ…
腎不全で友人を失う。友人のはじめての死は重かった。
「あのコが苦しんで苦しんで逝った時、わたしは写真の中で笑っていたよ」
その写真は卒業アルバムの中にある

平成7年・冬
阪神大震災に罹災、自宅全壊判定。祖父宅で避難生活を半年ほど続ける
文芸部で書いたエッセイもどき論文が県代表に抜擢、全国大会へ
3人で1チーム。実力派の友人に便乗し、どとーのごとく他校を蹴落とす
その後、入学する大学の高等部まで蹴落としたと知り、ぼーぜん
お腹をこわし、忘れられない卒業式になった。送辞より答辞よりトイレが待ち遠しかった(滅)

4月
高校卒業とともに、大阪の大学・文学部国文科へ進学
PTSD発症。心療内科と内科を受診
過換気がひどく、何度も鎮静剤のお世話に。夜中に病院へ駆け込む
下宿を借りるが病状悪化のため、引き払う

10月
水ぼうそうに罹患。重症。痛かった
まだ顔にアト残ってるの、気になるなぁ…
中旬、友人がこのとき自死したと半年後に知り、かなりショックを受けた
「なぜ、病気で役立たずで聞こえないわたしが生き残るんだろう」
自責ともいえる強迫観念は、やがて拒食症へと悪化するのにも気づかず

平成7年末〜平成8年・春
ひどい片頭痛の発作が続く。しまいには倒れて吐く
CTなどの検査を受けるが、結果はクリア
鉄欠乏性貧血発症。ストレスで月経が1ヶ月ほども続く
親戚夫婦のいさかいに巻き込まれ精神的に消耗、電話の音を聞いただけでうずくまる

平成8年・夏〜秋
不登校発症。大学に休学届を提出、半年の休学期間(11月〜翌年3月末)に入る
アドバイザー兼カウンセラーは、渡辺病院神経科・ササキ先生
この頃、耳鼻科主治医・ミナトガワ先生が大阪へ転勤。先生についてそちらへ移る
神経性胃炎・十二指腸潰瘍に罹患、発症
胃カメラを飲まされそうになり、パニック起こして泣きわめく

平成9年・1月
インフルエンザ罹患、拒食症発症。体重は32キロまでおちる。はっきりいって骨と皮
もう2度とゴメンだ
死にかけることがこんなにつらいのなら、生きていた方がまだいい
「もう死なせて…」は、やがて「きっと治ってやるんだ」に変わる
振袖も成人式もない冬は、ひたすらせつなかった
だが、周囲の尽力がなければ、わたしは死んでいた

4月
大学に復帰するが、体力の著しい低下のため長期欠席が続く
心療内科主治医・オカヤマ先生に出会う。それまではホサカ息子さん先生
新聞にちょこちょこ育児相談ハガキを出してこづかい稼ぎ(蹴)
…と同じ原理でコラムにファックスを送って、とんでもないことに
新聞に載っちゃったギャ−。しかも全国紙!?(ナイアガラ瀑布汗)
S新聞様、その節はたいへんお世話になりました

10月
インターネットをはじめる
ネット中毒になるのはバカだけだ と思っていたら、あっさりドツボにハマる(笑)
課金は最高で6万超。テレホ未加入のため、さんざんな目にあう
チャットで大暴れし、最後には突撃竜巻乱入有名人に。友達たくさんできちゃったり

平成10年・春
ネットの母と呼ぶ女性と出会う。その女性は、名を『未知』という
妹と母親を憎む気持ちが一瞬にして溶けてしまったあのことは、一生忘れない
彼女達に出会わなければ、わたしは愛を知らないまま育った
あどけなく眠る幼な子を抱いたあの感触を、愛さずにいられようか


感音性難聴だということを知る。兵庫医大時代のカルテから
手術をうければ治ると信じていただけにショックが大きく、うつ状態で寝たきり
同人世界に現実逃避
たまたま見つけた猫を拾う。にわか親になってしまった。あやめと名づける
その後、愛猫あやめの性別がオスだと判明し、愕然(笑)

平成11年・2月中旬
鼻中隔の手術。MRSAに院内感染。遺書まで書いた(笑)
不眠症悪化のため自主退院するが、体力が急激に低下してほとんど寝ていた
時津城克己主催サイト『幽姫森』にてネット日記と掲示板をはじめる
“ものぐさ姫草子”は、この頃からログがある

4月〜5月
ゴールデンウィーク直前、緊急入院。突発性難聴発症。MRSAの感染判明
音を失ってしまうのではないか と、かなりグロッキー
退院後、無理をして単純疱疹に罹患。クスリ高いし副作用キツいし最悪
水ぼうそうウイルスが、日和見活性化してしまったそうだ

夏〜秋頃
耳の手術をすすめられ、パニックで混乱
ストレスがかかると食べなくなることが発覚。栄養士がつく
何を思ったのか、ドナーカードにサインする

11月
手術待機のため2度めの休学届(11月〜翌年3月末)を提出、受理
中耳炎悪化のため、入院・手術。中耳薬浴用チューブを耳の上に留置
入院中、またしてもヘルペスが口にできる。痛
愛犬・チョコ、老衰にて永眠、16歳。愛猫・あやめの存在が救い
部分献体登録をしたのは、この時期かと思われる(脳・耳細胞を死後提供)

12月
チューブ抜去。手術までしたのにあっさり抜けてしまい、物足りない
身体・精神的負担により、同人活動をいっさい休止
担当教官退職のため転ゼミ。日本中古文学から上代文学へ

平成12年・4月
復学。治療続行(耳鼻科・内科・心療内科)
上代文学ゼミ在籍。課外活動は、手話部と文芸部
同人活動をネット限定再開
聴覚障害者を対象とした掲示板に書き込みをはじめる

5月〜6月
そこそこ通学しながらも自主休講
6回生ってことになるのかなぁ(笑)
チャットをやりまくる。ストレス発散らしい
サイト『幽姫森』、諸事情により休眠状態。かつみ、おやすみ。今まで有り難う

8月
やっとホームページできたし………ふぅ…
とか一息ついてたら、MRSAに再感染していたことが検査で発覚
夏バテで体重が40キロを切りそうなので、栄養士の指導のもとに療養
はじめて独りで旅行。かなり積極的に行動している

10月
対人関係の悪化による学祭ボイコット。手話部脱却決意
左耳までもが中耳炎になって、あまり喜ばしくない日々
体重は次第に戻りつつある
心療内科主治医がオカヤマ先生から…誰に?(爆)

11月
体重がようやく元どおり
心療内科主治医はモトニシ先生にチェンジ
慢性胃炎、ストレスで悪化

12月
モトニシ先生との相性はなかなか
何もないところで捻挫し突き指するという、不運に見舞われる
またしても右耳の手術をすすめられ、夜中に電話で泣きわめく醜態をさらす
怖いモンは怖い(笑)
難治性中耳炎再発す

平成13年・1月
アダルトチルドレン発覚
父親に向かって「育て直せ!!」と、訳のわからないことを怒鳴り散らす
フラッシュバックが起き、何度も叫んでうずくまる
トラウマの中心である震災と虐待の映像は、特にタブー
心療内科の薬が増える。飲みたくないんだけどね。仕方ないじゃん

2月
右耳鼓膜形成術計画、始動。他部のオペも入れるとこれで5度めになる
夏休みに入り次第、いつでも手術が可能なように治療計画をたてる
慢性胃炎・不眠症悪化のため、栄養士がつく

平成14年・2月
重度うつ病と診断される。32条適用
慢性中耳炎悪化、真珠腫になる可能性あり
睡眠薬に耐性がつきはじめたことが判明

3月
右耳微量出血、緊急入院・手術
『右中耳根本術』
MRSAで壊死していた右耳の中耳付近の骨・細胞、耳小骨を全摘
入院は1ヵ月に及んだ

11月
右耳鼓膜切開。日帰り手術

12月
闘病に専念するために、大学を自主退学

平成15年・2月
不安感から精神科を変える
バルビツール依存症発覚
鼓膜が再生したことを知る。主治医も驚くが、父親の虐待が消えたため

5月
右耳再手術計画発動

7月
右耳鼓膜切開手術、退院

秋頃
右耳鼓膜切開小手術

平成16年・2月
右耳鼓膜切開小手術

5月
右耳鼓膜切開小手術

7月
低血圧治療開始

8月
右耳鼓膜切開小手術
夏風邪が長いので、結核ではないかとまで言われた…陰性でした

9月
右耳鼓膜切開小手術
長い夏バテと夏風邪の併発

そんでもって追記
仮的開設 00/08/16
最終更新 04/10/07
おくすりページ 同上
次回更新予定 04/11/01


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