#3−3 由美子

mumumu"

 由美子は肩からどさっとカバンを下ろし、そのまま反動でベッドに倒れ込んだ。
 ‥‥くっそお
 大きな枕に顔をうずめるようにして、そううめいた。
 自分で思うに、普段はそれ程情緒不安定だというわけではない。
 だが、ここ数日はどうしても駄目だった。
 あの男のせいだ。小田切恭助の。
 一昨日、ホテルの前で別れてからなのだ。
 それ以来、彼とは私的な会話は交わしていなかった。そんなことはそれほどこたえてはいない。よくあることだ。そう割り切れた。
 割り切れないのは、彼が会社で口にするのが、どういうつもりか、ある女子中学生の話ばかりだということだった。
 それを聞いていると、まるで自分がその娘と比較されているように、そして劣っているように感じられて仕方がなかった。
 そりゃ、あたしは二十八よ。肌のハリだって、初々しさだって自慢できる齢じゃない。 でも、中学生と比べることないでしょ!
 勿論、小田切としてはそういう意図はないのだろうが、そう受け取ってしまう自分がまた情けなく、腹立たしかった。
 由美子はシュルッとストッキングをずりおろした。そして、それを乱暴に丸めると、部屋の壁に思いきり投げつける。
「ストライーク!」
 近所迷惑も考えず大声で叫ぶと、床の上に落ちたストッキングの玉をしばらくの間憮然として見つめていた。
 そして、おもむろにそれを拾い上げると、洗面台まで出向き、今度は洗濯機の中に放り込んだ。
 五階建てマンションの1DK。決して広くはないが、今の彼女には充分なものだった。 翻訳学校から「ぺるそな」に入って三年。曲がりなりにも翻訳を職業として食べられるようになって三年ということだった。まだまだ駆け出しであるとはいえ、仕事の充実感はOLをしていた時とは比べようもなかった。
 給料もそれほど良いとは言えないが、それはそのうちステップアップできるはずの問題で、それ程気にはならなかった。
 それでも二十八という年齢は、時折由美子の中で注意信号を点滅させた。
 彼が相手になるのだろうか。
 いろんな男とつき合う度に予感はあった。
 けれど、そのどれもがハズレてきた。
 結婚、出産、子育て。そういった普通の女性の幸せというものを放棄しなければならない理由は、自分にはないはずだった。
 取りあえずは、結婚なのだ。
 小田切のことは悪くない相手だと思っていた。確かに、十才以上も年は離れているし、バツイチで、子供も一人いる。
 それでも、悪くはないと思っていた。
 条件ではない。気持ちがそう言っているのだ。
 前の奥さんの子とうまくいくのだろうかという不安はある。彼の子供は来年小学生だという。いきなり母親になってしまうのだ。
 だが、それも何とかなるだろう。不安はあるが、どちらかといえば楽観的だった。
 年齢が気になるのは他の点からだった。
 結婚は何才になってもできる。勿論、相手を選ばなければの話だが。
 しかし、出産はそうはいかない。出産の物理的制約は医学の進歩した今でも存在する。厳密には出産というより、体の中の卵子の鮮度の問題らしい。年を取れば取るほど体の中の卵子がダメになっていくと何かの本で読んだことがある。
 何としても子供をつくりたいと思っている由美子のタイムリミットは少しずつ、だが確実に迫っているのだ。
 それを思うと、中学生と比較されることがますます侮辱されたようにも思えてくる。
 鏡を見ながら由美子はため息まじりにつぶやいた。
「あたしの方が、ぜったいいいオンナなんだから‥‥」
 そう言ってから、由美子はそれがどこかのコマーシャルのフレーズに似ていることに気がつき、再びベッドに飛び込むと、顔を枕にうずめた。




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