#4−1 ムスメたち

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 中学生の大群が細い道をにぎやかに流れていく。その陽気でみずみずしい力にあふれた声は、街路いっぱいに拡散し、自らの存在を声高に主張していた。
 小田切自身にとってはもう二十年以上前のことだったが、今見ているそれは、彼の中の記憶とそれ程変わってはいないような気がした。ただ一つ、男子生徒がいないことを除けばであるが。
 小田切は会社を抜けて、聖水島女子学園のすぐ近くまで足を運んでいた。ちょうど運よく下校時間と重なったらしく、通学路には確かに「カナ」と同じ制服の少女たちがあふれかえっていた。
 小田切は彼女たちの流れとは逆向きに立ち、木陰からそれを緊張して眺めていた。
 なぜ自分はこんな所に来たのだろう。
 小田切は自問した。
 勿論、彼女の正体をさぐるためである。少しでも彼女のことが分かれば、彼女との交渉を有利に運ぶこともできようというものだ。
 だが、小田切は下校中の少女たちに声をかけるのをためらっていた。何度かそれを試みようとしたが、好奇心と警戒心の入りまじった彼女たちの視線を受けては思い止まる。その繰り返しだった。その様は警官に見つかれば、挙動不審で職務質問の一つは受けてもおかしくないほどだった。
 女子中の通学路に中年の男が隠れるように立っているという事実だけでも小田切には充分恥ずかしいことだった。その上、この女子生徒たちに声をかけねばならないとは。
 考えただけで小田切の体は固くなった。
 その時、小田切はあることに思い至った。よくよく考えてみれば、彼は彼女の名字も学年も知らないのだ。カナという名が偽名であることが確実である以上、それは彼女について聞き出す手がかりが、ほとんどないに等しいことを示していた。
 小田切はもはや少女たちに声をかけるのは無駄でしかないと結論づけると、ほっとして彼女たちを遠い目で見やった。
 昨日のカナの言葉によると期末試験の最中らしいが、だからといって彼女たちのエネルギーが内向きであるということは微塵もなかった。グループごとに交わされるかん高い声は、うるさいほどにぎやかに緑の木々の下にこだましていた。
「‥‥でっさあ、英語のシジマってこんなんなって言うのお。『ミソザキィ、そっこ読めえ。隣に聞くんじゃなあい』」「そうそう」「似てるよソレ!」 「‥‥でえ、アカイシったらあ、マイク離さないんだよ、チョームカよぉ」 「‥‥今日のアレさあ、絶対チェックだよねえ」「あたし先週見逃しちゃたんだけど、ビデオ録ってない?」
 たわいもない会話が洪水のように耳に飛び込んできて、小田切はめまいをおこしそうになった。
 目の前を通りすぎる少女たちを見れば見るほど、その会話を聞けば聞くほど、「カナ」の異質さが際立ってくるように小田切には思えた。
 それとも、彼女はどのクラスにも一人はいる陰気な少女にすぎないのであろうか。小田切には判断がつかなかった。
 彼女に見つかる前に立ち去ろう。
 そう決めて、地面に視線を落とした時だった。小田切の耳に、ある会話が飛び込んできた。
「‥‥チョーメンドー。カナのプリント持ってくの誰か変わってよぉ」「アンタが一番近いんでしょ」「どうしてあたしがあんなのの家行かなきゃなんないのよぉ」
 小田切は慌てて声の主を探した。
「アイツ、もう四日も連休だよね」「あたしたちもやろっか、五連休くらい?」「来週の期末バックレたら落第だよ、アンタ」
 三人連れの髪の色をいじった少女たちが早足で目の前を通り過ぎていった。
 カナ。確かに彼女たちはそう言った。
 偽名だったのではないのか。それとも別人か。それに、期末試験は来週?
 突然の新しい情報に小田切は戸惑った。
 結局、小田切の逡巡のうちに三人の少女たちは遠ざかって行った。
 別人に、違いない。
 事実へ踏み込むチャンスを自ら放棄したことを小田切は自分では意識できなかった。




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