#4−4 共鳴

洋館"

  都内にしては珍しく鬱蒼と茂った林の中にその古い洋館は陰鬱な表情で立っていた。それがかつての館の主の面影を映したものなのか、あるいは今の主のそれを映しているものなのか、それを知るのは、館を取り巻く木々の百万の葉だけだったかもしれない。
「ただいま」
 真夜中の洋館の暗闇に少女の声がほんの一瞬響き、そして拡散した。
 彼女が明かりもつけず土足のまま奥へ進むと、そんな華奢な体重でさえ負担であるかのように板張りの廊下が悲鳴を上げた。
 螺旋を巻いた階段の途中で彼女は立ち止まった。
 昼にハンバーガーを一個かじっただけだったことを思い出したのだ。
 何日かぶりで訪れた一階のキッチンには、微かに、だが、間違いなく嫌な匂いが立ちこめていた。
 カナは冷蔵庫の取っ手に手を延ばした。
 そして、しばらくの逡巡の後、その手を再び引っ込める。
 そこに入っているものが自分の望むものでないことを彼女は知っていた。
 いつまで、もつのだろう。
 彼女の胸の中で何かが囁いた。
<もう、すべては終わっているじゃない。どこにも出口なんて、ありはしないのに>
「‥‥分かってる」
 カナは二階の自分の部屋に上がった。
 カバンをベッドの上に放り投げ、そのまま部屋を見渡した。
 ひどい色。それに、ひどい臭い。
 ベッドのシーツは捨てたし、カーペットも念入りに拭いたが、その痕跡はぬぐうことはできなかった。
 カナはイスに座ると、机に広げてあった分厚いノートをめくった。
 スタンドのスイッチをつけると、光の輪の中に乱雑な字が浮かび上がった。彼女の字ではない。
 何度見ても、同じなのに。
 そう思いながら、カナは細い指でページをめくった。

  月 日
 成功だ。理由は自分でも分からない。だが、現実にわたしの目の前にはそれがあった。世間が体外受精だ、凍結保存卵だと大騒ぎしている間に、わたしは一挙にそれを飛び越えた奇跡を見ているのだ。
 失敗続きの彼女には申し訳ない気もするが、それも奴なんかを相手に選ぶからだ。何も心配することはない。これからはわたしが君の分身を慈しむのだから。
 これからはこの娘との生活がすべてだ。
 これから始まるのだ。
 胸がはりさけんばかりの感動が、今わたしを包んでいる。

 彼女はノートを乱暴に閉じた。
 吐き気を感じる。下の匂いが上まで上がってきているのだろうか。胸がムカムカする。
 嫌な予感がした。こんな時には決まってアレが起こるのだ。
 彼女は部屋の空気を入れ替えようと窓を開けようとした。
 窓の取っ手に手をかけた時、それはやって来た。彼女の頭の中に。緩慢な白昼夢が彼女の扉を問答無用でこじ開けるのだった。
<‥‥かしら><‥‥せらなくとも大丈夫だ><もう四度目よ!>
 ヒステリックな女の声が頭に響く。
 出ていけと必死につぶやくが、声の主たちはそしらぬ素振りで話し続ける。
<どうして、できないの! なぜ、なんでなの! こんなに、子供が欲しいのに‥‥>
 男がしかめっ面になって答える。
<やはり無理に作る必要は‥‥><!><君の身体に負担が大きすぎる><何よ、あたしが望むものは、何も手に入らないっていうの!>
 女の狂乱がカナを押しつぶそうとする。
「やめて!」
「お願い!」
「出てって!」
 部屋に響きわたった声が自分のものであることをしばらくしてからカナは理解した。
 窓ガラスは風でがたがたと揺れていた。
 カナは危うい足取りでベッドへたどり着くと、身を投げるように倒れ込んだ。
 いや‥‥もう、いや‥‥
 彼女はこれまで何千回となく繰り返した言葉をその夜もつぶやいた。




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